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季節は春の盛り、ようやくと夏が先の方に見えてきた頃だった。
街の大通りから一本外れた高台。
木製の手すりの向こう、眼下には黒々と広がる海。頭上には海よりも幾分か青い夜空。
満天の星が輝く夜だった。
「大世界樹って、本当に大きいですね」
日付も変わろうかという時刻にも関わらず、まだまだ賑やかな飲み屋街で買ってきた串焼きと酒瓶を片手に、ルシャは先客に話し掛ける。
「噂には聞いてましたが、実物を見てびっくりしましたよ」
黒々とした海と紺碧の夜空の間に聳える巨大な影を見ながら横に並ぶと、長身の女は顔だけ振り向いた。
「なれなれしいね、君。私が誰だか、まだわからないのかな?」
「〝竜葬のジスカ〟」
ルシャが振り向くと、赤紫の目は軽く眇められる。
「へぇ。知っててそんな風に声掛けて来たんだ?」
「海が見たくて、ここに来たんですけど、偶然いらっしゃったので。公演、来てくれましたよね。だから、せっかくお会い出来たならお礼をと思ったんです」
にっこりと笑うと、ふん、と鼻で笑ってジスカは視線を島の方角に向けた。
「座長さんは、営業熱心……もとい律儀なことだね」
「お客様は大事ですからね」
ルシャは手摺の上に酒瓶を二本置いた。
「一本どうぞ。で、ちょっとご一緒して良いですか?」
「安い場所代だなぁ。ま、別にここは私の家でもないし、良いけどさ」
ジスカは溜息と笑いを同時に漏らして、置かれた酒瓶の内の片方を掴む。
「栓抜き」
「いらないよ」
栓抜きを差し出そうとしたルシャの方を見ないまま、ジスカは指で弾いて瓶の栓を抜いてしまった。
「〝竜〟」
ルシャが何か言う前に、そう言って豪快に一口酒瓶を傾ける。
「私がぶちのめして契約したのは、でっかい竜。だから〝竜葬〟ってね。殺しちゃいないのに」
そいつのおかげで、見た目以上に膂力がある、とジスカは淡々と言った。
「君の頭くらいなら、ちょっと掴めば卵みたいにグシャッとやれるよ」
「便利ですね」
答えるルシャに、君は結構図太いな、と肩を竦めて皮肉に笑う。
無言になって、ルシャは自分の酒瓶を栓抜きで開けた。
コクリと一口流し込むと、晩春の風が吹いて来て、サラサラと髪を揺らす。
「海の匂いの風ですね」
「ふぅん」
慣れてしまってわからないね、とジスカは答えてグビグビと酒を傾ける。
「アテもどうですか?」
串焼きの乗った紙皿を手摺に乗せると、ふ、と笑う気配。
「君さぁ、それ、何の肉だか知ってるの?」
「ええと、島でとれる魔獣の肉で、ここでしか食べられない、って屋台の親父さんに言われて……」
「子供が見たら泣く見た目だよ、そいつ」
特徴的な形の骨が付いていたからわかったのだろう。くく、と喉を鳴らして、ジスカは二本ある串の内の一つを取ると、軽くかじりついた。
「そんなエグイ見た目なんですか、これ?」
「それに人を食ってるよ」
ルシャも一口齧ったところで、にんまりと笑ったジスカはそう言った。
「森で毎年どれだけの人間が死ぬか知ってる?あそこじゃ、魔獣に食われるなんて日常茶飯事だ」
この串焼きになった魔獣も、おそらく哀れな冒険者の一人二人は食ったことがあっても不思議はない、と。
愉快げなジスカを振り向いてから、ルシャは笑って視線を海の方に戻す。
「この国の人達は、逞しいですね」
ふふ、と笑ってモグモグと串焼きを咀嚼するルシャを、ジスカは一瞬だけ視線で振り向いてから、ふぅん、とまた低く笑った。
「君、やっぱり図太いよ」
「俺は平原の国の出身なんですよ。平原の国の、遊牧騎馬民族」
ルシャは肩を竦めて、手摺に置いていた酒瓶を手に取る。
「平原の遊牧民は、仲間が死ぬと死体をそのまま草の上に横たえて去るんです。それを鳥や獣や微生物、植物が栄養にする。そして、俺達はそういう獣を狩って、そういう草を家畜に食わせて生きている。生命の環は、そうやって回る」
そういう死生観なんです、と振り向くと、ジスカは肩を竦めた。
「哲学や宗教観を語るつもりじゃなかったんだけどね」
「それは失礼。まぁでも、一座の連中には忠告しておきます。魔獣の肉には気を付けろ、って」
ふふ、と笑って、ルシャは再び海を見た。
「公演、お楽しみ頂けました?」
問い掛けると、酒瓶を傾ける間があってから、ああ、と淡々としたままの声で答えが返ってくる。
「普通に。……普通に、悪かなかったよ」
「それは良かった」
素っ気ない返答だけれど、おそらくジスカなりには結構な賛辞だろうとルシャは思った。
(皮肉っぽいけど、この人、質問は無視しないし、真面目に答えてくれてるんだよな)
それは人を食っている魔獣の肉だ、と。わざわざ教えたのは、たぶん嫌がらせではないのだろうと思う。
(公演はこれから半年続く)
この国に半年滞在することになる外国人に、きっと警告してくれたのだろう。〝この国でしか食べられない〟という触れ込みの肉は、そういう肉なのだ、と。
(何より、結構、楽しそうに公演視てくれていたし)
舞台が良く見える特等席は、舞台からも良く見える。
この一見すると皮肉っぽくて取っ付きにくい人物が、公演中、少しだけ身を乗り出してジッと舞台を見詰めていたことを、ルシャは知っているのだ。
(まぁ、だから偶然見かけて声を掛けたんだけど)
ジッと、高台で島の方を見詰める背中を見た時、何となく声を掛けたくなった。
(まるで誰かを待ってるみたいだった)
けれど待ち人は今だ現れない。きっと、現れるはずのない誰かだったのだろうと、何となく察する。
「そういえば、お連れの二人は?」
「今頃酒場の床にでも転がってるんじゃない?」
「え?公演後に飲んでたんですか?男二人潰して来たんです?」
今飲んでいる酒は何本目なのだろうと、思わず渡した酒瓶を見ると、ふふ、と機嫌良くジスカは笑った。
「竜と言えば大酒飲みだろ」
「そうなん、です……?」
初めて困惑を露わにしたルシャが愉快だったのか、ふふ、とジスカは島を見詰めたまま目元を緩める。
「そういえば夕刻、君、よくスリが見破れたね。あんなんでもゾルタンのアホだって一応はサマナー麾下の〝精鋭〟なんだけどねぇ」
歴代サマナーの多くは、元々は冒険者組合に属する冒険者だ。そこから魔法や武勇の腕を磨き、最上位精霊の召喚に成功してサマナーとなるのが王道である。
従って、サマナー麾下の部下達も、名目こそ〝騎士団〟の〝騎士〟というわけだが、実際には元々サマナーと共に冒険者として隊を組んでいた冒険者上がりが多い傾向となる。
必然、サマナーにまで至るほどの隊長と、冒険者時代から苦楽を共にした隊員というのは、それこそたたき上げ、精鋭中の精鋭だ。
一見すると少し頼りなさそうにも見えたゾルタンも、実際には冒険者として一流の部類に入るのだろう。
「スリを見破るのは……何と言うか、まぁ、ある意味で似たような職業なんで」
ふふ、と笑って、ルシャは酒瓶を飲み干し、それを手摺に置いた。
「似たような職業?」
「もっとも、あんな素人とは格が違いますけどね」
振り向いたジスカの前で、酒瓶の飲み口に人差し指を付け、それから、パッと放した。
「ほら」
酒瓶は一瞬で消えて、かわり、そこに小さな花束が乗っている。
「ああ、公演で見たっけ。奇術師だったね、君」
「人の目を盗む手業なら、あんなのより俺の方が何倍も上ですよ」
納得するジスカに笑い掛け、さて、と消した酒瓶をポンと手の中に出現させると、肉を食べ終えた二人分の串をその中にポトリと落とし、持ってくる時に使っていた紙袋に回収する。
「それじゃぁ、明日は用事があるので、これで」
軽く一礼し、ルシャは紙袋を持たない方の手をひらりと振った。
「今の時期でも結構、夜の海風って冷えますし、ほどほどに飲んで帰ってくださいね」
それでは良い夜を、と一礼して踵を返すと同時に、パチンと指を鳴らして。
「ん?」
微かに驚いたジスカの声。
花束をまとめていたリボンがひとりでにほどけて、白い花がふわりと風に攫われて辺りに広がる。
「なんだ……」
「次の公演も」
困惑したジスカを振り向いて、ルシャはヒラリと手を振った。
「次の公演も、どうぞ会いに来てくださいね、ジスカさん」
手摺の上、花束の下から現れたチケットと重しのガラス玉を見て、ジスカの赤紫の瞳はパチリと一度、瞬いた。