表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/16

11.剣闘大会本番(後)

 アルフレッドは主賓席から自室へ戻ることなく直接来たのか、普段着と違う、装飾品の多い正装に身を包んでいた。居室を訪れるなりアンネに花束を渡す姿は絵本に描かれる王子様のそれで、胸が張り裂けるように痛くなった。

「こんばんは」

 ベッド横で足を組んだアルフレッドに正対し、リタは、観念した気持ちで彼を見つめた。

 アルフレッドの訪問理由は、大きく二つだった。一つ目は先日の湖畔で見たことの事実確認で、二つ目は明日の剣闘大会出場の辞退を促すものだった。一日中この部屋にいたので知らなかったが、リタの第三戦の相手が食あたりで欠場を決めたそうで、リタは不戦勝となっていた。

 トーナメントは勝歴とくじ、そして観衆の人気投票により対戦相手が選ばれる仕組みとなっており、明日のリタの相手は、去年準優勝した豪傑に決まったということだった。

 アルフレッドは最初にリタの名前を聞くと、思い出すように視線を左右に走らせていた。カール同様、幼少の頃に一度会っているはずらしかったが、少なくともリタにその記憶はない。アルフレッドが覚えていたところで、それはリタであって、リタでない頃の話だ。

「どうしてカールのふりを?」

 アルフレッドは騙されたと激昂する様子もなく、静かな声で尋ねた。

「はじめは、陛下に召喚されたカールの体調を心配した両親に、カールが成人するまでだけ代理を務めてくれないかと頼まれて王城へ来ました。でも今はそれだけじゃなくて、むしろ私が望んでここにいます」

「女性が男のふりをするのは大変だし、危険を伴うことは、あなたが一番わかっていると思う。なのに望んでいるというのは、どうして」

 きみ、ではなく、あなた、と言われたことで、アルフレッドが、以前と同じカールとしてリタを見てくれていないことが分かった。悲しかったが、どうすることもできない。

「ここにいると、楽しいんです。両親のもとで令嬢として扱われていたとき、不自由はしなかったけれど、友人もおらず、そのうち決まる縁組のためだけに生きていて、まるで籠の中の鳥のような気分でした。でもここにいると、一緒に笑ってくれる人がいて、励ましたり、叱ってくれる人がいて、助けてくれる人もいて、当たり前かもしれないけれど、生きているという実感が持てたんです」

 リタは、もう遠い昔のように感じられる、サラリーマン時代の自分の生活を思い出した。上司に理不尽な説教をうけたり、信じていた恋人に裏切られたり、やけになって親友を誘って散々お酒を呷ったあとになって、彼女こそが恋人の浮気相手だと告白されたり。あの頃はそんな毎日に疲れて、乙女ゲームの世界に逃げたけれど、振り返れば彼らにだって、彼らなりの事情があったのかもしれない。

 一見強面だけど実は面倒見のよいエドワード、軟派だけどつらいとき涙を拭ってくれたロイ、そしてアンネとのアルフレッドの幸せを願っていながら、二人を見ると泣きたくなる自分の感情を、リタは知ってしまった。

 リタは、この城にいて、もっと自分を磨きたいこと、そして成長して陛下に貢献したいことを、誠心誠意訴えた。

「残念だけど、この国で女性に参政権はまだない。今のあなたが努力したところで、あなたはカールになれないし、女性のあなたが国王陛下に貢献できることなどないと思う」

 縋るような思いで打ち明けたリタに対して、アルフレッドは、しかし淡々とした口調で言い切った。耳の痛い正論だった。

 正体を偽っていたことへの報復の色が混ざっていれば、まだ食い下がることはできたと思う。けれどアルフレッドはこんなときでも公明正大で、リタは、胸のうちにあった淡い期待が打ち砕かれたことを知った。遠くない未来、自分はこの城を去ることになるだろう。

 リタが去りカールを呼び寄せるのか、あるいはリヒテンシュタイン家から後継者候補を取り下げるのか、やり方はおいおい考えるとして、怪我が治ったら郊外の邸宅へ戻るための身支度を始めるよう、アルフレッドは言った。

「陛下にあなたの存在は伏せておく。事が大きくなる前に、あなたはこの屋敷を離れて、物事をあるべき状態に戻すんだ」

「……わかり、ました。でも一つだけお願いがあります。明日は剣闘大会には、出場させてください」

 リタはベッドの上で、両の掌を見つめた。

 勝ち負けとか、カールの名誉とか、女性の政治への参画権など、今となってはどうでもよかった。悔しいけれど、そう簡単に望みが叶わないことなど、一年間経っても未だ夢から覚めないこの現実が証明している。物事はなるようにしかならない。

 アルフレッドの言うことは正しい。たしかにリタはカールになれないが、それでも王城へやってきてからの毎日は、リタが過ごしてきたものだった。つらい訓練に耐え、弱さを軽蔑する剣の師匠に、昨日ついに「いい戦いだった」と褒められたのは、名前こそカールを借りていたが、リタ自身がつかみとったもので、足首の傷みは、リタにとっても勲章だった。

「剣闘大会は、貴族も平民も、男でも女でも、誰もが参加できる国家のお祭りです。登録名はカール・リヒテンシュタインではありますが、初戦から私がずっと出場してきました。どうか、私に最後まで戦わせてください」

 この王城で過ごした日々を後悔しないためにも、最後まで力を尽くして終わりたかった。

 アルフレッドは、珍しく考えを思いめぐらすように沈黙してから、最後に長くため息をついた。

「わかった。たしかに愛称で登録する選手もいるから、あなたには出場し続ける権利があると思う」

「……っありがとうございます!」

「でも、くれぐれも、あなたが女性であることを忘れないで。ご両親や、弟さんだって、あなたが傷つくことは望んでいないはずだから」 

 アルフレッドは、辞退を説得しきれなかった自身を恥じるように、額に手をやり、首を振った。そうして花瓶を飾りにきたアンネに暇乞いを告げて、居室を去っていった。


 翌日は、集中力との勝負だった。昨年準優勝したという豪傑は、初日に戦った腕力重視の男に、そのまま技巧のたくみさを加味したような、バランスのとれた戦闘スタイルだった。重量感のある攻撃をこんなに自由自在に操れるのかと、相手の能力を化け物のように苦く思い、一方でこの国は当分安泰だろうと感心した。

 リタがなんとか勝利を収めたのは、粘り勝ちだったと言っていい。小柄さと俊敏さで相手の攻撃を避け続け、ついに疲弊した相手の懐へ一気に駆け込み、渾身の一撃で白星をあげた。

 この時点で、リタはもう立っているのも限界だった。決勝戦でアルフレッドを前にしたときには、すでに剣を支えにしなければ重心を保つことも叶わず、意識を保つのが精いっぱいだった。アルフレッドは、そんなリタを見て、彼の方が痛みをこらえるような表情を浮かべた。

 決勝戦は、陛下の御前で行われる。王位継承者第一位と第二位の戦いに、群衆は大いに盛り上がり、どちらが勝つか賭け事まで行われる始末だった。カールや、両親も、きっとどこかで顛末を聞いていることだろう。王城まで足こそ運んでいなかったが、遠くから試合の模様を見守ってくれているはずだと信じた。

 はじめ、の声が高らかにあがり、ピンと空気が張り詰める。どちらかが仕掛けたら、試合はすぐに決するだろうということを、リタが一番よく理解していた。剣を思うように奮えるのは、もうあと僅かの余力しかない。

 呼吸ひとつも乱さず、まっすぐに構えるアルフレッドと、目が合う。この距離で対峙するのも、これが最後かもしれないと思うと、試合中だというのに、なんだかもったいない気持ちになった。

 自分が去ったら、アルフレッドとアンネはどうなるだろうか。アルフレッドが身分を捨て、二人手を取り合い、田舎で質素な生活を始めるのだろうか。あるいはアンネが心変わりし、エドワードやロイと結ばれるようなこともあるのだろうか。カールルートに入れば、いつかアンネとはまた再会できるかもしれない。どういった未来が待ち受けていても、二人が心中するバッドエンドにだけは進まないことを、心から願った。

 双方が一歩も動かずにらみ合いを続ける状況に、焦れた観客が「はやく行けー!」とヤジを飛ばすと、それが伝染するように辺り一帯に広がった。陛下は頬杖をつきながら状況を見守っている。汗が額を流れる。強い日差しが地面を焼き、照り返す熱気が焦りを誘った。

 アルフレッドは、ふいに剣を横に払い、腰の鞘に戻した。そうして審判に向かって手を上げ、降伏を宣言する。

「っなんで」

 リタは驚きを隠せない。群衆から不満の声があがった。

「カール選手は足首の怪我をしている。僕は、彼がどんなときも弱音を吐かず、毎日練習を重ねていたのを見てきたから、彼の全力と戦いたい」

 群衆と審判、そして陛下の方を見て、アルフレッドは行為についてそう説明した。そのうえでリタの方を向き、随分久しぶりと感じる優しい目で、笑った。

「来年またここで戦おう。そのときは、叶うなら、もう少し髪の伸びたきみと会いたい」

 手を差し出され、促されるように重ねると、力強く握られた。彼のなかには、譲ることのない正しさがあって、それを守り続けているからこそ、気高く、揺るぎない。けれど同時に人を許す優しさと、過去や偏った価値観に捕らわれず、相手を認める強さをもっている。

 女性でありながら、王位継承者として王城に居続けることこそ肯定しなかったが、そこで費やした時間を認め、女性としてのリタに、次の機会を与えてくれた。そんなアルフレッドを、リタは眩しい気持ちで見つめ、胸の奥から溢れる愛しさに、泣きながら笑った。

「ありがとう」

 リタの涙に、アルフレッドは焦ったような顔をしたが、リタはここで、無視し続けてきた激痛をこらえきれず、その場に倒れ込む。審判が駆け寄り、リタの体を抱き上げると、群衆からパラパラと拍手が聞こえ、徐々に大きくなっていった。

 後から知ったが、この年の剣闘大会は、「カール選手の勝利というより、引き分けだ」という大衆の結論をもって、幕を閉じたということだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ