第三十九話 伏見家のおばあちゃん④
「行ってしまうのですか?」
「はい。伝達が来ましたので」
国のために死ぬことは素晴らしいことだと、誰が言い出したのだろう。
「お国の命令は絶対です」
「そんなこと、存じ上げております……でも私は」
「あの花畑をまた見に行くと約束しました。大丈夫です。必ずまた戻って来ます」
彼は私を安心させようと微笑む。その悲しい笑顔で、私の心が休まる訳が無かった。
未だ不安そうな私を見て、彼は言葉を続ける。
「妻と交わした約束を破る父の姿を、そのお腹の中にいる子供にどうして見せられましょうか」
「……あなたが約束を破れば、この子にはその姿を見ることも叶いません」
「その通りですね。一本取られてしまいました」
いくら引き止めようとしても無理なことは分かっている。だから私は、最後には彼を見送ることしか出来なかったのだ。
「お気をつけて」
「静香さんも、体を大切にしてください」
私に背を向け、帽子を深く被り直し去って行く彼の背中は、これまで見て来たどんな姿よりも頼もしく、儚かった。
その後、私の元に届いたものは悲しい知らせが一通のみだ。その文も涙で濡れて破れてしまった。
あれから一度だけ、あの場所へ一人で行ったことがある。花は枯れ果ててしまっており、彼との思い出を振り返ることさえ出来ずに帰ることになったが。
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そして今、目の前には。
「これは……」
あの時よりも規模が小さい、しかし同じぐらい暖かく綺麗な花が咲き誇っていた。隣では可愛い孫二人が悪戯に成功したというように笑っている。
何も言うことが出来ず、ただその光景を眺めていた。視界の端には、少し土に汚れた孫の友達たちが居る。
しばらくして、やっとの思いで出て来た言葉は。
「……嬉しいねぇ」
ただそれだけだった。しまいには視界がぼやけ始め、まともにこの美しい光景を見ることさえも出来なくなる。
じんわりと視界が滲む。それにつれ、じんわりと心が暖かくなっていく。
私の中に溜まっていた何かが、今日ようやく流れて行ったようなそんな気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一体どうやってあの何も無かった庭に、少しの時間で花畑を作ったのか。そんなに難しいことはしていない。
まず、種ではなく花そのものを大量に購入しお隣さんに預けておく。庭の土は僕と久美が花を植えやすいよう軽く耕して柔らかくしておいた。
「まったく、本当に、本当に呆れた子達だ」
「おばあちゃんの孫だからねー」
そして今日「お悩み解決部」の皆に、隣の家に預けておいた花をこの家の庭に植えていってもらう。裏口を開放しておき、そこから彼らには運びこんでもらった。
おばあちゃんには気づかれないよう、僕と久美がおばあちゃんと会話し気を引いていた。今回の作戦で一番辛かったのは花代を貯めることだ。
「あんたの私へのサプライズが、あんなに金のかからないものだったことも頷けるよ」
「こっちにお金使ったからさ。ほんと、大変だったんだから」
「兄貴、ずっとバイトか鉄棒だったもんね」
何とか間に合って良かった。高校生でも出来るバイトが中々見つからずに苦労したけど、これで全て達成だ。
「あんたたちも、私のためにありがとう。こんなに嬉しい誕生日は久しぶりさね」
「喜んでもらえてマジ何よりっす!」
福知くんの言う通りだ。失敗したらどうなることかとずっと冷や冷やしていた。
「よし、そろそろ銭湯に行こうぜ。あんまり遅くなると晩飯遅れるし」
「クスッ……そうだね。そうしよっか」
珍しく清水くんがソワソワしている。どうやら彼はかなり銭湯が好きらしい。
思わず笑ってしまった。
「じゃあおばあちゃん、ちょっと行ってくる」
「ああ、気を付けて……って年でもないね、あんたたちは」
「うん、むしろ気を付けるべきなのはおばあちゃんの方だと思うなー」
「ふっ……この子はいつからこんなに生意気な口をきくようになったんだろうねえ」
「いつからだろねー」
「久美、さっさと行くよ」
「はーい」
久美を呼び、玄関に行って靴を履く。今日は楽しかったけど、その分色々と疲れが溜まった。
ゆっくり湯船に浸かって体を休めよう。そう思い、正面ドアをガチャッと開け外に出る。
「あれ、兄貴、着替えとタオルは?」
「…………」
僕は無言で風呂の用意を取りに家の中に戻って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サプライズパーティの翌日、八月十六日の日曜日。実家から返って来た立也と俺は、少し自宅から離れた所にある小さな墓地へやって来た。
十五日は過ぎてしまったがまだギリギリお盆である。セーフだと信じたい。
「へえ、上手くいったのか。良かったじゃないか」
「ああ、安心した」
サプライズパーティの話を交わしながら墓地の中を進む。程なくして、一つの墓の前に立った。
ざあっと風が吹き、木々の揺れる音が騒がしく鳴る。
「……ここに来ると、あいつの元気な顔思い出す」
「俺もだよ」
立也はこくりと頷いた。墓には淀牧愛と記されている。
そう、ここは愛の眠る墓だ。大事な、俺と立也のかけがえのない親友。
そっと手に持っていた花を墓に添えた。昨日のパーティの時に植えた派手な赤とは違う、落ち着いた色の花だ。
両の手を合わす。目を閉じ、ただじっと黙祷を捧げた。
短い時間にも関わらず、その間はかなり長く感じられた。少しして、合わせた両手をすっと離し目を開き墓を見る。
膝を折り曲げしゃがみ、目線を低くし話しかけた。
「愛、久しぶり。……えっと、去年来た時と違って、高二になってから色々あってさ、何から話したらいいか分かんねえや」
愛の墓の前に来ると、昔の小さかった頃の口調に戻ってしまう。
「とりあえず、やっぱ観覧車、景色綺麗だった。俺も立也も乗ることが出来たんだ。ゴンドラの中が狭くてびっくりした。で、それから部活初めてさ。新しく作ったんだ。『お悩み解決部』っていって、ネーミングセンスはあれだけど、部員も何とか集まってさ」
話したいことが多過ぎて、話に脈絡がまるで無かった。ここまで下手な説明はあまり無いと思う。
「部活の内容は名前の通りで、恋愛相談とかもした。結局それは玉砕したけど、お礼もしてもらえて、嬉しかった。昔、愛が言ってたことが分かったわ。昨日は友達のおばあちゃんのサプライズパーティとかしてて、そっちは上手く行った。そうそう、サプライズパーティの後、その友達、メガネくんっていうんだけど、メガネくんとかと銭湯に行ってさ、風呂入ってる時に、僕も君たちの部活に入りたいって言ってもらえたんだ。なんか、それも認められたみたいで嬉しかった。で、えっと」
「カズ、落ち着け。言ってる意味がよく分からない」
「あ、ああ。だな。少し落ち着く」
すーはー。
立也に諭され一旦深呼吸をする。自分でも半分何を言ってるのか分からなかった。
深呼吸を終え、落ち着いたところで僅かな時間思考に耽る。そして、一番言いたかったことを口にした。
「愛、俺もお前に、少しは近づけたかな」
「!!」
その問いに、言葉を返すものは誰もいない。言葉はただ風に流されて消えていくだけだった。
俺は昔から愛に憧れていた。困った人間に手を差し伸べ、救っていくヒーローみたいな生き方に。
いつか彼女のようになりたいと、そう願ったものだ。彼女が他界してしばらくは、何故よりにもよって彼女が死んだのか、俺が代わりに死んだ方がマシだとそんなことを考えたこともあった。
いや、本音を言えば今でもそう思っている。ただそんなことを考えても仕方がないと割り切っているだけで。
「これからも、お前みたいに他人の為に頑張っていこうと思う。さて、と。俺の話は終わり。次は立也の番だ」
「……いや、俺はいい」
「! ……まあお前がそれでいいんなら無理強いしねえけど」
珍しい。毎年、俺よりも長く話しているにも関わらず今回のこれはどういうことだろうか。
久しぶりに、立也の考えで分からないことが出てきてしまった。だが分からないことは分からないと切り捨てる。
そして、今日一番立也に聞いておきたかったことを尋ねた。
「なあ、立也」
「うん?」
「お前まだ愛のこと好きなのか?」
「!」
立也は驚いたように目を見開く。だがすぐに落ち着いた雰囲気を取り戻した。
「好きだよ」
「そうか」
返って来たのは予想通りの返答だった。やっぱり立也の気持ちは、今でも変わっていないらしい。
「じゃ、帰るか」
もう今日の用事は終わりだ。
「ああ。今日の昼飯、何にする?」
「きらい屋でも寄らね?」
「牛丼か。確かにしばらく食べてないな……」
「俺も食ってねえから、久しぶりに」
「じゃあ、そうしようか」
のんびりと歩きながら、俺と立也はきらい屋へと向かった。