4 甘党と悪党
一日に一度くらい、SNSで何気ない日常のやりとりはしていたけれど、彰実さんはやっぱり忙しそうだった。
一月のうちは一、二度、職場の近くで待ち合わせて、帰り道をおしゃべりしながら歩き、どこへ立ち寄るでもなく家まで送ってもらったりもしたけれど、二月に入ってからはそれもなくなった。二月に入ってすぐ、筆記試験中心の入試が済み、その採点や集計に関する業務が大量に発生しているらしかった。
彰実さんの誕生日を間近に控えた土曜日、夜更けにメッセージの着信音が鳴ったときには正直驚いた。昼休憩の時に、私がインターネットでたまたま見かけた猫の動画のことで数往復のやりとりをしていたので、今日はもう連絡はこないだろうと思っていたのだ。
『明日の予定がキャンセルされました』
げっそりした顔の猫のスタンプが追いかけてくる。
『もう後ちょっとのところまで来てたんですけど、システム関係のトラブルがあって、解決するまでは作業が進められなくなってしまって、とりあえず一日休めと』
『大変』
こちらからは、お疲れさまです、のスタンプを送った。
『今までお仕事だったんですか』
『やっと部屋に帰ってきて、ピヨに食べさせたところです』
『このところずっと忙しかったじゃないですか。お休みで、かえってよかったかも。しっかり疲れを取ってくださいね』
メッセージが夜になるときは特に、睡眠時間をしっかり取ってほしくて、やりとりがあまり長引かないように気をつけていた。トラブルがあったと言うからには、今日はきっと、いつも以上に疲れたに違いない。
おやすみなさい、のスタンプが来るかな、と思ったら、違った。
『深夜だから変なこと言ってるって思うかもしれないけど、至って本気で言うんですけど。脳内サトカさん成分が枯渇してもう倒れそうです。ずっと不足でしたけどもう在庫ゼロ』
深夜だから、変なこと言ってる。脳内成分ってなんだろう。
でも、もちろん、彰実さんが言いたいことはよくわかった。
私も会いたい。会えなくて寂しい。
本当はすぐにそう言いたかった。
ただ、多分、この人はまず自分の身体を大事にした方がいい。ここ一週間、ろくに寝てもいないはずだ。私が寂しいと言えばきっとこの人は無理をしてしまう。
『ご飯、ちゃんと食べてますか?』
『コンビニと学食を使って、なんとか。一日二食は』
やっぱり。
甘いものが好きな割には、太らないなあと思っていた。フィールドワークで体力がないと足手まといだから、と言って、ジョギングしたり、意識的にすきま時間で筋トレしたりしているのも知っていたから、そのせいなのかな、と思っていた。でも、それだけじゃない。きっと、ストレスで食べてしまうタイプではなく、本当に疲れてくると食べられなくなるタイプの人なんだ。一日二食は食べてます、というのは、なかなか三食は食べられません、という事実の言い換えだ。
私はベッドサイドのテーブルにおいた紙袋を見やった。頼んでいたものができあがって、今日、仕事の後で急いで引き取りに行ってきたのだ。ベストの選択ではないのかもしれないけど、今の私が一生懸命考えて、選んだプレゼント。
『明日、午後、何か食べるものの差し入れ持って行きましょうか』
深く考える前に、送っていた。送ってから、どうしよう、と内心焦った。
『いいんですか! すごく嬉しい』
秒で返ってきて、笑ってしまった。ふつうのものでいいから、彰実さんのおなかが安心しそうなものを持って行こう、と肩の力が抜けた。二時に部屋に行く約束をした。
『だから、これからと午前中はしっかり睡眠取ってくださいね』
そう送ったら、これにも即、返ってきた。
『いい子にして寝てます。だから、来てくださいね』
初めてメッセージのやりとりをしたときと同じ言い回しだ。覚えていたんだ。私は一人でスマホの画面を見ながら、赤くなってしまった。
やっぱり彰実さんは甘党のロマンチストだ。私がどぎまぎするのをわかっていてやっている節があるから、悪党でもある。
私について言えば、最近気がついたことがある。実は悪党も好きだ。
◇
さあ何を作ろうか、と思ったとき、祖母のレシピノートのことを思い出した。
お正月に黒豆を煮たとき見たはずだ。そういえば黒豆もまだ使い残していたから、水に浸しておいて朝から煮よう。
私は足音をあまりたてないように、静かに台所に向かった。母はとっくに薬を飲んで寝ているはずの時間だけど、万が一にも起こしたくない。
しまってあった黒豆を保存容器に入れて、たっぷり水を張ってから、マグカップに薄目のほうじ茶を淹れ、和室の鏡台から持ってきた祖母のノートを開いた。
作りたいものの中で、時間の余裕と材料の調達の面で不可能なものを除外して、献立を組み立てていく。今回はかなり時間が限られているから、二口のコンロと電子レンジをどうやりくりするかも考えて作業行程メモを作った方がいいだろう。
ほぼ何をどう作るかの段取りも決まったところで、パラパラとノートを繰っていたとき、あるレシピが目に飛び込んできて、私は思わず、あっと声を上げた。
これだ。
読んでいるうちに、祖母が一、二度作ってくれたときの味も思い出した。
でも今私が作るなら、もう少しアレンジしたい。試作してだめだったら祖母のレシピにしたがうとしても、チャレンジする価値はあるだろう。
当然、これは明日には間に合わない。
でも、バレンタインのプレゼントを渡すときまでにはちゃんと仕上げられるはずだ。
私は買い物リストの最後に、試作に必要な材料をメモした。