14.燃えて、消えた、はずなのに
廃倉庫の奥… 通路を通った先に開けた空間にシアンが到達。
空間の奥には台座に座る一人の男が、突然姿を現したシアンに目を向ける。
灰色の頭髪に、鍛え上げた肉体を見せびらかすように前面が大きく開いた衣服を身に着けた、壮年の男性。異質な点として、その眼が… 濁り、くすみ、ドロリとした執着と狂気を詰め込み切った、一目でまともな人間では無い、裏社会の人間と分かる眼を、今はただ侵入者1人にぼんやりと向けている。
「くっ… くははっ… 」
ふと目を反らし、目を閉じながら下を向き、自嘲の意を感じ取れる含み笑いを浮かべる。それから、大きく背を反らし、穴が至る所に空いた、くすみにくすみ切った天井に目を向ける。穴の向こう側には晴れた夜空と、煌めく星々。
自分の腐った人生の終わりには、上等すぎる程のロケーションだ。
「『緋の祝祭』、『緋の抱擁』、『笑う紅蓮』、『狂魔導士』…… よりにもよって、最悪の奴に嗅ぎ付けられちまったってことか… 」
「むーっ。 最悪だなんて失礼しちゃうよ。」
頬を膨らませて、分かりやすく不服を示すシアン。
「マヤクだなんて売るからだよー。おじさんの方が最悪だよっ! パーになりたいなら自分たちだけでパーになってりゃいいのに。なーんで皆にばらまいちゃうのかなぁ」
「何で、かぁ…… 何で…… 嬢ちゃん、おじちゃんもう殺されちゃうのかな?」
「そうだねー 死んじゃうねー」
「じゃあ、最期に問答する時間、ある?」
「あんまりないかな~。 大切な人達がピンチかもなんだよね。だからおじさんに構ってらんないよっ」
「くはっ! つれないねぇ。」
再びの自嘲めいたくすんだ笑い。
「王都…… いい街だよなぁ。 俺はあんまり行ける機会も無かったんだが、それでもあの眺望は見事なもんだった。思わなかったぜぇ、王都の高台から見た何てこと無いたかが街並みなんかに感動するなんてなぁ。整備され切った街道、美しく澄んだ水路、他国の文化も違和感無く取り入れられる懐の深さ。情緒あふれる街並みってのはああいう所を指して言うんだろうなぁ、これが。」
「ねーぇ。 おじさんお話し長いタイプ? 自分の世界に没頭しちゃう的な? それはちょっと分かるトコもあるんだけども、構ってらんないって伝えたはずなんだけどなぁ。」
「まぁ、聞いてくれ。自分が殺すヤツの事を最後に聞くだけだよ。すぐすむ話だよ。」
「それすんごい悪趣味じゃない?私に胸糞悪くなって帰って欲しいっていうおじさんの性癖? やーだなぁ、それ~。」
「王都に反して、俺の住んでいた街…… 街ともいえねえんだなぁ、これが。 精々が村…… それも寒村ってなやつでなぁ。食うもんなんかロクに育ちもしねぇ、どいつもこいつもシケたツラしてやがるクソみてえな村だったんだわ、これがよぉ。」
男の眼の中には自分自身の回顧録、或いは一瞬では無い、ロングパスの効いた走馬燈ともいうべき記憶と記録が、鮮明に流れては消えていく。一説によると走馬燈は、自分が死に直面している際、生き残る為の方策を自分の人生の中から検索、抽出する事によって起こる事だという。だとすれば、シアンを目の前にして走馬燈を脳内に走らせる男はある意味では正常と言えるのだろう。
正常でないのは、狂っているのは、シアンのこれ以上無い程分かりやすい不機嫌に気づいていながら、数秒後の溶けて消える自分の姿を幻視していながら、それでも男が口を回し続けている事だ。
麻薬を使いすぎて使いすぎて使いすぎて、もう男は恐怖心を克服したと思い込んだいた。それは、自分が死ぬその瞬間まで何一つ変わらない事なのだとも思っていた。そんな訳は無いのに。今も、自分の生存に向けて、最期のあがきを続けているというのに。
「そんな中で、俺はさっさと村を出ちまった、出帆しちまったんだなぁ。兎に角大きな稼ぎが欲しかった、ガツンと稼いで、せめて親にくらいは良い暮らし…… いやさ、人並みの暮らしをして欲しかったんだなぁ。」
「あと5びょ~~。」
シアンの両手が真っ白に光る、ワルモノをやっつけろと轟き叫ぶ。
「っ…! 本題だ! 俺はお前が欲しいものの在処を知っているぞ!」
途端、シアンの先刻までの不機嫌が一気に吹き飛び、パアッと花開く笑顔を壮年の男に向ける。まるで時たま会う親戚にお菓子を強請る少女の様な、唯々無垢な表情。
「マジデ!? ホントに!? おじさん神様だったの!?」
「あ、ああっ。 俺にとっちゃ神様は『緋の祝祭』、あんたの方だが、それは兎も角としてだな、お前が探してる魔法は……」
今しかない、今しか。この瞬間を逃せば、もう自分の死が確定してしまう。狙いは頭部をきっちりと、やれる、やれるさ、『狂魔導士』相手でも俺ならやれる。もう刹那の瞬間にこいつに到達する。
「あぁ~、いいよぉ、別に。 だって5秒経っちゃったもんね。」
「えっ、 いや、これカラハナ……」
その瞬間、男は一切喋る事が出来なくなった。喋る気が無くなった訳でも、その瞬間に意識がブラックアウトして、死んでしまった訳でも無い。
ただ、何か口元に違和感があるだけだ。嘗て、酒場で殴り合いの喧嘩をした時に顎が外れた事があるが、ああいう感じが……
と、そこまで考えて、視線を下に向けて、成程得心がいった。
喋ろうにも、下顎が目を向けるまでの一瞬の時間で蒸発して、そんな事を意識する間にも歯が魔法の様に消失して、本来なら歯よりも先に口内が溶けるのではと思う間すら一瞬で、鍛え上げた腕が刹那枯れ木の様に細く、黒ずんだ棒みたいになって。鍛えた肉体は自慢の一つだったから、男にとっては顔の下半分が消失した事よりもショックで。
まるで目の前の女に、自分が鍛えに鍛え上げてきた腕を、肉体を奪われたような錯覚にも陥って。
それからボロリ、と下半身が崩れたかと思えば、やはり一瞬の内に消失してしまって。もう見えるものすべてが白く燃えているように見え始めて、そんな中で下半身が消失した後には、白く光る廃倉庫の地面だけが、見えてしまう。長くこの拠点を、この台座を使っていたから、この場所の地面のどこにどんなシミがあるのかはっきり覚えている。でも、自分の下半身が燃えて消えたというのに、地面には新たなシミなんかどこにも見つから無くて。
まるで目の前の女に、「キミがここに残せるものなんか、この世に残せるものなんか、肉体のシミ一つすら、何にもない」と否定されてしまったようで、何だか無性に悲しくなって泣き出したくなってしまった。
あぁ……… これが『緋の祝祭』、『緋の抱擁』…… 帝都で噂を聞いた時にゃ何の冗談かと思ったよ。一瞬で人間を殺せる殺人鬼なんて大した噂でも無い。そんなのは帝都にゃごまんといる。でも、そいつは、ただの殺し屋じゃない。 殺した相手を「消失」してしまうんだってよ!! だ~れも、殺された場所も殺された時間も分からない、殺した証拠すら残らない、殺した人間が誰なのか、特定できないんだってよぉぉ!! 大声で喚いて笑う酒場のバカにつられて皆笑ってたっけ…… 馬鹿馬鹿しい、そんな奴いるかってんだよ。よくある作り話だってな。 でも違った、その晩、その話をしたバカは死んじまった。
何週か後に同じようなバカがまた出たけども、やっぱり死んじまった。二人目には尾行を仕掛けた。その話が本当だったなら、直接見なけりゃなるめぇと思って、俺と、俺の右腕で追った。何であんな事しちまったんだろう。
俺と、俺の右腕で酔っぱらいの後を追ったら、人通りの無い路地裏で酔っぱらいのヤロウが、燃えた。消えちまった。びっくりしちまったのが、そこにいたのが年端もいかねぇ女のガキってところだ。俺は相手を一方的に見えるように、屋上から見ることが出来たから分かる。あどけない顔立ちで、燃えるような赤い長髪が目立った。人を殺したとは思えないくらいにすっきりした顔で、罪悪感のかけらも感じていなさそうな表情が恐ろしかった。不運だったのは、右腕だ。屋上から追う役と、路地裏から追う役。右腕は頑張った。酔っぱらいが一瞬で燃えた時も声は上げなかった。本当に頑張ったと思う。でも駄目だった。一瞬でグルリとガキが背後を向きやがって、相棒はすぐ走り出したから、ガキ相手なら逃げおおせるはずと思ったけれども、駄目だった。冗談みたいに一息に距離を詰めやがって、まるで人の命で遊ぶみたいに、「ざ~~んねんっ!」なんて言いやがって、断末魔も上げる事無く、相棒は消えちまった。
俺の組織には兎に角、徹底させた。赤毛のガキには関わるな。初めにこれを言った時は下っ端共も鼻で笑い飛ばすだけだったが、その内、裏家業連中全体にこのお触れが出回った。赤毛のガキには気を付けろ、絶対に近づくな。『緋の祝祭』には仲間を差し出してでも逃げろ。
逃げて逃げて逃げ続けたはずなのに、逃げおおせたはずなのに、それなのに今日再開しちまった。何年越しになるかは分からないけれども、出会っちまった。ちきしょう………。
あの日、本当は俺に気づいていたんじゃないのか? 何時でも殺せたのに敢えて殺さなかったんじゃないのか? 俺は………
もう身体なんてどこにも残ってはいない。まるで元々こういう生物だったかのように、男は顔の上部だけを残して、シアンに抱かれていた。どういう魔法なのか、顔の下半分はぴったりと閉じ、眼球は閉じる事も許されずガラスめいた表面を残して涙を滂沱と流した状態で固定され、くすんだ灰色の頭髪は美しい太陽の色に変化していた。
悪趣味な工芸品のように設えられてしまった男の運命は、悲惨の一言だった。まだ生体反応が男に残っている事の方が不可解な、死んでいない事の方が不自然な、命をすっかり握られてしまった男にはもう立ち向かう意思などカケラも残ってはいなかった。
俺は死ぬ、俺は死ぬ。俺は死ぬんだ……… 男ははっきりと理解出来てしまった。
でもそれと同時に、別の理解もあった。あぁ、これが『緋の祝祭』、『緋の抱擁』……… 温かくて、優しくて、気持ちいい。フワフワして、子供の頃に、赤ん坊の頃に戻ったみたいで、温かみだけが残る。『狂魔導士』なんて嘘っぱちだ、でたらめだ、このヒトに嫉妬した誰かが妬んで流した流言飛語だ。だって、こんなにも温かみをくれる人が狂っている訳ないじゃないか。こんなにも、お母さんみたいに、太陽みたいに暖かい人が狂っている訳ないじゃないか。
男の精神が、それを無視出来たのは、そこまでだった。
「……・・・・・」
何かが聞こえる? 子供を安らかに眠りつけさせる、子守歌だろうか。それとも、今まで不幸に巻き込ませてきたモノどもの呪詛だろうか?
最後の抵抗とばかりに現実から目を背ける男は、ふと気づいた。何故、何かが聞こえるのだろう。目はガラスになって、何にも云えない人畜以下のクリーチャーにされて、でも、どうして何かが聞こえるのだろうか。どうして、耳には何も変化が無いのだろうか?
額に同じく額が押し付けられている。
腕が頭の後ろにしっかりと固定されている。
ガラスの目を凝らすと、同じく眼球がこちらを覗いている。
深紅と橙の混じった、澄み切った美しく穢れを知らないように見える瞳。
それは、シアンの口から悍ましい程、機械的に発せられていた。
「リアゾン・マクレーン、42歳。出身は帝都と王都の境目の村、カルバ村。まだまだ農業改革が行き届いていない寒村。帝都と王都の戦争の煽りをもろに食らった村。観光資源無し。著名人の出身者無し。あぁあなたを勘定してしまってもいいかもね。王都と帝都、聖都を行き来する根無し草のリアゾン、麻薬組織『カルテル』を一代で築き上げ、帝都の貴族階級に意見を自由に通せる立場、『カルテル』の部下数百人を纏め上げ、雇用の無い者たちを一手に引き受け、部下たちからはまるで宗教の司教様の様に崇められ、帝都のスラム街でもやっぱり称えられている、通称『麻薬王』。凄いじゃない、いいと思うわ。『王』なんて二つ名、この世界でもそうそう付けられるもんじゃない。一体何人の、何十人の、何百人の、何千人の人間を地獄に送り込めば、そんな二つ名が付けられるのでしょうね?どんな精神構造をしていれば、麻薬を強制的に吸引させられる人間の表情を見て表情の移り変わりを見て、絶頂に至れるようになるのでしょうね。あなたは狂っているわ。心底軽蔑する。村を出帆したのは10歳の頃。成程、好奇心旺盛な年頃の男の子が村を飛び出す年齢としては理に適っているわね。やっぱり男の子といえば幼馴染の女の子との約束に家出と相場が決まっているものね。それもいいと思うわ。あなたが居なくなって両親は、お父さんとお母さんがどう思うかなんて、どれほど心配するかなんてその年頃の男の子にとっては全くどうでもいい事なのでしょうね。いや、あなたはその頃から頭が良かったみたいだから、それでも自分の人生と家族を天秤に掛けたのね。このまま村でゆるゆると朽ちていく人生か、それとも一発逆転を夢見て外の世界に飛び出すか、それを天秤に掛けた。そして、あなたは賭けに勝った。あなたの基準で、あなたの良識に照らし合わせて考えれば、賭けに勝ったのでしょうね。結果両親は今は帝都で悠々と暮らせている。あなたが今まで何をやってきたのか、どれだけの人を陥れてきたのかなんてこれっぽっちも気づかずに、ただの大商会の主とだけ思って暮らしている。凄いわよね、あなたが帝都に立てた商会。でかでかと、悠々と屹立するあの建物が実はデコイで、日用品を建前上売っているのもダミーで、あの商会の地下で日々麻薬の取引が行われているなんて誰も考えもしないのでしょうね。そのダミーの日用品もまずまず売り上げていたのに、充分過ぎる程に稼げていたのにそれでも更なる上を目指して、結局麻薬に手を出してしまったと。成程。人間の欲望というのは、更なる地平を求める心は美しくも恐ろしく、一歩間違えれば悍ましい方向へ向かってしまうという事なのね。私もこれを教訓にして、これからも気を付けるわ。でも、でもね、本当に誰も気づかなかったのかしら?誰も大商会に裏の顔があるとは邪推しなかったのかしら。考えもしなかったのかしら?そう、そうなのね。気づいた人もいるのね。そして気づいた人間はその商会の地下へ拉致して殺してきたのね。残酷で、最低ね。殺し方は、私を参考にした?私の『緋の祝祭』を参考にしたかった?再現したかった?右腕が殺されたあの時、恐ろしさも悲しさも悔しさも怒りも反逆心もあった。確かにあった。だけれども、それ以上に羨望があった?嫉妬があった、羨ましさがあった?だって『緋の祝祭』がとっても犯罪に使える魔法だから。どんな時間にどんな場所でどんな人間を殺そうとも、証拠が残らないから。燃えカスすらも残らないから。どれだけ憎い相手だろうとも、目撃者さえいなければ、完全犯罪を可能にする魔法だから。そう、そうよね。私もそれには同意できる。全くもって一部の隙も無く何の反論も無く疑う事無く同意出来るわ。『緋の祝祭』は私が開発した魔法の中で最高傑作だと自信をもって言えるわ。『緋の祝祭』は常に私を守ってくれる。私をこの世界から守ってくれる私の相棒よ。ていうか、あの路地裏に、もう一人目撃者がいたなんて露ほども知らなかったわ。幸運だったわね。その時ばれなくて。でも不運ね。今日私に捕まっちゃって。それはそうとして、『緋の祝祭』だけじゃなくて、私は他にも色々な魔法が使えるわ。のたくる紅蓮の蛇を召喚する事も出来るし、今こうやっているように相手の精神を読み取るサイコメトリーも使えるわ。サイコメトリーの開発は本当に大変だったのよ。なんてったって私に精神感応系の魔法適正は無い、本当に無いんだから、本当に無かったんだから。何日も何日も何日も、何週間も何週間も何週間も、何か月も何か月も何か月も、何年も何年も何年も、本当にずっとずっとずっとずっと魔法式を組み続けて削除して組み直して他の魔導士と交流して何人も何人も何人も何人も試して試して試して…やっと、やっと完成したんだよ。どう、偉いでしょ?あなたにもその内魔法式を見せてあげるね。きっと感動するよ。驚嘆するよ。びっくりしてどひゃぁってなっちゃうよ。まぁでも私の中ではまだまだ未完成なんだよね。だって相手に接触しなければ発動しないし、何十秒も接触し続けなければ発動しないのだものね。だから、これからだって思うんだよね。これからも開発して改良して最善を目指すよ。上を目指し続けるって点では私とあなたは同類だと思うんだよね。もし魔法式に思う所があったら言ってね。可能な限り善処して参考にして改良に活かすから。まぁ最も今まで私のサイコメトリーの魔法式に、意見してくれた人は一杯いたんだけど、あんまり参考にならなかったんだよね。何でだろうね。やっぱり感性ってやつなのかな?他人が他人をどう思うかなんて、他人が他人をどう捉えているかなんて人によって違うとしか言えないんだから、精神系の魔法に関して云えば、他人にどうこう言える事ってないのかもしれないね。それでも、多くの人間の崩壊を目にしてきたあなたには、人間を破滅させてきたあなたには実はちょっと期待しているんだよね。頼りにするよ。頼りにしてるよ。そう、そうよね。その観点から云えば火の魔法だなんて分かりやすくていいわよね。どうすればもっと火力を出せるのか。どうすればもっと温度を向上させられるのか。どうすればもっと効率良く人間を殺せるのか。範囲は、被害は、目立つ方がいいのか、一瞬で燃やした方がいいのか。こういう風に方向性がはっきりしている魔法はいいわよね。とってもいいと思うわ。面白い事にね、下手な魔法使いよりも、犯罪者とか軍人とかと話した方が、意外と魔法式を改良するのに役立ったりするんだよ。何でだろうね。おかしいね。思い出すなぁ、嘗て同志の魔導士達と魔法について議論を交わしていたあの時代。あの時代は本当に良かったんだよ。何てったって戦争中だったからね、戦争中。今では、今の子たちは、リアゾン君は絶対知らないと思うんだけれども、もう誰も知らないと思うんだけれど、昔は戦争なんてものがあったんだよね。戦争。いいよね。良くないけどいいよね。最悪だけどいいよね。誰も救わないけど、誰も救われないけども、いいよね。胸糞悪いし、もう絶対に戦争だけは起こさないって決めているんだけれども、それでもいいよね。何がいいって、好きに魔法が開発出来るのがいいよね。おおっぴらに人間を焼けるのがいいよね。焼けば焼くほどに、殺せば殺すほどに褒められるのが、勲章を貰えるのがいいよね。モラルハザードだよ、モラルハザード。いいよね。こっしょり他国の魔導士達と会って、競うように魔法の開発に只管取り組んだあの時代、良かった、本当に良かったんだよ。皆戦争なんか心底どうでもよくて、如何に自分の魔法を上位に押し上げようかって考えていたんだよ。皆自分の事しか考えていないヤツラばかりで、自分の魔法にしか興味が無くて、でもだからこそ恥も外聞も無く他の魔導士に意見が出来たし、意見が聞けた。他の魔導士達も、人間を残酷に殺す魔法を開発してるって知る事が出来たから、皆罪悪感を負うことなく、他者に押し付けて開発が出来たんだね。あの感じは、あの空気は良かったって思ってるよ。あの空気が私の精神の一部分を形作っていると言っても過言ではないね。それから、兎に角沢山の国が巻き込まれて、沢山の国を巻き込んで戦争していたのがいいよね。何てったって長い間魔法が撃てるもんね。どれだけ沢山の魔法を開発しても、どれだけ残酷な魔法を作って、自分でも恐ろしく感じる魔法を作成してしまっても、戦争だから仕方ないものね。相手を殺さなければ自分が殺されるのだから、もう撃つしかないわよね。これは仕方の無い事だって胸を張って云えるものね。私のこの大きな胸を張って云えるものね。あとね、戦争中って一国がいきなり勝ってしまっては困るわよね。だって戦争が終わってしまうものね。もう魔法が撃てなくなってしまうものね。だからね、繋がってた魔導士達で、まずはこの国に火の魔法を放って、次にこの国に火の魔法を放とうって談合していたのね。偉いと思わない?凄いと思わない?だって、一国に力が集中してしまっては、公平じゃないものね。正しくないものね。不平等が発生してしまうものね。不平等は良くないものね、皆不幸になってしまうものね。だから、魔導士達で、協力して、まずは私がやる!次は私が魔法撃ってくる!って決めていたんだよね。いやー魔法撃ちたくないんだけどなぁ、本当はやりたくないんだけどなぁって皆言いながらいろんな国に行っていたんだよね。皆そう言っていたけど、ぶっちゃけ目が笑っていたし、ていうか分かりやすくにやけていたし、本当は楽しみだったんだね。楽しかったんだよね。自分の力を同志たちに、国民に認めて貰うのは嬉しくて嬉しくてしょうがなかったんだよね。でも、皆理性が無い殺戮者って訳でも無いんだよ。ちゃーんと自分たちの家族は安全圏に、攻撃を仕掛けられない国に次々に移動させていたし、自分たちが好きな人たちにもやっぱり情報を流して避難させていたんだよね。みんな優しかったなぁ。私の事を娘みたいに扱ってくれて、心底繋がりを感じたんだよなぁ、嬉しかったなぁ。それでね、それでね、平原や森や工場跡や砂漠や山に火を放つのは皆が担当してくれたんだけれども、私と、それからもう一人私と特に仲が良かったおじいちゃん、あっ、このおじいちゃんが魔導士のリーダー、長だったんだけれども、兎に角私とおじいちゃんは王都や帝都や聖都、それから各地の港町に火を放つ役目だったんだよね。やっぱり皆市民がいる所には火なんか放ちたくないみたいで、だから誰かやってくれないかなーーって雰囲気になっちゃって、それで選ばれちゃったんだよね。でも嬉しかったなぁ。皆に選ばれる、認められる、頼りにされるってのはとっても嬉しいことなんだって、その時は久々に思い出せたんだよなぁ。それでね、私がその時撃った魔法が、あるほどほどに栄えた中規模の港町に撃った魔法っていうのが、太陽を局所的に発生させる、ほどほどに威力と悪影響を抑えた上で、太陽を発生させるっていうものでね。その時点では、その時の私は、これが!一番!最高の魔法だぁ!!ってテンション爆上げだったんだよね。マイフェイバリットを作れたにも関わらず、最高の魔法を作れたにも関わらず、でもこの魔法って一生撃つ機会なんて無いんだろうなぁって思っていたから、それを披露出来る機会が来て、本当にやったね!って感じだったんだよなぁ。あの時はトンデモなかったなぁ。皆…市民の皆さんがバタバタと倒れちゃってね。熱さで死んでいく人もいたし、身体が焼かれるっていうのを通り越して、爆発して飛び散っちゃった人達もいたし、紫外線……紫外線?なんだろ。分かんないけど、兎に角、何かの光線で身体に穴が開いて死んじゃった人もいたなぁ。あれって要はレーザーを発生させているんだなって気づいて、後からレーザーだけ撃つ魔法なんてのも個別に作っちゃったんだよね。その後なんやかんやあって、戦争も終わって、魔導士達の集まりもばらけちゃったんだけれども、まぁ要は時代に合わせて最適な魔法があるって話だね。今、私が疑似太陽現出魔法なんて使っちゃったら、目立って目立ってしょうがないよね。注目されちゃうよね。そういうのは今は…っていうか多分もう充分だと思うんだよね。だから、私には、今の私には『緋の祝祭』が最適なんだよね。これで充分っていう訳じゃ無いんだよ。もっと自分に適した火の魔法もあるはずだから、『緋の祝祭』は『緋の祝祭』として、別の魔法の練熟を怠ってもいいやって話でもないんだよ。でも今はもっと欲しい魔法が…て、いうか、私がずっとずっとずっと追い続けている魔法が優先だから、しょうが無いよね。で、何?何なの?貴方が言っていた私がずっと追い求めている魔法……あぁ、透明になる魔法ね。成程、成程……確かに透明になれればよりよくばれないように燃えて消えて貰えるもんね。日中に突如、焼失死体…死体残らないから、焼失!ってなるもんね。こわーい事件になるね。対象が誰か知り合いと居る状況じゃない限りは、そしてよっぽど対象を注視している誰かがいない限りは、私が透明になった上で、対象にそーっと触れて『緋の祝祭』、でよりよく消えて貰えるもんね。或いは対象の方を透明にする方法もありだね。ばれないように服の端摘まんで、対象が、自分が消えている事に気づいていない内に、『緋の祝祭』、これもありだね。なんだ、やるじゃん。透明にする魔法なら考えた事はあったけれども、理論式とかもうさっぱりだったから、結構嬉しいかも。ありがとう。あぁ、それかぁ、この部屋に入って何か嫌な感じがしていたんだよね。それって、貴方が自分の水魔法…に透明な状態を付与した上で待機させていたのね。なーるほど、それってとってもいいと思うわ。とってもいい。ふんふん、成程、それでも直ぐに魔法を撃ち出さなかったのは、私に魔法を瞬間的にガードされるかもしれないって思った?それで確実に当てられるタイミングを見計らった?ほうほう、成程。色々考えていたのね。でもね、その考察はちょっと考え過ぎだったわね。私は普通の人間だからね。肉体強度がバケモノな、鬼族とかドラコーン族じゃあるまいし、普通に魔法撃ってれば多分私普通に死んでいたわよ。残念だったわね。でも終わっちゃったものはしょうがないわよね。さぁさぁさぁ、これからは私の役に立ってもらうわよ。たとえ殺人狂でも戦争犯罪人でも王族でも、貴方みたいな最低最悪の人でなしの麻薬王でも、貧富で差別無く能力で差別無く悪行善行で差別無く皆纏めて面倒見てあげるのが私って仁徳者だからね。感謝してよね。うん?うん…帝都のお父さんお母さんが心配?帝都の商会に残してきた皆が心配?故郷のカルバ村の皆が心配?うーんそうだよね。そりゃそうだよね。優しいね。大切な人の事を思いやれるんだね。人畜以下の分際で。でも安心して。邪推しなくてもいいよ。皆の生活は保障してあげるから。そんな事信じられるか、クソ女?酷いなぁ。酷い事いうなぁ。大丈夫だよ。心配しなくてもいいよ。ちゃーんと事後策は用意済みだよ。こう見えて私って結構顔が広いから、ちゃんと知り合いに後の事を任せるようにするよ。うん?嘘じゃないだろうな?騙したら一生呪ってやる?だーいじょうぶだよ。心配しなくても、ちゃんと見えるようにするよ。だってあなたは…」
リアゾンから額を離し、一回だけその表情を覗きこむ。
憤怒、憎悪、悪罵、大よそ他者へ害する感情全てをその上半分だけの顔に詰め込んで、こちらを睨み付ける表情。皆、こうだ。皆の方が元々悪人だったのに、皆の願いは叶えているはずなのに、皆、こうなる前は納得して死を受け入れてくれたはずなのに、何時の間にか、こういう表情に変わってしまう。
皆の大切な人たちの生活はちゃんと保障しているはずなのに、最大限配慮しているはずなのに、冷静にお話ししてくれる人たちは本当に極僅かしかいない。
でも、涙は止まっていた。手の平に収まるサイズにまで小さくなってしまったリアゾンから、涙はもう流れていなかった。
なら、いいと思う。涙が流れるのは、悲しい時だから。悲しくなければ、悲嘆に支配されなければ、人間は生きていけると、そう思うから。
空間魔法の発動。
ほぅ、と息を抜くようにしてから、最後にもう一度リアゾンを見て、それで今は終わりにしよう。次に会う時は、多分帝都になる、そう思う。
悪趣味な手のひら大のモニュメントを、大切に、本当に大切なものを扱うように両手で包んでから、空間魔法で広げた保管スペースの一角に、丁寧に配置する。
それでもうおしまい。そういえば、すっかりマーちゃんのことを忘れていた。うっかりしていた。まだまだ怒号が隣の倉庫から聞こえる。まだまだ持っているということだ。
急いで向かわなければ。マーちゃんはまだまだよわよわで、ほっておくと死んでしまう。
シアンは踵を返す。
満点の星空が、廃倉庫の開いた天井から微かに見え隠れする。
その下で、星空の光を受けながら、シアンは疾走する。
夜を、駆ける。