犯罪者と似たようなもの
他人のことをとやかく言えるような生き方をしてるんですかねぇ……?
好い加減に、この汗共は流れ出すことを、やめようとは思わないのか! 冷たく乾いた土に今、落ちようとしている火照りの玉。少しは、息継ぎする間くらいは、止まろうという気がないのか、この玉の群れには。そうすれば俺の脚も、それに釣られて歩みを止め、木陰で一息入れる気にも、なるかもしれないだろ。
大陸中央から見て西部。沿岸からも程遠い山間の辺境を、俺は訪れていた。
空気は肌寒いくらいだが、山のそれは無慈悲でもある。何故ならそれは、少しでも動くことをやめれば、こちらの体力を熱と共にじわじわと刈り取って行き、しかし歩み出せば蒸し蒸しと、玉の群れに全身を覆わせさせるからだ。
全く嫌な場所だ。
年中、世界が白い化粧を施される土地で生まれ育ったこの身としては、少しの気温上昇が辛いものとなる。ここには少しばかりの熱と、人の入らない山、木々しか見るものがない。他にあるのは、鳥獣や虫などの苛立たしい声ぐらいか。
辺鄙なところだ。
こんな辺鄙なところに用事があった訳ではないし、あったとしても後回しにしたくなるような、不気味なところだ。
では何故ここに来たのか?
「道に迷うとは不甲斐無い」
「うるさい」
この魔本は実にうるさい。懐に入って小言を言う以外に、全く何の役にも立たない。
小言の仕返しに、先程から繰り返していた不毛な問答を再開させてみる。
「お前らが確り、ナビを務めなかったせいでもある」
すると即座に
「金がねぇのは、オレらのせいじゃねぇぞ」
魔剣がガチャガチャと音を出した。この魔剣は、もっとうるさい。腰にぶら下がって、野次を飛ばす以外に能がない。しかも今は、金のことなど関係ないだろ。
「道に迷ったのはお前が道中、余計なことに首を突っ込むからだ」
「星々からの助力も、地表全体をカバーできるってわけじゃねぇんだぜ?」
なら、あらかじめ保存しておいた地図を使い、移動方向や距離で現在位置を特定する作業を進めればいいだけのことだが
「お前たちがクリーンアップしたのと同時に、うっかりここ数時間の行動ログを消したせいでもある」
それも叶わない状況だ。
「しゃーねーだろーが、起こっちまったもんはよー」
「そのスケージュールを組んだのもお前だ。だから忠告した。この術式はバックアップができないから、定期削除には別のものを使えと」
ああ、くそ。また話がループしている。
「同系統の似たような術式を幾つも入れてたら、パフォーマンスが鈍る」
「だが、身の丈に合った物を使うべきだろう」
「ケチって、フリー術式で済ませようとするからこうなる」
腹立つ。人工知能のくせに、人間様を言い負かすとは何事だ。
●
数時間、歩き続け、足を棒にしながら木々の中から這ように出ると、人の気配がする場所に着いた。
そこはどこだか、山の麓にある町だ。
大体の移動距離から現在位置をある程度絞込み、進路を南に取ったおかげだろう。
「助力が戻ったぞ。ロッシュ山脈の南東付近、ブルンネン盆地の北側だ」
懐の魔本、フギンが地図上に現在位置を示した図を俺に転送しながら伝える。大陸中央から見て、ほぼ真西の位置か。
「連邦の南にある領邦、ムツタニの入り口ってところだな。随分、歩いたな、俺」
「一応、目的地には近付いたってわけか。まぁ、結果オーライだな」
腰でぶらぶらしている魔剣、ムニンがお気楽に言った。
お前が言うなと小一時間、問い詰めたい。
「やっと人のいるところに出れたんだ。今日はここで宿を取る。早くまともな寝床で体を休めなければ、体に茸が生えてしまう」
この三ヶ月間、予想できない不幸から樹海と山の中で過ごしてしまった。全く、文明人とは程遠い有様だ。人が人として、当たり前に就く寝床にありつきたい。
「金はどうすんだ?」
「降ろせばいいだろ。信条には反するが已むを得まい。金は使ってこそ意味がある。資本主義の本質は巨大な自転車なのだから、流通を停滞させれば、俺の懐に入る金もなくなってしまう」
魔剣ムニンの疑問をピシャリと封じて、歩き出そうとした
「銀行がないから言っている」
が、それも魔本フギンの言葉で止まる。
「……どう云うことだ?」
「そのままの意味だ。この集落には、銀行の類が存在しない。むしろ、あるような地域に見えるか?」
言われて、俺は初めて、周囲に目を配らせた。それに映る家々は、木と土の茶色い壁。平屋が連なり、一つの住居に複数の家族が、鍋のように押し込められている。その家を囲む迷路のような細道から、子供がはしゃぎながら駆けて来ては、また別の迷路に吸い込まれいて行く。子供らの服も粗末なもので、男女関係なく、草臥れたシャツに短パンといった具合だ。まともな水道が通っているかも怪しい。便所が水洗でないことは確実だ。食うや食わずの生活でないことだけが、幸いか。
……なるほど。指摘されて、今更ながらに気付かされたのも癪だが、ここに銀行の類があるとは思えないな。
これも疲労のせいかと、舌を打つ。いや待てよ。疲労のせいではない。これは俺ではない、何かのせいだ。漠然とその正体は分からないが、それは人々の発展を阻害するもの。倫理や道徳の皮を被った下衆の所業が、この事態を――環境を発生させているのだ。
俺はそれに気付かされて、また舌を打った。リズミカルだな、全く。
「これも忘れているかもしれないから、一応言っておくが、この時期のこの時間、ここ一帯の空間転移炉は閉じられているぞ。ここから開発が進んている地域に向かうには、馬でも半日以上かかる。車なら、もっと早くに着けるだろうが、ここにはそんな気の利いたものなどないだろうな」
「分かっている」
エガリヴ連邦と獣共が土地を奪い合っている影響で、この辺りの治安にも不備が出てきている。そのための処置だ。
ああ、クソ。俺の腹が膨れない戦争なんてクソだ。
しかし、そう愚痴ってばかりいても金にならん。雄弁は銀だが、逆に言えば、雄弁に語らなければ価値はないに等しいと云うことだ。雄弁な愚痴など聞いたことがない。
雄弁に語るにはまず、インプットが必要だ。インプットに必要な情報は、探索によってのみ得られる。
その探索に役立つツールとして、偉大な先人たちが残したものがある。それは今夜の晩御飯から諜報活動に至るまで、あらゆる分野で幅広く使用されることで、その重要性を証明している。
地図だ。これを使えないものは、人類とは言い難い。
「この近くに野茨協会の出張所があるようだ」
「そこは連邦政府から銀行や両替商を営む許諾を得ていないぞ」
ブラウザに表示された地図を確認し、フギンが検索した情報を告げてきた。確かに、その提示された一覧には、この出張所は含まれていない、が。
「日暮れの両替商は詐欺師と同義。電気も通っていない地域で、そんなものは最初から当てにしていない」
「じゃ、なんのために行くんだ?」
ムニンが関心がない様子で訊ねてきた。
「何か仕事を斡旋してもらう。日銭くらいなら、多分なんとかなるだろ」
「今から仕事があるかよ。こんな寂れたところに」
「素直に覚悟を決めて、野宿すればいいのに」
ごちゃごちゃとうるさいな。少しは建設的な意見を出せ。お前らの言葉は愚痴にも劣るぞ。
●
野茨協会(DR-S)。大陸中西部を中心に、世界のほぼ全域に支部を置き、事業展開を行う企業グループだ。その前進は、国家とは別に発達した自警組織や、貿易組織の共同体。会員になると様々なサービスを受けることができる。野茨人材派遣(DR-F)による仕事の斡旋もその一つだ。むしろ、DR‐FはDR‐Sの中核を成す。
思考する魔本のフギンと、記憶する魔剣のムニンを携えるフレイも、吟遊詩人のコードネームで呼ばれるDR‐Sの会員だ。
白い肌に、灰色がかった金の髪。猫のように黄色い瞳。その身にまとう衣装は夜の雪色。鳩尾から鼻頭までを覆う、木目細かい布でできた衣装。二振りの剣。
どう見ても吟遊詩人には見えない。
普通に怪しい。
事実、先ほどから町の人間が彼を目にする度に、その視線を伏せ、恐れるようにその場を離れる。
いや、恐れるようにではない。忌避している。
●
流石に蝙蝠の羽を纏っていると、一般人の警戒度が半端ではないな。そう感想を抱いてはいるが、俺はその首に巻いた、肩や顔半分を覆うその布を取る気はない。別に、火傷があるとか、そこに封印が施されているとか、外すと力がでなくなるとか、そう云うことでもない。
蝙蝠の羽と云う名のこれは、エガリヴの北方民族、イラァ人の民族衣装であり、術具でもある。と、そう大仰に言っても、所詮はただの防寒具兼ガスマスク程度の機能しかないため、日常生活では外してしまっても構わないが
「それ外したらどうだ?」
「趣味だ。趣味」
頑なに拒否。それは俺が蝙蝠の羽を、幼い頃から常に着けていることに由来する。
「完全な依存だぞ」
「そう言われてもな」
「無駄だ、フギン。もうこいつのこれは一種の呪いだ。治らねぇよ」
「イラァの民が呆れた様だな」
大陸最北端にある、イラァと呼ばれる地に住む民族は、エガリヴ連邦に属しながらも、エガリヴ聖教の教えとは異なる信仰を続けていた。それを快く思わなかったエガリヴ聖教会は、弾圧的な教化政策を開始。その最中、咎を受けた多くの者が虐殺された。
こうしてイラァは歴史上で初めて、そして唯一、エガリヴ聖教会に正面から牙を剥くことになる。
戦いはエガリヴ側の有利で始まる。しかし、イラァ人が天上の星々に頼ることのない独自の術法を持っていたことと、魔王国の加勢によって、一時は連邦を危機的状況にまで追いやった。
その戦いの中、魔術に優れた彼らは闇の中を暗躍し、敵方の要人を幾人も暗殺。戦場でも多くの敵を葬り去った。その際、彼らは北方の魔術師と呼ばれ、そのトレードマークである蝙蝠の羽も、恐怖の対象となった。
「前の反乱の時に前線を維持していたのはアステリア軍だが、ハチコモリから来た獣人軍とも、一戦交えたな」
そう云った事実も、俺がこの周辺の人々に恐怖を与える原因となっている。
エガリヴ連邦で最大の領土を持つハチコモリは、その南に位置し、この場所からは南東だ。広大な森が生い茂り、ここ一帯の都市と領邦を実質的に束ね、その王が獣人と云う、連邦にしては珍しい領邦だ。
「まぁ、この辺は人間の住処で、獣人共はもっと南に引っ込んでるから、因縁吹っかけられることもねぇだろうけどよ」
魔剣が、やや残念そうなトーンで呟いた。そんなに暴れたいのか、お前は。
ここはエガリヴ連邦の南の端。ハチコモリに従うムツタニ領。エガリヴに対する信仰心は薄くとも、こんなところに俺のような人物が立ち寄れば、そこに住むものが恐怖するのは当たり前で、避けもする。
「だが気にしない」
「しろよ。もう一度言う。気にしろよ」
●
迷路を歩むこと数分、DR‐Sの出張所に到着した。
その外見は、周囲の建造物とは異なり二階建て。鉄とコンクリートの、無機質で堅牢なものだ。この外観は頼りになりそうな印象を持たせてくれるが、どうも味気ないので好きになれない。
扉は、ガラスに細長い取っ手が付いている両開き。そこから中を伺うと、この辺りの住人の憩いの場と化しているのが判明した。
酒盛りしてやがる。
構わず、扉を体で押すように開く。俺は正規の用件で着たのだから、遠慮などする必要がない。
おっさん共の、意表を衝かれた顔と視線を無視して、受付に直行。
「何か仕事を寄越せ」
用件を短距離テレパスで吐き捨てた。面倒だから暗号化はしていない。
「おいおい、挨拶素っ飛ばしてその物言いとは、イラァ人は礼儀も知らないのか?」
カウンターの向かいから、同じく暗号なしの短距離テレパスを飛ばしてきたのは、禿だった。それも、髪に未練はないとでも自己主張するかのような、つるっ禿だ。日焼けまでしている。
肌は日に焼けているが、それでも白い。彫りの深さや体格の良さから考えて、ラド系だな。その皮肉な言いようが、実にラド人らしい。
「吟遊詩人のフレイだ」
「たくっ、人の話しを……ん? あんたがフレイか?」
「ああ」
「おお、そうか。ジャックの奴から聞いてるよ。こっちに、あんたが来るかもしれないから、そんときは、よろしくしてやってくれってな」
こいつもジャックの知り合いだったのか。今は帝国にいるジャックも、元はこの辺りの生まれだと聞いたことがあるが、もしかして、ここが地元なのか?
「いやしかし、話に聞いていた通り、全く無愛想なガキだな」
黙れ禿。もう数えで十六だぞ。成人だぞ。
「んで? どんな仕事をご所望で?」
「今日の宿代を都合できればそれでいい。この辺の飲み屋か何処かで、笛も吹こうかと考えている」
「お巫山戯好きな吟遊詩人なら、それでいいかもしれんが……笛なんか吹いてたら、他にまともな芸なんぞ、できないんじゃないか?」
「それは、この本と剣が行う」
そうして取り出して見せるのは、ドラゴン革の表紙に金箔の装飾が施されたフギンと、ガードとグリップ、ブレード部分がほぼ同じ長さで、大きなグリップガードと馬鹿でかいポンメルを持つ、ムニンだ。
「ん? なんだこりゃ?」
この素っ頓狂な反応も分かる。
今のご時勢、紙媒体の本ですらお目にかかる機会など、普通はない。その上、合成樹脂媒体の本など、一部の貴族が道楽で集めているものを除いたら、ほとんどないだろう。ムニンに関しても、これを剣だと認識するには、まず柄と鞘の関係を把握しなければならない。それに気付くまでに、数秒はかかるものだ。
だがそれでいい。この二体は、本や短剣として使用するものではない。
「人工知能と擬似感情を搭載した、思考補助デヴァイスだ」
つるっ禿は、訝しげな顔で毛のない頭を掻く。
「ほー、ただの派手なペラペラの塊と、斬り難そうな短剣にしか見えんが……。いや、貶してるわけじゃない。凄ぇ擬態だなってことだよ。この辺じゃ見かけないしな」
フギンやムニンを始めたとした補助デヴァイスの類は、エガリヴ聖教会の関係者しか所持することを許されていない。それは、これらが元は聖教会から悪魔と同じ扱いを受け、式神や使い魔などと呼ばれていたからだ。いや今でも、そう云った呼称を用いることはある。異教の術で運用されるのが式神。俺たち異端の者や、忌み嫌われる者が用いるのが使い魔だ。式神が忌避の対象になるかは状況によるが、使い魔は話が別だ。
どうやらエガリヴ聖教会は、天上の星々の影響下から外れるものを、とことん嫌うらしい。と云っても、最近はそこまで規制が激しいわけではない。我らイラァが起こした反乱以後、異教徒・異端者に対する弾圧が緩くなったからだ。それは宗教への過度な弾圧が、国際条例で禁止されたことも理由の一つだろう。それを無視して、教化政策を断行したエガリヴは、異種族会議で手酷い仕打ちを喰らった。
現状、エガリヴ聖教主のお膝元以外では、公にしない限り、補助デヴァイスの使用は黙認されている。更に、ロズデルン帝国では補助デヴァイスの使用・販売・制作を全面的に許可し、その国力を増している。
それに追い付かれないためにも、建前より、実を優先させた結果なのだろう。
「問題はないだろう?」
「つってもなぁ……」
カウンタ向こうのつるっ禿は、それでも頭を掻いている。
「何か都合の悪いことでも?」
まさか俺の知らぬ間に、この地で聖教会の取締りが強化されたとかでは……ないだろうな。
「この前、ルジノスから発布された御達しがあってな」
マジか。
「酒を始めとした趣向品を控えろだってよ。砂糖や女もだ」
周囲の状況を見るに、控えるつもりは毛頭ないらしい。禿だけに。
しかし、これでここが酒盛り会場になっている理由も頷けた。酒場の営業を表立ってできなくなったからだ。
だがDR‐Sの出張所内であれば、エガリヴも強くは出れない。領土のない他民族国家と呼ばれるほど、DR‐Sの力は強大なのだ。実質的な治外法権。これが各国にとって犯罪の温床にもなっているため、社会問題化し、裏では何かと揉めているようだが……。
それはいい。それはいいが、これでは俺が笛を吹く場がない。ここで仕事をしようかとも考えたが、支部や出張所内での営業活動は御法度になっている。荒れるから。
何故そんな面倒な御達しが下ったのかと、考えを巡らせる。
「例年の、南への出兵が原因か?」
「それもあるけどよ、多分、俺たちへの嫌がらせだ」
つるっ禿は片肘を突きながら、苦々しげに吐き捨てた。
本来、ハチコモリ郡周辺を根城にする獣人たちは、エガリヴ聖教から見れば魔人と同じ、忌むべき対象だ。
その起源は古代文明の中頃に遡ると言われ、人間の筋肉・神経・感覚器官の一部を、獣に置き換えた人間主体の獣化型獣人だ。魔人が作り出した動物主体の人化型獣人や、古龍などが変化したものとは異なり、人間との交配も可能。造り出された経緯や目的は不明な点が多いが、愛玩や労働など、多岐に渡る分野で活用されたという。しかし古代文明が滅びた後は、その大半が野生化。大陸西部の樹海・荒原・湿地地帯をテリトリーとし、人類と激しく争った過去もある。
そうした歴史を経て、今から十五年前、各高知能生物の代表を集めた異種族会議が開かれた際、人類と獣人が和解。そしてその一部勢力は、エガリヴ連邦に加わる運びとなった。
だが、それでも全ての獣化型獣人と和解できたわけではない。人間と反目し合うことを選んだ獣人たちは、未だにエガリヴ連邦から南の自由開拓地域を陣取り、自然保護を大儀に、各国に対してテロ活動を行っている。
それに対抗して、秋の収穫後にエガリヴ連邦が行うのが南への大遠征。……と云うことになっているが、エガリヴの領邦はそのどさくさに紛れ、ちゃっかり帝国の領土も切り取りに掛かったりなんかもしている。
「エガリヴの糞が」
魔剣が呟いた。
「全くだ。あんたんところが、もうちっと頑張ってくれりゃ良かったのによ」
そう苦々しげに言った後、誤魔化すようにガハハと腹で笑い出す。このつるっ禿、かなりの不信心者だな。
「冗談でも、そんなことは言わない方がいいぞ」
「いやいや、あんたに言われりゃ世話ねぇな。ガハハハ」
「あははは」
苦笑いで返す他ない。
「いや待て。笑っている場合ではない」
「一晩の宿代だよな?」
世界の命運とか戦争とか、どうでもいい。それよりも寝床だ。
「まぁ、一晩ぐらいなら、家に泊めて――」
このつるっ禿、良い奴だな。
「やりたいが、家のかぁちゃんが、戦争で弟をイラァ人に殺されたとかで……な?」
俺は今までの生涯の中で、最も戦争を憎んだ。
「あんたの嫁、アステリ……いや、獣人なのか?」
「まぁ、な。ネウロイ人とのハーフ」
血統を重んじるネウロイ人にしては、珍しい。なんてことは、今はどうでもいい。
「もうこうなれば、皿洗いでも薪割り何でもいい。ガキの子守もするぞ」
だから日が落ちる前に寝床を。
「おめぇさんに子守ができるとは思えねぇけどなぁ!」
「てめぇの子守が必要な歳じゃねぇかよ!」
「そんなに寝床が欲しけりゃ、とっととママのお腹に帰りな!」
後ろからテレパスではない野次――音波言語が飛び、その直後に笑いが生じる。
うるさい斬るぞこの野郎共。俺にはラド系言語が解らないとでも思ったか。
「まぁ、そこまで言うなら、ないことはないが」
「何だ? 洗濯か?」
「……こんな時間に洗濯はねぇよ」
後ろの笑いが大きくなる。夜道には気を付けろよ。
「お前さん、ジャックからの話だと、それなり以上に腕が立つらしいじゃないか。小竜ぐらいなら、殺れるぐらいには」
後ろからの笑いが引いた。
「五、六匹なら、同時に三枚下ろしにできる」
そう言いながら、腰に帯びる黒塗りの鞘を撫でた。流石に三枚下ろしは盛り過ぎだが、似たようなことは可能だ。
後ろから咳払いが聞こえる。
「なら、心配ないな。実はよ、さっきの御達しのときに、少し厄介な依頼が聖教会から来てな」
そう言った禿は、鼻の頭を指で擦ってから、暗号化された短距離テレパスを送ってきた。協会から俺専用に割り当てられている鍵を当ててみる。すると、テレパスの内容が感覚的に把握でき、それが音として脳に認識される。
その声色は、少々、重苦し気な色だった。億劫な印象。ザラザラとしているが肌に吸い付く感触。押してみても圧は感じないが、知らぬ間に全身が呑み込まれている。厄介事の色。
「魔神の討伐だ」
「魔神?」
聞き違いではないかと、そうであって欲しいと問い返すが――
「ああ、エガリヴ聖教会から、人の世を乱すものとされ、人類の敵と定義されたものだよ」
その思いは届かず。いや、テレパス会話なのだから、こちらの想いなどはある程度、この禿にも伝わっているはずだ。だが、禿からしてみれば「んなこと言われてもしゃーないやないかい」と云う感じか……。
禿は、俺の落胆を無視して話を進める。
「ここからちょいと北に向った山ん中に村があってな。そこの村、去年に続いて今年の夏も日照りが続いた後に、大規模な洪水があって、爺婆が『モノカミ様がお怒りじゃー』とかなんとか。笑えないのが、そのモノカミ様ってのが本当にいてよ。村の子供を八人を差し出したら、来年は豊作にするとか……」
よくありそうな、使い古されたネタだな。その怪物は、一睨みで生物を石に変える物か? それとも酒好きで、八つの尾と頭を持つの大蛇か?
「まっ、要するに、自称神の化けモン退治だ」
禿は腰に手を当て、身を軽く反らした。
「土着信仰の神殺しか。リスクが高すぎる」
大抵こう云う手合いは、フィジカル的にもメンタル的にも手に負えない。原始的な術式を使い、人心を掌握・洗脳している化物ならば、俺も躊躇しない。だが、そうではなく、その地域の人々の精神の拠り所・魂の有り所・自身の証明になっている場合は、良心が咎める。
それだけではない。俺は宗教上の理由で、他人の宗教観に立ち入ることは好まない性分だ。それが例え、生贄だろうが人柱だろうが関係ない。だが食人、お前は駄目だ。
それになにより、さっき抜けてきた山に、また入るのが嫌だ。
「それは依頼料と依頼主確認してからにしろよ」
だから食人も登山もしな……ああ、依頼の話か。
「なんと、聖教主様から直々のご依頼だ。あんた訳ありなんだろ? こんな家業から足洗えて一気に出世するチャンスだぜ?」
「まるで俺たちが犯罪者のような言い草だな」
まるで俺たちが犯罪者ないしは無職のようではないか? ――このような言葉から始まる一連の文言は、俺たちDR-Fの会員がよく使う、自虐を込めた定番ギャグのようなものだ。その流れは、次の返答で完成する。
「へっ、似たようなもんだろ?」
俺は溜息を吐いた。
テレパス会話の描写に抜かりがあるような気がするけど、気にしたくない。