世界はどこまでも不毛で弱者を求める
けど、ただ生きることに必死なだけなんですよね。
結局フレイは、小高い山の中腹にある村に向うことにした。
迷わなければ、半時で着く距離だと云う。最も、地元の人間でなければ確実に迷うらしい。何やら、妙な結界だか何かがあるようで……。なので、道中までのナビ術式を貰った。もちろん只で。泊めることができない代わりだと。
しかし、そこで幸先良く異教の神を見付け、退治できたとしても、夜遅くになっているだろう。それでも向うのは、それ以外にすることがないからだ。
もう野宿はある程度、覚悟の上。人が立ち入らない分、荷物が盗まれるリスクが減るため、山の中の方がマシだと考えればいいさ。ハハ。
「何で聖教主自らが、こんな田舎の、更に山奥にある村の、魔神の討伐依頼なんか出すんだ?」
唐突にムニンが疑問を呟いた。暇だからだろう。それに答えるのはフギンだ。
「政策の一環だろう。異教の神を邪なもの……魔神に仕立て上げ、エガリヴ聖教の信者を増やそうと云う。実際に依頼を出したのは、傀儡聖教主を良いように扱う、周囲の人間だろうか」
そう云えば、現在の聖教主は小娘だと聞いたな。ただ、聖教主の御座すルジノスの情報は、下々にはほとんど伝えられないため、その噂も確かなものか疑わしい。
エガリヴ連邦内部であっても、下民の中には、聖教主の存在自体を知らない者までいるぐらいだ。最近の布教活動で、そう云うこともなくなって来てはいるが。
「それにしたって、聖教会の戦士団がいるだろ? 赤襟共がよ」
「それはさっき、お前が言った通りだ。こんな田舎の、更に山奥にある村の魔神討伐などに、特殊部隊を出向かせるのはメリットが低い」
赤襟。術を行使し、エガリヴに貢献する従事者の一種。赤い救道服を着用していることに由来する俗称で、正式には特位救道者と云う。聖術とは異なる術式を用いる救道者の集団だ。悪魔や異教者・異端者の討伐を、主な務めとしている。
先の、我らイラァが起こした反乱時、あいつらには手を焼いた。
「不毛だねぇ。そんなにも、信者増やして、何になる?」
「エガリヴ連邦はエガリヴ聖教によって、各領邦を束ねる連邦国家だ。またその領邦も、各地に点在する都市国家群によって構成されている。……人間とは繋がりが重要な生き物でな。実質的にはバラバラの連邦が各国に一応の対面を保てているのもの、エガリヴ聖教があってこそだ。聖教への信仰が高まれば、それだけ統治がしやすくなる」
魔本如きが人間を語るか。
「最近では、他国にまで信者が増えている。その中で、教祖の教えにないことを吹聴する者も増えていると言うがな」
「教祖エガリヴ……ねぇ。神話の狂言廻しなんぞを、そこまで担ぎ上げれる精神なんざ見習いたかぁねぇ」
同感だ。
●
その集落に着いたときには、日は落ちかけ、暗がりの中にいた。薄ぼんやりと、空気が蒼い。
そのせいか、気配はすれど人の陰はない。
「首都と比べると、ここらは数百年文明が遅れてやがる」
「三桁で済むか? 私の見積もりでは、この村は千年近く遅れているぞ」
ムニンとフギンの言葉で、辺りを観察する。確かに酷い様だ。
住居と思しき、木でできた三角錐の人工物が無秩序に並んでいる。外灯も、篝火程度のものしかないため、夜は何も見えなくなるだろう。
もはやこれは、原人の暮らしだ。
「まさか、こんな辺境でも超常人と常人の格差を体感できるとはな」
現在、発展した都市部では、超能力を持つ者と持たない者の間で、格差が広がっている。
かつての時代、超常者が少数派であった時期は、彼らは神や救世主などど崇められたり、魔術師や魔法使いなどと忌み嫌われ、差別の対象ともなっていた。しかし今は、その逆転現象が起きている。
「数こそ正義……とは、よく言ったものだな。強いものが正義か」
いや、逆転現象と云うのは語弊があった。何故なら
「無能が崇め奉られることなど、ないからな」
人間社会は常に、弱者を探しているのだから。
●
ここで突っ立っていても仕方がない。
「フギン、ムニン」
「了解」
「ああ」
その応答と共に、俺は本と剣を宙に放った。すると、その使い魔たちは方々に飛び去り、夜のせいか、あっと言う間に見えなくなる。これでしばらく待てば、モノカミとかいう化物を見付けて来ることだろう。
さて、俺とすれば、それまで特にすることはない。強いて、聞き込みぐらいか。
まぁ相手は無能。容易く済む。暗くなる前に、粗末ではあっても、寝床は確保しなればならないしな。
そうして、近くの家屋らしき人工物の中を覗く。家族で食事中のようだ。衣服は裸族の並みの露出度だが、全く唆られない。その土色の肌のせい……でもないか。
認識操作系の隠密術式の効果が働いているようで、こちらのこともお構いなしだ。
「よろしいか?」
術式を弱めて、テレパスで話しかける。こいつらが何語系の民俗か分からないし、そもそも音波言語を用いてやるほどの礼儀など、いらないだろう。
「ウッテリネダ!?」
どうやらナヘン語系らしい。しかし、翻訳術式は働くものの、正常に翻訳できていない。
ここは助力が届かないが、ユグドラシル・ネットワークは生きている。だから、雲型翻訳術式などを起動させることもできるが……面倒臭い。どうせ、陸の孤島に住む一部族の言語だ。こいつらしか話せない言葉だろう。テレパス言語に驚きを見せていたところからすると、よっぽど文明とはかけ離れた暮らしをしているらしい。この分だと、精神防護術式もないな。
イイダクダクを展開。対象を、目の前の男に指定。
イイダクダクは、イラァ人が用いる基本的な精神操作術式の一種だ。国際法では呪詛に分類され、その使用は元より、研究目的以外の所持も禁止されている。
その効果は単純。
「一晩の宿と飯を頼む」
「マー」
こちらの言動の全てを肯定させる。
椀に、汁物の何かがよそわれ、差し出された。それを受け取り、右手を翳す。
食品成分解析術式、たべてみるくん! を起動。……巫山戯た名前かもしれないが、フリー術式でありながら、製品術式に劣らない性能を持っている。カノ人の主婦が作ったものだとか。
あいつら、ブリューナクぶち込まれても大して怒らなかった割に、食い物に関してはうるさいからな。
その発端は、マファトロネア王国からカノ諸島連合共和国へ輸出する牛肉に、業者が意図的に鹿肉を混ぜていた事件だ。そしてそのせいで、鹿肉アレルギーによって子供が死亡する事件が起こった。
そのとき「マファトロネア製品を全面的に輸入禁止しろ」「マファトロネア製品不買」「朕茲ニ戦ヲ宣ス」「焼き払え、肉だけに」と、カノ人が怒り狂い、外交問題にまで発展。最終的には戦争になった。
しかし、元々マファトロネアが、他民族の国家を武力によって併合した国家であったため、内紛勃発。東の帝国と呼ばれたマファトロネアは、実質的に壊滅。今では、五連国の属国と貶されるまでに、その地位を落としている。
恐ろしい話だ。何が恐ろしいかって、そんなことで国民全体が激怒するという事実が恐ろしい。なんとも食い意地の張った奴らだ。
そんなカノ人が作った術式だ。食い物に関しては、あいつらは信用できる。マニュアルも充実しているため、他言語の民でも、何も苦慮することなく使用できるのも親切だ。
たべてみるくん! で、椀に入った緑色の何かを調べてみる。人体に悪い影響のある物質は入っていないらしい。雑菌が多いため、慣れていない方、お子様・お年寄りなどには、お勧めできない。味は下の中とのこと。
ああ、確かに、緑色の中に、何かの肉が浮いている様は、美味そうに見えないな。
たべてみるくん! に寄ると、鳩肉のようだ。緑色は何かの幼虫。紋白蝶の幼虫まで検出できた、たべてみるくん! ですらカバーしていない虫が入っているのかこれには!!
軽く驚愕する。
「貴様、何をしておるか」
驚愕と同時に、声が届いた。音波言語ではない。テレパス言語だ。
背後を振り向くと同時に、腰に提げた剣の鯉口を切る。
そこには杖を持った、しかし背筋の伸びている、浅黒い肌の老人が立っていた。顔には皺と、大きい鼻。身体付きは非常に良く、その身構えにも隙がない。若い頃は戦士だったのだろう。杖は武器か。しかも、こちらの感知術式に引っかからなかったことから、それなりの術者でもあるようだ。
とは云っても、俺の敵ではない。ここで切り捨てることなど、容易だろう。
「私は旅の者なのですが、道に迷ってしまったのです。そうして、ここに行き着き、一晩だけでも泊めてくれませんかと、交渉していました」
しかし、切り捨てる理由がない。ここは適当なことを言って切る抜けるべきだ。
「トゥヒエバラ」
「ママンス」
老人が、俺に器を差し出した男に訊ねた……ようだ。一応、途方に暮れていたのも事実だし、イイダクダクを使ったにしても、交渉したのも本当なので、問題はないだろう。
短いやり取りの後、老人は訝しげにこちらに目を向ける。……え? まずかった?
「もう夜も遅い。明朝には立ってもらうが、今晩は村に泊まるがええ」
怪しまれてはいるものの、大丈夫なようだ。
「有難う御座います」
「但し、泊まるのはわしの家だ。付いて来い」
用心もされている。
まずい。この老人の目の前で、フギンとムニンが帰って来たら、益々不審がられることになる。しかし、ここは付いて行った方がいいだろう。長距離テレパスで、フギンとムニンに指示を出せばいいだけのことだ。
「フギン、ムニン」
「どうした?」
「少し、面倒なことになった。朝まで、森の中で待機していろ。報告は長距離テレパスで行え」
「何があった?」
「集落の中に、術を使える者がいた。お前たちを見られるのは、少々厄介だ」
何故、使い魔を飛ばしていたのかと、余計に不審がられることになるからな。
●
老人の家には、若い男が一人と、女が二人いた。
若い男が老人に話し掛け、老人が応える。
「ヴァヴァ(感動詞?)、ウデガラ(??)」
「スクエイ(??) ナン(接続詞?) ケウチ(??) ニシャ(副詞?)。ニーナヌレ(??) ダ(接続詞?) トラ(道?)」
翻訳術式が完全に追いついていない。申し訳程度に品詞が添えられているだけだ。もう、うざったいから閉じよう。道だけ辛うじて訳せているのが、なんとも。
その後も、老人が何度か言葉を作る。すると、女が何かを器によそい始めた。
「ここに座れ」
老人が、男が寄越した敷物を指す。そして女がその傍に、器に入った緑色の名状し難き何かを置いた。
ああ、さっきの下手物を食わされることになるのか。