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魔道の名門貴族に生まれたんだが俺だけ魔法使えない件について  作者: 大葉餃子大盛
第2章:藍で螺旋で
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4.構図と、パースと、対象と…



 「では、私はそろそろ工房の方へ移らせて頂きますね。」


 時刻は9時程、縁側から左手に見える黒門にも、朝の清掃が終わった庭にも人の気配が無くなった頃、ようやく伊織さんが腰を上げる。目指すは工房、この頃には伊織さんはもうすっかり職人の目に変わっていた。ビイドロに命を吹き込むことだけを考えた職人の目。俺は俺で、絵に向かい合う為の集中が必要だ。所詮は趣味の域を超えない絵の腕だが、それでもテキトウに描いていいというものでも無いだろう。


 「あぁ。風鈴、楽しみにしてるよ。」

 「私も、桜の絵楽しみにしていますよ。」


 木板張りの廊下を伊織さんが進んで行く。後ろ姿を目で追うと、黒の長髪が左右に揺れていた。趣味に没頭出来る、或いは自由な時間が与えられたことに対する喜びが後姿から感じられる、気がする。いや、単純に俺がそう思っているからだろうか。昨日の夜から、伊織さんにも自分と同じ感情を共有してほしいという感傷が未だに燻っているのだろうか。良く分からないが、それでもいい。少なくとも今日は、この感傷に浸る時間も思索する時間も、或いはただ無心に絵に没頭することが出来る時間も自由もあるのだから。



 腰を上げて、画材置き場に足を向ける。

 画材置き場は、極端な乾燥、或いは絵を劣化させる水気が室内に入らないように、屋敷の奥まった場所にある。

 少し歩くが、それでもいい。裸足で板張りの廊下を、畳張りの部屋を横切っていく。良く良く見知った家内の図面を脳内で展開しながら、どんどん先へ進んで行く。


 画材置き場で、鉛筆を数本に、小脇に抱えられるサイズの愛用のキャンバスに、それから白紙を数十枚持ち出してから縁側へ戻る。気が高ぶる、とまでは云わないが、それでもテンションが上がっているようだ。


 縁側に戻り、素足に草履を履いてから庭に出る。清々しい風が吹き渡る。桜の花びらが舞い散る。いい気分だ。てくてくと庭を歩き回り、まずは構図決めからスタートだ。


 黒門を構図に入れるか、或いは庭の池を入れてみようか。

 桜を下から見上げる構図で書いてみてもいいし、或いは縁側に面した和室に戻って、縁側ごと構図に入れてみてもいい。この構図は伊織さん的に云わせれば、『風流』と云えるのだろうか。


 誰か使用人を木のそばに立たせる、というのも一瞬脳内に浮かんだが、止めた。今屋敷内にいる使用人は皆、昼食の準備に屋敷内の掃除、書類纏めに忙しそうに動き回っているし、わざわざ趣味の絵に付きあわせることもないだろう。


 結局、初めに考えた黒門と桜を一緒くたに見る構図にすることに決定。

 縁側に改めて座り直し、描画を開始する。


 まずは、大まかな黒門の線に、桜の幹の線を白紙内に描いていく。

 ざっくりと、何となくでいい。

 大まかなアタリを取ってから、それから鉛筆を幾度か走らせていく。

 一本の線を何度も継ぎ足すイメージだ。


 縁側から見る庭は、純粋な静寂だけが支配していた。

 庭には白銅色の肌理細やかな砂が、等間隔の線を引かれて整地されている。

 何本も、何本も、何本も。


 俺が庭に出て歩き回った後が、砂の上に残っていた。足跡がくっきりと残る。

 誰の足跡も入っていない庭に一歩を踏み出すのは、何とも云えない、そこはかとない征服欲を生み出す気がする。

 触れてはならないものに触れているような感覚。いじってはならない物を動かす感覚。

 朝体験したように沸かしたての一番風呂に入るような、草原に平がる一面の処女雪に全身を投げ出すような。


 鉛筆を滑らせて陰陽を、強弱を、枝葉と大樹の幹と桜葉の接合を白い画用紙に書き込むことに集中することで、思いのほか時間が過ぎてしまったようだ。


 時間にして一時間ほど、まずは一枚目の完成だ。

 同じ構図で、2枚目に取り掛かる。


 今度は少し早く進められる。慣れと云えばいいのだろうか。一度の構図、一度の作業とは云え、それでも一度完成したことをなぞるのはある種の柔軟な思考の流れを生む。或いは、既に一度絵を完成させたのだから、この同じ構図の2枚目は究極的には書かなくても良い、という気楽さだろうか。


 いずれにせよ、ほとんど手癖だけで、脳を一切使わずに手先の感覚だけを使って描いていく。

 悠々と大海を進む魚群のように、小高い丘を遥か見下ろして飛んでいく鳥のように。

 動きが一切合切止まることが無い、いい調子だ。


 少し線がブレて、ずれても気にすることは無い。気にする必要は一切無い。


 絵を描画する最中、良い風が吹いていた。

 重しを乗せて固定した、纏めている白紙をバサバサと揺らす音すらも心地よい。

 チラチラ、チラチラと桜が散っていく姿は、儚くも美しかった。時の流れる無常を否が応でも感じさせる。



* * ** ** ***



 「若~?」


 「---」


 「わ~か?」


 「---」


 「おっ、きっ、て~~~。ご飯だよ~~。」


 「---う、ん…。」


 ふと意識が水面に浮上する感覚。

 それとは別の、心地よい感覚も。

 柔らかな何かが頭の下に敷かれている。天上のものとしか思えない程に柔らかく、深く沈み込んでいくような感覚が。


 目を覚ます。目を開け放つ。

 直ぐ目の前に、こちらの顔を覗きこむ金髪の美貌が像を結ぶ。


 「あぁ…。エリザじゃん。うん、おはよう。」


 「おっはよ~~。どう?美少女の膝でお目覚めした気分は?最高の目覚めってやつなんじゃない?」


 にへへ、と笑うエリザ。可愛い。


 「最高最高。最高なので二度寝に入ります。」


 「あっ!だめ~。起きろ~~。」


 エリザが頬をびよん、びよんと左右に引っ張って来る。


 「いひゃいいひゃい、分かったよ、起きるって。」


 「よろしい~。」


 「---」


 でかい。

 でかすぎる。


 「あれ?若どうしたの?」


 「いや…… 実は俺、おっぱいに触らないと起きれない病気なんだ。だからおっぱい触っていい?」


 「いいよ~。は~い。」


 何の躊躇も無く浴衣の前を肌蹴させるエリザ。余りの豪快さに気を取られる。

 眩しく瑞々しい肌色が目に映る。


 「うっ…。いや…、ごめん、うそ。」


 「えっ… 何それ。触りたくないの~? ほ~れほれ~い。」


 目の前で、ぶらり、ぶらりと音を立てながら揺れる双丘。

 どうしても目で追ってしまう男の子のサガが精神を襲う。


 「--いやいやいや!いいって!」


 がば、と身を起こす。意図的に大げさに起きる事で、精神に残った煩悩を振り払う。

 全く振り払えていなくても、振り払った気分になる。ならねば。


 「ちぇっ。べっつに触っていいってのになぁ~。」


 「うん…。言い出したのは俺だけど、あっさり許容してくるもんだから。あれだよ、逆に冷静になったっていうか…。」


 うそだ。まったく冷静になれていない自覚がある。

 エリザが浴衣の前をいそいそと直してくれて助かった。


 「ふ~ん。れいせいか~。」


 「そ、そうそう。」


 「ちぇ~っ。いよいよ若も、色を知る年かッッッ!!ってなったんだと思ったのになぁ。」


 「ならない、ならない。まだならないよ。ていうかエリザの方が年下じゃん。」


 「で~も、少なくともお姉よりは成熟していると思わな~い?」


 エリアスどころか、ドーランド家の強さ番付でもかなりの位置にいると思うが…

 しかし、少なくとも、エリザは自分で自覚しているだけましと云えるのか。

 これで自分の身体に無自覚であったならば、いよいよヤバイ。色々と。


 エルザが、今度は少し残念そうに笑い、


 「そっかぁ、うそかぁ…」


 「なに?」


 「もし『おっぱいに触らないと起きれない病気』が本当なら、私がいつでも若のそばにいてあげられるのにな~って思ってね。」


 「言い出したのは俺だけれどもそんな病気ある訳無いだろ……。それは体質じゃなくて頭の病気だよ。エルザに居て貰うのは…」


 「毎朝、昼寝休憩時も、例え深夜目覚めた時でも、貴方の快適な目覚めをお約束します!!っていう触れ込みでいくかんじ~? 若、ど~う?嬉しくない?いつでも私と一緒にいられるんだよ~。それとも毎回毎回、寝起きを見られるのは嫌?」


 「嫌じゃないよ。正直嬉しい、嬉しいよ。エリザの膝枕でずっと起きられるなんて俺は王都一の幸せ者だよ。」


 「にへへへ…。…うん?」


 気まぐれな猫のように、エリザが周囲に散らばった白紙に目を向ける。

 その内の一枚を手に取り、何か納得したように頭をうんうんと傾ける。


 「ふんふん、桜かぁ。」


 「あ、あぁ。丁度綺麗に咲いていたもんだからさ。」


 「結構…、いや、かなり上手なんじゃない?」


 顎に手を当て、エリザが批評家の顔付きでニヒルに笑う。


 「ありがとう。褒めて貰えて嬉しいよ…。御世辞?」


 「まっさかぁ~。私は御世辞なら、目を反らして『あ、あぁ… いいんじゃない。』って気まずそうにボヤくから。勿論、相手にそれとなく『へったくそ』だって伝えるようにね。」


 「けっこうエゲツないなおまえ…」


 「私は専門的なことなんてなんにも分からないけど、それでも若の絵っていいと思うよ~。パースも構図も多分センスいいんだろうし、それに何ていうか、自由に描けてるっていう感じ?」


 「そうかな?そうだといいけど…」


 「そうだよ~。」


 今度は朗らかに、含み無い笑顔でエリザが笑う。

 エリザの笑い顔は、実にレパートリーが豊富だ。


 何も考えていない笑顔で(褒め言葉だ)、悪いことを考えた顔で、元気づけるように、ニヒルに、いやらしく(本人談)、清々しく、色気溢れる表情で(本人主観)、えくぼを見せて、破顔して、感動して泣きながら、恥ずかしそうに、褒める流れで、励ますように、周りを巻き込むように、周囲に伝搬させるように、エリザは笑う。

 エリザの笑顔ならば、俺はどんな笑顔だって知っているし、どんな笑顔でも大好きだ。


 エリザの元気の良さには、ドーランド家も、王都の人間も皆が救われている。

 少なくとも、エリザの笑顔には素晴らしいと、俺はそう思う。

 美少女の笑う姿に勝るものなど、そうそう無いものなのだということだろう。




 横目に映るのは、黒門を横切る医療団。こちらに手を振る面々。

 俺も、エリザも手を振り返す。

 煌めく金の長髪が見える。こちらを見て、嬉しそうに笑って、手を振っている。

 俺も、エリザを手を振り返す。手を、振り返す。




 周囲には鮮やかな橙色が広がる。庭にも、燃えるような暖色により、いつもの風景とは全く違った色どりが加えられている。

 ふと、一陣の強い風が吹く。それに合わせて、紙が縁側をバラバラの方向に滑っていく。


 「わわわ、散らばっちゃってるね~。私がこっちの集めてあげるっ。」


 「じゃあ俺はこっちだな。」


 お互いにしゃがみ込んで、紙を拾い集める。


 拾い集める最中に、ふとエリザの横顔を覗いてみると、何かを思案する表情が垣間見えた。



 「どうしたの?」


 「うん…。ちょっとだけ、気になっちゃって。」


 「?」


 「若って、やっぱり、とっても絵が上手だと思うんだ…。」


 「うん、さっき聞いたし、素直に嬉しいけど…、それが?」


 「上手だけれども、でも、……」


 「うん…??」


 エリザが何を云いたいのかが分からない。

 やっぱりパースがいまいちだっただろうか…。

 それとも他の構図も試してみるべきだっただろうか?

 絵の線の取り方がまだまだ甘いのだろうか--

 私も書いてよ、というおねだりでも飛び出すのだろうか。


 いったい、なにを…。


 「………、うん、何でも無いっ!」


 見方によっては、何かを振り払うようにも見える。或いは何かを覆い隠すようにも感じられるが。

 それでも、エリザは笑顔を見せた。


 「…何か、思う所はあるんだよね。」


 「…うん。」


 「でも、今は云いたく無いと。」


 「にへへ…」


 「いいさ、その内、話してくれれば。どんな苦言でもアドバイスでも参考に出来るならしたいしね。」


 「ごめんね。今は、ね。でも、そのうち話すよ。」


 困ったような、笑い顔。

 本人も余り気にして欲しくなさそうだし、ならばこちらも気にしないように努めよう。



 話題変更。と意識して考えた訳でも無いけれども、


 「そう云えば、エリザはどうしてここに?」


 「えーっと、たしか…」




 響く伊織さんの声。


 「マージ様~~!エリザ~~~!夕飯ですよ~~!」


 「「ああ」」


 なるほど、そういえばもう夕方なのか。どうりで腹が減っている訳だ。

 昼飯を食べずして正午越しに描き続け、それから午睡をしてしまっていたから、尚の事腹がすいている。


 「じゃあ、紙も纏め終わったし、これは俺の部屋に置いてくるか。」


 「私が置いておきますよ~!」


 「じゃあ任せた。鉛筆とキャンバスは…画材置き場か。結構遠いな。」


 「遅くなっちゃったら、私がおかずぜ~んぶ食べちゃいますよ~。」


 「そりゃあ困るな。急いで戻らないとな。」


 二手に分かれて、先を目指す。




* * * ** ** ***





 主君の部屋に入り、部屋の奥に配置された木製机に向かう。


 机の上に整然と紙を置いて、それから振り向く。



 てくてく、てくてくと、それが彼女には当然のことのように、朝に顔を洗うのと同じくらいに当然のことのように、畳敷きの布団に向かう。


 主君の匂いが僅かに残る布団に飛びつき、胸一杯に匂いを吸い込む。

 一瞬、動きを止めて、俯せのまま思いを馳せる。息を吐き出す。

 それから体勢を仰向けに変えて、今度は天井を見つめる。天井に連なる木目が目に入る。



 ふと、一本だけ拝借してきた鉛筆を天井に向ける。

 それから、黒鉛を指先に擦りつけてみる。

 意味の無い行為だ。無駄な行いだ。

 手を洗えば直ぐに落ちるだけの、無為で無益な指遊びに過ぎない。



 黒鉛。

 黒。

 黒色。



 鮮やかさの無い色。

 他の色の後追い色。

 燃えるような赤に、輝かんばかりの金色に、生涯追いつけない色。

 闇を閉じ込めた色。

 溶けて、消えて、混じって、掻き消えるだけの、それだけの色。



 「よかったぁ…。まだ、気づいてもいなければ、意識もしていないんだぁ。私と同じなんだ…。」


 「シアンさんがいつか教えてくれたんだよなぁ。確か…… 深層意識?だったはず…。それから…、コン…、コンプ? 何だったっけ…?」


 共感で、感傷で、同志で、舐め合いで、懇願で、夢想で、妄想で、慰めで、理解で、諦念で、希望で。



 「ふふふっ」



 エリザは笑う。

 エリザは、笑う。



* * * ** ** ***




 マージは、知らない。


 エリザの笑い顔を網羅したと豪語する少年は、それでも知らない。


 エリザの寂寥感を含んだ笑顔だけは。






 エリザも、また見せない。


 自分のこの表情だけは、マージに見せることがない。


 表情の意味も、本当の内心も、何一つ伝えられない。伝えられるはずも無い。


 それは、主君に抱く感情としては、甚だ正しくないものだから。

 相反することなく実現する2つの感情は、そこから膨れ上がる可能性は、発露させられないものだから。




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