終焉2
ピッ――、ピッ――、ピッ――。
病院の一室で電子音が鳴り響いていた。
心電図の音ではなく、携帯電話のタイマー機能の音だ。一秒ずつ音が鳴るように設定されている。
部屋にはベッドに座る痩せ細った青年と、彼を囲む八人の男達。
八人ともオセロボードを持っていて、表情は真剣そのものだった。
「じゃあ、悠人君。俺はここにするよ」
一人の男、野球帽を被った中年男性が黒石を置いた。
最新の電子ボードの為、間に挟まれた白石は自動で黒く塗り潰される。
「残念、これで終わり」
悠人と呼ばれた青年は野球帽の男にボードを返す。
石はまだ八割程度しか置かれていなかったが、彼の言う通り野球帽の男は敗北を認めた。
廊下では医者や看護師が慌ただしく走り回っている。女子高生という単語が飛び、野球帽の男はチラと廊下を見た。
「男の戦いに女は無用! 俺はここだっ!」
禿げ頭の老人は気合いを込めて悠人にボードを渡した。
悠人は棒切れのような腕でボードを受け取ると、すぐに白石を置く。
「逃げ爺も終わりだね」
将棋を打つと必ず王が逃げる展開になる為、“逃げ爺”と呼ばれるようになった。
その逃げ爺もがっくりと肩を落とし、敗北を認めた。
「流石はプロの棋士を目指しただけはあるよ」
「まいりました」
結局、悠人対八人の男達は見事悠人の全勝で終わった。
「普通のオセロなら負けないのに、何で二秒ルールだと勝てないんだろうか」
野球帽の男が悔しそうに呟いた。
隣の黒ぶち眼鏡を掛けた青年が人差し指を立てる。
「おそらく、悠人君は短い間で一度に多くの物事を考えるのが得意なんでしょう。将棋や囲碁のプロは深く考える技術を必要とされますが、悠人君はその逆を極めたということです」
「はぁー、そりゃぁ勿体ない話じゃなぁ。逆ならあの無敗の棋士とかいうプロの兄ちゃんも倒せたかもしれんのに」
逃げ爺が口をぽかんと開けて漏らすように言った。
深さを追求すればプロになれたのに、という彼なりの褒め言葉だったのだが、周りには伝わらなかったようで、
「悠人君は体が弱いから深く考えられないんだよ。知ってるだろ!」
「逃げ爺はいつもいつも余計なことを」
と、非難の集中砲火を浴びてしまった。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らそうとする逃げ爺をかばったのは、悠人自身だった。
「みんな落ち着いて。逃げ爺は僕を誉めてくれたんだよ。ね、逃げ爺?」
悠人の笑顔は痩せた部分を強調する痛ましい姿だったが、逃げ爺はにっこりと笑うと、
「おうっ! 悠人はいつ見てもかっこええのぉ!」
と褒め称えた。
周りの男達はバツが悪そうに後頭部を擦る。
「僕、前世では三国志時代の兵士だったんじゃないかと思うんだ」
「はぁ? その体でぐぇ!?」
小太りの中年が首を傾げ、逃げ爺に殴られた。
悠人は苦笑いを浮かべると、理由を説明した。
「あの時代って鉄砲よりも剣と弓の時代じゃない? 今みたいにゆっくり考えている暇はないと思うんだ」
「それは興味深い意見だね」
眼鏡の青年が前のめりに悠人の話に食いついた。
八人が八人とも悠人と病院で出会っただけの赤の他人だったが、誰もが彼の人柄に惹かれ人間性に引き込まれていた。
こうして八人同時オセロで悠人と勝負したのも、皆、彼が好きだからだった。
「一つの剣を捌いては、一つの槍から身をかわす。一人の心臓を貫いて、遠くから放たれし矢を切って落とす。戦況を見ては移動して、移動しては剣を振るう。その繰り返し」
「確かに。あの時代で生き残るのは剣術に長けるだけじゃ無理だろうなぁ」
「時代が時代なら悠人君も歴史に名を刻む英雄って訳か」
しばらく前世の話に花を咲かせ、面会の時間は終了に近づいていた。
「みんな、本当にありがとう。僕、うれしかったよ」
痛み止めが切れかけているのか、悠人の言葉に力がなくなっている。
それは八人の誰もが分かっていて、これから起きる事を考えると励ましの言葉をかけるよりも涙腺を引き締めるので精いっぱいだった。
それでも、逃げ爺は最後の最後で逃げなかった。
「悠人。ワシはやっぱり納得できん。金なら払うからもう少し頑張ってみんか?」
目尻からは涙がボロボロと零れ落ち、鼻水も垂れ流していた。
だが、誰も逃げ爺を汚いとは思わない。
「ぐすっ、ぼ、僕も同じ意見です」
「そうだ……。もう少ししたら万能薬が見つかるかも……」
「俺は……、俺は……」
その場に顔の綺麗な人間なんていなかった。
悠人も溢れる涙を止める事ができなかった。
「ううん、ごめん。ありがと」
言い訳も、説明もしない。
自身の体がとっくの昔に“限界を迎えている”事も。
先延ばしをすれば奇跡のような確率さえ失ってしまう事も。
すべて、すべて悠人は受け入れていた。
数か月後、一人の青年が人生を終えた。
享年二十歳。
天宮悠人の存在を知る者はあまりにも少ない。
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僕の名前は天宮悠人。
趣味はボードゲーム全般。
あまり強くはないけどね。
小説は疲れちゃうからあまり読めないけど、漫画は結構好きだった。
夢は思い切りスポーツをする事。
生まれて一度も走り回ったことがないから。
「クリアハルト、こっちおいで」
少し離れた場所から僕に向かって両手を広げる銀髪の女性。
慈愛に満ちた表情が何とも素敵なお姉さんって感じだ。
ナースのお姉さんもあんな笑い方する人が多かったな。
「クリアハルトー」
うーん、さっきから呼んでるビールの名前みたいなのは一体何なんだろう。
クリアハルト。悠人繋がりであだ名だろうか。
「もうっ、クリアハルトってたまに相手してくれないのよね」
と、銀髪の女性は別の方向を向いて両手を広げた。
「ジェイクハルト、こっちおいでー」
またハルトだ。
今度はジェイクハルト。
しばらく様子を見ていると、四つん這いの赤子が銀髪の女性に向かっていく。
「やーん! ジェイクハルトはお利口さんですねぇ♪」
ジェイクハルトとは名前のようだ。
ということはやっぱりクリアハルトは僕のあだ名?
「あらあら、今度はクリアハルトが難しい顔して。お母さんが抱っこしてあげましょ」
銀髪の女性に抱きかかえられ、僕はようやく自身を知る。
「二人とも可愛いでちゅねー。お母さんの大切な大切な双子ちゃん♪」
左腕で抱きかかえられた銀髪の赤子。彼は兄のジェイクハルト。
対して右腕で抱えられた黒髪の赤子。名前はクリアハルト。
どうやら僕は異世界の子供に転生したらしい。
没落貴族オルアルク家の双子の一人として――。