囚われのダグ
足音の持ち主は素足なのか、地肌が濡れているためにぺたぺたとしたのっぺりとした足音がダグの元へと近づいて来る。
ダグは仰向けで寝ている状態で目を閉じていたが、うっすらと目を開けて耳だけで気配を探る。そしてその足音の持ち主はとうとう、ダグの居る折の前へと辿り着く。ダグはそのことに気がついていたが、寝たふりを決め込んだ。”相手がどののように接触してくるか”、身構える意味合いもあった。それこそ、ダグを”今晩の夕ご飯”にするという気ならば、どんな手段を持ってしてもこの檻から逃げ出さねばならない。逆に危害を加えないつもりであるならば、どのような接触をしてくるのか、興味があったのだ。
カツッ、カツッ!
金属を金属で叩く音が小さく檻の中に響く。だがダグはそのことに気がつかない振りをして寝たふりをし続ける。
少しの間その音は続いていたが、痺れを切らしたのかカチリという音が小さく鳴り、重い金属が擦れる音が小さな檻の中い響いた。そしてぺたぺたと足音を鳴らしながら、ダグを見下ろす形でそれはしゃがみ込む。一拍を置いて、そっとダグの胸の上に冷たいひんやりとした感触が乗り、そして揺すり始める。流石にダグも狸寝入りをし続けるわけにも行かなくなったので、薄めを開けてその足音の正体を確かめる。
「……あんたは、」
声を出そうとしたダグを口に指を当てて制止したのは女型の蜥蜴であった。胸や腰には煌びやかに装飾された細工鉄を身につけており、蜥蜴族を文書の上でしかあまりよく知らなかったダグでさえ、相手がそれなりの地位にいる相手だろうと容易に推測できた。
女型の蜥蜴は目で檻の入り口を指し示す。先ほどまではがっちりと封鎖されていた檻が、今ではいつでも逃げ出せるように半開になっていた。『早くここから逃げろ』と、言葉に出さなくともダグには理解出来る。だが。
「……せっかくのお誘いなんだが、俺はここから逃げるわけには行かないんだ」
ダグは真っ直ぐに相手を見据えながら、”固い意志”を伝える。
もし、ここで逃げ出したら――生きて帰ること自体が賭けになるが、この蜥蜴族の住処へ来ることは2度と出来ないだろう。それではダグの目的を果たすことは永遠に消滅してしまう、そんな予感をダグはひしひしと感じていたのだ。
「それに俺をここから逃がしたと分かったら、そちらの立場が悪くなるだろう? 俺のことは構わなくて良いから、誰かに見つかる前にここから出て行った方が良い」
諭すような優しい声でダグは相手に話しかける。
蜥蜴はそのダグの様子に悩んだように首を捻っていたが、意を決したのか口を開く。
「……我が子を救って頂いた恩人の方を殺させたくはないのです。今、夫が見張りを上手く誤魔化しています。時間がないから、早くここから逃げてください」
『目の前で魔モノがダグと同じ言葉を喋っている』。ダグには日誌から情報を得ていたとはいえ、やはり実際に目の辺りにすると衝撃的であった。
愛娘で魔モノであるハーピアもまた、人と同じ言語で会話は出来るが、それはハーピアが物心つく以前から一緒に人と生活してるからだと考えていたダグだったが、一般的な魔モノもまた人の言葉を操れるというのはただただ驚きであった。
「……喋れる、のか」
「……ええ、はい。大長が許さねば、人とこうして喋るのは禁忌なのですが」
「……禁忌を侵してまでこうして来て頂いた事は感謝致します。だが、さっきも言った通り、俺にはここに居なきゃならない理由があるんだ」
「ですが……。我々を攫う人がたびたび現れるので、大長たちは人に対して怒り狂っています。それで、あなたを……」
「早く誰かが来る前にここから去って方が良い。家族が居るならなおさら、ね」
女型の蜥蜴は何かを言いたげな様子を見せていたが、そっと立ち上がると檻の入り口へと歩き始める。
そして檻を抜ける前にダグの方を振り返る。
「……そういえば、名乗り忘れてましたね。ワタシはカナ・ラセルタ。救って頂いた息子はグラ・ラセルタです。私たちはあなたのことを決して忘れません」
「俺の名前はダグ、だ。俺も貴女と貴女の息子の名前は忘れないよ」
「ダグ様にエグゼル様のご加護があらんことをお祈り申し上げております。では……。ああ、そうそう。口に合うか分かりませんが、ここにお食事を置いておきますね」
そう言うとカナは入り口にいくつか椀の形をした容器を並べて置く。そして来た時と同じように足音を響かせながら檻に鍵を掛けるとダグの前から立ち去る。
『エグゼル? 何か宗教じみたものまであるのか?』などと考えながら、ゆっくりと食事に口をつけながら考えをまとめるのであった。




