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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第2章 祈りの涙、届かぬ想い
9/42

4.

 村役場の一室に案内された御影たちは、順に村人からの聞き取りを始めた。

 調査対象は、先に領主館から受け取った報告書に記されていた者たち。黒ずんだ大木を伐ろうとして怪我を負った者、木のから奇妙な声を聞いた者、木の付近で兵士の亡霊を見た者――いずれも体験の記録が詳細に書かれている。


 が――


「……そりゃあ、木ぃに近づいたらケガした、てのは事実です。でも、ただの偶然だったんじゃねえかと……」

「声? いや、たぶん獣の鳴き声ですよ。狐とか、そっちの……」

「酔っ払ってたから、木の枝とかでそう見えただけだよ」

 返ってくるのは、どれも事前の調査書と書かれている話と変わらず、曖昧で決定的なものはなかった。御影は無言で応対しつつ、筆を走らせる桃原を時折ちらと見るのみ。久世に至っては、御影の背後で腕を組み、目を細めて村人の様子を注視していた。

「……あの、他に何か変わったことはありませんか? 昔話とか、このあたりに伝わる言い伝えでもいいんですが……」

 桃原の問いかけにも、三十代、四十代の村人たちは一様に首を横に振る。

「この村は、むかし大きな戦争のとき、戦場になったんです。うちはその時代の名残くらいしか、よう知らんです」

「父ちゃんたちの世代になると、もう戦火の片付けでいっぱいいっぱいだったし……それ以前のことは」

「へえ!ここ戦地だったんですか!?道も田畑もきれいに整えられてて、全然分からなかったです!」

「ああ、そうなんですよ! 領主様の御先祖様がかなり優秀な方でして……いえ、今の領主様も素晴らしい方ですよ!お貴族様ってだけで偉そうにすると思ってたけど、全然違うんです。気さくで、こちらのこともよく見てくれてて」

「お時間がある時は、わざわざ様子を見に来てくれるんですから。ありがたいことですよ」

 桃原は感心したように目を細め、「やっぱり、領主様がしっかりしていると村も安心ですね」と心から述べた。御影はというと、軽く扇子をいじりながら、ただ「ふーん」とだけ呟いて、あまり興味がない様子だった。




 だが、高齢の者――七十を越えていそうな年寄りたちになると、事情はやや異なる。

 桃原が“泣く木”について尋ねると、老人のひとりが「おお」と低く唸った。

「いつから生えとったって……わしが子どもの頃から、ずーっとよ。わしらが若い頃は、肝試しで真夜中にあの木を見に行ったもんじゃ。どこの村にもある話じゃろ? 若い者が騒ぎすぎなんじゃよ」

 そのひとことに、周囲の年寄りたちも「そうそう」「昔よく行ったなあ」と口々にうなずく。すると、別の老人がふと首をかしげた。

「……でもよ。子供のときから、あんなに炭でも塗ったみたいに真っ黒じゃったかのう?」

「さあなぁ……わしら年寄りだからのう。昔のことは、あまりよう覚えとらんのじゃよ。なあ、みんな?」

「そうそう」と誰かが返し、他の者たちも笑いながらうなずく。

「昔話なんて、今さら役に立つもんじゃあるまいし。それより春先の用水路の掃除のほうが、よほど一大事だわい」

 おどけたような口調に場の空気もやや和らいだが、どの顔にも、どこか言い知れぬこわばりが残っていた。まるで、本当のことは笑いの中に紛れさせておきたいとでも言うかのように。


 桃原は困ったように御影へ視線を向けた。彼は相変わらず、つまらなさそうに扇子をいじっている。話を聞いているのかどうかも判然としない……そう思った、そのとき、

「……では領主のことはどう思う?」

 御影が手元の扇子を静かに閉じ、不意に口を開いた。

 唐突な問いに、ひとりの老人が「領主様……?」と小さくつぶやいた。ほんの一瞬の戸惑いの表情を浮かべたのを御影は見逃さなかった。

「領主様と、なにか関係でも……?」

 老人が慎重な声音で問うと、御影は肩をすくめ、あくまで興味なさげに応じた。

「いや。若い村人たちが領主のことをいたく褒めていたのでね」

「ああ、そういうことでしたか」

 そう答えた老人の顔に、目に見えて安堵の色が浮かぶ。するとそこからは、まるで堰を切ったように、口々に声が上がった。

「本当に、立派なお方ですよ。若いが、よく村のことを見てくださっておる」

「税もきつうないしなあ」

「ああ、子どもにも年寄りにも優しい。わしの孫も、一度褒められたことがあるんじゃ」

「ふつうはお貴族様ってのは、もっとこう……遠いもんじゃがのう」

 それは実に滑らかな口ぶりだった。言葉は途切れることなく続き、誰かが止める隙もない。あまりに整いすぎた賞賛。まるでそう語るよう、あらかじめ示し合わせていたかのように。


 御影は無言で彼らの表情を眺めた。

 さっきまで「昔のことはよう覚えとらん」と口ごもっていた者たちが、このときだけは表情も口調もはっきりとしている。領主の名を出したときに一瞬走った緊張。そして今は、それを帳消しにするような褒め言葉の応酬。

「不自然ですね」

 今までずっと黙って様子を見ていた久世が、御影にだけ届くような声でそっと呟いた。

 「ああ」と御影も短く同意する。


 村の老人たちは一体、何を隠しているのか。

 今のところ、その核心にはまったく届いていない。


 なおも盛り上がり続ける老人たちと、楽しげに相槌を打つ桃原。その様子を横目に、御影はふと彼らの背後――開け放たれた障子の奥に目を向けた。

 

「久世」

 低く、御影が名を呼ぶ。

「……ええ、いますね」

 久世は視線を村人たちの背後へと移すと、静かに応えた。

「えっ……? いますって……なにが……?」

 桃原が戸惑って、二人の視線の先――村人たちの背後、開け放たれた障子の外を見やる。だが、そこには誰もいなかった。廊下は静まり返り、光だけが射し込んでいる。

「……誰もいませんけど……」

 桃原が困惑気味に言いかけた、そのとき、御影たちの目には“それ”が見えていた。

 


 老人たちのさらに後方、庁舎の廊下の奥。

 ひとりの女が、小さな身体を折り曲げるようにして立ち尽くしている。

 白髪の混じった髪をひとくくりに結い、淡い紫色の上品な着物をまとったその女は、御影と目が合うと、小さく肩を震わせた。そして……何度も、何度も、深く頭を下げた。その両手は胸元で固く握られ、かすかに震えていた。言葉ではない、けれど確かな懇願。何かを、必死に訴えかけている――。

「……あの女、我々に何か伝えたいようだな」

 静かに告げた御影の声に、久世もひとつ頷いた。

「ええ。……村民が語らぬ“何か”を知っている」

「ちょ、ちょっと待ってくださいって! だから、誰もいないってば……!」

 桃原はなおも廊下を見回すが、そこには風すら通らない、ただの静寂しかなかった。

(彼らは一体、何を見てるっていうんだ――?)

 まだ春先だというのに、桃原の額にはじんわりと冷たい汗が滲んでいた。

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