ギャップ萌えの果て
「ギャップ萌えです」
ケリーはずいっとサラサンに顔を近づけると断言した。
「ちょっと顔が近すぎよ。メルデルに誤解されたらどうするのよ」
「あ、すみません。私もダーリンに誤解されら困りますぅう」
(ダーリン?)
サラサンは誰のことかと思いながらも、ケリーの恋人はあの赤毛の執事しかいない。浮気はあり得ないと思いつつ、他人事だと聞き流そうとした。
「サラサン様?誤解なさってますう?ダーリンとは私の愛しいジャミン様のことですわあ。ハニーでもいいのですけどぇ。それは男性側が呼ぶものなのでぇ。ジャミン様はハニーっと呼んでくれないのですわあ」
ケリーは体をくねくねと動かして、少し気持ち悪い。
サラサンは少しだけジャミンに同情しつつ、話を戻そうとした。
「それで、ギャップ萌えってなに?」
「普段と違う行動、または外見とは全く異なる行動をして、お相手の方をドキッとさせる作戦です!」
「……ドキッねぇ」
「例えばですね。サラサン殿下が突然男性らしく迫ったりすると、メルデル様がドキッとされてると思います」
「私は別にドキッとさせたいわけじゃないのよ。単にもっとなんていうか、好きになってほしいのよ」
「私からすれば十分だと思うのですけど?」
ケリーに問われ、サラサンは黙り込む。
「それでは今日はこのへんで戻りますう。ダーリンが待っているので。メルデル様にはキャンドラ領については、カイゼル様が頑張っているのでご心配なくとお伝えくださいませぇ」
週一となった報告を終えたケリーはそう言うと、来た時と同じように影に溶け込むように消えた。
「ギャップ萌えねぇ」
残されたサラサンは一人になった部屋でそう呟く。
一年前、ベッヘン誘拐によって、前王の弟カスキスの罪が明らかになった。
前王は王位を第一王子であったザッハルに譲り、カスキスの王位継承権は剥奪、領地は没収された。現在カスキスは療養と称して僻地で幽閉されている。
王領になっていた領地は、フェルデラ領と名付けられ、新たに公爵となったサラサンに与えられた。
カスキスが住んでいた屋敷は取り壊されることも考えられたが、内装のみを変えた。これは領地内の無駄な出費を抑えるためであり、領民の反応はよい。
カスキス統治の際は不正が飛び交い、公平な税制度ではなかった。貧困に困る領民への対応もしておらず、王領になり多くの領民が喜んだ。
それにきて、サラサンの統治に入ったので最初は不安の声が上がっていたが、公平な税制や政策、加えて領主夫妻な親しげな人柄、それらが受け入れられ、今や領民はフェルデラ領となったことを喜んでいる。
フェルデラ領主になって半年、やっと落ち着いてきて、サラサンはメルデルとの距離に少しだけ不満を覚えれていた。
夫婦の営みもあり、メルデルがサラサンのことを好いていることも理解できる。
けれども、足りないと思ってしまうのだ。
(まあ、ギャップ萌えね。試してみようかしら)
愛する妻の眠るベッドに戻り、メルデルの健やかな寝顔を見て微笑むとサラサンはその隣に横になった。
翌日、まずは外見を変えてみようと髪を短く切った。
耳を隠す巻毛、頬の形を隠す柔らかな金色の髪、それらがなくなるとそれだけで印象が異なる。
母に似ている顔だが、サラサンは男であり、フリルのないジャケットを羽織ると物語に出てくる普通の王子の出立であった。
「これだけで印象が異なるわね。まるで別人のようだわ。ちょっと変な気持ちだけど試してみるわ」
王宮からついてきた侍女は、サラサンの独り言にはなれており、ただその横に控えている。
「メルデルはどこにいるかしら?」
「裏庭にいらっしゃると思いますよ」
侍女は彼の質問が予めわかっていたのように即答し、サラサンは今から悪戯するような気持ちでメルデルの元へ向かう。
屋敷の裏の扉を開けると、そこには庭が広がっていた。
表の庭と異なり、野菜や香草など実用的な植物が植えられている。
そこの一角にしゃがみ込んでいるのがメルデルだ。
あいからずドレスを着るのを好まない彼女は、屋敷内ではほとんど乗馬服のようなズボンを身に纏っている。
「メルデル」
彼女をドキドキさせるのが目的なのに、すでに自身の心臓が早鐘を打っている。
サラサンはそっとメルデルを呼ぶ。
「サラサン様」
公爵になり殿下ではなく、様づけで呼ばれることになった。これは名前を呼ばれる機会が増え、サラサンにとっては良い変化だった。
立ち上がり、振り向いたメルデルは目を見開いて驚いていた。
「ど、どうされたのですか?サラサン様!」
小走りで駆け寄られて、彼は驚くしかなかった。
けれども、ギャップ萌えとケリーに教えてもらった言葉を思い出しながら、口を開く。
「メルデル。髪を切ったんだ。似合ってる?」
「さ、サラサン殿下」
本を読んでことがある王子の仕草を思い出しながら、サラサンはメルデルの頬を撫でながら尋ねる。
途端メルデルの頬が完熟トマトのように赤く染まる。
(成功だわ)
話し方は慣れないもので面倒だったが、メルデルの反応がとても可愛くて、続けることにした。
「あなたのことをとても愛している。このまま部屋にずっと閉じ込めておきたいくらいだ。メルデル、今日は私と部屋でずっと過ごさないか?」
「は、え。サラサン殿下?」
耳まで真っ赤だったのに、メルデルは急に我を取り戻したようにスッと目を細めた。
「サラサン様。お加減が悪いのですか?おかしいですよ?お医者様を呼びますか?ローゼ、医者を!」
「え?メルデル。どういうこと?私は全然平気よ。どうしてそんな風に!」
「サラサン様、やっと元に戻った。病気ではないのですね。とても心配になってしまいました。よかった」
メルデルは安堵の笑みを浮かべ、サラサンの両腕を掴む。
(え。失敗?病気だって思われるのは心外だわ)
「髪をお切りになったのですね。本当に何かあったのですか?心配ごとなら私にお話しください。私では頼りになりませんか?」
彼女は真摯にサラサンを見上げていた。
(心配させたら元も子もないわね。いいわ。正直に話す方が良さそう。ちょっと恥ずかしいけど)
「メルデル。ケリーから昨日ちょっとアドバイスされて、ギャップ萌えでメルデルをドキッとさせたかったの」
「ギャップ萌え?ドキッ?」
「ギャップ萌えっていうのは、普段と違った様子を見せることらしいの。ドキッていうはわかるでしょう?」
「ええ、確かにサラサン様の様子が普段と違うのでびっくりしましたけど、それが何か?」
「ああ、もう。メルデルにもっと私を好きになってほしかったの」
恥ずかしいと思いながらもサラサンは告白する。
「もっと……。私は、サラサン様がとても好きですよ。一緒にいてこれだけ心が安らげるのはあなたの側だけです。私は、感情を表に出したり、説明するのが苦手なのです。でも、サラサン様が好きなのは本当です。これではダメですか?」
「ああ、ダメじゃないわ。ごめんなさい」
上目遣いで、潤んだ瞳で見られてサラサンはいても立ってもいられず彼女を抱きしめた。
「ねぇ、メルデル。今日は休みましょう。部屋でゆっくり」
「え、サラサン様」
「お願い」
「……わかりました」
彼の胸に顔を押し付け、俯いたままメルデルは答えた。
耳まで赤く染まっていて、彼女が今どんな表情をしているのか、手にとるようにわかる。
(ギャップ萌えなんて必要なかったわね。髪を切って損したわ)
今度ケリーが来たら文句を言ってやろうと思いながら、サラサンはメルデルを連れて屋敷へ戻る。
侍女はこの展開を既に予想していたのか、ベッドは綺麗に整えられている。
執事に至っては、今日の予定はすでに明日に回されていた。
有能な使用人に囲まれ、サラサンとメルデルは幸せな日々を送っていた。




