2話
知らずの間に警戒を怠ってしまっていた。
その事実に悠陽は苦虫を噛み潰したような、何とも言えない気持ちになる。
いつもならこの距離に人が来たら気付く。だが悠陽はここまで近付かれるまで少女に気付かなかった。
それはつまり、悠陽が周りの警戒を怠り、気を緩めていたと言う事。
悠陽は少女の出方を警戒しながら見る。いつでも動けるように気は緩めずに。
だがやっぱり人には自我があるから、そう簡単に悠陽の予想や予測通りに動いてくれない。
「やっぱり人じゃん!」
悠陽を認識した少女は、とても楽しそうにキラキラと目を輝かせて笑う。
「ねぇねぇ、君は何でここにいるの?」
警戒している悠陽が見えていないかのように、少女は金の髪を靡かせて悠陽の方へ嬉しそうに歩いて来る。
悠陽はそれを見てゆっくりと下がっていくが、どう見ても少女が悠陽に近付く方が早い。
走って逃げない限りは少女は悠陽の元に来る。
悪意が無いと言っても、悪意を隠すのが得意な者は沢山いるのだ。だからこそ少女を簡単に信用してはならない。
少女に対して気を緩めるな。少女がどちらなのか分かるまで、決して油断してはならない。
今までだってそうだった。
悪意を感じなくても、大体が悪意を隠していただけ。悠陽に近付いて来る者は、絶対に何らかの悪意を悠陽に持っている。
きっと悠陽に悪意を持たない者なんていないのだろう。きっとそれは家族を殺してしまった悠陽の定めなのだ。
例え本当に目の前の少女が悪意を持っていなくても、悠陽の能力を知れば少女はすぐに悠陽に対して悪意を持つようになる。
今までだってその繰り返しだった。
普通の人も、最初は本当に悪意を持たず悠陽に接して来る。
だけど悠陽の能力について知れば、皆悠陽に対して悪意を持ち始めていくのだ。
そして最後には悠陽を拒み、皆同じ顔をしながら悠陽から離れていく。
何故なら悠陽のこの能力は、悠陽を含んだあらゆるものを破壊する力。
彼等にとってこの能力を持つ悠陽は、彼等を害するだけの恐ろしい存在。ただの化け物なのだ。
そんな恐ろしい化け物を信じられる訳が無い。
だからこそ悠陽は、人を信じられなかった。
信用したところで結末は同じ。なら誰も信用しない恐ろしい化け物でいた方が楽で良い。
目の前の少女もきっと今までの人と同じ。どうせ離れて行くなら近付いて来ないで欲しい。
───期待させるような事を、しないで。
ゆっくりと離れて行く悠陽とは違い、少女は笑いながら近付いて来る。悠陽は未だに少女を判断出来ずにいた。
故に逃げる事が出来なかった。いや───もしかしたら、逃げたくなかったのかもしれない。
こんな所に来る人は滅多にいない。だからこそもしかしたらこの人は、と思ってしまったのかもしれない。
悠陽は、期待してしまったのだ。この人なら、離れていかないかもしれない、と。
そんな事ある筈がないのに。
目の前の少女は楽しそうに目を輝かせて笑う。少女が何を考えているのかは分からないが、悪意は隠していないし、とりあえず今は悠陽に悪意は持っていない。
ならば警戒をしなくてもいい。でもいざとなれば動けるように、気は張っておく。
悠陽の雰囲気が変わった事に気付いたのか、少女は先程とは明らかに速さで、悠陽に近付いて来た。
「ねっ! 君の名前なんて言うのっ? 私の名前は〝文使 笑美〟。君の名前は?」
少女の勢いに押されながらも、ゆっくりと口を開く。
名前を知ったら、私の噂に行き着く。そうすればこの少女も離れて行くに決まってる。
それに名前を言わない限り、目の前の少女はずっと聞いてきそうだ。なんとなくそう感じ、大人しく口を開く。
「⋯カっ⋯⋯⋯⋯」
だが声が裏返った。
悠陽は長年喋ることをしてこなかった。
街の皆も悠陽について知っているので、悠陽に話しかける事はしないし悠陽だって街の人に話しかける事はしない。
この6年間、必要最低限の言葉しか喋った事が無い。だから緊張でまともに喋れなくてもしょうがないだろう。
だが悠陽にとっては、まともに喋れなかったと言う事実が痛いほどにその身に叩き込まれた。
まともに喋れない。そんな人と一体誰が喋りたいと思うのだろう。
少しでも話しかけてくれたのに、完璧に喋れなかった。きっともう、目の前の少女は悠陽の事を面倒臭いと思い始めている。
また、言われてしまう。また思われてしまう。また───
──「化け物、近付かないで」
──「まともに喋れないなんて、人間のふりも出来ないのかね。」
──「化け物の癖に、人間でいようとするなよ!」
また、嫌われてしまう。
「⋯⋯っ」
身体の底から溢れ出て来た何かに耐えられなくて、悠陽はその場から駆け出した。
少女に背を向けて教会の広間に出来ていた微かに崩れていたステンドグラスの壁から、外へと飛び出す。
もちろんこの教会の広間は四階程の高さにある。
その為、広間のスタンドグラスに出来ている隙間の壁から飛び出て外に出た悠陽に待ち受けていたのは、九メートル程の高さからの落下。
だが悠陽にとって、この高さは恐れるものでは無かった。
いつものように外壁の窪みや突き出た壁の一部を掴んだり、蹴ったりして地上へと降りて行く。
普通の人はこれを見せるだけで恐怖の目や侮蔑の目で見てくる。
どうやら能力を使わずにここまで動ける悠陽は、人間では無いらしい。
だからきっとあの少女も、あの場所に来る事は無くなるだろう。
少しの落胆と悲しさを胸に秘めながらも、今感じた感情は気のせいだと頭を振って、地上に降りた悠陽は走った。
あの少女はもうあの場所には来ないし、悠陽に関わってくる事は無くなる。そう思っていた。
「追いかけっこ?」
「⋯⋯ッ」
地上を走る悠陽の隣を、当たり前かのように並走する少女の姿を見るまでは。
悠陽は目を見開き絶句する。だが悠陽の身体に染み込んでいる本能は、足を動かし続けて逃げる為に走り続ける。
そして絶句している悠陽が見えている筈なのに、少女は何事もなかったように悠陽の隣を並走して喋り続けた。
「ねぇねぇ、君足早いねぇ。何かやってるの?」
少女はなんて事なさそうに悠陽の隣を並走し、喋る余裕すらある。それに悠陽は、ぞわぞわとした何かが背中を這い上がっていくのを感じた。
これでも悠陽は自分の足に自信があったのだ。
足が速いからこそ悠陽は危険とされる街の外に一人で出られるし、今までだって魔物に遭遇しても逃げ切れた。
一度だって魔物に追いつかれた事は無い。
なのに少女は難なく悠陽について来た。まるで散歩でもしてるかのように楽々と。
そんな少女に悠陽は怖くなり全力で走った。
速さ特化の魔物から逃げ切る事が出来る自分の足で、少女を撒こうと考えたのだ。
一度深く踏み込んで溜めた力を、一気に解放して全力で走る。
「おわっ!」
全力で走る悠陽に驚いたのか、少女は驚きの声を上げる。だがその驚きの声すらも、全力で走る悠陽がすぐに遠くへと消し去った。
(分からない分からない⋯ッ、怖い⋯ッ)
急に湧き出て来た恐怖に悠陽は半ば混乱状態でありながらも、その足はスピードを落とす事なくしっかりと全力で走っていた。
どこに向かっているかは悠陽にも分からない。だが少しでも早く少女の遠くに行かないと。そんなよく分からない感情に支配された。
あの少女が悠陽に何かしたのだろうか。いや、きっと少女が悠陽に何かをしたのだろう。そうでなければ悠陽がこんなに心をぐちゃぐちゃにされる筈が無いのだ。
今だって悠陽は何とも言えない感情に、恐怖を覚えている。
今までほんの少し感情が揺れる事があっても、ここまで大きく動く事は無かった。
悠陽は本当におかしくなってしまったのかもしれない。
今まではどんな時でも冷静でいられたのに、今は心臓が激しく動いて息すらまともに出来なくなっている。
あの少女と会ってからだ。悠陽がいつものように冷静でいられなくなってしまったのは。
こんなにも感情が溢れ出しているというのに、悠陽はその感情に蓋をする事が出来るほどの余裕は無かった。
今一瞬でも気を抜けば、これからこれ以上ない恐怖が襲ってくると感じていたから。
「っはーーー、はーーー、⋯ふー⋯⋯」
少しでも早く落ち着くように大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐いていく。
自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸を繰り返す。そうすると悠陽のいつもと同じ丈夫な身体はすぐに平常状態に戻っていった。
いつもの状態に戻ってから漸く、悠陽はいつもの調子を取り戻せた。そしてふと、悠陽は気付いた。何か暗い。
(⋯工場⋯⋯?)
悠陽がいたのは、様々なあらゆる機械が置いてある工場らしき場所。
少し外れて歪んだ状態の歯車達。大きな箱のように見える程大きい金属のボウル。金属で出来た細長い棒に、穴が空いた土管。
その他にも釘や鉄、人の腰辺りまであるただ大きいだけの、使い道が分からない謎の金属の塊。
それらの小物は床に散らばり、大きい金属の塊達はしっかりと壁や床に固定されている。
一見すると普通の廃れた工場。
だが悠陽は一つ気になった事があった。
(⋯廃都に工場なんて建物⋯あった⋯?)
悠陽は今の親戚の家にお世話になり始めてから今に至るまで約5年間の間、毎日この廃都へとやって来ては廃都中を見て回って来た。
それはもう、廃都中全てを見て回ったと言っても過言じゃ無い程に。
だが悠陽はこの5年間、一度もこんな工場を見た事が無い。悠陽は5年間もの間、この廃都を見て回っていたのだ。見間違う筈がない。
なのにこの工場はここにあった。まるでこの工場が急に現れたかのように。
「⋯っ」
悪寒。
急に襲って来た悪寒と本能。それらがここは危険だと警鐘を鳴らす。
その警鐘に息を詰まらせてしまいそうになりながらも、悠陽は表面上は冷静にしながらもなるべく素早く工場から出て行く。
何でも無いように振る舞うのは、悠陽の最も得意とするところだ。
動け。早く。決してバレるな。気付いたと、何かに勘づかれるな。そう本能が告げる。
バレてはいけない。
何になのかは分からないが、何かに悠陽が逃げようとした事を悟られてはいけない気がしたのだ。
悠陽がこの工場は変だと気付いたと何かに気付かれれば、終わりだと。そう感じた。
工場から無事に出れたあとは、なるべく遠くまで離れる。工場近くにいたら、気付かれそうな気がするからだ。
もし気付かれればあの工場から逃げられなくなる。そう本能が警鐘を鳴らしていた。
今までだって一度も本能による警鐘が間違った事は無い。
だからこそ悠陽は自分の本能による警鐘を信じ、全力であの工場から逃げたのだ。
工場から出て数十分。工場からだいぶ離れた縦に長い建物に着き、悠陽は走りを止める。
横よりも縦の方に長いこの形状の建物は、恐らくホテルだろう。
廃都が街として機能していた時は、きっと人気のホテルだっただろうと思える外見をしていた。
悠陽は廃ホテルの中に入り、入り口に近い場所にあった埃の被った椅子に腰を下ろす。
だがいつでも動けるように悠陽は椅子に浅く座り、すぐに異変や人に気付けるように周りを警戒する。
だが椅子に座り少し安心したせいか、一気に疲労が悠陽を襲って来た。
だがそれと同時に、漸く工場から離れられたと実感した悠陽は、気を抜いて息を吐く。
もう大丈夫だ。ここではあの悪寒は感じない。本能が鳴らしていた警鐘がどんどん小さくなっていく。
あれから逃げ切れた。ここは少なくとも今の所危険は無い。
そう悠陽が安心した次の瞬間。
───どおぉん!!
バチバチバチという何かが弾ける音と共に、爆音と共に火柱が上がった。




