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戻る音


第十二話です。


人の記憶は、ときどき突然よみがえります。


そのとき、

戻るきっかけになるのは

ほんの小さな音だったりします。




朝の森は薄い霧に包まれていた。


鳥の声が遠くで聞こえる。


二人は並んで歩いていた。


風は弱い。


葉がかすかに揺れている。


しばらくして、彼女の足が止まった。


「……ここ」


騎士が振り返る。


「どうした」


彼女は森の奥を見ている。


木々の間。


空気がわずかに歪んでいる。


騎士はすぐ剣の柄に手を置いた。


「影か」


彼女はゆっくり首を振る。


「まだ」


沈黙。


「でも」


風が弱く止まる。


「なりかけています」


騎士は森を見る。


黒い揺れがある。


煙のような影。


まだ形は薄い。


だがゆっくり広がっている。


騎士が言う。


「離れろ」


彼女は動かない。


影を見ている。


騎士が言う。


「危険だ」


彼女は小さく言う。


「待って」


沈黙。


「ここ」


少し考える。


「怖かった場所です」


その瞬間だった。


影が大きく揺れる。


森の空気が重くなる。


彼女の足元に触れる。


冷たい。


その瞬間


別の景色が浮かんだ。


暗い部屋。


倒れた椅子。


割れた皿。


怒鳴り声。


そして


鉄格子。


向こう側に立つ兄。


彼女の呼吸が浅くなる。


身体が動かない。


物陰から見ている。


怖い。


声が出ない。


風が止まる。


騎士が言う。


「戻れ」


彼女は動かない。


影が足元で揺れる。


騎士が剣を抜く。


金属の音が森に響く。


そのときだった。


別の音が浮かぶ。


ぱちり。


薪がはぜる音。


夜の森。


火の向こうに座る騎士。


同じ速さでパンを食べる時間。


静かな風。


森の匂い。


彼女が小さく息を吸う。


胸が動く。


鉄格子の景色が遠のく。


森が戻る。


騎士の声が聞こえる。


「戻れ」


彼女が言う。


「……大丈夫」


風がわずかに動く。


影が揺れる。


騎士の手が震える。


剣は振り上げられている。


長い沈黙。


やがて影が崩れる。


黒い煙のようにほどける。


風が森を通る。


影が消える。


彼女はその場に立っていた。


騎士は剣を握ったまま動かない。


やがて剣を下ろす。


長い沈黙。


彼女が小さく言う。


「……怖かった」


騎士が言う。


「分かる」


風が森を通り抜けた。


第十二話を読んでくださってありがとうございます。


この回では、主人公が過去の記憶に触れる場面がありました。


人はときどき、

過去の時間に引き戻されることがあります。


そのとき、

戻るきっかけになるのは

ほんの小さな感覚だったりします。


物語はここから、

二人の過去がさらに深く重なっていきます。

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