2.
扉の閉まる音が静かに響いたあと、御影は晴れやかな笑みを浮かべて告げた。
「さて。邪魔者はいなくなった。……本題といこうか」
その声に、笹舟伯爵の眉がかすかに動いた。だが表情はすぐに穏やかになり、浅くうなずく。
「……はい。ご説明はできる限り、包み隠さずいたします」
御影はその言葉を聞きながら、久世に渡された資料を再びめくりはじめる。重なった紙の隙間から、時折、扇子の骨が覗いた。
「黒い木――通称“泣く木”にまつわる事故が、ここ十年あたりで増えていることは事実だろう。怪我を負ったのは木を傷つけようとした者ばかりだ。だが、それよりももっと昔から『木が泣く』『血ぬれた兵士の亡霊を見る』といった証言がある。しかもそれは、子供から老人まで、年齢性別関係なく目撃されている」
伯爵は小さく頷き、静かに言葉を継いだ。
「弟の件もそうです。私は止めたものの、弟は丘を流行りの宿泊施設を建てようと計画しましてね。邪魔になった木の伐採計しようと、その調査へ赴いた矢先……落馬事故に遭いました……やはり木が引き起こす祟りでしょうか」
御影は一枚の古い報告書を抜き取り、指先で軽く弾いた。
「確かに、木はどうしても切られたくないようだな。だが、本当に祟りであるならば“怪我”程度では済まない。死人が出ていない以上、あくまで“警告”程度だろう。それに、他の怪異の説明がつかない」
伯爵の視線が揺れた。動揺か、それとも戸惑いか――壮年の紳士の面差しから真意を読み取るのは、やはり容易ではないと御影はひっそりため息をつく。
「……てっきり木が全てを引き起こしているものかと思っておりました……」
御影は扇子を閉じると、それを卓に静かに置いた。次いでゆっくりと顔を上げ、伯爵をまっすぐ見据える。その目には、見透かすような光が宿っていた。
「違う。“木を切ろうとしたから怪我をした”ことと木が泣く怪異は別の因果だ。」
伯爵は眉間に皺を寄せながら、沈黙した。思い当たる節がないのか、自問しているかのようだった。
御影は肩をすくめ、茶化すよう口調で続ける。
「まあ……木が泣くというのも幻想的だが……亡霊がそばにいると考えたほうが自然だろう」
「霊を見たのですか?」
「先ほど木の元へ行ったときは何もいなかったな。だが、微かに磁場の揺らぎを感じた。陽が落ち、夜がふけ、陰の気に包まれたなら確実に姿を見せるはずだ」
御影は久世を見やると、久世も同意のように頷く。
「……そうだな。ついでに、もう一つ」
御影は膝上で手を組み、静かに続けた。
「この館の蔵書室を拝見したい。古記録があれば、目を通しておきたいと思ってね。史実を誤認していては、鎮めるものも鎮まらないからな」
「……蔵書室を、ですか」
伯爵の目がわずかに細まった。警戒心か、驚きか――やはりその真意は読み取れず、次の瞬間には笑顔が戻っていた。
「ええ、構いません。ご案内いたします。ただ……領主館は百年前の戦で焼け落ちまして、その際、蔵書室の書物の多くは失われました。焼け残った書も傷みが激しく、保管状態が万全とは言えません。その点は、どうかご容赦ください」
御影は薄く微笑んだ。
「構わない。私は、“この地には何かある”という確信を深めつつある。……あなたも、すでに気づいているのでは?」
その問いかけに、伯爵は一瞬、言葉を失ったように口を開きかけ、閉じた。部屋に冷たい沈黙が落ちる。
やがて、伯爵は静かに立ち上がり、手を胸元で組んだ。
「……詳細は、村の古老たちのほうがご存知かもしれません。村役場にお声がけしておきます。現地で話を聞いていただければと」
「そうさせてもらおう。夜になる前に済ませたい。……夜はもう一度“泣く木”へ行きたい」
その言葉に久世が小さく反応する。彼は御影に目配せしながら、そっと囁いた。
「御影様、お気をつけて。……村も、伯爵も、何かを隠しています」
御影は久世を正面から見つめる。
「当然だろう。隠し事がなければ、わざわざ俺を呼ぶ理由がない」
その声音はどこか楽しげだった。