第六十四話 浴衣のレンタル
打ち上げ花火を初めて見たのは小学生の頃だった。
「うわあー!」
暑い真夏の日。その熱気を更に押し上げる人混み。
家族と繋いだ手の温もりはともすれば汗をかきそうだ。それでも離さない。
日の落ちた空。一筋の光が昇っていき、散らばるように爆ぜる。
花が咲く。真っ黒なキャンバスに色が広がる。
赤、青、緑、黄、白、ピンク、オレンジ。
次から次へと夜空を照らしては消えていく。
「すごいね! 綺麗だね!」
「ええ、そうね」
私が笑えばお母さんも微笑む。
「どうしてこんなに綺麗なのかなー?」
「ふふ。不思議なことを考えるのね」
「不思議?」
「ええ。私はそんなこと考えたことなかったもの」
それでも答えようとしてくれたお母さんは、「そうね」と顎に手を当てて考える仕草をする。
「きっと、儚いからね」
「はかない?」
「すぐに消えてなくなってしまいそう、という意味よ」
「それのどこが綺麗なの?」
「綺麗というよりは……美しい、かしら」
「?? お母さんの言ってることは難しくてよく分かんないよ!」
「ふふ。いつかあなたにも分かる時が来るわ」
お母さんはそう言って話を切り上げた。
ねえ、お母さん。
私はまだ分からないよ。
◇
着物レンタルの店に来たのは初めてだった。目を引く着物がズラリと揃えられている。
「いらっしゃいませー。あら、さっきの子じゃない!」
店主さんっぽい中年の女性が伊根町を見て目を輝かせ、ササッと近づいてくる。
「可愛い子だから覚えていたのよー! あれから一時間ぐらいしか経ってないけど、もう着替えてしまうの?」
「ううん、まだ」
そういえば伊根町もここで浴衣に着替えたと言っていた。
「あれ、隣の子はさっきの子とは違うわね。でもこの子もべっぴんさん! 可愛い子を見ると年甲斐もなく興奮しちゃうわ」
「あ、ありがとうございます」
可愛いとかべっぴんとか言われ慣れていないので、つい顔を逸らしてしまう。
「やだー! 反応もキュート!!」
「…………」
ご機嫌な女性だった。
「それでどうしたの? 下駄で歩くのが痛かったかしら?」
「私は大丈夫。用があるのは、彼女」
「あら、こっちの子? もしかしてあなたも浴衣をレンタルしに来てくれたの?」
「えっと、そうです」
「まあ、嬉しいわー! 可愛い子の浴衣姿を一日に何度も見れるなんて、生きてるって素晴らしいわね!」
大袈裟な反応に何と返せば良いか分からないでいると、
「あ」
伊根町が何かを見て小さく声をあげた。その視線の先を追うと、店内に備え付けのアナログ時計がある。
時刻は八時を過ぎていた。
「花火、忘れてた」
「あ」
しまった。私もだ。
満と花火を見に来たのにこれじゃ本末転倒だ。
「どうしよう……カズと見る、つもりだったのに……」
伊根町は目に見えて落ち込んでいる。
「花火ならさっき連絡があったんだけど、八時半まで延期されるらしいわよ」
「え?」
「少し遅れることが分かってて、微妙な時間に始めるのもアレだしどうせならその時間からにしようってなったんだって」
「なら良かった」
伊根町はホッと一息ついているけど、ここから浴衣を選んで、着替えて、花火のよく見える場所まで戻ってとしていると、それでも時間が足りないように思える。
「でも花火を見たいのなら急がなきゃね! 安心なさい。私に任せておけば、着替えなんてマイナス十秒で終わらせてあげるから!」
「すごい」
「いや、時間が逆行してるけど」
感心してないでツッコむべきだ。
「それで、どんな浴衣を着るかは大体決めているの?」
「まだ……というか、あまり自分じゃどういうのが良いのか、分からなくて」
「そういうことなら私に任せて。とびっきり似合うのを選んであげるわ!」
そう言って、バビューンと浴衣を並べている場所に女性が行く。「えっと確か……」とぶつぶつ言いながら、浴衣を物色し始めた。
「あった、これよ!」
早い。すぐに見つけている。
でもその浴衣を見て、私は少し怖気付いた。
「そ、そんなに可愛いの、私に似合うでしょうか?」
「何言ってるのよ! 似合うに決まってるじゃない!」
「で、でも」
「でももだけどもへちまもないわ。めいっぱい可愛くおめかししてる女の子はね、問答無用で世界一可愛いのよ」
「誰だってね」と最後に彼女は付け加えた。
「ささ」
「わっ」
手を引っ張られる。着替え室へと連れて行かれ、その後はなすがままにされる。
彼女の言う通り、着替えは瞬く間に終わった。もちろん時間の逆行こそ無理だったけど熟練の早業だ。
着替え室から出て、待っていた伊根町に尋ねる。
「どうかな?」
「うん。似合ってる」
「ほんと?」
「ほんと」
「……へへ」
珍しく伊根町が少し微笑んでいて、それは本心から言ってくれているのだと直感した。
「さて、一応商売だからね。料金なんだけど……」
「お代は、これ」
「まあ! 主人のくじ屋で当たったのね!」
「主人?」
「ええ。あの人は私の夫なの」
伊根町がレンタル着物券を見せると、女性が驚く。
なるほど。レンタル着物券なんて本当にあるのかと半信半疑だったけれど、そういう関係だったのなら納得が行った。
「もうー、私はそんなの景品にしても喜ぶ人はいないって言ったんだけどね。主人が景品候補がないから入れるんだってうるさくて。有効活用されてて何よりよ」
たしかに当たっても使わない人は多いだろう。レンタル代が約三千円であることを考えれば結構お得な景品だけど、使わなければ意味がない。
「じゃあお代は確かに受け取ったわ。花火を見て祭りを堪能したら、また返しに来てね」
「あの」
「ん?」
「あ、ありがとうございました」
「お礼なんていらないわよー! こっちは商売なんだから当然のことをしただけ」
そうかもしれないけど、お礼を言いたくなった。
「それじゃあ……」
「あ、ちょっと待って! 良いことを教えてあげるわ」
「「?」」
女性は近寄ってきて、私たちに耳打ちするように言う。
「ここのすぐ近くに神社があるんだけど、そこの……」




