第五十一話「フラネスカの狼」
週末。フラネスの一般市民は太陽が頂点に達する前にコロシアムへと足を運ぶ。
だが、彼らの中には太陽が顔を出した時点で観客席に腰を掛けている者もいた。
「いけっ! ラギール! ぶっとばせ!」
「負けるな! バダブ!」
午前中は未成年の剣闘試合が開かれる。
未成年の試合を賭けの対象にしてはいけない条例がある為、本戦に比べて人気はない。観客は仕事も碌にしていないような男達ばかりで、華やかさに欠ける。
それでも、今こうして剣を振るう彼らは将来の本戦出場選手だ。
今の内に才能を見いだしておけば、高い倍率になりがちのデビュー戦などを当てる事が出来る。男達は今日も熱い眼差しを向けていた。
「勝者! ラギール!」
血だらけの少年に観客達は拍手を送った。
勝つ事の気持ち良さを教えておけば、本戦で活躍しやすい傾向があるからだ。
「おっ、次はウォルフだぜ!」
「負けんなよっ! ウォルフ!」
闘いを終えた戦士が去り、次の戦士が入場する。
西から威風堂々と入場する巨躯の青年。
黒い肌に筋骨隆々、未成年と思えない風貌。
ブラッグ=ウォルフは未成年の中で最も期待されており、フラネスカのメンバーでもある事から、『フラネスカの狼』と呼ばれていた。
ウォルフは太陽の島と呼ばれ、中央大陸から南に下った海に位置するアデサン諸島出身の肌が黒い一族だ。魔法をほとんど使えない一方で身体能力に優れ、狩りをして暮らしている為に戦いに躊躇がない。
次のデビュー戦を賭けた未成年剣闘大会の優勝候補である。
未成年剣闘大会は、実力がありながら年齢制限によって本戦に出場できない剣闘士を拾い上げる制度で、出場資格は未成年である事のみだ。優勝した者しか特別剣闘士に選ばれず、半年に一度しか行われない。本戦出場を狙う未成年にとって避けては通れない道だった。
「試合始め!」
ウォルフの相手は勝率八割の獣人ウァイスだった。
獅子のように盛り上がった髪と殺気だった目が特徴的で、魔法もそつなくこなせる天才肌だ。
お互いに木剣が玩具のように見える巨体で、観客達は闘技場がいつもより狭いように感じた。
「ウォオオオオオオオッ!」
ウァイスが咆哮と共に飛びかかる。
木剣を振り上げ、ウォルフの頭を粉砕しようと全体重を掛けて振り下ろした。
「……ふん」
「なっ……!?」
岩をも粉砕するウァイスの一撃を、ウォルフは軽々と素手で受け止めていた。
そのまま腹部へと剣を叩きこみ、ウァイスの意識を奪い去る。
「勝負あり! 勝者ウォルフ!」
今日、ウォルフの試合を見た男達は確信した。
次の未成年剣闘大会の優勝者は彼であると――。
■ ■ ■
ウォルフは闘技場を出ると、冒険者ギルドへと向かった。
フラネスカは容姿にこだわるチームなので水浴びに時間はかかったが、昼食には間に合うだろう。アデサン諸島の貧乏生活に嫌気がさし、センタレイルに逃げ出した彼にとってフラネスカのメンバーだけが家族だった。
「おーい、おせぇじゃねぇかウォルフ」
「ごめん。前の試合が時間かかってて」
冒険者ギルドの食堂にはフラネスカのメンバーがほとんど揃っていた。
彼らは依頼を確実にこなす為、手分けして依頼を受けたりはしない。
二十八人全員で高ランクの依頼を受ける。
それが彼らのビジネスモデルだった。
「で、勝ったのか?」
「当たり前だろ。フラネスの剣闘士なんてセンタレイルで一番レベル低いんだから」
ウォルフの返答にメンバーの一人が口笛を吹いた。
テンガロンハットを乗せた彫りの深い金髪男性で、リーダーのオーディル=サンラインだ。
「アデサン人は戦闘部族だからな、フラネスの上品な坊ちゃん達では敵わないか」
オーディルはワインを持ちあげてウォルフの勝利を祝福した。フラネスでは酒を持ちあげる事で祝福する文化がある。メンバー達もリーダーに倣って一斉に酒を持ちあげた。
唯一の未成年であるウォルフだけは笑顔で応えた。
「それで、来週の未成年剣闘大会に出るだろ?」
「あ、うん。でも依頼があるなら……」
ウォルフが不安そうに声を漏らすと、オーディルはニヤリと笑った。
そして立ち上がるとメンバー全員に向けて叫んだ。
「だったら今週の依頼は俺が出そう! ウォルフの試合を応援しろ! 勝利の要因となれ! 彼が優勝すれば俺がここで好きなだけ飯も酒も奢ってやる!!」
瞬間、メンバー達が「フラネスカに花束を!!」と叫んだ。
フラネスカの語源はフラネス川を護る女神フラネッサから来ている。
アルティア時代より以前、人間と魔物がフラネス川を奪い合っていた頃に少女が人間の勝利を願って花束を川に流す。それを受け取った女神が人間に勝利をもたらしたという逸話があった。
フラネスカのメンバーは遠征する前に必ず「フラネスカに花束を」と叫ぶ。
その儀式を行い始めてから、依頼を失敗した事は一度もなかった。
「だけどよ、最近冒険者ギルドに登録したアネスタってチームの話を聞いた事があるか?」
オーディルの隣で酒を飲んでいた、背の低い男性が心配そうに呟いた。
ドワーフと呼ばれる一族で、大きな魔力が特徴の獣人だ。
見た目はエルフやシルフの子供のようだが、彼らドワーフが始祖だとも言われている。
「アネスタ? ああ、五人くらいの田舎者だろ? リーダーは確かレイブランドとかいう国から来たって聞いたが」
「レイブランド!? あのクソ田舎のレイブランドか!?」
「マジかよ!? あいつレイブランド出身かよ! 滅茶苦茶珍しいじゃねぇか!」
「私、興味沸いてきちゃった!」
「私も!」
メンバー達がレイブランドの言葉を聞いて浮足立つ。
フラネスカは沢山の種族が存在するチームなだけに、メンバーの中には全大陸の人間を仲間にしたいと画策する者もいる。
レイブランドは鎖国されており秘境の地とも言われている為、興奮するのも無理はなかった。
「問題はよぉ、そのリーダーのなんとかハルトとか言う奴が大剣士だって事だ」
「はぁ? 大剣士? ウソだろ?」
「大剣士が何でフラネスなんかにいるんだよ。しかも子供ってありえねぇだろ!」
「いや、俺はあいつの銀の腕輪を見た。あれは確かに大剣士の腕輪だった」
メンバー達の真剣な表情にウォルフは戸惑った。
彼は加入したばかりの新人なので、フラネスカの“闇の部分”を知らなかったのだ。
オーディルはウォルフの首を掴むと、自分の顔に近づけた。
そして小さな声で、
「良いか、ウォルフ。そのなんとかハルトってアネスタのリーダーには絶対に負けるんじゃねぇぞ」
「も、もちろんだよ。でも、何で?」
ウォルフはオーディルがここまで殺気だった姿を見た事がなかった。
SSランクの依頼を受けた時でさえ、もっと飄々としていた。
「お前はもう俺達の家族だ。だから話す。良いな?」
「う、うん……」
「冒険者ギルドでその街の一位になると、補助金が出るんだ。家賃もタダだし、食事代も驚くほど安い。知ってるだろ?」
「うん、だから俺も加入した」
「バラッソもドラグアも所詮は冒険好きと狩り好きの馬鹿の集まりだ。俺達を抜く事は出来ない。これからもずっとな」
ウォルフはだんだんと話が見えてきた。
フラネスの冒険者ギルド登録数が他に比べて低い理由。
それはフラネスカのメンバーが何かしらの方法でライバルを蹴落としてきたのだ。
「だが、アネスタが俺らを邪魔するなら、やる事をやらなきゃいけねぇ。そしてウォルフ、お前は絶対に何とかハルトに負けちゃいけねぇんだよ」
「わ、分かった……」
ウォルフはアデサン諸島から逃げ出してきた。
だが、アデサン人としての誇りまでは捨てていなかった。
アデサン人は理由なく他者を貶めたりはしない。
例え自分達のライバルだからといって、敵意を剥き出しにしてはいけない。
心ではそう思っていたのだが、
「俺、やるよ。家族の為にやれる事を」
ウォルフはまだ若く、孤独に対する不安に弱かった。
魔法を使えない彼にとって、一人きりの船旅は人格を変えるほどの地獄だったからだ。
「よし、それじゃあ今日は食え! 今週は依頼を受けない事だし、お前の特訓だ!」
「うんっ!!」
■ ■ ■
あっという間に一週間が経ち、いよいよ未成年剣闘大会が開幕した。
ルールは武器が木剣である事以外、全て本戦と同じだった。
参加人数は二十四名。
殆どがフラネス出身の孤児で、ウォルフとクリアハルトだけが他大陸出身の出場者だった。
「うぉおおおお!! ウォルフーーーっ! 優勝しろーーーっ!」
未成年剣闘大会は一試合毎の賭けは許されていないが、優勝者を予想する賭けは特例として許されている。
市民の多くはウォルフに賭けていた。
大剣士のクリアハルトも注目戦士であったが、情報の少なさに敬遠されているようで、賭けていたのは彼の仲間と一部のモノ好きだけだった。
「勝者! ウォルフ!」
・
・
・
「勝者! クリアハルト!」
トーナメント方式で進んで行く今大会で、ウォルフとクリアハルトは順当に勝ち進めば決勝で当たる事となる。
圧倒的な優勝候補と彗星の如く現れた大剣士の試合は多くの市民や貴族に注目されていた。
「おい、ウォルフ。調子はどうだ?」
控室の外で、オーディルはウォルフに質問した。
彼はずっとクリアハルトの試合に注目していたが、手加減をしているようで実力を見抜けなかったのだ。
「うん、大丈夫。皆の稽古でかなり調子いいよ」
「そうか、最悪補助魔法を掛けるからな」
「いや、それは……」
「親心だと思ってくれ。お前を優勝させてやりたいんだよ」
オーディルの熱い眼差しに、ウォルフは不正を批判する事が出来なかった。
自分を拾ってくれたオーディルを悲しませるような事はしたくなかったからだ。
「頼むぞ、ウォルフ」
オーディルが去った後、ウォルフは誰にも見えない所で泣いた。
誇り高きアデサン人が、お金程度の事で不正を働く可能性を帯びてしまったのだ。
実行したかどうかではない。
『少しでも考えた』時点で誇りは泥に汚れてしまったのだ。
そして、決勝戦が始まる。
■ ■ ■
(こいつがクリアハルト……)
ウォルフは拍子抜けした。
大剣士オルアルク=クリアハルトは、そこら辺にいる貴族の息子と変わらない風貌をしていたからだ。
危機感のない呑気な表情に、力の抜けた立ち振舞い。
それなりに筋肉は浮いているし子供にしては背は高いが、これならウァイスの方が百倍マシだ。
彼の中で緊張感が薄れていく。
「ウォルフ、良い試合にしましょう」
クリアハルトの白くしなやかな手が伸びる。
アデサン人は黒ければ黒いほど外で仕事をした証拠として称賛される。
ウォルフの中でクリアハルトの評価がどんどんと落ちて行った。
「お前は本当に大剣士なのか?」
「ええ、まぁ。黒竜を倒しました」
「黒竜を!?」
アデサン諸島では数年に一度、黒竜が同時に何体も現れる時期がある。
その年は災厄の年と呼ばれ、洞窟や地下に逃げ込んで、黒竜が去るまでほとんど地上に出る事はない。
(その黒竜をこいつが倒したのか……っ!?)
ウォルフは信じたくなかった。
誇り高きアデサン人の恐れた黒竜を、こんな呑気な男が倒したという事実を。
「クリアハルト、お前は俺が倒す」
「ええ、望む所です」
ウォルフは決意した。
この試合に勝てば、オーディルの不正を糾弾しよう。
例え追い出される事となっても、誇りに付いた泥を払おう、と。
「それでは、フラネスカの狼ブラッグウォルフ対大剣士オルアルククリアハルトの試合を始めます!」
決勝と言う事もあって、闘技場の観客席は人で溢れかえっていた。
ほとんどの観客がウォルフを応援し、地響きが起きるほど名前を連呼している。
ウォルフは先制打を与えようと腰を低くし、四足になるように構える。
フラネスカの狼の異名は、戦闘時の体勢の低さにあった。
アデサン諸島に夏の間だけ滞在するダルツと呼ばれる鳥は人間を襲う。
二足で棒立ちしていると胸や腹部を的にされる為、移動の際は常に四つん這いで歩く事を強制されていた。
彼らはそれを戦闘の動きとして取り入れ、いつの間にか狼のように狩りをするようになった。
ウォルフにとって、フラネスカの狼と呼ばれる事はとても名誉な事だった。
「始めっ!!」
審判の声が響く。
ウォルフは後ろ脚に力を込め、思い切り地面を蹴った。
鳥が滑空して獲物を狩るように、彼もまた地面すれすれを猛スピードで駆け抜ける。
目にも止まらぬ速さに、観客達の歓声が沸き上がった。
「光の神よ! 我の意思に応じろ!」
観客のほとんどが聞いた事のない呪文が響いた。
それがクリアハルトの口から紡がれたと気づいた時には、すでに彼はその場におらず、
「か……、はっ……」
ウォルフの背中に木剣の先がめり込んでいた。
「……っ、凄い筋肉……」
クリアハルトは皮膚を貫くつもりで一撃を放ったが、ウォルフの筋肉に阻まれてしまう。そのまま距離を取ると、
「火の神よ! 我の意思に応じろ!」
と、右手から大きな炎の塊を放出した。
「がぁっ!!」
ウォルフは背中の痛みを叫びで誤魔化すと、両手足をバネのように弾いて炎の塊を回避する。砂埃を炎が飲みこみ、観客の先ほどよりも大きな歓声が沸いた。
(こいつ! 本当に凄い奴だった!!)
ウォルフは歓喜した。
センタレイルを訪れてから、同年代で自分より強い奴はいないと思っていた。
例え年上でも、一対一なら負けないとさえ自負していた。
それが今、勝てる気の全くしない相手と出会えたのだ。
「ウォオオオオオオッ!!」
魔法を放たれる前に攻撃を成功させようと、ウォルフは全速力でクリアハルトに近づいた。動きを制限させる為に思い切り木剣を投げつける。
だが――、
「確かに、君は強いね。ウォルフ」
「っ!?」
クリアハルトは木剣を避けようとはせず、額で弾いた。
体勢が崩れると踏んでいたウォルフの腹部にクリアハルトの剣が刺さる。
木製の剣が腹部を突き破り、内臓に達した。
(こいつ……、呑気な奴でもねぇのかよ……)
腹部に強烈な痛みが走り、ウォルフは地面へと突っ伏した。
狩りを生業としてきた彼でさえ、人間同士の戦いで「木剣で身体を突き刺す」なんて発想には至らない。先ほどの背中への攻撃も背骨を折ろうとしていたり、内臓を狙っていたのだとしたら、甘かったのは自分の方だ。
ウォルフは悔しさと、それ以上の敬意をクリアハルトに抱き、
「参りました……」
と、右手を上げた。
「勝者! オルアルククリアハルト!!」
市民達の悲鳴とウォルフの名前が書かれた大量の紙が宙に舞った。
その日は「狼の悪夢」と呼ばれ、永遠に語り継がれる出来事なる。
■ ■ ■
「くそっ! 何がアデサン人だ! 負けやがって!」
市民領の酒場の一つ「フラネッサ」は貸し切りとなっていた。
フラネスカのメンバーが不機嫌な面持ちで場を占拠した為、主人が即座に貸し切りに変更したのだ。
「いや、だが実際あの男は強かった。ドラグアの連中もスカウトしていたようだしな」
「私ウォルフに全財産賭けてたから無一文になっちゃった」
「俺もだ! くそっ!」
オーディルは彼らの不満を煽りもせず、受け止めもせず、ただ黙って酒を飲んでいた。
だが彼の目は殺気に満ちており、真正面にいた主人は恐怖に身を震わせていた。
「あいつら、冒険者ランクもすでにAまで上げてきているし、加入希望者もいるらしいぜ!」
「バダラーグみたいにぶっ潰すか!?」
「……あんたらで勝てるの?」
「うっせぇブス!」
「あぁん!?」
「黙れ」
オーディルの声に、一同は一斉に閉口した。
彼の背中から漏れ出る怒りに、何も言えなくなったのだ。
「とりあえず、ウォルフにはSSランクを一人で受けてもらう。損害はきっちり回収しなくちゃな」
「あ、ああ……」
SSランクの依頼は帰還率が限りなく低い。
それも“Sクラス十人で計算された確率”であり、一人で挑戦して生きて戻れるはずもなく、オーディルの頭にウォルフが帰ってくる計算は存在していない事がメンバーには分かった。
だが、誰も何も言えなかった。
フラネスカのメンバーは今でこそ身なりの整った上品なチームと言われているが、元々は他の街で邪魔もの扱いされ孤立した者の集まりだ。
その為、拾い上げてくれたオーディルと、金を産むフラネスカから離れる訳にはいかなかった。
「アネスタに関しては少し待機だ」
「分かった」
オーディルは酒を一気に飲み干すと、追加の酒を二杯注文した。
一杯は自分の下に、そしてもう一杯は貸切の酒場に紛れ込んだ見知らぬ男へと渡された。
その男はオーディルに負けず劣らずの上品な顔立ちで、どこかの王族を想起させた。やる気のなさそうな表情をオーディルに向けると、
「前払いだからって期待しちゃいけねぇぜ、“旦那”」
と、クリミアウム大陸の訛りで軽口を叩いた。




