第五話「目標と目的」
あの日以来、クィンクの様子が変わった。
「クリアハルト。何かあったらすぐに私に言ってね」
ジェイクハルトを相当警戒している様子で、なるべく二人きりにしないよう努力していた。家庭教師としての責務だと思っているのかもしれないが、僕にとっては生まれて初めての味方だ。
僕はクィンクをますます慕うようになった。
クィンクとオセロをした事自体も、剣術の訓練をより良い方向に導いてくれた。
「良い? 剣術もオセロと同じで手順、パターンなの。どちらかが必ず先行になり、一手一手進めて行く。あなたは傷つけあうだけの野蛮な行為と思ったかもしれないけど、意外と楽しいゲームなのよ」
クィンクが剣術大会に出る理由も、ゲームとして楽しむ面が強いと言う。
確かに、命のやりとりを除けばスポーツや格闘技に近い種目だと思う。
考えれば前世でスポーツをやりたかった僕にとって、夢を叶える最も近い道なのかもしれないな。
そう思うと自然と力が抜け、剣術を楽しめるまでに成長した。
三次元の動きは手順が多すぎてオセロのようにはいかないが、より正解に近い行動は限られてくる。反復練習に次ぐ反復練習。知れば知るほどクィンクの、父上の、何よりジェイクハルトの強さが浮き彫りになっていった。
◆
「あらまぁ、今日もドロドロですね」
訓練を終えた僕の姿を見てアネスタは苦笑いを浮かべた。
四人に減ったメイドのリーダー的存在で、僕に対しても厳しい言葉を掛けてくれる数少ない大人だ。
「最近訓練が厳しくて……」
「ベルハルト様のご子息なら、剣の扱いには自信を持たねばいけませんものね」
僕の父上はそれなりに名のある剣士だったらしい。
銀光の剣士という二つ名が付くほど動きが速く、蜂のように刺し、光のように斬るとかなんとか。
銀行の騎士に聞こえて少しダサい。
お金を守るのが得意そうだ。
実際、マリティアヌとの結婚が決まったのも、剣の修行と称して国を周遊していた時に参加した剣術大会がきっかけだと言っていた。
剣術大会と言っても参加者が剣を交えるようなものではなく、決められた時間以内にドラゴンを倒せるかどうかの腕試しで、誰も倒せなかった魔物を一撃で倒したと酔った勢いで自慢していた。
マリティアヌは「大袈裟ね」と笑っていたので、父の言う事がどこまで本当か分からないけど。
ジェイクハルトは「お父様は商売人になったから剣の道は捨てたのよ」と言っていた。いつか本気が見られるのだろうか。
しばらくベルハルト談議に花を咲かせていると、ふとアネスタが、
「そう言えば、もうすぐバルサさんの誕生日らしいですね」
「え、そうなんですか!?」
と漏らした。
アネスタは家計簿や使用人の管理も任されているから、他のメイドやコック、家庭教師の情報も沢山知っている。
バルサの誕生日か。
ジェイクハルトの様子を見る限り、プレゼントしないんだろうな……。
そう言えば、クィンクの誕生日はいつなんだろう。
「坊ちゃん、何か他に知りたそうな顔ですね」
「……アネスタの意地悪」
アネスタの見た目は中年のおばちゃんって感じだが、ノリはそれ以上に軽い。
そのおかげか皆に慕われていて、ベルハルトでさえ時折人生相談をしているそうだ。
「クィンクの誕生日って……」
「あー、そう言えば奥様が薔薇の展示会に出品する為のケースを運んで欲しいと頼まれてたんですよねー」
わざとらしく大声で独り言を喋るアネスタ。
アネスタといると心が弾んで楽しい気分になる。
その昔、獣人は言葉も喋らずに群れで暮らしていたという。
そのおかげでコミュニケーション能力に優れていると文献に書いていたけど、本当にその通りだと思う。
「はいはい、運びますよメイド長様」
「ふふっ、クィンクさんの誕生日は――」
「私の……なんですか?」
僕の耳に小声で伝えようとするアネスタに反応したのはクィンク本人だった。
訓練で汚れた身体を水浴びで綺麗にしてきたのか、髪が濡れている。
服も薄着で、絹のパンツと薄いシャツだけだ。
「な、何でもありませんわ。おほほー」
小悪魔のような笑みを浮かべて去っていくアネスタ。
どうやら俺が一方的に手伝いを押し付けられたようだ。
「何だか楽しそうね」
クィンクが小首を傾げる。
よくよく考えれば誕生日を聞くくらい恥ずかしい事ではない。
アネスタは自分で聞けと言いたかったのだろうか。
「……ね、ねぇ、リンクル」
「ん? どうかした?」
リンクル。
クィンクと二人きりの時だけ呼ぶ事を許可された彼女の本名。
言葉にするだけで心臓が高鳴り、口の中が渇く。
もしかして僕はクィンクに恋しているのだろうか。
いや、流石に年の差が離れすぎているか……。でも見た目は似たようなもんだし……。
「リンクルの誕生日っていつなの?」
「誕生日?」
クィンクは快く誕生日を教えてくれた。
この世界で誕生日祝いは子供に対してだけ行われるが、個人的に祝う分には問題ないだろう。
バルサの誕生日の二カ月後、この地方では雪の降り積もる冬の季節だ。
クィンクはさらに三か月経った雪解けの季節だそうだ。
誕生日の話題から家庭教師のカリキュラムの話に移り、二年後三年後の展望を聞かされた。
どうやらクィンクはベルハルトの意向を組んで僕を剣士として一人前に仕上げたいようだ。剣士には空手や剣道のように階級があって、一人で倒せる魔物の名前がそのまま階級となるらしい。
「一番上は白銀竜ね。世界に七体しかいない希少種でものすごく強いのよ」
「白銀竜……。リンクルは白銀竜と人間とのハーフなんですか?」
「ふふっ、だと良かったんだけどね。白銀竜のハーフは存在しないの」
「そうなんですか?」
世界に七体しかいないと言う意味は、七体生存していると言う意味ではないらしい。
「白銀竜は竜と名づけられているけど、正体は大陸の底に眠る魔力の塊とされているわ。七大陸にそれぞれ存在していて、半永久的に生きるの」
「つまり、種を増やす必要がないって事ですか?」
「そういう事ね。これまでに白銀竜を倒せた剣士はいないから、実質空白の階級よ。白銀竜を見たという記述さえほとんどないわね」
ではクィンクはどんなドラゴンとのハーフなのかと言うと、
「いつか教えてあげるね」
と、はぐらかされてしまった。
心の距離は近いようで遠い。
まだまだこれからである。
「白銀竜の一つ下、実質現時点で最強の剣士に与えられる称号が黒竜よ。ドラゴンの中でも最強と言っても過言じゃない種族で、一切魔法を使えない代わりに魔法で傷を負う事がないの」
「そんな事ありえるんですか?」
「未だに彼らの生態は解明されてないんだけど、一説によるとこの世界の生物ではないんじゃないかって話」
「どういう意味ですか?」
話の流れからすると転生者と言う意味ではなさそうだ。
僕だってこの世界の生物ではないけど傷は負う。
「黒竜には意思という意思は見られないの。形がドラゴンに見えるだけで、ご飯も食べないし群れで行動もしない。眠りもしなければ巣に帰って休む事もない。ただ、近くに生き物がいれば攻撃してくるの」
「変な生き物ですね」
「その割に数は多いんだけどね。大体百から千体いるとされているわ。歴史上黒翼竜を一人で倒せたのは十人弱、現在だとレイブランドに一人だけいるわね」
「誰なんですか?」
「レイブランドの英雄、シチレア=グランド=グラン将軍よ。レイブランドで一番強い軍隊の指揮官ね」
「グランド、……グラン将軍」
歴史の教科書でもその名前は書かれていた。
九割近くの国民が使える基礎魔法六種の内、光しか使えない将軍。
その代わり、光魔法の一種、身体能力を向上させる魔法に関して右に出る者はおらず、どんな大規模な戦争が起きても彼が一人いれば敵の戦力を半分に減らせると言われている。
大袈裟に表現されていると思っていたけど、まさか本当にそこまで化物だったとは……。
「黒竜の一つ下が牙竜、その下が剣鳥、その下が翼竜ね」
白銀竜、黒翼竜、牙竜、剣鳥、翼竜の五種類の称号が大剣士と呼ばれる柔道で言うと白帯のような特別枠らしい。
大剣士になる為には実際に一人で魔物を倒さねばならない。
その代わりに大剣士になれると七大陸を自由に渡航できたり、多くの恩恵を受ける事ができるらしい。
「子供が大剣士になった例は今まで一度もないけど、大きくなったらクリアハルトにも挑戦して欲しいわね」
「えぇ……、怖いのは嫌なんですけど……」
「もし大剣士になったらデートしてあげるって言ったら?」
「頑張ります」
クィンクとデートができるなら大剣士になるのもありだと思う。
七大陸を渡航する権利もある事だし、世界一周旅行なんて計画も……。
「クリアハルトって時々子供っぽくないよね」
「前も言われましたね……それ」
その後、剣士の段位についても一通り説明を受けた。
剣士は実際に魔物を倒さなくても、段位持ちか剣士ギルドで認定されるだけで良いらしい。
上から竜級、牙象級、角鳥級、怪鳥級、牙狼級の五種類だ。竜級はレイブランドでも一万人ほどいるらしく、クィンクも竜級止まりだと言う。
「流石に大剣士を目指す勇気はないかな。クリアハルトに任せようと思う」
「デートの為に頑張ります」
近い将来この安請け合いに頭を抱える事になるのだが、今はただ漠然とクィンクを喜ばせたいとだけ思っていた。
「来年になったら剣士ギルドに登録して、家庭教師の任期を終えるまでに少なくとも角鳥級、行けたら牙象級にはなって貰うからそのつもりで」
「はいっ!」
つまり残り二年の間に大剣士になれば、クィンクとデートができる。
流石にそれは無理だろうけど、竜級になれるように頑張ろう。
「と・こ・ろ・で」
「えっ?」
クィンクの様子がガラリと変わる。
先生の顔からお姉さんの顔に。
「さっきからさ、クリアハルトの視線が妙に下に向いているような気がするんだけどなー」
「えっ! い、いやっ! それはっ!」
確かに薄着に注目はしていた。
でもそれはクィンクの性的な部分を他の人に感じて欲しくなかったからで、僕自身に他意はない。
「まだ子供なんだから、変な事ばかり考えたら駄目だよ?」
「はい……」
精神年齢はもう少し上ですが、自重します……。
何だかクィンクと話すと調子が狂う。
良い事なのか悪い事なのか、どっちなんだろう。
◆
◆
◆
「ああ、駄目よクリアハルト、それ以上近づいては」
薔薇園に出品用のケースを運ぶと、入口でマリティアヌに止められてしまった。
中では銀色の蕾が、今か今かと咲き誇る瞬間を待ちわびている。
恐らく僕の魔力が薔薇の色を変えてしまうからだろうが、少しだけ悲しい。
「ごめんねクリアハルト。あなたの魔力の色も個性があって好きよ。でも、今年は白銀の薔薇を出したいの。本当にごめんね」
どうやら僕が拗ねたように見えたらしい。
前世であれは駄目よこれは駄目よと医者やナースに言われ続けた身としては慣れたものなんだけどな。
すると薔薇園の奥からジェイクハルトがやってきた。
腰まで伸びた銀髪をポニーテールに束ねた姿は、もはや女そのものだ。
心なしか色気のようなものまで放っている。
大体、仕草の一つ一つとっても女の子らしくてドキドキしてしまうんだよな。
兄じゃなくて姉だったらもっと仲良くやれたんだろうか。
「クリアハルト。君は本当に変な奴だな。魔力に黒なんて存在しないんだぞ」
「え、そうなの?」
魔力は感情によって色を変えるらしい。
悲しければ青、怒っていれば赤と言った風に。
だけど、薔薇が吸い込む魔力は僕達の魂の色だという。
黒色の魔力なんて存在しないらしいけど転生した所為だろうか。
「とにかく、白銀に浮かぶ黒い点なんてカビが生えているようにしか見えないからな。絶対に薔薇園には入ってこないでよ」
キツイ言い方だが、その通りだと思う。
「ジェイクハルト。言い過ぎよ」
マリティアヌが間に入った。
僕自身は全く気にしていなかったのだけど、家族には不快に感じるようだ。
「ああ、ごめんなさいお母様。僕も薔薇に色が混じって欲しくなくて、つい神経質になってたみたい」
そんな弱い人間じゃなかろうに。
僕は心の中で呟いた。
マリティアヌはジェイクハルトが薔薇に対して熱意を注いでいる事が嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべてケースを受け取った。
「ありがとクリアハルト。母さん頑張るからね」
「はい。今年はどんな薔薇にするんですか?」
薔薇園には沢山の種類の薔薇が生えている。
雨の日に咲く薔薇、年がら年中咲き続ける薔薇、散る前に悲鳴のような音を奏でる薔薇、世界中の薔薇を毎年増やし続けた結果だ。
「そうねぇ、去年と同じ大輪薔薇か、もしくは……」
「お母様、今年は一夜薔薇にしましょう」
ジェイクハルトが薔薇園の奥を指差して言った。
一夜薔薇は蕾の期間がとても長く、大量の魔力を中に溜め続ける。そして数時間で全ての魔力を解放し、散っていく。一晩で散るから一夜薔薇。
確かに美しさで言えばダントツだろう。
「もちろん私だって一夜薔薇にしたいわ。でも、万が一国宝級に選ばれたら式典が行われるわ。多くの人の前で咲かせているとこを見せなきゃいけないの。蕾のままなんてカッコ悪いわ」
かと言って先に咲いてしまうと散った姿しか見せる事ができない。
一夜薔薇がコンテストなどに向いていないのはそういった理由がある。
「大丈夫です。私がお母様の不安を吹き飛ばして上げましょう」
「どういう事?」
「こちらへ」
何をする気なんだろう。
少しだけ気になる。
「クリアハルトはこれ以上近寄らないでちょうだいね!」
マリティアヌの警告に仕方なく薔薇園から背を向ける。
ジェイクハルトの感性は一流だ。
彼が選ぶなら間違いなく国宝級に選ばれるだろう。
僕は一刻も早く一人前の剣士になれるよう努力するのみだ。
◇大剣士の称号と恩恵◇
・白銀竜:現存討伐者0人
規定では倒した大陸を統べる事ができるとされている。
歴史上、倒せた者はいない。
・黒翼竜:現存討伐者10人
・牙竜:現存討伐者5人
・剣鳥:現存討伐者128人
・翼竜:現存討伐者67人
大剣士となった者は国籍を問わず全ての大陸を移動する権利を持つ。
ただし、滞在する大陸で国家、もしくは剣士ギルドを揺るがすような出来事が起きた時は率先して協力しなければならない。
違反者は称号、権利のはく奪と共に、罰せられる事もある。
自己申告制で対象の魔物の死体、もしくは死体の一部を剣士ギルドに持ち込んで初めて承認される。