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5.女性であるということ

 平日は朝七時から九時までが憲兵場での基礎訓練、十時から議事堂の聴講席に座り、昼休憩をはさんで、午後二時から六時までが剣技訓練。議事堂討論のない休日には、午前中の基礎訓練のみで午後は休み、というスケジュールを続けて一か月が経とうとしていた頃、それは唐突に訪れた。

 ここ数日どうも体がだるいと感じていた。剣技訓練の演習中、急に目の前がチカチカして、足元がふらついた。思わず目の前にいた誰かの腕にすがったが、徐々に呼吸が荒くなり、立っていられず、思い切り地面に尻をぶつけたところで、意識が闇落ちした。

 目を覚ましたとき、最初に見えたのは白い天井で、ゆるく瞬きを繰り返しながら、ぼんやりと邂逅した。大丈夫ですか、気が付きましたか、という声が聞こえたので、首を向けると、アンネがリタの手を握りしめていた。ここは居室のベッドの上だ。

 ふかふかのシーツに寝かされた尻の間を、つー、と嫌な予感が伝っていく。これはまずい、アンネに退室してもらって、それから、

「カール様、私があとですべて片付けておきますから、今はお体をお安めください」

 思考を遮るアンネの声色は、珍しく有無を言わせない強さをもっていた。リタは力のない視線で意図を読み取ろうとするが、思うような成果はない。アンネは、そんなリタに同情するようなまなざしを向け、重ねた掌に力を込めた。

「今ここには私しかおりません。貴方様の事情は存じあげませんが、月のものが来たということは、そういうことなのでしょう。私は、貴方様の手足となり、この命果てるときまで秘密を守ると誓います」

 ああ、バレた。ウォルター、メイドのアンネに、女だとバレてしまったよ。

 ギュッと握られた掌は温かい。アンネの純真な告白は、きっと本当に秘密を守ってくれる気なのだと信じられたが、こんな形でバレてしまうのは想定外だ。脇の甘さにひどく落ち込んだ。

「アンネ、ありがとう。元気になったらちゃんと説明させてほしい」

「はい、もちろんでございます。アンネはカール様に伺うことを信じます」

 アンネはもう一度掌に力を込めてから、ゆっくりとその手を解いた。

「ジンジャーと蜂蜜の紅茶をご用意いたします。なにか精のつくものを召し上がっていただきたいですが、お口に合いそうなものはございますか」

 同性としてのアンネは、ひどく頼もしかった。てきぱきと女性に必要なものを選び、揃えてくれる。

「ええと、じゃあ、ロイがたまに出してくれる、ひよこ豆のスープを」

「かしこまりました。すぐに戻りますので、ほかの者には貧血と仰ってくださいな」

 アンネはティーカップをリタに手渡すと、流れるような所作で一礼して、居室を出て行った。

 ふわりと立ち上る香りに惹かれ、口をつけると、苦さと甘さがほどよく混ざって、奥行きのあるフレーバーが鼻の奥へと抜けた。体の芯から温まる。カップを両手に包んでぼんやりとした時間を過ごしていると、随分と長く、女であることを忘れていたことに気が付いた。

 紅茶の水面に映る顔は、疲労がにじんでいるが、ひどいのは顔だけじゃない。ざっくばらんに肩上で切られた髪はぱさつき、傷んで広がっているし、カップをもつ手はタコと肉刺だらけ、爪は傷つき、土が入り込んでいるところもあった。あとで風呂に入ればわかるだろうが、腕や足にはあざができているはずだ。まったく、嫁入り前の娘が、わが身ながら呆れてしまう。

 自分はいったい何のために頑張っているのだろう。カールのため、両親のためではあるけれど、ひどく遠回りしているような気がした。

 アンネが居室に戻ってきたとき、彼女の横にはロイがいた。

「貧血だって? 頑張りすぎだよ、ほら、特製スープ作ってきたから、全部ちゃんと食べるんだぞ」

 ロイは、リタの頭をぽんぽんと叩いた。女子供にする仕草で、カールとしての自分は拒絶すべきだったが、今ばかりは心が慰められるようだった。

「ロイ、あの、」

 ホルモンバランスが崩れて情緒が不安定になっている。意味もなく涙が零れて、ああもう、と自分に腹が立つ。

 ロイは一瞬だけ、驚いたように目を見開いて、すぐそれを細めて笑った。軽口をたたく唇が近づいてきて、その涙を拭われる。びっくりしてのけ反ろうとしたが、ロイは遮るようにリタの頭を厚い胸へ引き寄せ、逆の手で赤ん坊をあやすように背中をとんとんと叩いた。

「大丈夫、だいじょうぶ」

 一体何が大丈夫なのかは分からなかったが、その暖かな体温に、リタは安心して体重を預けた。

 その日から、アンネは、少しずつ女性用品を分けてくれるようになった。生理用品、痛み止め、化粧水やトリートメントといった類から、さらしに代わるスポーツブラのようなタオル生地の胸あてまで。大きな秘密を共有したためか距離が近づき、二人きりの時間においては、「アンネ」「リタ」と呼び合う姉妹のような関係性に変わっていった。

 ある午後、すっかり体調の戻ったリタが、短い休憩時間を調理場で過ごすために着替えていると、年頃らしいキャッキャッとした含み笑いで、「ロイのところへ行かれるのですか?」とからかってきた。

「そうだけど、アンネが誤解しているような理由じゃないから」

「あら、私が誤解しているような理由って何かしら、ふふ」

 アンネは、ロイがリタを抱きしめたのが心底驚きだったようで、事あるごとに引き合いに出す。禁断の愛だと嘯いている姿は、年相応でかわいらしいし、そのドライさはアンネにとってロイが恋愛対象でないことを表していて、ほっとした。

 ……別に、リタがロイを好きだからでは、断じてない。アンネにはアルフレッドルートに入ってもらう必要があるからだ。

 以前よりは艶のもどった髪を後ろへ流し、じゃあ行ってきます、と声をかける。

「はい、いってらっしゃいませ、カール様」

 お腹が小さくキュウとなるので、ロイの作る昼食を食べに行こう。リタは内心で呟いて、通いなれた道を辿った。

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