第三十四話 何こいつ
何こいつ。
「あれ? カズくん、何かおかしくなっちゃった」
伏見久美とかいう女が、清水との距離をぐっと詰めた。編み物の失敗したらしき部分を見せに行く。
「……えーと、その前に少し離れてくれ。近い」
「あーごめんごめん」
そしてその後、清水の隙を見つけてはみうに向かってからかうような目を向ける。煽るように。
何こいつ。
とりあえず清水。今だけは褒めてあげる。
よく伏見久美の誘惑に耐えた。
「あー、ここでミスってたんだ。おんなじことの繰り返しだから分かんなくなっちゃうんだよねー」
「仕方ないな。慣れるしかない」
伏見久美は確信犯だ。彼女にその気があるのかは知らないが、少なくとも清水にアプローチを仕掛けてることは間違いない。
みうを挑発する為に。
清水に直してもらうと彼女はまた元の場所に座り直す。
「……カズ、私も間違えた」
そしてみうが、久美のアプローチに慌てたように清水に近寄った。それまで順調だったにも関わらず、いきなりこのタイミングで間違えるなんておかしい。
額には汗をかいていた。
分かり易すぎるよ……みう。そんなんだから伏見久美にからかわれるんだ。
清水が、まだ作り始めたばかりのマフラーをみうから受け取る。間違いを確認をした後、不思議そうにみうに質問を投げかけた。
「……なあ、この程度の間違いなら自分で修正出来るんじ「無理」アッハイ」
どうして清水はそういうことを言ってしまうのか。ほんと気が利かない。
清水はみうの剣幕にたじろぐと、おそらく意図的にみうが絡ませた部分を解いていた。
……それにしても。
今のみうと清水の距離は、さっき清水が伏見久美に「近い」と拒否を示した距離と同じぐらいな気がする。どうして清水は何も言わないんだろう。
「まさか、ね」
もしそうだったなら喜ぶべきなんだろうけど、何となく納得いかない。
「まさかじゃないかもねー」
「!」
その声に慌てて振り向くと伏見久美がすぐ近くまで近寄ってきていた。私の呟きを聞いたみたいだ。
「何の話?」
「とぼけなくてもいいよ。私、どっちかというとあなた達の味方だし」
「は?」
伏見久美の的を得ない言葉に、思わず素で返してしまう。意図を聞きたかったけど、みうのミスの訂正が終わったのでそれは叶わなかった。
この辺りの話はみうには聞かれない方が良いと思う。ふと、みうと清水の顔を見ると二人共赤くなっていた。
……確かにまさかじゃないかもしれない。
何だか初々しいカップルみたいで少し羨ましく感じたのは内緒だ。私も天橋くんと早くそんな関係になりたい。
うーん。上手くいかない。
私は料理だったり裁縫だったりそういうのが苦手だ。それでも天橋くんに何かプレゼントをしたいと思い、鉄棒組ではなく裁縫組に来た。
結局作っているのは天橋くんに上げるものどころか、男子用ですらない自分が使う為のヘアゴム。何をしてるんだろう。
「苦戦してるな」
「うん」
清水が私の作業が進んでいないことに気づく。こいつは私達が手編みしている間、ずっと漫画を読んでいた。
初めのやり方だけ教えて後は任せるという方針らしい。さっきみたいに間違えた時や、今みたいに私たちが戸惑っている時だけヘルプに来る。
「そこは……っと」
ササッ。
「こんな感じに指を使って……」
ササッ。
「こうだ。分かったか?」
「何となく。やってみる」
こいつはやっぱり器用だ。そのぐらいしか取り柄が無いけど。
「こう?」
「ああ」
「あり……また私が困ったら助けてね」
「……おう」
危うく流れで礼を言ってしまう所だった。これも何となくだけど、清水には礼を言いたくない。
どうしてだろう。
…………。
多分キモいからだ。それ以外に考えられない……うん。
清水は私への指導を終えるとすぐにまた漫画を読み始めた。部室にも持ち込んでたことを考えるとほんとに好きらしい。
流石オタク。私も漫画を読むけどこいつほどじゃない。
読むとしても少女漫画と、後はDOUBLE PIECEぐらいだ。
DOUBLE PIECE
海賊王を目指す主人公が、至る所でアヘ顔ダブルピースを晒すという狂気に包まれた漫画だ。
王道展開と、その頭の悪い要素が噛み合って良いギャップになりついつい読んでしまう。こんなものが日本で一番人気なのだから日本にもいよいよ終わりが近づいて来たのかもしれない。
時刻は三時半。しかし昼の時間が伸びてきたので、窓からはまだ光が差し込んでいた。
暖かい光に包まれながら、のんびりとした時間を過ごす。エアコンの温度がちょうど良く、快適な空間で黙々とヘアゴム作成に取り組んだ。
「カズくーん、またミスっちゃった」
いきなり不快に変わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「食卓が賑やかだー!」
「みんな、いっぱい食べていってね」
目の前に並んだ料理に、思わずごくりと唾を飲み込む。今日は、夕食を清水家にいただくことになっていた。
いや、というか。
「すご……」
「か、カズくんのうちってお金持ちだったんだね」
「……金はある方だが、普段はもっと質素だ。今日は特別だな」
「それにしてもじゃない?」
伏見久美の言うことにぶんぶんと頷き同意する。これはヤバイ。
「お母さん、女の子たちが食べていくって聞いたから奮発しちゃったわ~」
うちじゃ奮発してもここまで贅沢な品は出せないと思う。何せ、料理の名前すら分からない。
と、とりあえずあれはステーキね。黒いソースがかかっているけど、一体あれは何なのだろう。
「カズくん、このソースって何?」
伏見久美が私の疑問を代弁してくれた。
「トリュフソースだな」
「トリュフ!?」
「お、おう。いきなり大声出すな」
しまった。思わず叫んでしまった。
清水の家族に、「ごめんなさい」と頭をさげる。
「カズ……これなに? 伊勢海老?」
「ロブスターだ」
「ろぶすたー」
みうが清水に質問をする。みうの目は危ない人間のそれになっていた。
ただでさえ食が大好きなみうだ。もう我慢の限界に達しかけているのだろう。
その内、涎を垂らし始めるのではと思わずにはいられなかった。
最後の品を清水のお母さん、詩織さんが運んでくる。
「これは和夫が作ったのよ~」
「カズくんが!?」
「昨日作ったんだ。一日寝かせておいた」
絶句する。
それは煮込み料理だった。それは……煮込み料理だった。
大事なことでも無いが、つい二度言ってしまう。もう私の頭はパンク寸前だ。
全ての料理が揃ったので、各々自由な席に座る。
「「「いただきます」」」
その日、私はこれまでの人生で最も高級な料理を食べた。
……もう一度ぐらいはこいつの家に来てやっても良いかもしれない。
そこのアヘ顔ダブルピースが分からない君、決して調べたりしちゃあいけないよ。