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13.リヒテンシュタイン家

 翌朝リタが目を覚ますと、アルフレッドはすでに布団を畳み、顔を洗って身支度を整えていた。管理人のおじいさんに朝食を招かれたそうで、リタも慌てて顔を洗うと、旅支度を整えた。

 昨夜の結論をふまえ、リタは王城へ戻る前に、リヒテンシュタイン家に寄ることを決めていた。秘湯へは一週間ほど滞在していく予定だったが、すでに完治した以上ここにいる理由はない。

 アルフレッドとはここでお別れだと考えていた。アルフレッドとカールのどちらが王位を継承するのか、先のことは分からないが、もうどちらでも良いとリタは思った。アルフレッドは、国王陛下に相応しい器の持ち主だ。彼がどんな道を選ぶとも、郊外から応援し続ける。

 おじいさんによれば、ここから少し離れたところに宿場町があるそうで、昨日の御者はそこへ泊っているということだった。伝書鳩で連絡すれば昼前には迎えに来られるというので、リタはアルフレッドに確認した。

「アルは馬車で帰る?」

「いや、御者にはそのまま王城へ帰ってもらおう。リタの実家へ行くなら、紋章入りの籠は少し目立ちすぎる」

「一緒に来てくれるの」

「もちろん。僕も王城に帰る前に、一度リタのご両親にご挨拶したいし」

 妙な言い回しに動悸が高鳴ったが、「カール本人に王城へ来てもらうよう説得しないと」と言葉を続けられ、胸をなでおろした。そういうことか。リタとしても、もう少し一緒にいられるのならば、その言葉に甘えたかった。おじいさんに一宿一飯の礼を言い、町の共同厩舎で二頭借りると、リタとアルフレッドは馬の腹を優しく蹴って、王都郊外へ出発した。

 道中リタは、いま隣にいる彼のことを目に焼き付けようと思った。王城に足を踏み入れた日からおよそ三ヶ月間、色々なことがあった。いつもの王子様然とした紳士的なアルフレッドも、城下で平民に扮して年相応に振る舞う彼も、湖でずぶぬれになり色気をはらんだ彼も、リタが女であると知り王城から去るよう言い放った彼も、剣闘大会出場を心配した彼も、そして昨夜の風呂上りの無防備な彼も。どれもまだ鮮明で、リタはアルフレッドを知る度に、彼のことを好きになっていったのだと思う。

 本音ではまだ全然足りなかった。けれどもうすぐこの時間は終わってしまうから、後悔しないように、会いたくなったときにこの一瞬一瞬をいつでも思い出せるように、リタは隣で馬を駆けるアルフレッドの横顔を見つめ続けた。

 休憩を挟みながら、リヒテンシュタイン家についたのは、日が少し傾きかけた午後のことだった。来客に気づいたウォルターが門まで出迎えにきて、リタとアルフレッドを認めると、珍しく驚いたような表情を見せた。両親とカールに話がある旨を伝えると、心得たように頷いた。

 大広間までやってくると、ここから始まったんだなと、リタはあの日を振り返った。赤に金の刺繍がほどこされた絨毯は、三ヶ月前と同じようそこにあって、ひどく懐かしく感じられた。

「リタ、……アルフレッド第一王子」

「ただいま戻りました」

 リタは、あのときと同じように挨拶しようとして、まだ男装のままだったことに気がついた。男女どちらの挨拶をしようか迷ったものの、横にいるアルフレッドの瞳に後押しされるように、見えないスカートの裾をもちあげ、女性用の挨拶でお辞儀した。

「お父様、お母様、カール、大切なお話があります」

 カールの同席を望んだ時点で、おそらくどういう類の話であるか、想像できていたのだろう。リタの両親は、陛下に対して不誠実であったことを謝罪し、謀るようなつもりはなかったことと、リタを屋敷へ戻し、今度こそカールを王城で生活させることを約束した。

「カールはそれでいいのか」

 以前リタを訪ねてきた頃より髪を短くし、男らしさを増したカールに対して、アルフレッドは尋ねた。

「はい、陛下が今もそれを望んでいてくださるのであれば、王城へ同行させてください」

 カールによれば、リタと離れていた三ヶ月間ほとんど体調を崩すこともなく、医師のドクターストップもなくなったという。先日リタと居室で会ったとき、成人したらカール本人が王城で生活するようになることを了承した。それが数ヶ月早まったところで、異存はないとのことだった。

 話し合いが紛糾することはなかったが、屋敷から王城へは半日かかる。両親の勧めで、アルフレッドはリヒテンシュタイン家に一泊し、翌日カールと一緒に王城へ戻ることとなった。

 両親は、甥にあたるアルフレッド王子と会話したくてうずうずしていたようで、ウォルターに給仕を頼むと、アルフレッドをつかまえてソファに座らせ、左右から挟んで質問攻めにしていた。目で助けようかと尋ねても、大丈夫だという笑みが返ってきたので、リタは懐かしの自室に戻り、ベッドに体を預けた。

 自室は実家の香りがした。リタがいない間も、きちんと手入れしてくれていたことの分かる、陽光を浴びたシーツの感触が気持ちよい。

 ノックが聞こえ、カールが扉の向こうから顔を覗かせる。

「入っていい?」

「どうぞ。…最近会ったばかりなのに、なんだかとても久しぶりな気がする」

「剣闘大会引き分けおめでとう。無茶したって聞いたけど、元気そうでよかった」

 カールは恥ずかしそうに笑いながら、大会二日目にリタに会い、ウォルターと一緒に屋敷へ戻ってきたあと、最初に髪を切ったのだと教えてくれた。リタが逞しくなっていたから、男として負けたくないと感じたらしい。喜んでいいのか、悲しむべきなのか、咄嗟に判断できず、苦笑した。

 その晩は、ずっとカールと他愛もない話をしていた。もともと一年程度のつもりだったリタと違い、カールはこれから半永久的に王城で暮らすのだ。戻ってくるのは、陛下が崩御し、アルフレッドが即位したときだけだろう。

 現代日本にいた頃から好きだったカール。こちらの世界で目覚めてからは、姉としての親愛の情へ変わっていったが、それでも好きな気持ちに嘘はないし、ブラコンと呼ばれようと、カールにはいつも格好よくいてほしい。

 メイドのアンネ、料理長のロイ、師団長のエドワードの話をとりとめなくして、彼らへの手紙を託すと、カールは神妙な顔で受け取った。

「僕も手紙を書くよ」

「ありがとう、待っているわ」

 やがて夜の帳が訪れて、リタは三ヶ月ぶりに女性ものの寝間着に着替え、深い眠りについたのだった。


 朝日が上ると、別れのときがやってきた。

 一番綺麗な自分を覚えていてほしくて、リタはお気に入りのドレスに袖を通し、客間へ下りた。そこにはすでに両親とカール、アルフレッドが待っていて、互いに抱擁を交わしていた。この日が来るとずっと分かっていたのに、改めて現実として目の当たりにすると、どうしようもなく切ない気持ちが溢れた。「おはよう」という自分の声が震えている。隠すために、頬の筋肉を持ち上げ、全力で笑った。

 ウォルターが、馬の準備ができたことを伝えに来る。カールは母とリタの頬にキスを落として、「行ってきます」と手を振った。覚悟を決めた弟の背中は大きく、とても頼もしく見えた。

 リタは門前までついていって、カールの馬に荷物を積むのを手伝ったあと、前方にいる馬の胴に同じように荷物を括っている男に声をかけた。

「アル、今までお世話になりました」

 まだ静かな日ざしの下で、アルフレッドは振り返り、眩しそうにリタを見た。

「何から何まで、アルがいなければ王城で生活なんかできなかったかもしれない。心から感謝いたします」

「僕は何も」

「ううん、本当にありがとう」

 リタは少しだけ躊躇してから、ええいという気持ちで瞼を閉じ、アルフレッドの頬に口づけした。友人に対する別れの挨拶だと誤解されたままでいい。彼の前途が、どうか幸せに満ちたものとなりますように。

 アルフレッドは驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの王子様らしい笑顔になって、「こちらこそありがとう」と白い歯を見せた。

 カールが馬にのって近づいてきたのを合図に、アルフレッドも弾みをつけて馬にまたがった。

「じゃあ皆、元気で」

 カールの言葉に母が涙をこぼしたのが視界の端に映ったが、リタは我慢したまま見送った。最後まで彼の姿を記憶に刻みたかったからだ。姿が見えなくなったあと、しばらくして、堰を切ったように喪失感が涙となって頬を伝った。

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