2 敗色濃厚な情報戦
これは情報戦だ。
彰実さんの誕生日が近いことは以前から会話の流れで気がついていた。
年齢を聞いたとき、今二十九で、もうすぐ三十です、と言っていたのだ。
それが十一月の終わりで、今は一月の半ば。
もたもたしているうちに、当の誕生日が過ぎてしまっていた、という最悪の事態だけは避けられた。そのことは素直に喜ぶべきだと思う。さりげなく誕生日の日付を聞き出す、というのが、そもそも無理のありすぎるミッションだったのだ。あの聞き方がさりげなかったとはお世辞にも言えないかもしれないけれど、ともかく情報は得た。
ただ、次のミッションの締め切りは、たった三週間後、ということになる。
次のミッション。すなわち、プレゼントを選ぶこと。
何にしたらいいかなんてさっぱり思い浮かんでいないのに、それしか日数がないというのは、なかなかシビアだ。もう一つの、好きなものは柿、という情報も使い道が難しい。季節はとうに変わっている。
何をどうやってプレゼントしたらいいんだろう。
せっかくお付き合いしている状態になったのだから、お祝いくらいちゃんとしたい、と思ってはみたものの、直接、何がいいですかと聞くのははばかられた。遠慮されてしまいそうな気もするし、何より風情がない。
かといって、共通の知り合いがいない以上、こっそり情報収集するルートもない。
私はごく一方的に、敗色濃厚な情報戦を戦っていることになる。
ため息をついて、私は目の前のコーヒーを睨みつけた。
共通の趣味は推理小説。
何かネタはないかと藁をもすがる思いで来た隣駅の大型書店はものの見事に空振りだった。持っていそうな本か、わざわざ薦める必然性が薄い本しかない。そもそも、彰実さんは積ん読が多い人なのだ。秋のインフルエンザで多少消化したと言っていたけれど、書痴同士の勘が告げていた。大方、その後も流入があったに違いない。本はダメだ。
併設のカフェでコーヒーを飲みながら次の作戦を考えることにした。しかし、そもそもここ数週間、もし誕生日プレゼントをあげられるなら何がいいだろう、というのはずっと頭のどこか片隅で考えていた問題だ。ほとんど実現なんかしない夢想だと思って、現実的に考えてはいなかった期間もそこそこあるとはいえ。今になって、そうそう、ひらめきが落ちてくるわけもない。
結局こうして、ブラックコーヒーのマグカップとにらめっこをする羽目になったというわけだ。
「他に、彰実さんの好きなものって何だろう」
ピヨさん。
でも、ピヨさんが使うものは、ピヨさんの記念日やクリスマスに取っておかないと、また同じ問題で迷うことになる。それに、なんといっても、二月十日はピヨさんじゃなくて彰実さんの誕生日なのだから、彰実さんにあげられるものがいい。
彰実さんの好きなもの。
ピヨさんと、あと、私。
自分で考えておいて赤面してしまった。
彰実さんは愛情表現がすごく細やかだ。さりげなくスキンシップを取ったり、ちょっと甘いことをすぐ言ったり、人目のないところでは軽いキスもしばしば。そういうところももちろん、大好きなところのひとつだ。でも私はお世辞にも上手い受け手とは言えなくて、すぐ緊張してしまったり、赤くなってしまったりして、場がぎこちなくなってしまう。
そうすると、彰実さんはいつも、妙な冗談を言ったり、あえてからかう調子にしたりして笑わせにかかってくるのだ。あの妙な冗談のセンスも、たぶん好みはすごく分かれるんだと思うけれど、私はいつも笑ってしまう。私が笑うと、彰実さんもほっとしたような嬉しそうな顔になって、元通りの空気になる。
……これもヒントにならない。私がコーヒーを見つめて顔を赤くしている変な人になっただけだ。
マグカップについている、コーヒーショップのロゴの黒猫が、私を見て笑った気がした。
分かってるよ。自分でも。
私はコーヒーを飲み干すと、トレーを持って立ち上がった。このままここにいても思考は袋小路にはまりこむだけだ。ランチタイムが近づいて店は徐々に混雑し始めていた。
少し歩いて考えよう。
水曜日、週の真ん中の平日ということもあって、周囲の会社などに勤めているらしい人たちが仕事着で続々と街に出てきはじめていた。私は土曜日に勤務する分、水曜日は完全にお休みをいただいている。買い物や一人映画にはすごく便利でありがたい反面、土日が休みの彰実さんとは、週に一日しか休みが合わないことになるのは、残念だった。
私は足早に歩く人の群を避けるように、路地を曲がった。ランチを急ぐ勤め人のお邪魔にはなりたくない。
普段は最寄り駅でだいたいの用事が済むし、そうでなければ思い切って都心の大きなお店に行ってしまう。普段行かない書店ならインスピレーションが沸くかも、と思って、気まぐれに来てみたのだが、隣駅の周辺は歩いたとしても表通りばかりで、路地は案外歩いたことがない、と今更ながらに気がついた。
商店街の一本裏手という立地のためか、まばらではあるが、初めて見るお店が何軒かあった。これなら何か見つかるかもしれない、と少し気分が上向いた。
食器屋さんのウインドウには、ピヨさんみたいな、もふもふした毛並みの猫がプリントされたマグカップがあった。うーん、でも、ピヨさんの方が品のある顔立ちをしている。却下。
昔ながらの個人経営のおもちゃ屋さんもあった。そういえば、海外ミステリでは、よくモチーフとしてチェスが出てくる。彰実さんがルールを知っていたら教えてもらって、知らなければ二人で覚えて、おうちデートの時に対局するのも楽しいかもしれない。あ、でも、万が一駒をピヨさんが誤飲すると困る。やっぱり却下。トランプは……買ってもいいけど、決して特別なお誕生日プレゼントにはならないだろう。中学生カップルじゃあるまいし。
名前も知らなかった洋菓子店。内装が真新しいので、オープンしたてなのかもしれない。おいしいマドレーヌとか、どうだろう。甘党の彰実さんは喜んでくれるだろう。けど、なんだか無難すぎるというか、ちょっとよそよそしい気もする。好みがわからないから、とりあえず消え物にしましたよ、みたいな。
考えれば考えるほど難しい。
思いつくままに当てもなく、でもなんとなく、もと来た最寄り駅の方角にだけは向かいつつ歩いていたら、いつの間にか商店街の裏通りを抜けていた。道の先に、ふと見覚えのあるビルが目に留まった。二階までが店舗の入った雑居ビルで、その上は集合住宅になっているらしい。二階の店舗に上がる狭い階段の前に、几帳面な文字で日替わりのランチメニューが書き込まれた看板が立ててあった。
「あれ、こんなところだったんだ」
思わず独り言がこぼれてしまった。彰実さんと初めて一緒にご飯を食べたとき、連れてきてもらったお店だ。その時は自宅の最寄り駅の側から歩いていたので、今の今まで気がつかなかった。隣駅の方がよほど近い立地だったらしい。
付き合うことになって割とすぐ、年の瀬ぎりぎりの頃に、もう一度来た。ちょっと雰囲気はいかついけれど優しいご店主に、お会計の時に、やっぱり彼女さんだったの、と聞かれて、彰実さんがにこにこしながら、ええまあ、と照れくさそうにうなずいていたのを思い出した。
私はちらっと時計をみた。もう一時半近い。急におなかが空いてきた。ランチタイムのピークは過ぎた頃だろうか。ラストオーダーまでにはまだ余裕があるから、ご迷惑にはならないだろう。
初めて一人でこの狭い階段を上がって、のれんをくぐった。
「いらっしゃいませ」
威勢のいい声が飛んできた。
読みやすさを改善するため、試みとして改行を増やしています。
今までのスタイルに合わせて読んでいてくださった方には、心よりお礼とお詫びを申し上げます。
途中での変更になり、ご不便をおかけして申し訳ありません。
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