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「もおおおおおおお!座長!なんでこんなギリギリになってるんですか!?」
「やぁ、ごめん、ごめん。途中で色々あってさ」
舞台袖で化粧担当のアンに怒鳴られながら、ルシャはヘラヘラと笑った。
「色々じゃないですよ!何で座長が自ら倉庫まで引き取り忘れてた衣装取りに行くんですか!?最悪、衣装は前の古いヤツでなんとかなりますけど、座長がいないと公演の始めようもないんですからね!?」
「だって、俺が一番、早く行って早く帰って来れるだろうから」
「それはそうなんですけど……!それなら衣装を諦めるべきだった、って話です!」
ルシャの赤銅色の髪をガシガシとブラシで整えながら、アンは長い溜息を吐く。
そっと覗き込んだ客席には、既に満杯の人が集まっていた。
「ああ、もう!お化粧してる時間がない!……まぁ、座長はいつも殆どしないんで同じですけど……!」
「気になるなら小道具の仮面でも被ろうか?」
「ダメ。座長は顔出しした方が客受けが良いから、そのままでイイです」
ルシャの提案をパキッと即答で断るアンに、既に支度を終えて控える他の団員達が笑った。
「皆ごめん、待たせちゃって」
「まったくですよ、座長」
副座長で猛獣使いのコンラートが肩を竦める。その肩に乗った猛禽も、心なしか呆れた顔をしているように見えた。
「アンも言ってますけど。衣装なら古いヤツで誤魔化せば良いんだから。アンタの足なら走りゃ間に合うと踏んだんでしょうけど。万一があったら大変でしょ」
「本当に申し訳ないと思ってる。けど」
髪の準備が終わり、アンが手を放すと同時に、ルシャは手に持っていた山高帽を被り、片眼鏡の位置を正した。
「この国での初公演だし、多少の危険を冒しても、妥協したくないだろ?」
バサリ、と黒いマントを手で払って形を整え、ふふ、と笑う。
「それにね、コンラート。我々は、誤魔化しなどしないだろう。やるなら徹底的に。我々はお客様を、世界を、真正面から堂々と、騙すんだ」
「……あーはいはい、その通りですね」
仕方なさそうにコンラートはクシャリと笑った。
「まったく。その通りですよ、座長」
だから毎回苦労するんですけどね、と口々に零しながらも、その場にいる団員達は皆、結局は楽しそうだった。
自分達の信念、かくあるべしと掲げた在り方を曲げられない者ばかり。
口では何と言っていたって、使い古しの衣装での公演なんて、結局彼等の誇りが許さないのだと、ルシャは知っている。
(どうせ俺が取りに行かなければ、コンラートあたりが取りに行ったんだろう)
そう思ってクスリと笑い、さて、と舞台の方を向いた。
大勢の観客がザワザワと囁き合いながら、今か今かと開演の時を待つ、独特の熱気。
その空気を大きく吸い込んでから、ニッと口角を上げるルシャに、やれやれと待ちくたびれた団員達も、各々がわくわく楽し気に笑う。
「往こう、世界を騙しに」
時刻管理の担当が開演の合図にトランペットを吹き鳴らし、ざわついていた会場は水を打ったように静まり返る。
真っ暗な会場の中央、唯一照明の白が落ちている舞台の中心へと真っ直ぐ歩き出て、ルシャは山高帽を取り、深々と一礼しながら声を上げた。
「ようこそ、我ら世界一のサーカス団、七華一座の公演へ」
そうして顔を上げた先、真正面の一等席に、暗闇でも煌々と色付く赤紫の目を見付けて、にっこり笑う。
「今宵、夢のような時間を、蕩けるような夜を。あなたに、お約束しましょう」
差し伸べた手の先、ルシャの鈍色の目を見返した女は、ほんの少しだけ、驚いたように目を瞬いた。