12.緋の抱擁
美しい花には棘がある。という言葉がある。
どんなに美しいものにも、危うい一面があったり、不用意に美しいものに近づくと、思わぬしっぺ返しが来る、という意味で使われる言葉だ。
或いは、この言葉は美人に嫉妬し、やっかみする人間が必死に荒さがしを行った結果に、使う言葉と考えることも出来るのだが・・・
シアンという女性に関して云えば、本当に、その言葉を額面通りに捉えざるを得ないのである。
いっその事、シアンに対しては嫉妬からの形容 ’だけ ’で使われていた方がどれほど良かっただろうか。
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寂れた田舎の廃倉庫……
本来なら人の気配などあるはずも無い、人々の記憶から忘れ去られ切った様な薄寂れた空間。しかしその夜は、不自然な程に、過剰すぎる程に、倉庫内が人の気配で溢れかえっていた。更に、木箱に積まれた麻薬の類…… それが倉庫内にびっしりと無造作に積まれ、倉庫内は微かに高揚感を高ぶらせる香り漂う、複雑怪奇な巨大迷路の様相を呈していた。
倉庫の入り口付近に積まれた木箱の群れ、そこから奥へ向かって、薄ぼんやりとした光を放つランタンの類が間隔を開けて置かれている。夜目が利く人間であれば、倉庫の入り口から3,4人の見張りを確認出来る。確認出来るが、それまでだ。実際には、木箱により図らずも生成された物陰に、外からは決して見えない箇所の高台に、コの字になった通路の行き止り付近に、他あらゆる場所に人員の配備が完了していた。
楽観的に…… 果たして深夜、寂れに寂れきった廃倉庫内に楽観的に侵入する人間がいるかどうか甚だ疑問だが、それでも何の気なしに侵入した、ちょっとした腕自慢を刈り取るだけの準備が倉庫内に成されていた。暗闇の中、多方向から、物陰から、上空から、一斉に襲い来る刃を迎え撃てる人間は極僅かに限られる。
その為、倉庫内は緊張がある程度に保たれながらも、一部の者たちにはどこか弛緩した空気も流れていた。
最も倉庫の入り口付近に配置された二人の男達もそうだった。名はマークとブロウという者たちだった。
マークが手を擦り合わせながらふと呟く。
「---っ 寒いよなぁ-」
「そうかあぁ? 俺には丁度いい位だけど。春先だから寒い奴には寒いんだろうな。」
「あぁ~。さっさと帰って酒でも飲んで体を暖めてえよぉ~」
「我慢しろ、我慢。もうそろそろ交代の時間だからな。」
眠気を誤魔化す為、そして時間を潰すために言葉を交わす。
見張り番にとっての何よりの苦役は、直立姿勢を保つことと、孤独を強いられる事だ。その内片方を免除されたこの二人は多少なりとも運が良かったのだろう。
「そういえば、今回の取引相手の事、知ってっか?」
「いや、知らねーけど。何だよ訳知りじゃん。誰だって?」
「それがな、帝都の方の大物らしいぜ。まぁここは王国と帝国の境目に近いからな。自国内での取引だと相手さんに不都合でもあるんじゃねーの?」
「ふーん。まぁ良く知らねーな。いいんじゃねーの、誰でも。金払いはいいって話だろ?」
「あぁ、何せ末端の俺たちにも、王都の仕事の5倍の日給をくれるってんだからな。サイコーだよ。」
「あぁ、サイコーだな。」
退屈を紛らわす為に、取留めの無い会話を続ける二人。マークがふと、倉庫の外を覗きこむように確認する。二人が立つ場所は、倉庫の入り口から影になる場所にある為、入り口からは見えないが、同じ様にこちらからも身を乗り出さなければ外が確認出来ないのだ。外を見ようと思った理由も特には無く、ただ夜空が見たいとか、月が見たいとか、そんな程度の理由だったのだが………
「うん?」
「どうした?」
「いや……… 何か、倉庫の外で影が動いたような……」
「気のせいなんじゃねぇの?帝都の使者が来るって時間はまだ全然先だぜ。」
「あぁ、、 そのはず… だよなぁ……… ぁ…?」
ふと、倉庫内の違和感に気づく。
先ほどまで、微かに肌寒さを感じていたはずなのに、暑い、、いや、熱い…、熱い。 熱いのだ。
何が起きたのか相棒に聞くために目を向ければ、、、
ほんの一瞬目を反らしただけのはずなのに、いつの間にか相棒の背後に、長身の美貌がはっきりと見えた。
美貌の口が半月状に、笑みの形を取り、何かを呟いたと思えば、、、
何かに包まれる感覚を……… 霧や靄といった現象では無い。はっきり物質だと、何か柔らかいものに抱擁される感覚を、柔らかくて暖かくて、それでいて安心できる感覚を味わいながら、
そこまでを知覚して、それで相棒も、自分も、最後だった。
美貌の正体も、柔らかな感覚の正体を突き止めることも、意識も、思考も、口を開く時間も人生を振り返る時間すらも、全てが灼熱と閃光の中に掻き消え、それで終わり。
終わりだった。
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シアンは、火の魔法に極めて高い適性を持つ魔導士だ。
両手に本人の潤沢かつ良質な魔力を貯める事によって、手の中に局所的な超高熱を作り出す事を可能とする。
温度は0℃ から10000℃、ほの暖かさを感じる温度を作る事もあれば、人体に重篤な火傷を負わせる温度を作り出す事もある。或いは太陽の表面温度6000℃を超える温度ともなれば、人間をほんの1秒で全身隈なく焼きつくし、灰すらも残さない温度である。
加えて、温度を加える対象をきっちりと選択する事で、人体だけをマジックの様に消失させ、なおかつ周囲には一切の影響を、、、地面に焦げ跡さえも残す事無く、対象を焼き切る事が可能となる。
そして何よりも恐ろしい事として挙げられるのが、彼女が「甘えたがり」である事だろう。
ドーランド家(彼女に言わせれば、おうち)に帰って来る時は、必ず皆へのハグを忘れず、もし一日でも誰かと触れ合えなれけば、寂しくて寂しくて悲しさが溢れてしまって人目を憚らずわんわん泣いてしまう。もし彼女がこの状態になってしまえば、泣き止ませる為に1日は要する事だろう。
この為、本当の所はドーランド家から離れての調査活動もイヤイヤやっているというのが現状だ。最終的には、行く先々の街で案内人を見つけた上で、彼(彼女)をずっと案内人兼抱き着き人形として連れて回る形を取ることで事なきを得ている。(人形扱いされる案内人にとってはたまったものでは無いが。)彼女曰く、秀麗な男の子を見つければ大当たり、次いで保護欲を掻き立てる儚げな美少女が準大当たりとなる。
彼女の魔法適正、及び彼女の性質、二つが混ぜ合わさる事により、彼女は極めて特異で残酷な戦闘体系を完成させる。
結果、、、
「ギューッ」
人体が発火する。
「ギュギューッ」
焼け焦げて、顔面も腕も内臓もドロドロに溶け落ちる。
「はーいっ! ギュギュギューッっと!! 来世ではいい人に生まれ変わってねっ~~!! 悪い子ちゃんっ!!!」
抱擁をもって、焼けて、溶けて、爆ぜて、焦げて、焼き尽くして、皮膚がドロリと剥がれて、筋肉がグズグズに崩壊して、骨が砕ける手順を飛ばして小さく黒焦げになり、脳みそがかき回され、豊満な肢体を押し付け、異臭を放ち、煙を上げ、断末魔を上げさせず、胸部によって和らぎと安らぎを与え、白光が迸り、人体の境界線を無くし、周囲の気温が急上昇し、閃光で目を焼き、親愛友愛情愛狂愛を一方的に与え、焼失して消失して焼き尽くし、対象が存在した痕跡を文字通り塵一つ残させず、彼ら彼女らをほんの刹那の時間をもって終わらせていく。
いまや、倉庫内は地獄そのものの様相を呈していた。
今が深夜であるとは到底思えない程に、白光が倉庫内を埋め尽くす。倉庫内はおろか周囲の荒れ地まで届くほどに強烈な光を発する。その光の発生源たるシアンは………
「わるいこがい~っぱい!! み~んなぎゅ~ってしてあげるからまっててねぇ! ……あっ!! そこっ!! にげないのっ!! は~いギュギューっ❤!!」
目についたものから片っ端から捕まえ、ハグ、ハグ、ハグの嵐を加えて倉庫内の人員を蹂躙していく。
物陰に必死に縮こまって隠れ潜んだ「わるもの」を、しゃかんでハグ。
本来なら侵入者を追い詰める為の、コの字型の通路に追い詰められた「わるもの」を、ダッシュしてハグ。
二手に分かれて必死に逃げる「わるもの」を、一息に自分の腕の中に纏めてしまって、一緒にハグ。
本来なら相手にこれ以上ない程の親愛を示す行為であるハグが、今やこの廃倉庫内では、刃を振るうよりも、魔法を打ち出すよりも、どんな敵対行動よりも攻撃よりも、何よりも恐ろしい行為となってしまっていた。
「ひぃっっ!! たずげでぇっ!! ぃやだぁっ あぁっ!! あっ… あっ… ずっい………っ」
「いやだいやだいやだぁ!!! 許っ じでぇ……!!!」
「だっ だ、だ、れ、がぁ………ぁあっっづっっっ………!!!!!」
「な……… んでぇっ!! こっ…んなどごろに 『緋の祝福』が……ぁ…っっ」
断末魔も、流す涙も、後悔も、人生を振り返る時間も、全てが炎の中に、緋の中に、業火の中に包まれて、消えていく。
それでいて、決して積み上げられた木箱には火が付くことが無い。また、倉庫の床にも、死体も服の切れ端も、血の一滴すら一切残らず、また、焦げ跡がつくことすら無い。
人間のみを選別して燃やしつくす……… 自分が意識を向けた相手のみに対して、燃やし、『尽くす』魔法は悪夢めいた光景を次々と現出させ、、、そして、、、、、
「よぉ~しっ!! だいいち段階おわりっ!!!」
後には、静寂と、それから涼やかな深夜の春風だけが残った。
ここは人里離れた廃倉庫。本来なら誰も居なくてしかるべき。だが、今日この時、この場所に全く、、全く人間の姿が消失してしまった事が、シアンの圧倒的な能力と狂気を証明していた。
本人には、戦闘を行ったという意識すら無い。
ただちょっと馬車に揺られすぎて、お暇になっちゃって、「まーちゃん」が何だが深刻なお顔をしていて、そのせいであんまり構ってくれなくて、だからつい人肌恋しくなっちゃって。それでついはしゃいじゃって、でもやっぱり「まーちゃん」に抱き着くのがいっちばん好きだからさっさと戻らなきゃで、それだけだ。
「と、いうわけでさっさと終わらせてまーちゃん達の方に戻ろっ~~っと。 う~~んっ? こっちがにおうなぁっ…… わるもののボスはこっちだなぁ??」
ひくひくと、まるで動物のように鼻を鳴らして、それっぽい事を言ってみる。シアンにとっては、最近読んだ本の中に嗅覚で犯人を追跡するワンワン探偵が出てくる物語を読んだので、その真似っこだ。
シアンは廃倉庫の奥深くへ向かう。
「わるもの」を片づけておうちに帰る為に。
足を通路に向けたタイミングで、
「うぐぐるぅぅぅぃぅううぅううぅううっ!!!! うがあううああああぁぁっっっつっ!!!!!!!」
大きな…… 本当に大きな、モンスターの唸り声と思わしき音を耳にした。
通路の奥から…… では無い。外からの声…… もっと言ってしまえば、「マーちゃん」と「いおりん」が向かった方の倉庫からの唸り声だ。
モンスターの唸りに対して、正常か、あるいは異常かを考察する事程、無意味で無駄で無価値な事は中々無いだろうが、それでも、敢えて言うならば、「狂っている」様な、或いは「壊れている」様な唸り声に感じられた。
向こうで、只ならぬ事態が生じている事が予測できる。
「うひゃ~~っ。 おっかな~~! さっさと用事済ませて向かっちゃるかぁ~~。」
シアンにしては珍しく、急ぎの姿勢を見せて通路に駆け出す。
「いおりんは兎も角、まーちゃんほっとくと死んじゃいそうだしなぁ~~~。」
脳内では、冷静に、向こうの倉庫側での彼我の戦力分析を続ける………
これからの目的達成に向けての思考と、向こうに残してきた仲間達への信頼と。
例え不測の事態が発生したとしても、それで目的を違える事も、優先順位が変わることも無い。
突入前に、「マーちゃん」の事は「いおりん」に任せる事を決めた。一度決めた事はどんな事があっても覆らないし、覆す気も無い。
「まぁ」
それでも、
「彼は………殺させないんだけどね。」
彼女の瞳に染みついた狂的な執着が薄れる事は何一つ無かった。