そのときハーピアに何が起こったのか-2
ルゥは矢が飛んできた方を壁を背にしながら様子を窺う。壁とは言ってもキッチンとダイニングを分ける微妙な出っ張りの壁。その広さはルゥとハーピアが並んでギリギリの広さであった。
その鼻先を矢が掠めて、後方に矢が突き刺さる。顔を引っ込めたルゥのシム蔵はバクバクと鳴り響き、頭は真っ白になる。狩りで不測の事態に巻き込まれたことは何度もあっても、自身が狩られる側になることはただ一度も無かったのだ。
「どっ、どどど、どうしよう」
ルゥはハーピアを見ながら考える。
黒い翼には深々と矢が刺さり、木の床にじんわりと血が滲む。そしてハーピアは痛みから苦悶の表情を浮かべる。
「っ、痛、い……。つ、ばさ、上手く、うご……」
様子がおかしい。ルゥはハーピアの様子がおかしいことにそこで気がつく。
ろれつも回らず、手も震えている。恐怖からか? いや、それにしてもここまで身体を強張らせるのも、理解出来なくはないがそれにしてもここまでなるようなものであろうか。そんなハーピアを見ていたルゥは狩りの中で似たような光景を見ていたことを思い出す。
「パララライズの毒にそっくりだ……!」
ルゥは祖父のバラルが猟で使っていた毒を思い出す。
毒を矢尻に塗り、それを獲物に向かって撃つ。すると今のハーピアと同じように獰猛なケモノでさえ身体を強張らせて動けなくなってしまう。”強力な毒だから絶対に無闇に触れるな”とバラルからきつく言われていたのだ。幸いにもこの毒ならば、麻痺は一時的なものであり暫くすれば元通りには動けるようにはなるのだが、そのような時間など無い。
カツンッ。
玄関の戸が開き、床が軋んだ音が響いた。
家の構造的に、先ほど射かけた人間がそこに回る時間はない。つまり、矢を射かけた相手とは違う人間が家に入って来たことになる。”挟み撃ち”、玄関とキッチンのから狙う相手、さらにはまだ相手が居ることは容易にルゥにも想像できた。
「どっ、どどど、どうしよう……」
ルゥはハーピアの手を握りながら考えるが、策など思いつかない。床の軋み具合から考えて、相当な体格を持った相手なのだろう。まだまだ小さな少年のルゥが勝てる通りなどない。悩んでいる間にも、足音の主は着実に近づいて来る。八方ふさがりであった。
「……っ、そこ」
「えっ?」
「なに、か、あったら、そこ、から逃、げろ、と。お父、様が」
ハーピアは正面の食器棚を指さす。ぼろ家に似つかわしくない、真新しい食器棚。大きさは天井まであり、上半分はガラスで、下半分は装飾が掘られた木戸が付いていた。上半分のガラス部に見えるところにはその半分にも食器は入ってなど居なかった。
ルゥがよくよく見るとハーピアはその食器棚の下半分の木戸を指さしていた。まだ足音の主との距離はある。射手がこちらをまだ狙っているだろうが、今居る正面、キッチンを横切って射手から狙われる危険が高いが、賭けるしかない。ルゥはハーピアの肩を抱き、呼吸を整える。そして足元に落ちていた木片を拾うと、それを放り投げる。同時にその木片に矢が飛んでくる。その瞬間、ルゥはハーピアを連れて一気に飛び出す。すぐさま次の矢が射かけられるが、それはルゥの身体ではなく床へと突き刺さる。
「こ、ここから逃げられるの?」
ルゥは半信半疑ながらその食器棚の木戸を開ける。食器棚の中は空棚、いや空洞が広がっていた。顔を覗き込むと、どうやら床下に繋がっているようであった。
ルゥはそのコトに気がつくと、ハーピアを連れてそこへと逃げ込む。そして食器棚の扉を閉めた瞬間、キッチンに荒々しい足音が鳴り響いた。どうやらルゥたちのことを探しているらしい。
(……でもここが見つかるのも時間の問題だよね。……おじいちゃんに黙ってここに来たから助けに来てくれないだろうし)
「……お、父様も、まだ帰ってこな、いと、思、う」
そんなルゥの心を読んだのかハーピアは途切れ途切れに声を出す。
助けは来ない、それが決定的であった。ならば、自分たちで解決するしかない。
「か、考えがある、よ」
「何をするつもり?」
「わ、私が、お、囮、なる。ルゥだ、けは、逃げ、て」
『自分を見捨てて1人で逃げろ』
ハーピアはそう懇願したのだ。確かにあの”無法者”たちが麻痺毒を使った時点で生きたままmハーピアを捕らえるのが目的だろう。そしてハーピアを見捨ててこの場を逃げ出せば、おそらく追っては来ないことは想像できた。だが、ルゥは首を横に振る。
「……いや、1人でなんか逃げないよ」
「……な、んで?」
「好きな子を置いて逃げられるわけないでしょ」
ルゥはさらりと言ってのける。
だが危機的状況は未だ変らず、むしろ悪化していく。床下を這いながら辺りを窺うが、ルゥたちを逃がさないつもりか、フードの男が家の外をぐるぐると探し回っている様子が見えていた。『どうしよう』そう考えながら眺めていたルゥであったが、背ほどもある雑草の隙間から白馬が遠くにいるのが見えた。
「あそこに居る白馬、ハーピアちゃんの?」
「う、ん」
「……呼んだらあの馬、こっちに来る?」
「口、笛で、来る」
「よし、分かった。じゃあね――
ルゥはハーピアにひそひそ声で”思いつき”を伝える。そのルゥの思いつきにハーピアが頷くと、ルゥは床下を這って別のところから外へと飛び出すのであった。




