第五十九話 瑞々しいのは新鮮だから?
天橋くんと分かれてしまった。
「よろしくねー」
「よ、よよよろしく」
ペア相手のメガネくんに声をかける。彼は、目を泳がせながら挨拶を返してきた。
また一人の男の子を惑わしてしまうなんて……罪な私。
「ドンマイ」
すると、隙を見て清水が励ましの言葉を小声で言ってくる。これは天橋くんと私が離れてしまったことへの励ましだろう。
「うわ、それかなりメガネくんに失礼なんだけど。さいてー」
分かってはいるが、どうせなので悪く言ってみる。
「そういうつもりで言った訳じゃねえよ。立也と一緒になれなかったことを励ましてんだ」
うわ、マジレスだ。つまんな。
と、心の中では思ったけど、まあ最初から清水に気の利いた返しができるとは期待していない。だから私も素直な思いを述べた。
「天橋くんとペアになれなかったことはそりゃ悔しいけど……ま、今回は仕方ないわね」
「? えらく潔いな」
「完全に運だし。引く時はあっさり引くわよ」
「嘘つけ。いつも蛇よりネチネチしつこい……痛い痛いやめて下さい」
下駄で足を軽く踏む。こいつほんと失礼ね。
普通女の子にそういうことを言うだろうか。しかもこんな可愛い女の子に。
言わない、絶対言わない。だけど長々踏むのも可哀想なので、さっと足をどけた。
「やっぱり最近のあんた調子乗ってるわね」
「気をつけます」
「その気が微塵も感じられないんだけど」
なんだか舐められている感じがする。明らかに調子に乗っていた。
会話はそこで終わり、清水はみうの下へと歩いて行く。その後ろ姿を見ながら私は改めて思った。
うん、今回は仕方ない。肝試しの時は私だけいい思いしたし今度はみうの番だ。
あの時は、みうには黙って肝試しの計画を練っていた。結果的に、私は天橋くんと一緒になれて嬉しかったけどみうは清水と離れてしまうことに。
しかも、よりにもよって相手は福知だ。一度フっている相手と二人きりは辛い。
だから今回ばかりは大目に見よう。もしこれで、みうも清水とペアじゃなかったらもっとイライラしていたけど結果オーライだ。
頑張ってね。こっそりとみうにそうWINEを送っておく。
それに対する返信は、ペアごとに分かれたあと届いた。ディスティニーキャラクターが気合を入れたポーズを取っている、みうらしいスタンプだ。
「ど、どどどこから回ろうか舞鶴さん!」
……メガネくんのキョドリ方、面白いな。
彼のあからさまに女慣れしていない様子に少し笑う。案外、彼と二人も楽しめるかもしれない。
「うーん、とりあえずあっちの方に行ってみない?」
「は、はい!」
返事に合わせて、メガネくんの背筋はピンと伸びていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人混みは苦手だ。暑いわ、狭苦しくて自由に動けないわで良いことがない。
しかも今は、片手にブレステ4の入った紙袋を下げているため歩行者に当たらないよう気をつけなければならなかった。おまけにこの祭りによる人混みは、カップルの占める確率もかなり高い。
憎き彼女持ちのリア充男子達。だが今ばかりは、俺も周りから同じように見られているのだと思う。
「お待たせ」
「おう」
キュウリの一本漬けを購入したみうが、道の端で休んでいた俺の下までやって来る。そう、今はみうと二人で行動しているのだ。
ならば何も知らない人は俺達を恋人同士だと思い込むはずだし、事実、先ほど側を通った男子は俺を恨めしそうに見ていた。みうは顔もスタイルもかなりのものなので、そんな女子を彼女にしているとなれば余計恨みを買うのだろう。
「ここで食うか? 歩きながら食うか?」
「……歩きながら」
「分かった」
二人でゆっくりと歩き出す。人が多くて思うように進めない煩わしさを、今ばかりは不思議と感じなかった。
「……」
俺とみうとの間に会話はなく、ただ前を見ながら足を動かす。するとすぐ側で、みうがキュウリを齧る良い音が鳴った。
カリッ。
「……」
チラリ。
美味しそうなその音につられて、ついみうの方を見てしまう。しゃりしゃりと咀嚼するみうの手元には、一口分食べられてしまったキュウリがあった。
そこに追い打ちをかけるようにみうがもう一口。またしても歯ごたえの良さそうな音が鳴る。
カリッ。
「……」
美味しそうなその光景から、俺は目を離せないでいた。するとみうは俺の視線に気づいたらしく、軽く目と目が合う。
パチリ。
「!」
さっと目を逸らした。人との関わりを避けてきた俺にとって、他人と目を合わせるのは苦手なのだ。
「うまそうだな、それ」
「うん。美味しい」
会話を一つ。そのまましばらく互いに無言でいた。
目が合ってしまったことをなんとなく気まずく思う。そんな感じで俺が悶々としている間、みうはキュウリに口もつけず何かを考えていた。
やがて彼女はもう一度こちらを見る。そして……
「カズ」
「ん?」
その食べかけのキュウリを、そっと俺の方へと向けてきた。
「た……食べる?」
「!!」
心臓がドクンと跳ね上がる。思わず、差し出されたキュウリをマジマジと見つめた。
齧られた断面は黄緑色で、やはり水分が豊富らしく瑞々しい。しかし俺にとって、そんなことは今はどうでも良かった。
頭を埋め尽くすのは、これを齧ったのはみうだというその事実のみ。さっき彼女がキュウリを食べたその瞬間が、頭の中でリピート再生される。
そして、海でみうと二人になった時と同じ感覚を俺は覚えた。あの、周りの音が全部遠ざかって行くような不思議な感覚だ。
人々の騒ぐ声も、祭囃子の音色も何一つ俺の耳には入らない。自分の心音の方が遥かにうるさかった。
ドクン、ドクン。
「い、いいのか?」
どう返事すればいいかわからず、とりあえずみうに聞き返す。彼女は小さく頷いた。
冗談でも何でもなく、本当に食べてもいいらしい。もう一度俺は、差し出されたキュウリを見つめた。
ドクン、ドクン、ドクン……よし。
覚悟を決める。そしてゆっくりと口を近づけていき……
カリッ。
少しだけ、齧った。体が火照っているからか、キュウリの瑞々しさがやけに美味しく感じられる。
「……ありがとな。うまい」
「……うん」
お礼は、明後日の方向を向いて言った。やはり俺にはまだ、女子と目を合わせて喋るのは早い。
どうしてかは分からないが、特にみうと目を合わせるのは当分無理そうだった。表情の変化が少なく、何を考えているか分かりにくいからだろうか。
それとも……
その時だった。謎の少年に話しかけられたのは。
「あれ、もしかして一昨日会ったお兄ちゃん!?」
「?」
一体誰なのかと声のした方を向く。するとそこには、微かに見覚えのある少年が立っていた。
えっと、確か……
「満くん?」
「うん、そうだよ!」
思い出した。この子は北野の弟の満くんだ。
元気いっぱいの小学生。北野にお菓子を買ってもらえずに悲鳴をあげていた、悲しき男の子だ。
しかしどうしてか、北野も含め彼の保護者らしき人がまるで周りに見当たらない。
「ん? なあ、満くん。もしかして今日この祭りには一人で来たのか?」
「ううん、そら姉ちゃんと来たんだよ!」
なるほど、北野と来たのか。
「そうか。じゃあ今そのお姉ちゃんはどこに……」
「それが分からないんだ」
「え?」
満くんは、呆れたような表情を浮かべた。
「そら姉ちゃん、この人混みの中で迷子になっちゃったんだよ! もう、高校生にもなって困ったもんだよねー」
「……」
やれやれと首を振る満くん。そんな彼を見て、俺はまず思った。
果たして迷子になったのは、どっちなんだろうかと。