第四十四話 海に来ました
ジージージージー。
蝉の声が、開けた窓から入って来る。
……ぱちり。
その騒がしさに俺は目を覚ました。ぼーっとしたままに体を起こす。
「…………」
まだ他の男子勢は皆寝ていた。首を回し、壁にかけられた時計を確認すると七時半だ。
旅館で朝食を出してもらえるのは八時までだったはず。ギリギリだなと、寝ぼけた頭はどこか他人事で物事を考えていた。
がばっと布団から脱すると同時、昨夜のことが思い返される。京子先生の話だ。
彼女の悲話は夜遅くまで続いた。この時間になっても誰も起きていないのは、そのことが原因だろう。
普段起こされる側の俺が、一番早くに起きたのは夜更かしに耐性があるからか。
「おきろーあさだぞー」
とりあえず寝相よく寝ている男子三人を起こす。彼らはその声に反応し、もぞもぞと動き始めた。
「もうちょっと寝させてぇ」
モブ田が何かを言っているが無視だ。問答無用で布団を剥ぎ取る。
「いやん」
モブ田は目を閉じたまま、自分の体を隠すように抱きしめた。……これからはキモブ田と呼ぼうか。
冗談はさておき、モブ田同様布団から出る気のない大和の掛け布団も引っぺがした。立也はというと既に布団を畳み始めている。
寝起きの良さが羨ましい。
俺も布団を畳み始めようかと考えた時、ふと別のことに気がつく。この時間になっても俺達が寝ていたということは女子が誰も起こしに来ていないということ。
それはつまり、女子もまだ寝ているということに他ならなかった。
「女子起こしてくるわ」
「分かった。なら俺はこの二人をどうにかして起こす」
立也と役割分担し部屋を出る。部屋を出て左に真っ直ぐ進み、突き当りを右に曲がれば女子の部屋だ。
ドアの前に立ち、コンコンとノックをする。
「おーい。起きてるかー」
聞こえているか分からないが、大きめの声で呼びかける。反応がなくもう一度大きな声を出してみようかと息を吸った時、少しだけ中から物音が聞こえて来た。
そのまま十秒ほどでガチャリとドアが開く。
「おはよう」
「……あんたじゃなくて、天橋くんだったら良かったのに」
顔を出したのはピンクのパジャマを着た舞鶴だった。寝起きからか、不機嫌そうに俺を見て来る。
だがいつもと違い髪が整っておらず、ぴょんと跳ねている毛が何本かあった。
「寝癖ついてるぞ」
「……! うるさい」
一瞬で顔を赤く染め、小さな声で罵って来る。そのままバタンとドアを閉められた。
起こしに来たというのに、この扱いはどういうことだろう。理不尽を感じながらも最後に一言ドア越しに告げておく。
「朝食、遅れるなよ」
「分かってる」
くぐもった声が、耳に届いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
旅行二日目。天気予報通り雨が降ることは無く、清々しいほどの晴れ模様。
着替えと遊び道具を持ち、旅館から数分歩くと目的の場所が見えて来た。大和と京子先生が、テンション高めにダッと走り出す。
「「海だああああ」」
いつもははしゃぐ彼らに心の中でツッコむ俺だが、今回に限っては気持ちが分かる。俺も最後に来たのは数年前で、久しぶりの海にワクワクしている。
もちろん楽しみな理由はそれだけじゃない。何せ今日は……
ちらりと左を見た。日焼け対策にパーカーを羽織っている舞鶴とみうが、二人並んで歩いている。
二人の髪型はいつもとは違った。おそろいにしたらしく、二人共ポニーテールになっている。
すぐに視線を前に戻そうとしたのだが、バチッと舞鶴と目が合ってしまった。舞鶴はみうとの会話を中断すると俺の方へ近寄って来る。
「あんたが何考えてるか丸分かり」
「べ、べべ別にいやらしいこととか考えてねえし」
舞鶴に小声で話しかけられ動揺し、思わず口を滑らしてしまった。彼女の目がいつも以上に冷たい。
視線を逸らし、ごほんごほんと咳をする。変わらず冷たい目の舞鶴へと向き直り、何とか水に流そうと話題を逸らした。
「あのヘアゴムつけて来たんだな」
「悪い?」
「いや、似合ってると思うぞ」
舞鶴がポニーテールを結ぶのに使っているヘアゴムは、久美に裁縫を教えている時に一緒に作ったヘアゴムだった。実用されている所を見たのは初めてだが、なかなか様になっている。
「言って欲しい相手は、あんたじゃないんだけど」
「……そうだな」
相変わらず辛辣である。
「でも、ま、立也ならすぐに褒めてくれるんじゃないか」
「……お察しの通り、会った瞬間に褒めてもらったわよ」
と、舞鶴は言うが、その内容に反して彼女の表情は暗い。どうしてだろうか。
「だったら何でそんなに不機嫌そうなんだ?」
「天橋くんって誰にでもそういうこと言うし、今回もそうなんだろうなって」
珍しく卑屈になっている。
「いつになくネガティブだな」
「だって、天橋くんが私に興味持ってくれてる感じ全然無いし」
「それはまあ……そうだな」
「何でそういうとこだけ正直なのよ」
すいません睨まないでください。
「……しかもせっかくの旅行なのに、よりにもよって海だし」
「……ん?」
小さく呟かれた舞鶴の言葉を、この耳が聞き取ってしまう。舞鶴を見ると、彼女は自分の胸を疎ましそうに眺めていた。
これは……。
「…………」
何となく、だが。今日の舞鶴が、かなり卑屈になっている理由が分かった気がした。
そうこうしている内に、海に辿り着く。
「……ま、あんまり落ち込んでても仕方ねえよ。立也は明るい奴の方が好きだぞ」
「ほんと?」
「ああ」
立也が愛を好きになったことを考えると、そこはまず間違いない。
「それに」
少し離れた所で、京子先生と大和が着替え場を指差して何かを俺達へと言っている。
「この旅行中に、名前の呼び方変えるんだろ? だったら積極的になんねえと」
「……分かってるわよ馬鹿」
ざばぁんと、波が浜辺に押し寄せる音が大きく俺達の元まで届いた。