クリスマス記念特別編※本編に関係あり
クリスマス特別編です。
タイトルにも書いてある通り、かなり本編に関わって来るので読んで頂けたらと思います。
冬の夜は寒い、どころか冷たい。特に今日のような日は。
俺にとってはそんな厄日でも、きっと道を歩く彼らにはそう感じないのだろう。寧ろ身も心も温まっている筈だ。
吐いた息は白く、気温の低さを物語っている。両手は、手袋を装着しているにも関わらずコートのポケットの中に突っ込まれていた。
「寒すぎだろ……」
一人ぼやく。
こんな日に俺が引きこもっていない理由はただ一つ。美弥にクリスマスプレゼントを買うためである。
中学三年生の彼女にとってこの時期は受験シーズン真っ只中。苦闘している愛しい妹のためにお兄ちゃんが奮発しようという算段だ。
「おにいちゃんと一緒の高校に行く!」と意気込む美弥の姿には思わず感動してしまった。今回のクリスマスプレゼントはサプライズ、当然彼女には内緒にしている。
周囲を闊歩するカップルとの温度差に悩まされながら漸く目的地へと辿り着いた。駅前のそこそこ大きい百貨店である。
同じく美弥へのプレゼントを買ってあげたいという立也と待ち合わせをしていたのだが、あいつはまだ来ていないらしい。
スマホを取り出し時間を確認するとやはり集合時間は過ぎていた。家を出る瞬間を美弥に見つかってしまい、何のために外出するのかバレないよう、必死で言い訳をしていたら遅れてしまったのだ。
「珍しいな」
立也が遅刻することは滅多にない。あいつは五分前行動は厳守、いや、十分前には基本的に集合場所にいるような男である。
にも関わらず、遅刻してきた俺より遅いということは大遅刻だ。何かあったのかと考えながら、スマホをポケットに戻そうとした所でピロンと音が鳴り、スマホの画面にメッセージが表示された。
メッセージを読む。そこには「あと五分ぐらいで着く」と簡潔に記されていた。
何故珍しく遅刻したのかは後で会った時に聞けばいいだろう。そう思い、「了解」とだけ返事しておく。
改めてスマホをポケットに仕舞い、とりあえずこの寒さから逃れようと百貨店の中に入った。外の冷気とは一転、暖房に温められた空気が俺の身体を優しく包んでくれる。
立也が到着する頃にまた外に出ればいいだろうと、少しの間この心地よさに浸ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
寒い。握りしめられた手は、温かいはずなのにどこか冷たく感じる。
「綺麗だね。でも安心して。僕の瞳には、この世界に存在するどれだけ美しく輝く装飾よりも、今隣を歩く君の横顔の方が幾倍も輝いて映るから……!」
「うん」
彼氏がイルミネーションを見て何か言ってるがテキトーに相槌を打っておいた。こいつは毎度毎度言動が臭い。
潮時かな、と思う。
二学期に行われた体育祭の後、こいつに告白されて試しに付き合ってみたけど面倒なだけだった。
初めは好きじゃなくても、付き合ってみると何か変わるというようなことを聞いたことがある。それを参考に恋人を続けていたが結局得られるものは無かった。
これ以上は付き合っていても意味がない。今日のクリスマスデートを最後にして、こいつとは別れることにしよう。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと彼氏が足を止めた。
「こっちに来て」
「え」
大通りを少し逸れ、イルミネーションの少ない方へと曲がる。メルヘンなこいつがイルミネーションから遠ざかって行くなんて珍しい。
「どこ行くの?」
「後のお楽しみ」
「…………」
こういう所がうざい。偶になら良いのだが、こいつはいつも勿体ぶってくる。
溜息を堪え、手を引かれるままについていく。どうせ今日で別れる、最後の辛抱だと我慢することにした。
暫く歩き、徐々に周囲の喧騒が遠ざかって行く。どこに行くのかと辟易した時に彼氏が足を止めた。
「ここだよ」
到着したらしい。こいつのことだし、また派手な所にでも連れて行くのかと考えていたけどそうではないみたいだ。
光物は少なく、周囲に存在する目立ったものはたった一つ。それは頭上に掲げられているピンク色に光る看板だった……うん?
「ここって……」
「そう、僕達の愛の巣だよ!」
「は?」
看板の文字は光り過ぎていて逆に読み辛く、何と書いてあるのかは分からない。だけど建物の形からここがどんな場所かは分かる。
ラブホだ。
「僕達は今夜、ここで愛を確かめ合うんだ。まだ僕達、恋人同士なのに知らない秘密がいっぱいあるだろ? だからお互いのことをもっと知ろうと思ってね」
いきなりこの男は何を言い出すんだ。
「さ、入ろう」
「ちょっと待って! 何ていうか、その……そう、まだ心の準備が出来てないから、ここに来るのはまた今度にして……」
「心の準備なんてすぐに出来るさ。良いかい? ゆっくりと準備が出来る暇なんて、人生の大事な場面ではそうないんだ。時間はいつも、待ってはくれないよ」
あんたは時間じゃなくて人間でしょ。
そう思ったがツッコむことは出来なかった。彼氏の目が、いやらしく私を見ていたからだ。
「!」
過去の記憶が蘇る。怖くなり、言いたいことは多いのに何も言葉が出てこなかった。
「んっ」
手を振りほどこうとしても、ギュウっと握りしめられた彼の手が離れることは無い。それどころか握りしめられる力が一層強くなった。
痛い!
グイグイとホテルの中へと引っ張られて行く。
「み、未成年が、こういう所に、入るのは……違法……」
何とかそれだけを口にする。
「大丈夫さ。ラブホテルは殆ど年齢確認されることが無いからね。それに僕の友人の親が経営していて顔見知りなんだ。万が一にも問題が起きることはないから安心してよ」
「い、いや」
精一杯の抵抗を見せるけど状況は何も変わらなかった。助けを呼ぼうにもこんな所に人はいないだろう。
「私、あんたとは、今日、別れようとしてたの! だから無理! 嫌! 離して変態!」
「別れようとしていた……? 僕と?」
私は目を瞑り必死に拒んでいたために彼のおかしな様子に気づかない。
「そう! だから止めて! メンヘラ! キザ野郎! 自慢しい! クソキモセンスナシダサ男!」
パンッ。
……え?
何が起きたのか一瞬理解できなかった。訳も分からないまま頬に手を当てる。
平手で叩かれた痛みが、ジンジンと響いて来た。
「僕は君を愛している。そして君は僕の愛の告白を受け入れた。なら僕と君は相思相愛、結ばれる運命だ。違う?」
彼の目は黒く染まっていた。その異常な様子に私の体は恐怖で支配された。
抗う気力さえ失う。
「もう一度言うよ。さ、入ろう」
今度はもう拒まなかった。ただ引かれるがままについていく。
その時だった。
「流石にこの状況を止めない訳にはいかないな……」
その声が聞こえたのは。
「えっと、そこの男子。その子の手、放してあげてくれる?」
思わず顔を上げ、ばっと振り向く。そこに立っていたのは。
「天橋……くん?」
「あれ、俺のこと知ってるのか?」
学校一のイケメン、天橋立也くんだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カズとの集合場所に、いつもと同じように早めに着くよう家を出た。その途中でラブホテルに入っていくらしいカップルに遭遇する。
どうやら揉めてるらしい。この道を通っていくのが近いんだが、傍を通り過ぎるのは何となく気まずい。
とは言え、他人のゴタゴタだから俺には関係ないことだ。そう思い、止めていた足を再び動かし始めた時だった。
パンッ。
目撃してしまう。今の音は女の子が男に頬を叩かれた音だ。
女の子は抵抗するのを止め、ただ俯く。少しして、カップルはホテルの中に入ろうと動き出した。
「流石にこの状況を止めない訳にはいかないな……」
少し大きめの声でぼやく。狙い通り彼らに聞こえたらしく二人は足を止めた。
「えっと、そこの男。その子の手、放してあげてくれる?」
二人がこちらを振り向く。男は冷たい目で、女の子は助けを求めるような目で見て来た。
「天橋……くん?」
「あれ、俺のこと知ってるのか?」
それは意外だ。顔をよく見ても女の子が誰なのか分からない。
自分だけ知らないのが申し訳ない気持ちになり、もう一人の男へと目を逸らす。その男の名前は知っていた。
「宮古か」
「天橋」
宮古京。それがこいつの名前だ。
同じ学校に通っていて、クラスは違うが体育の授業で同じになることが多い。それで知っていた。
ん? ということはこの女の子も同じ学校なんだろうか。
「天橋、お前に口を出されることじゃない。これは僕と彼女の問題だ」
「そう言われてもな……」
女の子が怯えて縮こまっている。そもそも未成年がラブホテルは禁止だ。
とりあえず彼らとの距離を詰める。
「どう見ても彼女、嫌がってるだろ。無理矢理そういうことするのは犯罪だぞ」
「嫌がってる? そんなことはないはずだ。なあ?」
宮古は怯える女の子の方を見た。彼女は宮古の目を見るとびくりと体を震わせ俯き沈黙する。
「どっちかハッキリしろ!!」
「ひっ」
その様を不快に思ったらしい宮古が大声を張り上げ女の子を威圧する。彼の叫びに女の子は微かな悲鳴を漏らした。
もうこれ恐喝だよな?
「い、嫌じゃない……です」
女の子敬語になってしまってるし。
「そういう訳だ。今から行われる僕と彼女の愛の儀式を邪魔しないでくれるか。僕はただ彼女と繋がりたいだけなんだ」
宮古はこちらを無機質で感情の窺えない目で見てくる。確かにこの目は怖いな。
再び宮古が女の子の手を引っ張りラブホテルに入ろうとして行く。完全に女の子はされるがままだ。
もう少し抵抗しろと思わなくもない。彼女に抵抗する意思が無いのならもう助ける必要はないかと思った時だ。
彼女が涙目でちらりとこちらを見て来た。
「…………」
無性に腹が立つ。
嫌がる女の子を無理矢理犯そうとする宮古にも。ただ助けられるのを待つこの女の子にも。
そして、どうしても助けようとしてしまう自分がいることにも。
ガシッ。
「……まだ何か用があるのか?」
女の子の手を引く宮古の右手首を掴む。宮古の問いには答えず、握る力を強くした。
ギリギリ。
「っつ」
宮古が痛みに耐えかね女の子の手を離す。
それでもなお怒りが収まらない。何かを言おうと宮古が口を開くが更に握る手に力を込める。
それだけで宮古は開きかけた口を閉じた。有無を言わさないままに、さっと宮古の耳元に口を近づける。
女の子には聞こえないよう小声で囁いた。
「あまり手間かけさせるな。俺はこういうゴタゴタ嫌いなんだ」
おそらくその声は、冬の寒さを感じさせなくなるほどに冷たかっただろう。宮古は凍えて固まったかのように俺に反抗するのを止めた。
「そういう訳だ。今からお前が行おうとしていたその愛の儀式とやら、邪魔させて貰っていいか?」
「あ、ああ」
宮古は放心したように返事だけすると、トボトボと力を失ったように一人歩き始めた。彼が曲がり角を曲がり、姿が見えなくなった所で肩の力を抜いた。
深呼吸をする。胸の中でざわざわ蠢いている怒りをゆっくりと静めて行った。
息を吐くたびに、自分の奥底から浮かび上がって来た醜い感情が外へと抜け出ていく。全てを出し尽くした所で最後にもう一息、ほっとついた。
くるりと女の子の方を向く。彼女は安心したような表情でこちらを見ていた。
どうやら俺の醜い部分は見られていなかったらしい。優しく微笑みかける。
「大丈夫だった……訳ないか。でももう安心していいかな」
「あ、ありがとうございます」
女の子はぱあっと顔を輝かせお礼を言ってきた。イルミネーションにも引けを取らない輝きだな。
さて、この後どうするか。
俺としては集合場所へと向かいたい所だが、彼女をこのまま放置しておくのも気が引ける。
どうすべきか頭を悩ませ始めた瞬間、彼女がお礼と同時に下げた頭を勢いよく上げた。
「あ、あの! あんなことがあった後で、その、まだ少し怖いから、私の家まで、送って行ってもらえると……嬉しいんだけど……」
もじもじとそう言ってくる。集合時間は過ぎてしまうだろうが、そのぐらいならいいかと了承することにした。
「分かった。どうせならイルミネーションでも見ながらゆっくり行く? クリスマスの夜に、恋人同士じゃないのにそういうことするのは何だか慰め合ってるみたいで悲しいけど」
冗談交じりに女の子にそう言う。彼女はくすりと笑うと「うん」と頷いて来た。
十五分程歩いた所で彼女の住むマンションに着く。雑談混じりに結構スローペースで歩いていたのだがかなり家が近かったみたいだ。
これならあまり集合に遅れることもないだろう。
「今日はありがとう。天橋くん」
マンションの入り口まで行った所で女の子がもう一度お礼を言ってきた。先程話している時に知ったが、やはり俺と彼女は同じ学校らしくそれで俺の名前を知っていたようだ。
彼女の名前も教えてもらった。舞鶴彩というらしい。
「どういたしまして。それじゃあね」
「うん。じゃあ、バイバイ」
「バイバイ」
別れの挨拶を済ませる。自動ドアが開き、舞鶴がマンションの中に入っていった。
その姿を見届けると来た道を引き返す。スマホを取り出し時間を確認すると集合時間は既に過ぎていた。
しかしこの場所からならあまり時間はかからないだろう。カズに一言だけメッセージを送っておく。
――あと五分ぐらいで着く
話し相手がいなくなり一人になったためだろうか。紛らわせるものがなくなり、冬の夜の寒さが急に体を襲ってきた。
「寒すぎるな……」
思い出す。宮古や、舞鶴や、自分に対して怒りが抑えられなくなったさっきのことを。
愛がいなくなってから五年以上経つというのに、ちっとも俺は成長していないらしかった。自分で自分を嗤う。
どうやら俺はどうしようもない人間らしい。
いけないと分かっているのに、未だに愛への思いが忘れられない。ずっと彼女のことを思い続けている。
溜息かどうかさえ分からない息を吐く。その白い息は煙の様で、醜いものを覆い隠すように濁っていた。
「さ、急ぐか」
気持ちを切り替える。これから美弥ちゃんの誕生日プレゼントを買いにいくんだ。
暗い気持ちのまま百貨店に行っても、何となく良い物を選べる気がしない。
道を曲がると先程舞鶴と見たイルミネーションの群れがその姿を現した。明るく照らされた道へと足を踏み出す。
俺とカズが少し過去を克服するのは、この五ヶ月後の話だ。