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国狼  作者: 壇狩坊
6/7

     5

8/11PM7:00

「ハァ」

 僕は、ここ五時間ほど、最高峰に周りへと注意を払い、追ってくる影が完全にいなくなるまでに(具体的には今日一日に見た顔が一つもなくなるまで)町中を走り回っていた。

 そして、勿論元いた住居に戻るわけにもいかず、行き場を失った僕は適当な河川敷を見つけ、橋の下で身体を休めていた。

 戻るわけにもいかない、というのはつまり最悪の想定、いろはに対する拷問で僕らの行動拠点を探られているという可能性を想定してのことだ。

「でも、こんなところにいつまでもいられない…」

 だとすると、僕がいくべき場所は…ない。

「さて…」

 手に握ったのは三つの荷物。あとの余計なものは確実に逃げる全て道中で捨ててきた。

 いろはと連絡を取るために携えていたトランシーバーと、しわくちゃになりつつある福沢諭吉、たった一枚。そして政府に配られた一つのタブレット。

「こりゃ絶望的かな…」

 この、いろはと共同で進めた秋川楓奪還作戦で、僕にとって勝利のためのファクターが、全てと言っていいほどに奪われた。

 唯一の僕の味方であったはずの天井いろは本人。

 唯一、彼等の攻撃を与えることのできる存在、秋川楓。厳密にはもう既に過去にあちらに移ってはいたので今日初めて起きたことではないが…。

 そして、作戦の到達点であったはずの、神斎夜山への先立たれるアプローチ。

「そりゃ、予想されちゃうかな…」

 僕は一つ、ため息を吐く。確かに、カウスに対する僕の裏取りがあったから、更に他の人間を頼ることなど、予想は容易いのかもしれない。

「さて、どうしようか…」

 結局は堂々巡り。何かをして、考えて、何かをする為に、行動をして。

 僕は、失敗したんだっけ…。


「なぁ、カウス」

「なんだ?」

「あの男…オレに片付けさせてくれないか」

 ハァ、とカウスは浪白の言葉にため息をつく。

 都内、ここ数日借りているホテルの一室に、カウス、浪白、神斎に、秋川楓。そして、簡単に椅子に縛られた天井いろはの姿があった。

「勝てんのか…?」

「オレが負ける…? あのような貧弱な男に? は、冗談はよしてくれ。あのような完全に弱腰の軟弱モノ程度、俺なら絶対にやれる。」

「だが、アイツは格闘スキル第一位なんだろ? 

 …お前なら、そのくらい考慮して、確実に二対一の状況を使って戦うと思ったが…」

「これ以上に俺達が勝つためのファクターはもう無いだろう?

 コイツは最初は固かったが、傷めつけてやれば安々と吐いたからな」

 と、いろはの座る椅子を足蹴する。

「鎌ヶ谷と組んでいた作戦…その全ては、この一日で泡へと帰った。この女という鎌ヶ谷の唯一の仲間、俺達への攻撃が可能な秋川楓、そして、…神斎への救済要請、と。

 奴が取れる手段は、全て潰した」

 と、浪白は高級にあしらわれたソファへと腰を深く沈み込ませ、目を閉じる。

「これ以上、俺達にとってフリな状況があるのか…カウス」

 片目を開き、カウスの方向を見る。

「アンタね、そーゆー傲慢さが、寝首を取られるキッカケだよ?」

「だが、その傲慢さを持ってして、俺達が奴に奪われたものが、一つとしてあるか?」

 む、とカウスは言葉に詰まった。

 確かに、今まであの男に振り回され続け、逃げられているものの、奪われたものは一つもないのだ。こちらはこうしていくつもの勝利への要素を手にしているのに…と思いつつ、天井や、楓の方向をチラリと見る。

「何、危険には危険を犯すべく保険をかけておくさ」

 と、彼は胸元から百万に固まった札束を取り出した。

「もしも俺が鎌ヶ谷との戦闘に入って、五分間の時間が経過したら…神斎。お前はこの札束を持ってこい。そして、カウスは俺に援護しろ」

 貸与法か…と、縛られ、口をふさがれたいろはは思った。

 昨日の遅く、彼が言っていたことだ。

 ――十分の間なら、両者の了承があるとき第三者に百万の束を預けることが出来る――と。

 これが用いられるとしたら、波白たちの勝ちはほぼ確定的だ。

「俺が百万を…ねェ。いいのか、そんなことをして。

 カウスに預けたほうが建設的じゃあねェのか?」

「カウスは戦闘要員だからな…。すぐに鎌ヶ谷都の戦闘に混ざってもらいたいところではあるし、それに気を取られて上手く戦えなくても困る。

 だから神斎。お前が、俺へと渡しに来い」

「命令することかァ…? そりゃ、頼むもんだろうが」

「よろしくお願いしますよ…神斎サン」

 きっとこれが、肩透かしを食らうような相手であれば、自分は断っているだろうな、と彼は思う。

 そして同時に、断れない自分に呆けてしまった。それはある種、一位であるはずの自分の地位が危ぶまれてしまったかのような―

「俺がもしもヤツ、鎌ヶ谷の負けた時、次に狙われるのはカウス、お前だ。その時にお前は俺に持ってこい。それで…俺はまたヤツに立ち向かう」

「了解…。ただ、最初から俺のことなんか期待してねェで、自分で方をつけろよ…みっともねェ。

 それこそ、何分かかってもいいんだからよ」

「そうはいかない。この貸与のルールはあくまで一〇分間のみ。お前にいつまでも預けていては俺が失格になってしまう」

「厳密には」

 と、カウスは口にした。

「厳密には…失格にはならないんだぜ」

「何…?」

「私の百万が残ってるわけだからな…このゲーム、あくまで先に百万の束を失った方の、そうコンビの負けだ。

 だから、片方が百万の保持権を失った所で実のところグレーゾーンだけど、オーケーなんだよ」

「そうか…まあだとしても」

 と、浪白が言った所で、皆の意見は合致した。

「そこまでのリスクは負わないさ。何しろ、国狼がかかってるわけだからな」

「一つ聞きたいんだが」

「どうした、神斎」

 と、浪白は彼に聞く。

「俺に預ける金ってのは、全額か? それとも、前のようにみっともなく抗った鎌ヶ谷のように姑息に1万だけ自分で持ってたりするのか?」

 フン、と浪白は吐き捨てた。

「そんな言い方は良くない。あれだって、よく出来た考えだ。それも、周到な下準備があったわけだしな。

 だが俺はそうはしない。それは、油断じゃあない。

 敬意だ。そう、神斎、お前に対するな…」

 へぇ…と彼は口元を歪めた。

「まあ、俺も無償でこうして手を貸してるわけだしなァ。今更信じることが出来ないなんて言われたら溜まったもんじゃあねェ」

「俺は、一つ警戒していたことがあってな」

 と、浪白は空気の変化を感じると、一つ間を置いて口にする。

「実はもう既にお前が鎌ヶ谷と組んでいる、という可能性だ。だからこそ、この百万をお前に預ける、というのはある種の懸けであるといえるし、それは一つのリスク。

 だが、だからこそ、お前は常にカウスと行動を共にしてもらう。それは、もしもお前が反逆行為、つまり鎌ヶ谷にこの金を渡しに行った所をカウスに抑止してもらうためだ」

「へぇ…そんな考えがね…」

 と、カウスは知らぬ間に自分が浪白の策略のロジックに組み込まれていたことを知る。

「当然お前は鎌ケ谷側の人間だったとして、カウスへと反撃することは許されない。

 それは当然、第三者だから、だ。

 お前は絶対にカウスとオレのことを倒すことは出来ないし、ついでに言うなれば鎌ヶ谷だって殴ることは出来ない。

 ま…お前が裏切った所で、カウスの金が残っている以上、俺の命綱は繋がっていると考えていい。

 だからこそ俺は思う存分五分間、鎌ケ谷と戦うことが出来るってわけだな」

 と、そこでカウス、秋川、そして神斎は互いに目を合わせ、薄く笑った。

「…どうして笑う?」

 ムッ、と不満に思った浪白は彼女らを咎める。

「いやァ…抜け目がない作戦だな、と思ってな」

 と彼は感嘆し、

「アタシがいなくても、アンタは勝てたんじゃないか?」

 と、カウスは呆れ半分に言葉を吐き捨て、

「むしろ鎌ケ谷を裏切ったアタシはまるで用済みだ…」

 と、秋川楓は言葉尻に恥ずかしさを残す。

それを聞いた波白は薄く笑い、慰めるような言葉を口にする。

「誰もが大事なファクターさ…一人として、いらない人間なんて、いないさ」

 と、そこで浪白は立ち上がり、いろはの口に貼ってあったテープを剥がす。

「どうだ? あの男は、こんな状況から更に覆す策略を思いつくほどに知略の富んだ人間か?」

「ハハ…」

 と、いろはは不意に笑わざるを得なかった。

「そりゃ勝てないって…アンタらには、誰もさ」

 いろはは、呆れ、そしてあきらめを持ってそう口にした。

「そうか…。お前にも、悪いことをしたな」

 それは、先程の拷問如何のことである。だがそれは。

「いや…鎌ケ谷だって、きっとアンタやカウスを捕らえでもしたらそうしていただろうしね…これが真剣勝負だってんなら、私は否定出来ないさ」

 む、浪白は彼女の強さに面食らった。

「中々に強い女だな…あのような仕打ちを受けて尚、合理性に目を向けることが出来るとは…」

 浪白らが行った拷問云々は、それは中々にひどいもので、そう簡単に文面に表すことはためらわれた。

「だとしたら…お前はもっと早く話せば良かったものを」

「それは…ドラマ性と、信用の獲得のためかな」

 ハハッ、と浪白は笑った。

「本当にお前は強い…! 敵でありながらあっぱれだな!

 いいぞ、これが、この戦いが終わったら、お前もあの天井と同じように…いや、秋川、と言ったか。

 奴と同じように飼いならしてやろう」

「ハハ…そんなのはゴメンだね」

「何?」

「私は、そこの裏切り者とは違う…!」

 と、いろはは秋川楓を強く睨みつける。

「勿体ない…お前ほどの逸材を逃すのは。

 まあこの戦いが終わった後、いくらでも言及、要求するとしよう、お前の身柄についてはな…」

「マジか…」

「大マジだ」

 フッ、と浪白は薄ら笑う。

 と、そこでカウスは浪白に問う。

「鎌ケ谷の探知は出来たのか?」

「あぁ。あのような端末は基本的に電源が来られても微細な電波を残すからな。あのショッピングモール内の波と同期する微弱な波…簡単に見つけることが出来た。

 一つ街離れた河川敷…さっき俺が見た時、ヤツはそこに居た」

 いや、と浪白は更に他の可能性も考慮する。

「少なくとも鎌ケ谷の持つ電波を発する装置は、そこにある、と言うべきかな…」

「罠の可能性もあるって言いたいのか?」

 波白は頷く。

「俺がそうしたように、奴は俺の長所であり、短所でもある「電子機器に反応しすぎる」というところに目を付けるだろう…。

 だが居場所は何ら可笑しくもない河川敷。大した罠をはることも、ましてや移動した所で奴が今から取れる準備とやらは大逸れたことは出来ないはずだ」

「そう…いつ行く?」

 早とちりに、カウスは彼を問う。

「一時間後。奴に何の動きもなかったら、襲撃だ。

「そんじゃ、それでついに…」

 そう、とカウスの言葉に呼応するように浪白は答える。

「チェックメイトだ」

     

 貸与法。

 一〇分間ならば、第三者に対してその試験対象の一〇〇万を預けられるというルール。

 これは浪白がこれから用いるように一時的な保険を貼るための措置であり、本来は常に試験者が常に身につけていなければいけないことに対する、いわば例外だ。

 これは時間制限を設けなければ、試験そのものが成立しなくなる。それはやはり試験という形を成り立たせるためであり、でなければ敵対する試験者が知る由もない人間に預け続けるという理不尽な行為を行う人間が溢れてしまうという状況を未然に防ぐためでもある。

 ましてや、もう一つの張ることの出来る保険、それはどこかに自分の金を隠しておく、という可能性だ。

 これはルール上許されてはいないが、厳密なルールがなければ誰しも思いつく方法ではあったはずだ。

 そのようなケースを防ぐべくこれらのルールが存在する。絶対にその者が常に持っていなければいけないという束縛感から少しでも緩和するために貸与法は存在する。

 だからこそ、初めに浪白に対して取った策は実にハマった、裏を掻いたといえる。

 必ず相手は百万を持っている――そのいわば固定観念につけこんだ策は決して馬鹿には出来ないことである。

 だが、それらは結局保険。マイナスに対するマイナスであり、その全てが自分のメリット、利益となり得ることはない。

 全てのリスクを振り払った浪白に、彼の取る行動は、選択肢は、限りなく狭められていた。

 

 ルールそのものはこれまでに提示したものが全てであり、嘘偽りはない。

 そして、それら全ては七月二〇日に総理により提示されたものであり、それから八月一日までの一〇日間誰もがルールありき、前提で勝利のための策を試行錯誤してきた。

 一人の男の執念は、決して安いものではない。

 そして全ての線は、一つの結末へと収束する――


     8/11PM9:00

「うーん…」

 結局、僕は瓦ではあまりに無防備であると悟り、時にいつぞや逃げる場所として調べをつけていた廃校へと赴いた。

 その途中であったコンビニで適当な飯を食らいつつ「これが最後の晩餐なのかな」という哀愁ただよう空気の中すべてを飲み込んだ。

「さて…」

 間もなく、彼等は僕のことを捜索するはずだ。僕はこの戦いを冗長に長引かせるつもりはない。だから、今日、この日を持って決着を決めようと、心の内で決めていた。

「だからと言って…」

 無策というわけにもいかない。せめてこの廃校の建物構造くらいは掴んでおくべきか。

 それが、僕らの決着後となるならば、尚更だ。

 とはいっても、そこらを見る限り、何ら普通の校舎と変わらない。どうやら前は小学校であったようだが、いわゆる僕にとって一般的な学校であり、特筆すべきことはない。

 どこかに爆弾でも設置しておく――

 そんな発想は確かに浮かびもしたが、それも結局浪白の前に通じるとは思えず、あえなく没案となった。

「ふぅ‥」

 ひとまずのこの学校の構造については大体把握した。だとしたら、次は戦い方だが…。

「やれやれ」

 何一つ、打開できる策など思いつかない、というのが僕の正直な気持ちだ。

 そして、思う。僕は、国狼にはなれないのかな、と。

 国狼試験は日本国内であらゆる分野を差し置いて最高峰に難解な試験だということで世間一般には知られている。

 それでもこの試験に挑む人間がいるのは、つまり「落ちる前提で受ける者」もいるからなのだ。

 例えその者が落ちたとしても、それが二次試験だとすれば、「あの国狼試験の一次試験は通った」人材として世に送り出されるからだ。

 それは中々に小さく事ではなく、そこらの中小企業ならばその一文だけで内定確定を決めるほどに大きな、いわば免罪符のようなものである。

 当然、最初から国狼になりに挑むものの方が多いため、気持ちが就職などではなくそのレベルの高さに絶望してしまうものも多いが。

 そうして、国狼試験を中心に回り始めたこの世界は、きっと「準国狼試験までをくぐり抜けた鎌ケ谷宗太」を、きっとあらゆる企業が手を伸ばし、きっと少なくとも、普通の人間よりはすこしばかりではないほどに裕福な人生を送ることになるだろう。

「それもいいのかな…」

 と、思ってしまう自分を鼓舞する。

 国狼というのは、そうラクな職務ばかりではない。それこそ、一般の上流企業に就職し、安寧の人生を送ったほうが、自分の身のためである可能性が多大にある。

「ヤキが回ったかな…」

 普通の人なら、諦めがつくのかもしれない。数日絶望しても、その後立ち直るのかもしれない。

 それこそ、秋川楓や、天井いろはのような人間ならば尚更だ。

 だが、僕は違う。勿論、浪白やカウスだって、僕と同じように熱を持っていることだろう。

 上流企業? 玉の輿? 金の山? 政権獲得?

 クソ食らえである。そんな、人が努力すればだれでも手にできるようなものを、僕らは望んでいないのだ。

 意識が違う。国狼というそれに対する熱意を、最終試験にまで残った八人は、きっと身を焦がすまでに持っているはずなのだ。

 天井いろはら六人とて、例外ではあるとて、誰もが自分の試験の時には一人とて手を抜いたものはいなかったろう。

「僕は…」

 生まれた時から、国狼になることを強いられ、失敗があるごとに虐げられてきた。

 誰よりも違ったのは、その生まれの環境、そして罪だ。

「さて…ヤルか」

 人にはどれだけソレが例え無理難題だったとしても、立ち向かわなければいけない場面がある。

 それはドラマであれば最愛のものであったり、家族のためであったりする。

 だけど僕はとことんどこまで突き詰めていった所で自分の為。責任は全て自分のものだし、責める人間とて自分そのものだ。

 そして、今が絶対的なまでにソノ場面。

 僕は自分の手に残る三つのソレを見つめる。

 政府が最終試験候補者全員に配ったタブレット。

 しわくちゃになってしまった命綱である、最後一万円札。

 そして、唯一の仲間であったのいろはと繋がっていたはずのトランシーバーとそのマイク付きイヤホン。

 これは電源自体は切っているが、きっと電波自体は出続けているのだろう。ブッ壊しても良かったが、それでは浪白達が僕を探知することが出来なくなる。

 冗長に長引かせるつもりはない、とはこのことでもある。もっと長引かせ、相手がダレた所を突き刺す、というのはあまりに無策であるとも言えるし、浪白がそんなスキを見せるとも思えない。

 まあ勿論、無策であることには変わらないが…。

「僕が今日を終戦日を決めたからね」

 それは、特に理由のない言葉であった。

 そして、次に発される言葉は、自分の言葉ではなかった。


「ようやく捉えたぞ…鎌ケ谷宗太!」


 身体は反射的にそちらへと向き、瞬時に立ち上がり臨戦態勢へと入る。

 浪白ら計五人は、昇降口にてこちらを追い詰め、僕はその向かいにある階段にて考査をしていたので、少しばかり距離が離れた間合いだ。

「まあまあ…これはもう、大勢で…」

「その中の二人は、元々お前の仲間だったというのにな…。

 残念だったな、ここで終わりだ、鎌ケ谷宗太」

 ツー、と頬を油っぽい汗が伝う。それを拭いたくても、空気がそれを許さなかった。

「せっかくこうして相まみえることが出来たんだ…それこそ、六十億分の一の確率だった…かな?」

「それは違うよ…何故なら」

「その人間と出会う六十億分の一の確率に出会う確率は、一〇〇%であるから、か?」

「む…」

 自分で言っといて自分で答えを言うのか…と僕は少し薄ら笑う。

「つまりそういうことだ。俺がお前とは違う他の人間と出会う、六十億分の一の確率が排斥され、一〇〇%の確率でお前と出会った…つまり、これは運命でも何でもない。

 必然だ…こうして俺とお前が決着をつけるのはな!」

 と、ひけらかすように僕に喧嘩を売る浪白。

 まあ、それほどまでに余裕が有るんだろうな…と、僕はため息をつく。

 追い詰められているのは、どう考えても僕であり、どこをどう見ても勝機があるとは思えない。

 例えそれが格闘スキル第一位の実力の持ち主とて――この状況を打破するには至らない。

「だから、お前は俺達に負けると分かっていても、負けが見えたとしても、諦めず、立ち向かってきてくれ。

 そう、それが結果がどうあれ、有終の美を飾れるように…な。最後には互いに健闘をたたえて拳を握り合おうじゃないか」

 フフッ、と後ろのカウスと浪白は奇妙に笑う。

 ハハ…と、言葉も出ない僕も、思わずから笑ってしまった。

「どうした? 強がっているのか?」

 と、浪白が僕に問う。

「いやぁ…流石にね…戦いが終わった後に、君の拳を握れるような心象ではなくてね…僕も参ってるのさ。

 生憎そんな気概と度量は持ち合わせていなくてね…最悪の結末で終わった時、きっと僕に君の裾を齧り付いていることだろうね」

 ハハ、と浪白は目の前の無様な言葉垂らしを嘲笑った。

「それならそれで仕方ないさ! 結果が全て、その結果に御前が笑っているのだとしたら、それは只の強がりなのだからな!」

 本心の表れというものだ―と彼は切り捨てる。

 でも、と僕は浪白を睨みつけ、口にする。

「僕は、どうしても、国狼にならなくちゃいけないんだよ…」

 フッ、と浪白は呼応するように僕を睨む。

「希望だけで望みが叶うと思うな」

 そっと、冷たい言葉の刃で僕を切り捨てた。

 ま、そうだよな…と僕は冷や汗を流しつつ、皮肉にも冷笑を浮かべる。

(僕の努力なんて、そりゃ知る由もないよな…)

 人は、それ由来、同じジャンルにおいての努力を本質的に認めようとはしない。

 元来から人間とはそうゆうものなのだ。そう、出来ている。

 それが出来るのは、客観的に、もとい文字通り「客」としてその人間を見ることが出来る者だけである。

 何故なら、それは今眼の前に立っている浪白やカウスとて、生半可な努力ではない、それこそ血と汗の上に立っているであろうから。

 さっきの言葉を言い直すなら、人の努力が、自分の努力を上回ってると「認めたくない」だけなのだ。

 だからこそ。

(目の前に立っている君が、どれだけの血や汗、人間の上に立っていようと)

その努力の積み重なりが僕のをはるかに凌駕していようとも、それは僕の感知することではない。つまり、

(君が僕を超えていることを、認めるわけにはいかない)

 勿論、足蹴にすることなんて当然出来ない。彼とて、僕に対してそう安い感情を抱いているとは思えない。

 僕がよく読む本に出てくる傲慢な人間は、皆欠点が浮き彫りであり、どこを付けばボロが出るのかが明白だ。

 だが、それは相手がヤラれる側だからだ。そして、僕はこれからきっと物語の主人公としてはあまりにふさわしくない戦い方をする。 そして、そこから先。

 これが物語だったとして、果たしてそれはどちらを主人公として勝利へと導くのだろうか。

 傲慢な彼は、絶対的な自身、そして裏付けから来ているもので、きっかけはどうあれ今は既に素として出している。

 つまり、突くスキなど、一つとして有りはしない。

 それでいて、戦う僕のやり方は――

「神斎、それでは頼む」

 と、波白は胸元から重々しく取り出した素の百万をフードの男へと渡した。

(預金…そして、今告げたのは)

「やっぱり神斎…か」

 僕は背中の冷えを感じつつ、一つ呟いた。

「第一位の人間を頼ったりして、ズルいと思わないのかな?」

 僕はいろはと組んだ作戦を思い出していた。そして、全て失われ、裏を掻かれ、浪白と対峙している。

 本当に、過去の自分が憎らしく思う。もっと、出来る事はなかったのか…と。

「寝言を言ってる場合か?」

 瞬間、

「…ッッッ!!」

 僕も、身構えていたとはいえ。

 この五メートルほどある距離を、速度零からいきなりコンマ一秒も掛からずに詰めてくるような人間の攻撃を、避けられるわけがあるだろうか?

 拳は僕の顔面を目掛けて飛んできた。そしてそれを避けた――

 避けたのだが――耳に熱い感覚が残留する。

 ――あぁ、血が出ている――そんなふうに思ったのは、彼の第二撃、顔面に向けての右足の振り回しを側頭部に受けている時だった。

「グッ――ッ」

 揺れる脳髄を感じ、意識が吹き飛びそうになるが、僕は決して意識を手放さない。

 一つ間が開いたこともあり、僕は一歩距離を取る。

 そして浪白は口にする。

「手段を選んでこなかったのは、俺だけじゃあ無かったはずだ」

「…それじゃ、そろそろ本気を出そうかな…」

 とはいっても、この二撃目のせいでほとんど身体に本気の力が入ってくれるのかが危ぶまれるところではあるが――

「さっさと出せ…それでこそ、最終決戦にふさわしいというものだろう!

 見せてみろ、格闘スキル第一位、鎌ケ谷宗太の本当の実力を!」

 そして、僕は浪白の言葉にそって放たれた拳を――

 受けた――フリをした。

「今のは…?」

 後ろに吹っ飛んだふりをし、階段の方に向かい倒れそうになる所で足を踏ん張り、階段を登る。

「面白い…!」

 と浪白は今までにない血の滾りを感じ、拳を握る。

「カウス、神斎、いいか、昨日言ったとおり、五分経って俺が帰ってこなかった時は救援に来い、分かったな!」

 という忠告に対し、

「あいよー」

 と、神斎呆けた声で答えるだけであった。カウスはつまらなそうに逃げる男を見つめている。

(さて…)

 彼は果たして文武両道などという枠にとどめていいほどの才デはないと、僕は頭の片隅で思うけれど。

 僕がここで浪白を打ち倒した所で敵の金はあの男に預けられている以上僕には渡らないわけだけど。

 更にそこから満身創痍の僕に対する準備万全なカウスクラウスとの二連戦が待ち受けているのだろうけど。

 僕とて、こうしてずっと逃げているわけにはいかないから。

「とことん掛かって来いやぁ…!」

 拳を握り、らしくもない、体育会系の自分を見せるのだ。


 そこからというもの、二人の攻防は目に見えて一方的であった。

 僕は慣れた目で浪白の攻撃を避け続け、欲張って攻撃を与えるのではなく、時間を用いて敵を観察しし続けていた。

「どうした! 俺が疲弊するのを待っているのか、鎌ケ谷宗太ァ!」

 ブン、と投げつけられた教室においてあった椅子は避けた僕の後ろにて形を曲げて地に落ち、自分があれにあたっていたら、といういやな想像を無理にも連想させる。

「とんでもない…、君は金を神斎に預けているんだろう?

 つまり僕がここで勝ったとしても、それで得られるのは何も無い。むしろ僕が疲れるだけ、いわば徒労だろう」

「ほう、つまり持久戦に持ち込む、と?」

 シュワ、と首もとを目掛けて振られた手刀に何とか反応して後ろへと下がる。

「あぁそうさ…僕が出来るのなんて、試験を間延びさせることくらいだからね…!」

「あぁそうか、お前は俺をナメているんだなッ!」

 憤怒の表情を浮かべる浪白に対し、あくまで冷静であることを僕は装う。

「とんでもないさ…! 今、君の攻撃を避けることだけでも、精一杯なんだからね!」

「そうか」

 と、そこで冷えた声が聞こえると思うと、目の前の彼の姿が突然消える。

「ん…!」

 これは、知識として知っている。いわば、見え方、突如極限までの低姿勢にまで身体を低く落とすことによる錯覚、いわば幻想。

 それでも一瞬でも「その見えないこと」を認識してしまった時点で、浪白に一つ軍配が上がった、というところか。

「…フンッッッ!!」

 突き上げられた右足のアッパーキックを僕は完全に避けきることが出来なかった。顎に食らった爪先は僕の脳髄を深く揺らし、放せ放せとばかりに意識を奪おうとしてくる。

「ぐあぁ…! とっとぉ…」

 僕は、無意識の内にその攻撃の勢いを殺すこと無く、後ろへと下がり、間を置く。

 彼が詰め寄り、更に攻撃を加えてくるものの、避けるという本能のもとにすべての攻撃を次は掠らせもしない。

「もう限界なんじゃないのか…? 鎌ケ谷よ」

「ヘヘ…限界なのは、そっちのタイムリミットなんじゃないかい、浪白君…」

 確かにもう戦闘に入って四分は経とうかとばかりに時間は経過している。

「小癪な真似をしてくれるな…この味噌カス…!」

 浪白とて、確かにタイムリミット、――何も浪白が敗北するわけではないが――が迫ってはいる。それは、もうすぐこの一対一の状況が終わってしまうということを示している。

「さて、僕は神斎でも狙いに行こうかな…今の君なら見ないでも避けられそうだ」

「ハハ…そこまでほざく余裕があったとは…小癪なァ…」

 ギリリ、と歯軋りをする浪白に、僕はあくまで冷静に対応する。

「生憎、僕は長期戦がご所望なんでね…」

 といいつつ、自分の額にかいている自分の汗の量はやはり口からでまかせとは矛盾してしまうけれど。

 そして、またしても、浪白は消える。


 と、それより少し前のこと。

「ったく、さっさと二対一にしちまって倒しちまえばいいのになァ…」

 上がガンガン、と騒がしいのを横耳に、彼はコンクリートの支柱に体を預け、口にする。

「別にいいじゃねーか。アタシだって戦いたかったけどよ、これ以上ない有利な状況を作ったのは全部波白の手柄だぜ、神斎よぉ」

 と、それにカウスが適当に答える。

「この百万…五分後にはアイツのところに返しに行くのか…」

 と、そこでハハ、とカウスが神斎を笑った。

「アンタもホント物好きだな。対してすることもなかったってのに、どうしてこっち側に手を貸した?

 どうせなら暇な真夏日だとしても、こんな面倒事に頭突っ込むよりはバカンスでもしてたほうがよっぽど有意義だったんじゃねぇか?」

 それらの罵りに、共感し、薄く笑う。

「ホントそうだよな…。

 まー実際興味ゼロってわけじゃァ無かったんでな。

 だって、あの国狼試験だぜ? その最終試験ときたら、やっぱり無関心ではいられねェわさ」

「アンタ暇なんだね」

「暇じゃあねェさ」

「ならどうして?」

 フン、と男は答える。

「俺ァ、ある人に恩があってな。それでその恩を返さなけりゃならなかった。その為に…いや、それもあって、俺は国狼になることが出来た。

 出来たっつても…一週間と掛からなかったわけだから、結果だけ見りゃ楽勝だったわけだがなァ」

 は? とカウスは首を捻る。

「それが…今と関係あんの? だってアンタ、もう国狼になってんじゃない」

「お前こそ、つまらなくはないのか? 聞くところによると、お前はこの最終試験、ろくに一度も自慢の格闘で活躍してないそうじゃあねェか」

 まあな…とカウスはつまらなそうに答える。

「確かに、つまんねぇさ。だけどな、それが国狼になることに繋がるってんなら、何のストレスも感じねーさ。

 分かっていたのは、この試験。如何に二対一の状況を作るかってことで、個々の実力なんかじゃあない。

 きっとアタシが一人出ずぱったとしても、鎌ケ谷と天井っつー相手じゃあやっぱり負けると思う…ソノくらいには謙遜してるさ」

 ほう…と俺は感心する。この女とて、素質はあまりに十分なのかもなとさえ思う。

「見た目は相当ケバケバしいがなぁ」

「放っとけ」

 と、二人は薄く笑い合う。

「アンタだってさ」

 と、カウスは思いついたように口にする。

「あんま見た目や風格から判断した感じ、あんまり頭よくなさそうってカンジだけど?」

 む、と俺は不満を漏らす。

「失礼なヤツだなァ。本当の知識人ってのは、知らない振りをするってのが、定説なんだぜ?」

「知ってる。

 というか、それを知っててアンタがその通りあるってのは、アンタ相当押し付けがましい性格してるね」

「まァ…馬鹿っぽく、そしてテストで満点取るやつに、俺ァ憧れてきましたから」

「第一位にも、憧れる人物がいるんだね…」

 そりゃそうだ、と俺は語る。

「人は常に人を模範として生きるんだ。それが具体的なダレであろうとなかろうと…ナ」

 そう、とカウスは切り捨てる。

「それじゃあそろそろ、答え合わせでもしようかァ」

「え?」

 そして俺は、絶対に殴ってはいけない――このような場合、どちらのチームに加担していたかは微妙であるが本当に只の第三者だとしたら――相手を背後から頭部を粉砕する勢いでブン殴った。

 この試合、ここまで全く無関係の第三者が絡んでしまうと、それが理由で試験自体が無かったことになってしまうが――


 一秒が一秒に感じられない――

 そう表現すれば実にハッキリ伝わるだろうか。

 それほどまでに、僕が感じるここ一分間の時間の密度はあまりに度を越していた。

 それはまるで、三日ほど寝ずに走り続けたかのような――それほどまでに身は削らずとも、メンタルをやられたかのような。

 それは浪白も同様であったようだ。この一分間、彼は決して動きを止めることはなかった。

 二人は同様に呼吸を合わせて息を休める。

「、ハァ」「ハァ、」

 言葉は発せられない。それがつまり、この空気の凝り固まりを示している。

 浪白は自分の腕時計を見る。

「クソが…」

 そして、五分間の耐久に、僕が勝った。そして、浪白の救援が来るはずであり、カツカツ、と確かに下から誰かが登ってくる音が聞こえてくる。

「お前は、勝っていないんだぞ? 救援はつまり確実に俺達の勝利をもぎ取るためであり、そして」

 彼の言葉の続きを聞くこと無く、僕は口にした。

「その時は、その時さ」

 と、そこで放たれた見慣れた攻撃、左からの足蹴に反応するが―

「くっ―!?」

 序盤に投げられた椅子が自分の足にわずかに引っかかり、思わず体勢を崩してしまう。

「もらった」

 彼がその隙を逃すはずもなく、右足が僕の脇腹にクリーンヒットする。

「アアアアアァァァッッ!?」

 あまりに痛すぎる衝撃に、脳を掻いた。意識を失ってしまいたい、それ程なまでの衝撃に、思わずうずくまる。

 そこにつけこみ、浪白は僕の身体に馬乗りになり、

「遂に…捉えた」

 ようやく得られた結果に、波白は自分の脳内にファンファーレを鳴らす。それも、感極まりないほどに。

「さあ、金はどこだ」

「…グッ!」

 僕は必死に抗おうとするも、彼は人が力を入れれば入れるほどに苦しむ弱点を知っているのか、そこを抑えており、決して僕の微動だを許しはしない。

 それでも僕の身体を抑えつつ、探っていた彼が歓喜の表情を浮かべたのは僕の胸ポケットに手を回した時だった。

 最後の一万円札が、見つかった。

「これか…これなのか、俺が、国狼になる、最後の鍵は!」

 カァン、と僕の頭なかで火花が散った。

 それは、浪白が僕に向けて入れた、最後の蹴りとなった。

「ハハハハハ、これでお前の負けだ、鎌ケ谷宗太ァ!」

 僕は意識を朦朧としながら、それでも皮肉を口にする。

「まだ…甘いんじゃないのか」

「そうだな…ここでお前を素っ裸にして本当にこれが偽札じゃないかの判断をするべきかもしれんなァ…!」

 だが、と。彼は勝ち誇った顔で口にする。

「安心しろ、次はお前がいる、この場で試験官を呼ぶ! そうすれば、もう偽り用がない、そこでお前を貶めてやるさ!」

「そうか…」

 僕は、負けたのか…。

 そこで、浪白は自分の腕時計を見て、既に五分と三〇秒が経過していることを認識する。

「アイツら…何故来ない?」

「反撃を受けているからじゃないかな…僕の仲間から、さ」

「仲間…秋川楓のことか?」

 フッ、と浪白は薄ら笑う。

「あんなやつが、今更俺達を裏切ってカウスに立ち向かっただと…? 笑わせるな、カウスは国狼試験格闘部門第二位の持ち主だ。あのような貧弱な女がカウスに叶うわけが――」

 僕は、小さく笑い、一つ口走る。


「彼女じゃない。

 ――それがもし、格闘部門第一位の男で、君たちの仲間になっている男だったら、どうかな」


「何を寝言を――」

 と、浪白は吐き捨てようとした時である。

 教室の扉が開き、浪白の見慣れた顔、黒い肌に金髪の彼女、カウスクラウスが。

「カウスー――ッッ!?!?」

 浪白は、一瞬でその状況に疑問符を数えきれないほどに浮かべた。

「浪…白…」

 その言葉を最後に、カウスはその場でバタリと横に伏した。

「どうなって…ハァ!? どうなっている!?」

「そりゃ決まってる」

 と、その満身創痍のカウスを後ろから片手で掴み、支えていた男が、口にする。


「勝負が、決まったに決まってんだろうが」


 ドサリと倒れたカウスを蔑むように見下し、浪白達の仲間であったはずの彼は口にする。

「どういうことだ…」

 浪白は、やはりこの状況を完全に理解できてはいないようだ。無理もない。ここまでの完成されたパフォーマンスを繰り広げられるとは誰もが思ってはいなかったからだ。

「どういうことだ! 何故お前が、カウスを攻撃している!」

「そりゃそうだよなぁ、部外者である俺、神斎夜山が、カウスクラウスを襲撃してしまっては、それは試験の妨害、ましてや鎌ケ谷コンビに対する肩入れになる…。

 つまり、アンタラの勝利になるのかなァ」

「そ、そうだ…! お前が例え、鎌ケ谷らの肩入れをしていたとしても、それで直接的暴力、つまりカウスへの襲撃は許されない!

 だから、お前たちの失格、俺達の不戦勝だ!」

 不戦勝ではないだろう、と僕は思いつつ、

「そうだな…じゃあ、1つずつ説明していこうか」

 と、男は黒板の上に立ち、チョークを持って説明を始めた。

「状況として理解するべきは、神斎夜山と鎌ケ谷宗太の結託だ。

 それが実は前から成立していた、というのはお前も理解しているな?」

 ビィ、と神斎と鎌ケ谷と書かれた間に線を引く。

「あぁ…だが、それで今お前が取った行動は、反逆…いや、ルールに対する違法だ。だからお前らの反則負けだろう!」

「まー普通に考えたらそうなるわな。だけどな、ルール直結する話だがいいか?


 第三者が候補者の名を語ってゲームに参加することは許されない。


 って、あるのは知っているか?」

「当たり前だ…だが、それは関係ないはずだ…秋川楓が鎌ケ谷本人を連れてきて、それを俺が潰し…」

 ようやくかな、と僕は安堵の笑みを浮かべた。それはどうやら壇上に立つ彼にも見えたようで、呼応するように彼も笑う。

「もう一つ、俺達の作戦の肝に付け加えるとすればこうだ。


 候補者が第三者の名を語ってゲームに参加することは許される…となァ!」


「つまり…アァ…アァアアアアアアア!!!」

「ようやくわかったようだな、こん馬鹿がぁ!!」

 男は浪城に向かい、最低な暴言を吐く。

「お前は…つまりお前が…」

「そうだよ…

 俺が本当の、鎌ケ谷宗太だァ!」

 そして、僕は脇腹を抑えつつ立ち上がり言う。


「僕がこの試験のいわば第三者…。

 神斎夜山、なんだよ」


 と、言った所で、僕は椅子にへたり込んでしまう。

「オイオイ…そこまで闘ったのかよ、神斎」

 鎌ケ谷は、本物の鎌ケ谷は、僕を気遣い、壇上を離れ、こっちへ向かってくる。

「大丈夫…じゃないか、な。

 何しろ僕は戦ってはいたけれど、決してこっちから攻撃を入れちゃいけなかったわけだからね」

 と、そこで浪白は驚愕に陥る。

「だから…お前は決して俺に攻撃しようとはしなかったのか…!」

「攻撃した瞬間鎌ケ谷君のタッグへの加担になるわけだからね…。流石に五分間完全に耐え切ることは出来なかったわけだけど」

「は…」

 まるで目の前が真っ白な空間へと投げ出されたかのように、浪白は身を横たえた。

「厳密には僕も鎌ケ谷君を殴っちゃいけなかったんだけれど、まあそれはブラフとして役には立ったのかな」

 それも、浪白に下の階で起こっている異変に気づかれないために。僕がどうにかこの二階で耐える必要があったわけで。

「じゃあ、この金は…何だ?」

 気力の限界を迎えたような浪白は、僕に問う。

「それら、君の持っている…僕が、神斎夜山が元々手に持っていた金は全て新しくおろされただけの新札さ。でも新札ってのは番号が揃っているから、ブラフにはピッタリだろう?」

 アァ…と浪白は感嘆する。

「俺は…自分の手で、自分の天敵に対して札束を渡していたってことか…」

「ま、そうゆうこった。ご愁傷さまだな、あの時は流石に笑いをこられそうになかったぜ」

 ハハ、と鎌ケ谷は下品に浪白を嘲笑する。

「第三者が、候補者の名を騙って出場しちゃあいけないんじゃあ無かったか?」

 浪白は分かっているかのような質問を、僕に投げかける。

「君はそんな、分かっていても聞くんだね…ま、一応言っておこうか。

 僕は君やカウスクラウス、そして唯一の仲間である秋川楓に対して鎌ケ谷宗太であることを騙ったことは、一度もないよ」

 浪白はその言葉を聞き、細い目をして、肩を落とした。

「どうして、俺が神斎を頼ることが予想できた…? でなければ、このお前らの取った作戦は成り立たなかったはずだ」

 うーん、と僕は考える。

「僕がどんな風に試験中周りに呼ばれていたか、知ってるかな」

 浪白ほどの情報通で、それを知らない程ではなかった。

「他人の心を読む…みたいなやつか」

「そう。

 でも、それ全部嘘なんだ」

「は…そうしておいてよく言うな」

 強がるように、浪白は薄く笑う。

「いいや、嘘だよ。僕が出来るの他人の心を誘導すること。そして、それから他人の心象を出来る限り読み取ることだけだ」

「どうゆうことだ…」

「僕がしてきた全てのことを考えてみて欲しい。

 一つ目は、カウスクラウスに対する裏取り。これによって、君は僕が「人の力を利用する」人間だということを「知った」。

 二つ目は、僕が君に電話したこと。あれはつまり、一つ目と合い重なって「知略の巡る神斎」利用するはずだ、と言う予想をしたこと。

 最後に、マンションを脱出するときに僕が取った行動、それら全てをひっくるめて「鎌ケ谷宗太が卑怯な手を使う」ということを知ったこと」

 僕は一つ間を置く。

「…君は誰よりも頭がいい、僕はそう聞いていた。

 頭がいい人間は人から得ること成長することが上手だって、僕の父からの教えだ。

 それで君は僕から様々なことを「知った」ことにより、間違った方向に成長してしまったんだ。

 そう、それこそ「神斎夜山の手を借りてでも」と思うがまでにね。

 勿論それが、「鎌ケ谷の手に渡らせないため」だとしても、同じことなんだけど」

 浪白は、神斎の言葉を節々に聞きながら、溜息ばかりをついていた。

「俺は、お前の手中で、踊ってたってだけか…」

 僕は、それは違う、と切り捨てた。

「君は強かった…それも、秋川楓を完全服従させたり、それを使って僕を誘い込んだり…正直言って、君が弱かっただなんて、そんなあまりに的はずれなことは、毛頭言うつもりはない」

「…」

 彼は、黙って僕の言葉に耳を傾けていた。

「ただ、試験のあり方が悪かった。僕があっちの戦いで勝つためには鎌ケ谷君の力が必要ではあったし、だから、僕も君と敵対することは必然だった」

 そして、僕は結論づける。

「手段は、選べなかったんだよ」


 その後、どこからとも無く試験官が現れ、仁王立ちしている鎌ケ谷宗太と、地に伏し、気を失っている秋川楓に対し、国狼試験に合格したことを告げると、颯爽と去っていった。

 神斎はその姿を頭を下げて見送ると、秋川楓の姿に驚きおののいた。

「君はどうして秋川楓に対しても、攻撃したんだい?」

 彼女は鎌ケ谷の仲間であるはずだ。浪白にほぼ服従していたとはいえ仲間を気絶させるとは。

「俺がカウスを一発KOさせた時、俺はコイツの反応を見たんだ。

 だけど、ダメだった。コイツはもう、完全に浪白側に立っている。俺を攻撃してきたんだ。だから、俺ァ…コイツを気絶させた」

 流石格闘部門第一位といったところだろうか、人を気絶させることが普通の人間にとってどれだけ難解であるかを微塵も感じさせない。

 皮肉にもそれ所以にかっこ良くも見えるけれど。

「となると…って」

 やはり見れば、微妙な表情を浮かべている天井いろは本人の顔がそこにはあった。

「謝って」

 彼女の第一声がそれだった。秋川楓をやむやむ国狼にしてやったのは、この僕だぞ? 

と言おうとも思ったが、僕が声を発する前に、いろはは僕の胸元に抱きついてきた。

「ありがと」

 その言葉だけで、何となく僕は許せたような気がした。

 彼女が昨晩にこの浪白らに受けた詰問はきっと並みのものではないだろうし、その心の傷とて安いものではないだろう。

「ヒュー♪」

「おい…」

 鎌ケ谷がこっちに向かって妙なちょっかいを出してくるが、それに反応するのも馬鹿らしいというか。逆に妙に反応するほうが恥ずかしというか。

「国狼試験第一位も、色恋には弱いってか」

「色恋って…いろはとはそんなんじゃない」

「あれェ、そんな事言っていいのか? 女の恨みつらみは怖いぜェ?」

「…鎌ケ谷、君はそうゆう経験が豊富だというのか? 言えるんだな? だったらここに彼女一人でも連れて来い!」

「あぁイイぜ、なんなら二三人連れてきてやるよ」

「ダメだろ、それはダメだろ、バカか!」

「いやぁ、今の時代は一周回って強い男がモテんのさ」

「でもオマエ馬鹿だろうが、とことん、Dクラスの馬鹿だろうが!」

「国狼試験でDクラスっつったら、高校の偏差値でいやぁ五〇と少しだぜ?

 …アンタが飛び抜けすぎてんだよ、神斎」

 む、と僕は自分の成績のことを思い出した。

「ま…僕にはないものは君が持っていて、僕にあるものは君が持ち合わせていないのかな」

「まるで漫画に出てくる最強コンビみたいだな」

「僕、実は君みたいな適当な人間がスキじゃあ無いんだ」

 まあ。

 当然、嫌いというわけではないのだけれど。

「それで…さっきからお前に抱きついている彼女のことは、どう済んだ?」

「え? あ、あぁ、えっと…いろは」

「いや。離れたくない」

「お、おうん」

 妙な返事をしてしまったな…と思いつつ。彼女は言った。

「謝って」

「一周回って!?」

 オカシクないか!?

「だって、アンタの作戦がうまくいかなかったせいで、私は浪白に捕まって、…ひ、ひどい目にあったんだよ…?」

「あぁ…それは、その…素直に、ゴメン」

 素直に反省している自分に少し悪く思ったいろはは何となく、その場を取り繕う。

「え、えっと…とりあえず、離れる、ね」

「う、うん」

 と、そっといろはは密着させていた身体を僕から離し、難なく赤らめたその表情を僕に向ける。

(あー…なんだろうな、この感じ)

 何となく気持ちが悪い。なんというか、割に合わないというか。

 初めに僕のことを助けてくれた時の君は、果たしてこんなに女らしい表情を僕に向けていただろうか?

「かん、ざい…」

「え、え?」

 僕はその彼女のつぶやきに、耳を疑う。

「神斎…それが、アンタのホントの名前なんだよね」

「え、まあそう、だけど」

 駄目だ、僕も何故かぼおっとして何となく頭がまわらない。

 あの浪白と戦っている時でさえこうも自分が自分らしく思えなくなることはなかったというのに、なんだこの妙な感じは。

 まあ、一つ冷静に考えてみれば、分かることなのかもしれないけど。

 もしかしたら、それはきっと初めから決まっていたのかもしれない。それこそ、浪白の言葉を借りるならば、六十億分の一なんて天文学的数字なんかではなく、他の全ての六十億分の五十九億以上に及ぶ可能性を排斥しただけで、決してドラマが喜ぶ運命などではないのかもしれない。

 だけど、そんな必然に導かれることも、やっぱりそれは運であり、命の繋がりこそが必然に導かれるための条件なのだろう。

 僕は知っている。このような、ドラマチックな状況で、自分が何を言うべきなのかを。

「あ、天井いろは、さん」

「…はい」

 互いに赤らめたその表情を向かい合わせながら、僕は、神斎夜山は一人の少年として少女へと告げた。


「僕と、付き合って下さい」


 たった、数日間の邂逅。それも、出会いは奇異的なものであり、とても普通の始まり方ではなかったのだろう。

 だけど、僕はそれでもいいと思った。

 僕は彼女のことを知らない。

 まして、彼女なんて、僕の本名を知ったのでさえ今日が初めてなのだ。

 でも、それでも、僕はそれでいいと思う。

「…はい」

 出会って、付き合って、進んでいったっていいじゃないか。

「…ッ!」

 この湧き上がる感情が、今までに感じたことのない、いわゆる愛情、恋そのものなのだろう。

 それを、僕はこの瞬間最大級に感じ取ることが出来た。それは、数時間前に争っていた時にはとてもではないが予想することの出来ない感情だ。

 僕だって、知らなかったのだから。

 彼女のことを、いつの間にそんなふうに想っていただなんて。

「暑いね…」

 と、鎌ケ谷が隣で呟いている。

 無視するわけにもいかず、僕も言葉を返す。

「流石に、ちょっと早とちりしすぎたかな…」

 それも、この男のせいのような気が僅かにしていたが。

「いいんじゃねェか? 出会って付き合うまでをする必要はあると思うが、それが長期間である必要なんてのは当然ねェからなァ」

 この男、本当にやり手のような口ぶりだが、果たして本当に言ってることを信じてもいいのだろうか。

 僕は一つ息を吐く。

「あー、えっと。少し、トイレ行ってきていいかな」

「うん」

 別にこの程度で了承を得る必要など無いはずなのだが、いや、いるのか…。

 こうゆうことはやはり鎌ケ谷のヤツに聞くべきか…!

 と、自分の中のよくわからない葛藤と戦いつつ、僕はトイレではなくある少女が歩いて行った校舎裏へと向かいゆっくり歩き出す。


「秋川楓」

「、え」

 彼女は、校舎裏で泣くのでもなく、ただひたすらに絶望的な表情でその地をまるで死骸であるかのように眺めていた。

「君は、してはいけないことをしたね」

「…ご、ごめんなさい。だ、だから」

「いいや、謝る相手は僕じゃあ無いはずだ。

 そのくらい、君なら容易く分かることだろう?」

 間が開き、楓は口を開く。

「もう…ダメだよ。アタシ、いろはにヒドイこと言っちゃったし、それに…あの浪白って人に何かその…自分の中の忠誠を誓っちゃったっていうか…」

「忠誠ね…」

 そんな、たった数日間で築いた忠誠など、何の根拠もない。

 とでも言えば彼女は納得しただろうが、僕はそうは出来なかった。「いろはは、とにかく悲しんだんだ。…謝って欲しい」

「…」

 返事がない。それはつまり、そのつもりはもう無いという意味合いだろうか。

 だとしたら、秀才である自分は、意見を授けるだけだ。

「君がどんな未来を選ぼうか…まぁ僕には関係のないことだけれど。

 いや、厳密には関係のあったあの初めの日に僕を裏切っては欲しくなかったわけだけれど」

「それは、君の作戦が…」

 そう。僕は、何一つとして目の前に絶望する彼女に対して事前に作戦を告げたりはしていなかったのだ。

「そう。ある意味、僕の作戦つまり、空白の七日間を作ってしまったことこそが、君たちの間に亀裂を生んだ最初の原因だったのかもしれない」

 空白の七日間とは、つまり八月一日から七日までの、つまり僕が僕自身、神斎夜山側を攻略していた時のことだ。

 少なくとも、この目の前に居る彼女には事前に話しておくべきだったのかもしれない。そうすれば、少なくともこうして完全にあっちに寝返ることは可能性として軽減できたのかもしれないからだ。

(いや…)

 と、思ったところだが、流石にそれはないと僕自身の中で納得してしまった。

 その理由は、ある種、彼女、秋川楓の演技力もその場合は考慮しなければいけなかったからだ。

 そうなると、やはり僕らの作戦に不確定要素が更にうまれることになり、作戦云々がうまくいかない可能性があった。

 その可能性を突き詰めれば、何故僕が鎌ケ谷を誘ったのかという疑問も必然浮き彫りになってくるわけだが。

「だから、僕は満足する結論に至るまで、君をサポートする。

 何、君はそうは落ち込んでいるものの、国狼になることができたんだよ? 漁夫の利みたいな形で、胸糞悪いかもしれないけど」

 アハハ…と無理に笑ったような表情を見せる彼女。

「うーん…実はそうなんですよね―…。

 アタシだって、最初は、あーいろは達とこれで駄目だなーッて思ってて、だけどアタシ、国狼にまんまとなることが出来て…。

 もし、神斎…アンタが鎌ケ谷を、アタシを勝たせてくれずに、浪白達が勝っていたら、きっとアタシは迷うこと無くあの人について言ったと思うんですよ。

 ですけどー…、なんていうか、さすがに負けた人についていけるほどにアタシも根性出来ていないというか…。

 というか、アタシは、」

「そ、その話長くなりそうだね」

 と、僕が妙な危惧を口にすると。

「語らせて下さいっ、国狼になったんですから」

 という意味不明な理論でその場を仕切られてしまう。

「アタシ、本当に浪白さんがカッコイイと思ってしまったんです。だって、アタシ、何日も一緒に過ごして…いや、何日っていうほど長い間ではないんですけどねー。

 彼は、やっぱりそのリーダーシップを持っている、持ってしまっているというか、だからこそその重圧に負けない、いやむしろそれを糧に頑張っているようで…。

 だから、国狼になってしまったアタシが、負けた彼のもとに行くなんて、そんなの、…そんなのって、無くありませんか?」

「まあ…確かに情け容赦無くそれは屈辱を強いられるね」

 負けた人間に対して、勝った人間がその下につこうというのだ。周りからしてみれば、上下の関係ぶっ壊れてると思われても仕方がない。

「それに、どう考えても、彼のほうが国狼気質というか…」

「ま、それは僕も大共感なわけですけど…」

 きっと、この国狼試験内で、最もシップを切って、国狼それに一番近かった人間は浪白渉平だと、誰もが答えるだろう。

 だけど、それでも、負けた。それは、僕が負かしたわけだけれど、一歩間違えば結果はきっと簡単に変わっていたんだと思う。

「失礼な人ですね…」

「でも、僕は君のこと何も知らないわけだから…」

 流石に何も知らずに「秋川さんは国狼に向いている」などとほざくわけにもいかない。それも浪白を差し置いて。

「アタシ、迷います。きっと、いろはちゃんのところにはいられないだろうし…いや、誘われても正直アタシ自身が乗り気にはなれないでしょうし。

 国狼になって、大人になって、成長して。その時、みんなにちゃんと答えだそうと思います」

「どうして、そう頑なに、君は戻れないと言い張るの?

 君たちは…ずっと一緒に過ごしてきたほどの、仲じゃあ無かったのかい?」

「そんな仲ではありましたよ。でも、だからこそ、アタシの中で崩れてしまった理想の六人一体像は、もう戻る気がしません。

 それはやっぱり、ほんとうに自分がその「六人でいる」というしがらみの中のまるで傀儡のように頭の片隅で思っていたからかもしれません。

 だから、アタシは成長するんです。アタシがいつか、みんなの前で全て、ふざけないで、全部口にすることが出来るようになったら、みんなに言うんです。

 ごめんなさいって。

 それって、ダメですか?」

 んー、と僕は少し考える。

「僕としては、やはり今すぐ彼女と仲直りして欲しいところではあるけれど…僕個人としては、浪白のこともそう嫌いじゃあないからね。彼のことを気にしてくれる人間も、一人や二人欲しいところではあった。

 勿論、彼には会いに行くんだろう?」

 なんて強要してみるものの、彼女は真面目な顔をして釣られない。

「…いいえ、そんなことは出来ません。

 でもいいんです。だって絶対に次に会う時が来ますから。

 分かりますよね」

 うん、と僕は満足のいく答えを得られたような気がした。


「「次の国狼試験で、きっと彼は国狼になる」」


 その時は、勝ち負けのない、同じ国狼だ。

 僕らは確信を持って口にし、互いに笑いあった。



 ひとしきり笑いあった後、秋川楓はその場を去った。

 そしてこっそり陰でと聞いていた天井いろはへと話しかける。

「ダメだったかな」

 僕は最初に問うた。

「分かんないよ…何が良くて、何が悪いかだなんて」

「そうか…」

 少なくとも、彼女にとっては、良くなかったのかもしれない。

 いろはの本来の目的――秋川楓が国狼になること――は達成された。だけど、同時に彼女は秋川楓を本質的な意味で失った。

 それはいろはにとって、かけがえの無い―いわば自分のそのもの―ものを失ったことと同義であり、そう簡単に取り返せるものじゃあない。

「いつか、本当に私たちのところへ帰ってきてくれるかな」

「さあ…そのとき君たちが果たして五人一体でいるかもわからないわけだし」

 む、と膨れっ面になったいろはは僕に攻撃的な口調で口にする。

「どうしてそういうことが、平然な顔して言えるかな…」

「じ、事実を口にしたまでだろう、六人一体でいて、一人掛けた所で変わらないなんて、君らは本当に六人一体でいたのかが危ぶまれるね…!」

「…ま、それもそっか。

 あーあ、みんなになんて話そっかな…」

 確かに、他の四人とて、突然メンバーの一人が帰ってこなくなった、ただし国狼となったとあれば動揺し、その実情を知りたがるだろう。

「話しづらいなぁ…」

 何故ならいろはは、自分が傀儡のように秋川楓を使っていた、なんて口にされたのだ。さすがにそれはこの天井いろはとて堪える仕打ちであろう。

「でも、話すべきだ」

「…やっぱり、そうだよね」

 僕の言葉を、まるで予想していたかのように彼女は返す。

「きっと…みんな分かってくれるはず」

「そりゃそうだ…だって、私たち、六人一体なんだもん」

 フフッと笑う彼女の笑顔は、やっぱり美しかった。


 帰り際、

「君のことも紹介しなくちゃね…」

 と言われ、

「やっぱり、スーツかな」

 と答えた時の彼女の顔の赤らめようは、まさに紅のような火照り具合であった。

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