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一章
2013/8/08 AM10:00
先日七月二〇日、最終国狼試験に選ばれた八人の精鋭が集められた日の、最後のことだ。
「八位、天井いろは」
呼ばれた名に、返事をするものは誰一人としていなかった。それは、その時既に敵である周りの人間との駆け引きが始まっていたからである。
だが、その天井という女は。
「は、はい…」
細々とした声で、彼女は返事をしたのだ。
皆の視線は、一斉にそのあどけない女の子に向けられた。
「ひぃ」と小さな悲鳴を上げた彼女に対して攻め入ることが出来るものはいないだろう。あぁなれば誰しも臆してしまう。
彼女の第一印象は、臆病、もしくは愚かだった。
一人脱落者が出たな、とその場にいたいろは以外の七人は一人残らず思った。
そして、今八月八日に至る。
「もーう、どうしたんですか、鎌ヶ谷さんっ」
鎌ヶ谷と呼ばれた男は、字のごとく頭を抱え、絶望した。
「はぁ…」
「もう、溜息なんかついちゃって…」
ペシッ、とその女の子は自分を叩いてくる。
(不利だな…)
僕は上空を見上げ、細い目で神頼みした。
あの日、総理が自分たちに告げた最終国狼試験は、至って簡単ではあったが、少々異質なものでもあった。
二対二のタッグマッチ。これが、総理の告げた選定方法であった。
残ったのは八名だったので、それが二つ同時進行し、勝ち残った二つのタッグが、見事国狼へと成り上がることが出来るというものだ。
内容は、八月一日から無期限の間、それぞれの人間が持つ予め用意されたシリアルナンバーの入った百万円の札束を奪い合え、というものだった。
内容に関しては、単純だ。
だが、それ以上にここで大問題があった。
誰しもがこうはなりたくないとその場で望んだ願い。
この天井いろは、とか言う馬鹿女とはタッグを組みたくない、という望みだ。
「ハァ…」
「って、何回溜息吐くんですか、幸せ逃げますよ!」
やたらと騒がしい彼女に、僕は薄く視線を向ける。
「えっと…」
「はい!」
何故こうも会話のテンポを無理にあげようとするのかがやたらと疑問に思えたが、僕は純粋な疑問を投げかける。
「天井…いろはさん、だよね」
「は、はい、そうですそうです。いろはってかわいい名前ですよねー」
「ハァ…」
「ちょっと、そこで何でため息を吐くんですか、失礼ですよっ」
プンスカプンスカと目に見えて怒っている彼女には申し訳ないが、怒りたいのはこっちの方だ。
自分は疑問に思う。何故、こんな上から下まで馬鹿丸出しな彼女が、あの厳正たる国狼試験をここまで勝ち上がることが出来たのかを。
僕は、国に支給されたタブレットを開いた。
自分たちの相手がそこに表示される。それはつまり、この場における最大の敵。
「二位の浪白渉平と、三位のカウス・クラウス」
棒グラフにて、二つの情報が表示される。本人の顔情報は未だに知らされていない。
ニ位浪白渉平のステータスは驚異的だった。武道、知能スキルは両者共々にSクラスと、二位ならではの好成績だった。
三位のカウス・クラウスは極端なものであった。
知能クラスはB+とまあまあながらも、武道スキルはSS+という全国狼試験受講者中第二位という最高クラスの人間であった。
「一方こっちは…」
八位、天井いろはと、四位の鎌ヶ谷宗太。
天井いろはのステータスは、両方共B+という、何ともコメントしづらい内容だった。
「鎌ヶ谷さん、お茶どーぞ」
彼女はどこから持ちだしたのか、水筒からコポポと湯気の立つ暖かそうな茶を注いで僕に渡した。
「どーも…」
八月というこんな猛暑の中どうしてこのような身を滅ぼさざるをえないような液体を持っているのかは果たして僕の知るところではないが、一先ず落ち着きたいところではあったので僕はズズと苦いお茶を啜る。
「何見てるんです?」
と、いろはは僕の手にしていたタブレットを覗きこんでくる。
「あ、私の事、やっぱり気になるんですね」
「言い方言い方」
アハハ、といろははにこやかに笑う。
「でも、鎌ヶ谷さんって…」
「…」
自分でも、分かっている。勝機があるとしたら、ここであろう、と。
「鎌ヶ谷さん、知能スキルはダメダメなDクラスでしたけど」
「言わなくても」
スッ、と。彼女は目をこちらへと細める。
「武道は、第一位の、SSSなんですよね」
「…うん、まぁ」
国狼試験は、基本的に対試験者ではなく、対試験監督に対してやらされる。
だからこそ、ランキングというのは曖昧なもので、実際に一位の鎌ヶ谷と二位カウスとが闘ったら正直どっちに転ぶかは果たしてわからない。
「四位と八位か…」
僕はそう呟きつつ思う。これ、勝てないな、と。
敵方は二位と三位。此方は四位と八位。
その結果は、見れば既に瞭然であった。
「天井さんは、えっと…浪白ってのと、カウスっての、顔はわかる?」
「いやーちょっと分からないです。だって、みんな返事しないんですもん」
僕は、ブチリと沸点に達しそうな自分の衝動を抑える。
「でも、多分あの黒人女性がやっぱりカウスって人だと思いますね―。外人はあの一人しかいなかったっぽいですし」
「まーそうだよな…」
そこに関しては遺憾ながらも、確かに同感ではある。
「あ、あといろはでいいですよ」
となると、あとは浪白渉平という男の素性について知りたいところだが…。
「無視しないでくださいっ!」
「はいはい…」
「まったくもう…そんなんだから」
と、彼女は立ち止まる。
「…そんなんだから?」
妙な違和感を感じ、僕は首を捻る。
「開始早々、勝負が決まってしまうんですよ」
瞬間、周りの気配に視界を回した。
知らぬ内にこのいろはとかいう女に付いてきていた自分は、どうやら誘導されていたらしい。一般人の視界には入らない、所謂裏路地という場所だ。
そして、自分を囲む、二人の影。
「鎌ヶ谷さん」
「…」
はめられたことを察し、僕はただ黙する。
「どうして、今日から一週間前の試験開始当日に、私と合流出来なかったんですか?」
「それは…」
今日の日付、八月八日。
総理からの説明通り、個人の用事とは問答無用で試験は日程通り開始される。悪例によって、鎌ヶ谷は、試験開始日時である八月一日に天井いろはと合流することが出来なかった。事実、彼女と自分が合流したのは今日が初めてだったのだから。
転じてそれは、タッグマッチ、という条件下ではあまりに致命的である。
そして、天井いろはは為す術もなく、一週間と経たずして彼ら二人―浪白とカウス―に敗北した。
「…説明できないんですか。まーいいです。これはこれで幕切れとしては一つの笑い話としてこれからの人生で生かしていくとしますよ」
残念です、と彼女は口にすると、一歩足を下げる。
「ありがとう、天井いろは君」
カツカツ、と音がなる。音源をたどると、そこには丁度曲がり角で死角となっていた場所から悠然とこちらへと歩く一人の男、そして隣には金髪黒人ショートヘアの女がいた。
自分の記憶にも鮮明に残っている。選ばれた八人が集まったあの場にいた一人の男の顔だ。
「浪白渉平と…カウス・クラウス、か」
背中からヌルリ、とどう考えても良くない汗がたれ流れるのが分かる。
「お前が悪いのだろう。ただ、決められた日時に集合することも出来ず、二対二という条件下で最も犯してはいけないタブーを踏んでしまったのだからな」
ジロリ、と彼は僕へと目を細める。
「鎌ヶ谷宗太、だな?」
「…だとしたら?」
瞬間、浪白の隣に立っていた女性からとてつもないスピードの拳が飛んできた。
無論、そのようなものを一瞬で気付いた所で避けられるものではない。そうゆう事ができる精鋭だからこそ、国狼なのだ。
その拳は、武闘スキル第二位であるカウス・クラウス、もう一人の敵から放たれた一発だった。
パシィ、と音が鳴り響いた時、僕は既に地に伏していた。
「、は、」
拳が顔面に入ることはなく、彼女は正確に溝内を狙ってきた。すると必然、呼吸さえもままならなくなる。
「ハハハッ! 最終国狼試験とは名ばかりでちょろいものだな! さすが序列四位の名は伊達ではない! 暴力だけが頼りなお前にはここが足りないんだよ!」
浪白は地に突っ伏した自分へと近づき、磨きぬかれた革靴の踵部分を僕の頭部へと押し当てる。
「よく覚えとけ。国狼になる俺の名前は浪白渉平! 序列第二位、このメディアに統制された世界を、未来を牛耳る男だ!」
言いつつ、彼は僕の胸ポケットを乱暴にはだけさせ、見えた膨らみに綻びを見せる。
「ジ・エンド」
印刷してまだ日も短いその新札百枚の束は浪白の手に渡り、ニヤリニヤリと一枚ずつ数えていく。
「やけに湿気ているな…まあいい」
フッと浪白は嘲笑を浮かべる。
「これで俺の勝ちだ」
そこで、僕は小さく呟く。
「カウ…ス」
薄れゆく視界、意識の中。そして叫ぶ。
「今だ、カウスゥゥッッ!!」
叫んだ先、表情を変えた浪白は瞬時にカウスの方向へと目を向ける。
「なに…!」
「アハハッ」
小さく、僕は拳を握った。これで、逆転だ、と。
自分が不在の一週間、していたことは何も家の用事だとかそんな笑えないものではない。
全ては勝利のための裏取りだ。今この瞬間、カウスが浪白を裏切るよう、多額の報酬金を用意し、交渉し、遂に昨日了承を得ることに成功したのだ。
だからこその、カウスによる手を抜いた自分への殴打。
本来の武道スキル第二位のカウス・クラウスの実力持ってすれば、僕のようなそう大きくもない人間一人程度、一発で昏倒させることとて容易いことである。
予定通り、僕は呼吸がままならないほどの大ダメージを受けたフリをした。
そして生まれた、今この瞬間のスキ。
「…って、アンタバカか」
カウスの拳が浪白の鼻元、虚空にて止まり、浪白の身体が吹き飛ぶことはなかった。
「な…」
「当たり前だろ。アタシ、カウス・クラウス第三位と浪白渉平第二位の超有利なこの状況で、何故アンタみたいな姑息な手しか使えない男と手を組まなきゃいけねぇのよ」
クツクツと笑いを堪えているのは、浪白だ。彼の表情は悪戯心に満ちた子供のような顔をしている。
「そうゆうことだよ…? ずっと、お前とカウスとの交流は見えていたんだよ…分かったか、三下ァ!」
カァン! と浪白は僕の頭を蹴り飛ばす。
「ガアァッ!」
思わず、訳もわからない言葉を発してしまう。口の中は血の味で塗れ、鼻先からはポタポタと赤の彩りが花を咲かせている。
痛い。
「ランダムだから仕方ないですよねー」
呑気な言葉を発したのは、仲間であったはずの天井いろはだった。
「四位と八位ばーさす二位と三位だなんて、いくらなんでもアドバンありすぎでしょー」
と、そこで僕に手を加えていた浪白が手を止め、天井へと視線を這わせる。
「…お前はどうして俺達にここまで手を貸す?」
不穏に思ったのか、浪白はいろはへと問いただす。
「なんていうかーここまで勝機のない勝負っていうのも人生初っていうかー、私ってそもそも勝てない戦いに挑む気とかしないんですよね―。
ほら、あれですよ、甲子園とかでボロ負けしてるチームとかにコイツラ何で野球やってんだろーなーって思っちゃうようなアレですよ」
「流石にそれを肯定したいとは思わないが…、まぁいい。
これで俺達の勝ちなんだ。貴様にも行動に値するれっきとした報酬を支払うとしよう」
「よかったですー。実はそれだけが心配だったんですよー」
フフッ、と浪白は口元を歪める。
「ただし、少量の汗水はたらしてもらうがな」
ぶー、といろはは口を尖らせる。
「えーいいですよーもう一生寝て食べて寝て過ごしたいです―」
「まぁそういうな。富に飲まれたものは人の形を保てなくなるぞ」
うーん、といろはは首を傾げる。
「まーいいですよー。私、実際なんでも出来ますしー」
そう言って、彼等は路地裏から公道へと姿を陽光の元へと晒していく。
去り際、浪白は倒れた僕へと声を投げた。
「もしかしたらお前は「タッグの味方、もしくは敵がもっと良ければ勝てたかもしれない」と思っているかもしれないがな。
一つ、変わらないことがある。
何にしても、俺という世界の情報網を知り尽くした人間を相手にした時点で、お前の負けは決まっていた…とな」
彼は足を進める。
「また来年、試験に挑むといい」
そうして僕は。
まるで街中へと遊びに行くかのように軽やかな足取りを見せる三人を視界に収め、意識をゆっくりと閉ざした。