ベテルギウスとぼくのハッピーエンド
お久しぶりです
ちょっと思ったので書いてみました。友人曰く「面白いか面白くないかで言えば普通」だそうです。
文の面白さと書きたいこと、両立は難しいです。
星の命の終わりを見た。
今日、8月9日。
その日ぼくは幼馴染である彼女との天文部部活動に従事していた。本来閉め切りである校舎屋上に侵入し、夜空を見上げて他愛ない話をするだけの、日常生活の延長線上にあるような活動だ。メンバーが部長・彼女、副部長・ぼくのみである点が、部の私物化を加速させている主な原因だろう(天文部は幽霊部員の巣窟であり、部として成立する最低限度のメンバーは揃っていることを補足しておく)。
落下防止のフェンスに囲まれながら、今週には流星群もあるんだよ、と得意げに話す彼女の声を聞いて、ぼくは星々をなぞるように視線を動かす。熱帯夜の空気は多分に湿気を孕んでいて、景色も霞むようだった。加えて都会の夜空は、地上の明かりに翳るように暗い。夏の大三角とか、そういう有名な星々しかはっきりと見えなかった。
だから、その光はどんな星々より眩かった。
652光年という、光も疲れて息切れしそうな距離を越え届いた、ベテルギウスの終わり。
ついさっきまで放たれていた真っ赤な光は、藍錆色の極光へとその色を変え、ぼくたちを照らし出す。それはまがうことなき、命の灯火だった。
そしてそれを見た瞬間、ぼくは唐突に、自分の死期を確信した。何故か、と問われれば応答に窮する。ただ、ぼくは数日後、何か絶対的な力によって死ぬだろう、ということがあの星の終わりに感応して伝わってきた。そういう直感だった。
ぼくは隣で歓喜の声をあげる彼女に問うた。
「ねえ、星は光って死んでいくけれど、ぼくらは何のために死ぬのだろう?」
彼女は首を傾げていた。
唐突に、変なことを聞いてしまった。
ぼくは彼女に忘れてくれと頼み、立ち上がった。尻についた砂埃を払うことも忘れて歩き出す。地面をしっかり踏みしめられなくて、ぼくはバランスを崩し、咄嗟にフェンスを掴んだ。悲鳴に似た軋みがあがる。金属線から逆立つような錆が掌に擦れて少し痛かった。
「どうしたの。まだ、時間はいっぱいあるよ」
彼女の声が追いかけてきて、ぼくは何とか、逃げるように駆けだした。追いつかれてしまったら、きっとぼくは泣いてしまうと思ったからだ。
リノリウムの床を上履きでけっ飛ばし、靴に履き替え、閉じた黒闇の下を駆けていく。
天上のベテルギウスが、そんなぼくをじっと見つめていた。
◆
ぼくは家に帰り、それからずっと考えていた。
星は光って死んでいく。自分が滅ぶことも知らずに、一人ぼっちで、不用心に、そして無邪気に、ちらちら光って、弾けて消える。
ならば彼らは、何の為に光を放ち、何の為に死ぬのだろう。
そしてぼくは、何の為に死ぬのだろう。
寿命を知ってから、ぼくの生活は加速した。
「年を重ねる程時間が速くなるのは、過ごした時間と相対的に、その一秒の価値が小さくなるからだ」
頭のいい誰かがそんなことを言っていた。でも、ぼくは厳密には違うと思う。
終わりが近いほど、時間は加速する。
ぼくはずっと部屋にいるようになった。夜が来るたびに、ぼくはその暗がりに死に神を幻視する。それを追いだしたくて、ぼくはカーテンを閉め切り、代わりに人工の太陽を浮かべていた。白い光が輪を描く、病んで細った太陽だ。本物と違って、これは沈まない。かの中国皇帝もご満悦だろう。ぼくも一安心だった。
天文部もサボってしまっていた。何日も休み、彼女からメールが、そして電話が毎日掛かってくるようになったが、ぼくはそれらを全て無視していた。きっと今、夜の下に出て行ったら、ぼくは狂ってしまうだろう。そんな姿を見られたくなかった。
そうして、眠らないまま5日が過ぎ。
ぼくは、時間を無為に過ごす恐怖を知った。
ただ見ているだけで、デジタル時計の数字は入れ替わる。砂時計は血を流すみたいに砂を零す。ぼくと砂時計の違いは、いくら逆立ちしたって中身が戻ってくれないことだ。
過ぎた時間はぼくの記憶となり、知らない外の世界で起きたことはそのまま、知らない本の1ページに記されることだろう。
何処かの砂浜に何時か刻まれた足跡みたいに。
サイダーの泡がそれぞれ勝手に弾けるみたいに。
でも、海に棲む魚は元気に泳いでいるし、サイダーは変わらずおいしいままだ。
答えは出ないまま、終わりの時が近づいてくる。
◆
(……夢か)
ぼくはそう直感した。
夜の中にいた。
空は真っ黒で、色はなく、光もない。安物のインクでベタ塗りされたみたいに、無機質な闇が宙をわだかまっている。耳にはさあっ、と流れる風と、砕ける波の音があった。
この場所にあるのは、見える限りではそれだけだった。強いて挙げるなら、今ぼくが寝転んでいる砂浜、そしてその周りを囲う海くらい。
そんな光景をぼう、と眺めるぼくの目の前を、光の粒子が下から上へ通過していった。手に取ると、それは水滴だった。波が寄せ、砕けるたびに幾つかの光が生まれているのだ。そしてそれが、この場にある唯一の光源だった。
闇夜に揺れる光のつぶつぶ。幻想的な光景だったが、ぼくにそれを見ている余裕はなかった。
(夜……闇、暗い、時間がない、時間がない。死に神が来る)
ぼくは胸の裡をぎゅっと握られるような錯覚を覚えた。焦燥に似たそれに押し出されて逆流してきたものを、海面に向かって吐瀉する。喉が胃酸に焼かれ、爛れて痛む感覚はやたらとリアルだった。
その中で、寄せる波間に軽やかな音が転がった気がした。それは砂を踏む音だった。サク、サクとそれは連続し、音の主は楽しげに近づいてくる。
「こんにちは、おにーさん。顔を真っ青にして、大丈夫?」
ぼくは口から垂れる胃液を拭い、その声の方へと振り向いた。夜に映えるひまわり色のワンピースが似合う、髪の短い女の子だ。その肌は幽霊か何かみたいに真っ白で、夜でもはっきりそこに存在していると分かる。放つ心配そうな声色と裏腹に、顔には満面の笑みがあった。
「いきなりゲロゲロ吐き始めたから、びっくりしたよ。何かあったの?」
「……夜が嫌いなんだ。夜は、ぼくを焦らせるから」
「その心は?」
ぼくは女の子に、これまでの顛末を語った。ベテルギウスが爆発したのを見て、同時に自分の死期を直感した。それから時間が経つことが怖くて、ずっと眠らないままでいたら、いつの間にかここにいた。そんな内容だ。
すると女の子は納得したように、「そういうパターンもあるのか」とつぶやき、そのまま言葉を続けた。
「ここは生死の境にあたる場所。あたしは『夜の島』って呼んでる。ここには立てるだけの陸と、周りを囲う海と、月もない夜しかないから、そう暫定的に名付けたの。……まあ、ここが現世じゃないってことが分かってくれればいいかな。
それで、おにーさんはここに流れ着いた異邦人」
「異邦人?」
それなら君は現地人? と聞きたくなったが、それはやめておいた。
「うん。ここには本来、死に行く人しか来られないはずだから。それなのにおにーさんは、確かに生きているままここに来た。その原因は、自分の死期をはっきりと知覚しているせいだと思うけど」
「……それじゃあ、君は死んでいるの?」
女の子は柔らかく微笑んで、頷いた。その所作はやけに大人びていて、ぼくは胸にちくりとした感触を覚える。
「あたしはね、生まれつき頭がおかしかったの」
女の子はそう言った。
「見るもの聞くもの全部が写真みたいに見えたんだ。数字も言葉も直線も、カラフルな景色に変わったの。あたしは楽しくて、それらを夢中で形にした。最初は漢数字の『二』、だったかな。綿毛が絡んだような、ふわふわした二重螺旋」
女の子はぼくの隣にしゃがみ込んで、指で砂を抉っていく。描いた螺旋の先には、ちょこんとひまわりの花が添えられていた。それが妙に女の子らしくて、ぼくは思わず唇の端で笑った。
そんなぼくにつられたか、女の子も笑っていた。しかしすぐにそれは曇っていった。おちょぼ口をしている顔に、先のような大人っぽさはない。年頃ちょうどの表情に見えた。
「お母さんたちもね、初めは楽しそうに見てくれたんだ。でも年を重ねるうちに、あたしはどんどんおかしくなった。喋ろうとするだけでね、頭の中に絵が浮かぶの。そこに相手の言葉が重なると、綺麗だったその絵にノイズが混じる。波一つない、鏡みたいな湖面にガソリンがドバドバ流し込まれるみたいに。あたしはそれが許せなかった。
馬鹿みたいだよね。あたしと話していると、あたしが急に怒り出すんだから、きっとお母さんたちも困っていたと思う。あたしの一喜一憂を見るたびに、みんなの顔は疲れていった。
それでね、折れちゃったんだ」
何が、とは聞かなかった。ぼくにもそれが分かるつもりだった。
「あたし、切り絵もやっていたからさ、ちょうど近くにカッターナイフがあったんだ。その綺麗な切っ先を見ていると、妙に幸せな気分になったの。目が離せなくて、いつの間にかそれは、あるべきところに収まったように、あたしの手の中にあった」
ぼくは女の子の顔を見た。しかし、ちょうど持ち上がった光の粒子で影が出来て、どんな表情をしているかまでは見えなかった。
「あたしの手首で赤色が弾けた瞬間、体中をあったかい快感が走ったの。この世界には、こんなに温かくて、綺麗なものがあったんだって、驚いた。
それでそのまま眠っちゃって……」
「気づいたら、ここにいた?」
女の子は元気に頷いた。
ぼくはいつの間にか、女の子の辿った人生に同情していた。生まれ持った感性の違いが、そして女の子自身の優しさがきっと彼女を殺したのだ。そう思うとやるせない気分になった。
その時ふと、ぼくは追いかけていた疑問を思い出した。彼女なら、ぼくにその答えをくれるかもしれない。
「ねえ、君は、もっと生きていたかった?」
女の子は目をぱちくりとさせた後、苦笑いした。
「ううん、どうだろう。遅かれ早かれ、って気もするから、あたし自身にも分からないや」
「なら君は、自分が何のために死んだか分かる?」
女の子は、今度はぽかんとした顔で首を捻った。
この会話と反応はどこかで見たぞ、と思いながら、ぼくは慌てて言葉を付け足す。
「さっき言ったけど、ぼくは夜が嫌いなんだ。でもそれは最初からじゃない。実はぼく、元々は天文部でさ。むしろ夜空は好きなくらいだった。
でも、爆発するべテルギウスを見てぼくは思った。
星は光って死んだ。なら星は何の為に光っていたのか。何の為に死んだのか。そして、今に滅ぶぼくはいったい何の為に死ぬのだろう、って」
「それで、もう死んでいるあたしなら何か分かるかも、って思ったんだ?」
ぼくは真剣な表情で頷く。
女の子は、大笑いした。波の音をかき消すくらいの大音声で。あんまりすがすがしく笑うものだから、ぼくも少しイラッと来て、
「何がおかしいの? ぼくだって、真剣に悩んでいた。それをまるで、馬鹿にするみたいに」
「アハハ、そりゃ、私じゃなくたって、誰だって笑うよ。だって、本当に馬鹿なんだから」
思っていたより、ひどい顔をしていたらしい。女の子はぼくの顔を見て指をさし、また大笑いした。
そして女の子は、あの優しい顔をして言った。
「君が何の為に死ぬのか。そんな答え、ある訳がないよ。だって、その人が今まで何をしていたって、心臓は勝手に止まっちゃうんだから。
前提が違うんだ。何の為に死ぬのか。そんな難しい問題の答え合わせは哲学をするライオンとかに任せちゃえばいいの。
あたしたちが考えなきゃいけないのは、何の為に生きていたいか、だよ?」
その瞬間、ぼくはふと、星が光る理由を諒解した。
そして同時に、真空ばかりだった夜空に光が満ちた。
ぼくらは揃って、周りを見回す。
「う、わぁ……」
声をあげたのはどちらだったか。
満天の星空があった。零度以下のキャンパスの中で、おしくらまんじゅうするみたいに、ちらちら、きらきら、笑い合って、ぼくらに向かって輝いている。そこにはぼくと、彼女が大好きな夜空があって、ぼくは何故だか泣きたくなった。
「ね、ねえ、君、それ!」
ぼうっとしていたぼくを女の子が指さす。それにつられて視線を動かしていくと、眩しくてぼくは目を細めた。
「って、何で光って……あれ?」
ぼくの体が、お空の星もびっくりなくらいにギラギラ光っていた。それだけではない。海で弾ける光のように、ぼくの体が粒子になって、空中に解けていっている。
ぼくが叫び出しそうになるのを、いつの間にか近くにいた女の子が制した。唇に当てられた乾いた人差し指の感触に、ぼくは顔が熱くなるのを感じる。
「多分だけど、君がここに迷いこんだ理由がなくなったんだと思う。だから、今から現世に帰るんだ」
女の子がそのまま、ぼくの頬をなぞっていく。病的に細く白い指の上に、一つ雫が乗っかっていた。
「――君の人生に幸運を。ここに戻ってこないことを祈っているよ」
ぼくの視界と意識が光に染まる。
最後に見えた女の子の笑顔は、今までのどの笑顔とも違って、あの日のベテルギウスに似ていた。
◆
目を覚まし、ぼくはベッド上の体を起こす。
時計を見た。8月14日、午後10時15分。最後に見たのが確か午後7時くらいだったから、結構眠ってしまっていたようだ。夜が怖いとか言いつつぐっすりしていたのか、なんだか情けない。
窓が開きっぱなしだった。外からは夏特有の温く、青臭い空気が、どこかの蝉の鳴き声と一緒に流れ込んできている。
ぼくは立ち上がって、まずつけっぱなしだった照明の電源を落とした。そして窓の傍へと歩み寄り、網戸を開くと、目の前に夜が飛び込んでくる。地球を蓋するような暗闇が、何かを示すわけでもなく、ただそこにいた。それだけだった。
夜は、ぼくに迫る滅びを見せつけるようだった。
でも、今は怖くない。
1分でも、1秒でも長く、光っていたいと思う。
ぼくは手近に転がっていた携帯を手に取った。時代遅れなガラケーを開くと、形があれば山盛りになりそうなくらいの着信履歴、未読メールがあった。その送り主は、我ら天文部部長である彼女だ。
ぼくはそれらに対してたった一通、メールを返す。
『今から一緒に、流星群を見に行こう』
ベテルギウスの青い炎と、閃く流星たちの下。
ぼくは光を放つ足を引きずり、学校を目指す。
頭の中では『そんな彼女のバッドエンド?』と『きっと女の子のトゥルーエンド』まで考えてますが、リアルに近い賞(?)的なものにこいつを提出するかもなので多分書きません
次は短編っぽい話がかけたらいいな