第六十六話 花火と恋
男女二人で見ると必ず結ばれる。そんなオカルトで、だけどロマンのある噂。
隣を見る。清水が間抜けな顔をして空を見上げている。
満と伊根町は少し離れた所にいて。
「……まだギリギリ八時半前だよな?」
「言っても誤差だけど」
だとしたら、これは私と清水の二人で見たことになるのだろうか。それとも四人で見たことに?
もし前者だったら、
「わー、花火上がっちゃったー!!」
私と清水が?
……ないない。あり得ない。
だって清水のことを伊根町は好きで、清水も多分、伊根町のことが好きだ。私からすれば、清水の何がいいのかこれっぽっちも分からないけど。
だからきっと、これは四人で見た。そういう判定だ。
◇
花火が上がった。
最初は、赤。
「わー、花火上がっちゃったー!!」
落胆する満くん。
「ごめんね。お兄ちゃんとお姉ちゃんを二人きりにするどころか、お兄ちゃんをそら姉ちゃんと二人きりにしちゃった!!」
私も少しガッカリ。でも。
「ううん、大丈夫」
「ほんと?」
「うん」
思ったより落ち込まない。
左手を右手で包む。
手にはまだ、感触が残ってる。
「二人で見れなかったのは、残念だけど。それ以上に、良いことがあったから」
立ち上がる。
「……あれ、でも噂通りならお兄ちゃんが僕の本当のお兄ちゃんになっちゃうってこと!?」
「それはダメ」
カズに近づく。
花火じゃなくて、さっきまで握っていた手に目が行く。
手を伸ばしかけて、引っ込める。
私の欲張り。
次は、帰り道でのお楽しみ。
◇
みうが隣に立つ。
「絶景スポットだな」
「うん」
ここからは本当に花火がよく見えた。あの薄暗い道を通った甲斐がある。
眼下には夏祭りの風景も広がっていて、人々が一処に集まって花火を見ている様子が一望できる。顔までは確認できないが、あの中には立也や大和もいるのだろう。
でも今注目するべきは下じゃない。上だ。
空には今夜だけの花がたくさん咲いているのだから。
なのに。
「…………」
俺の視線は、上でも下でもなく、いつの間にか横に向いていた。そのことに気付くたび視線を戻すのだが、またしばらくしたら横を見てしまう。
…………そりゃあ、仕方ないだろう。みうは可愛い。
いつもと違う浴衣姿。いつもと違う団子の髪型。
どれも似合っていて、そんなみうを花火が照らし出す。目を奪われるなという方が無理な話だ。
「「!」」
ふと、みうもこちらを向いて目が合ってしまう。二人揃って、花火を見るように視線を逸らした。
「「…………」」
こんなことを言うのは恥ずかしいが。死ぬほど恥ずかしいが。
……綺麗だった。どんな花火よりも、みうの横顔の方が。
もしかしたら、綺麗というよりは美しいと言う表現の方が合ってるのかもしれない。でもそんなことは今はどうでも良い。
今夜だけなのは何も花火だけじゃないのだ。この浴衣姿も、この髪型も、明日にはなくなってしまう。
だから目に焼きつけたくなって……
あ、そうか。
唐突に気づく。これまで気づかなかったことが不思議なぐらい、すんなりと。
それを自覚すると更に顔が赤くなって。今が夜であることに感謝した。
こんな真っ赤な顔は見られたくない。
でも、そうか。ようやく納得がいった。
あの音が遠ざかっていく感覚。心臓がはち切れそうに高鳴る感覚。
俺、みうのことが好きなんだ。
◇
清水と伊根町が良い雰囲気になっていたから、少しだけ離れる。
「わー、綺麗だー!!」
しかし生まれて初めて花火を見る満のテンションが絶好調で、ムードを台無しにして喜び始めた。
「すごいすごい! こんなにいっぱい光るんだね!!」
弟の無邪気さに私は頬を緩めてしまう。それは私だけでなく、清水も優しい表情を向けていた。
「ねえねえ、そら姉ちゃん」
「どうしたの?」
でも次の満の言葉で、私の顔は強張ってしまう。
「どうして花火って、こんなに綺麗なんだろーね!!」
「!」
私が小さい頃にも抱いた疑問。きっと同じようなことを考えるのは、私と満が兄弟だからだ。
「……さあ、なんでなんだろ」
私には苦笑いを浮かべることしかできなかった。あの時のお母さんの言葉の意味は、結局分からないままだから。
なのに。
「それはきっと、儚いからだな」
「!!」
あの時と同じ答えを出す人がここにもいた。
清水だ。
「はかないって何ー?」
「すぐになくなってしまいそうとか、消えてしまいそうとか、そういう言葉だ」
「それのどこが綺麗なの!?」
「そうだな……」
あの時、お母さんが言わなかった続き。
「これは……なんつーか、俺も今気付いたんだけどな。すぐに失われてしまうものだからこそ、その分、精一杯目に焼き付けようとするんだ」
「ふむふむ」
「だからそれだけ綺麗に見えるっていうか、美しく映るっていうか」
「うーん、分かったような、分からないような……」
「ま、そうだな。満くんにもいずれ分かる時が来る。俺も分かったのはついさっきだ」
「なんでついさっき分かったの?」
「それは内緒」
「えー!」
満は「教えてー教えてー」と清水に追求するけど、それを清水が華麗にあしらう。やっぱり妹がいるだけあって年下の扱いに慣れているんだろう。
最後には「ほら、いつまでも俺に絡んでると花火終わるぞ」と言って逃げ切っていた。満が離れたあと、清水にこっそり近づく。
「ねえ、清水」
「ん?」
「さっきの話だけどさ。私には、なくなってしまうものが美しいなんて思えないんだ」
ちょっとだけ話したくなった。私の気持ちを。
「私、数年前にお母さんを亡くしてるの」
「!」
「満がまだ2歳ぐらいの時にさ」
そう、お母さんはもうこの世にいない。だからこそ、あの時の続きをずっと聞けなかった。
「お母さんがいなくなってからの私の世界は、なんていうか色褪せてるの。視界に入るもの全てが、色落ちしたみたいな、そんな感じ。言っても分かんないだろうけど」
「分かるよ」
「え?」
「分かる」
清水の顔を軽く窺うと、花火を見ているのかそれよりももっと遠くを見ているのか、判断のつかない目をしていた。
「俺も、大切な人失ったことあるから」
「……そうなんだ」
花火に目を戻す。そして聞きたかったことを尋ねた。
「だったらさ、なくなってしまいそうなものが綺麗とか美しいとか、どうして思えるの? 私には分からないんだ。失ってしまうことほど悲しいことなんて、ないじゃない」
「…………」
返事がなく、もう一度清水を見る。すると、ポカンとした顔で私を見ていた。
「何、その顔。バカにされてるみたいで癪に障るんだけど」
「いや、そうじゃなくて」
清水はポリポリと頭を人差し指でかいて、さも当然のように言う。
「お母さんの生きてた頃が美しかったからこそ、今が色褪せて見えるんじゃないのか?」
「!」
「だから、うん。そういうことだ」
それは考えてみれば当たり前のことで、清水の言葉はすんなりと私の中に入ってくる。
「……そっか。そうだね」
腑に落ちる、というのはこういうことを言うのだろう。劇的な心境の変化がある訳でもなくて、ただ純粋に、納得が行く。
頷く私を見て、清水が微笑む。不覚にもドキリとしてしまった。
だから、こいつはないっての。
やがて最後の花火が上がる。空に今日一番の大輪が咲いて、打ち上げ花火が終わった。