1.
村のはずれ、小高い丘の上に建つ領主館は、格式を保ちながらも、どこか年季の入った風情を漂わせていた。木造の梁には古びた彫刻が施され、苔むした石畳が、長い年月の重みを静かに物語っている。
その応接間の一角で、御影は椅子に腰かけると同時に、渡された文書に目を通しながら、静かに告げた。
「帝からの勅命である」
その声には威圧などなかった。ただ淡々とした響きのなかに、高位貴族としての静謐な自負が滲んでいる。久世はただそこに控えているだけなのに、その場の空気に無言の圧が感じられた。
その様子を、記録官・桃原は居心地悪そうに見守っていた。
言葉を交わすだけで緊張が走るような空気の中、一歩前へ出たのは、和やかな笑みを浮かべた壮年の男だった。笑いじわの刻まれた目元には人のよさが滲み、長年この地に寄り添ってきた者らしい温かみがある。どこか田舎の伯爵らしい親しみやすさも感じさせた。相手が高貴であろうと怯まず、かといって傲ることもない。誠実さを滲ませた人物――それが、この地を治める伯爵・笹舟であった。
「高円宮様、ご足労いただき、誠に恐れ入ります。まさか、帝都から直々に霊媒師殿が足を運ばれるとは……」
深々と頭を下げた伯爵は、続けて語り始めた。
「黒い木の噂は昔からこの地に伝わっております。しかし、ここ十年で、その怪異は明らかに激しさを増し、村人たちの生活にも大きな影響を及ぼしております。私の弟も開発に伴う調査のため現地に赴いた矢先、不慮の落馬事故に遭いました。」
その語り口に、虚偽の気配は見受けられない。
――けれど、それは本当に“霊”の仕業なのか?
桃原は眉をひそめ、伯爵の説明を聞きながら、つい表情に出してしまっていた。
(それって、ただの偶然なんじゃ……)
その瞬間、御影の視線がぴたりと桃原に向いた。懐からだした扇子をひらりと一振りし、唇に薄く笑みを浮かべる。
「言いたいことがあるなら言えば……モモタロー?」
(も、も、モモタロー!?)
突如として指名されただけでなく、からかうような愛称で呼ばれ、桃原は目を白黒させた。
「え、ええっと……その、あの、単なる偶然ということも、可能性として……」
しどろもどろに言葉を繋ぐ桃原に、御影は細く目を細め、やがて視線を外すと、何事もなかったかのようにパチンと扇子を閉じた。
「偶然、ねぇ……」
その声に続くように、手にしていた資料を桃原の膝元へ無造作に放った。
「偶然が許されるのは三度までだよ」
嘲笑うように言い捨てる御影。その物言いに苛立ちを覚えつつも、桃原は資料を拾い、パラパラとめくっていく。なるほど、確かにここ数十年の間に死亡事故まではいかずとも小規模な事故が多発しており、それ以前にも散発的に起きていたようだ。
「久世」
御影が名を呼ぶと、即座に「は」と応じた久世は、一歩前へ出るやいなや、桃原の両脇をがしりと抱え、あれよあれよという間に応接室の外へと連れ出し、いとも簡単に放り投げた。無様に転がった桃原の顔のすぐ横、久世がダン、と重く足を踏み下ろす。思わず「ヒィ」と声にならない声を上げる。
「御影様の邪魔をするな。……殺しますよ」
久世はにっこりと笑みを浮かべているというのに、その眼差しは桃原を射殺せんと言わんばかりである。
呆然とする桃原を尻目に、重々しい扉がピシャリと閉じられる。床に転がったままの桃原は、しばらく天井を見つめていた。心臓がバクバクと煩く鳴っている。顔のすぐ横には久世の足跡がくっきりと残っていた。
「やばいやばいやばい。アレは本気の目だった! 絶対何人か殺ったことある目してた!!」
誰も見ていないのをいいことに、桃原は鼻をズビッとすすり、袖で涙をゴシゴシ拭った。その顔はすっかり泣きべそ、髪もぐしゃぐしゃである。
「どうしよう……このままだと、まさかの置いてけぼり? いや、普通に困るんだけど!」
――だが彼は、まだ知らなかった。
単なる噂話と思っていた黒い木の怪異が、
帝都全体を揺るがす因縁へと発展していくことを。