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朝ぼらけ、託された想い

 星の気配が消えゆき、代わりに薄紅の光が空を染めはじめていた。

 領主館の前には、公爵家の馬車が、まるで一枚の絵のように静かに佇んでいる。霧のような朝靄が、まだ消えぬ夜の名残を引き留めていた。


 御影と久世は、人知れず館を後にしようとしていた。久世は手際よく荷を積み込んでいく。

 見送りに来ていたのは、領主笹舟伯爵とその家令のふたりだけ。肩を落とした笹舟伯爵が、どこか寂しげに言葉を漏らす。

「村人総出でお見送りしますのに、送別の席も設けぬまま……これほどひっそりと去られるとは」

 御影は、わずかに口元を緩めた。

「大げさなものは、あまり好みではないので」


 

 そのとき――

 館の奥から慌ただしい足音が響き、桃原が駆け込んできた。

「ひどいですよ! 何も言わずに帰るなんて!」

 御影は振り向きもせず、素っ気なく返す。

「なぜお前に言う必要がある?」

「少しは、打ち解けたと思ったのに……」 

 悲しげに俯く桃原を、久世が低く冷ややかに突き放す。

「図々しい」

「久世さんまで……」

 桃原の声はしぼんだ。視線は靴先に落ちていく。肩を落とす桃原を一瞥し、御影はそっけなく言う。

「まあ、もう会うことはないだろうが、元気でな」

 桃原は力なくうなずいた。

 御影という名の公爵家の光と、桃原の立つ男爵家の影は、本来交わることのない遠く離れているものだった。それでも今、この瞬間だけはその隔たりを越え、ひとつに溶け合っていた。きっと、これが最後の言葉の交わりとなるのだろう。

「……はい。御影様も、久世殿も、お元気で」

 領主にも礼を尽くし、ふたりは馬車へ向かう――


 


 が、その背に再び桃原の声がかかる。

「御影さま!」

 立ち止まった御影に、桃原は懸命に言葉を絞り出す。

「僕には霊の姿は見えませんし、感じることもできません!」

 一瞬のためらいのあと、桃原は意を決して声を張り上げた。

「でも……もしかしたら見えないものも、何か意味があるかもしれないって、思うんです……」

 口にするほどに言葉は熱を失い、最後にはどこか頼りなく、それでも精一杯の覚悟で言い切った。

 

 御影はしばし黙し――やがて口の端を上げた。

「モモタローのくせに、生意気な」

 桃原も、はにかむように笑った。すると御影はふいに馬車から降り、桃原の前に歩み寄る。そして、まるで内緒話のように耳元で何かを囁いた。囁かれた桃原は、頬を真っ赤にして耳を押さえ、その場に固まる。満足げに御影が馬車へ乗り込むと、久世も桃原にじとりと視線を流してから、無言でその後に続いた。

「え、え、ええええええ!!」

 しばらくして、館の前には桃原の絶叫だけが木霊する。



 

 

 馬車は静かに走り出し、淡い朝の光の中へと溶けていった。







 


 馬車の中。

 車輪の音が、かたん、かたんと小さなリズムを刻んでいる。


 御影は窓辺に身を預け、静かに煙管をくゆらせていた。煙がゆるやかに立ちのぼり、淡い香りが車内を満たす。視線は外に落とされたまま、唇の端には噛み殺したような笑みが浮かんでいた。久世が穏やかな口調で問いかける。

「……何を囁いたんです?」

 御影は煙を吐きながら、笑みを含んだ目のまま、こともなげに答えた。

「モモタローの亡くなった婆様が言ってたんだ。『寝るとき腹を出すな』ってな」

 久世はじっと目を細める。

「ずいぶん、あの者を気に入ったんですね」

「まさか」

 御影が鼻で笑い、煙管を軽く弾いた。

「……俺が、あなたの一番弟子ですよ」

 ふいに真顔でそう告げた久世に、御影はやや驚いたように視線を向ける。

「……なんだ、嫉妬か?」

「ええ。弟子ペットは俺ひとりじゃ、物足りませんか?」

 久世は物憂げな目をしながらも、穏やかな表情を浮かべて言った。

「でも俺は、ちゃんと“待て”できますから」

 その言葉に、御影は煙管を口から外すと――ふいに、その銀の先端を久世の顎先に添え、軽く持ち上げた。

「……“待て”」

 低く呟く声には、どこか挑むような、試すような光が宿っていた。久世はそのまま、微動だにせず、ただ穏やかに微笑んだ。御影は舌打ち混じりに煙を吐き、煙管をくるりと手の中で転がしてから、

 再び窓の外へと視線を戻した。


 




 


 馬車の窓の向こう、丘の上に白く輝く一本の木が静かに佇んでいる。そのそばには、かつての領主とその妻が並んで立ち、微笑みながら手を振っているように見えた。

 御影はふっと微笑んだが、その目は静かに、遠くを見据えていた。

 もう振り返ることなく、ただひたすらに――ゆるぎない意志を胸に、前だけを見て進んでいく。


 やがて、その意志を乗せた馬車は、揺るがぬ軌跡を刻みながら、新たな一日へと、静かに歩みを進めていった。


 


 陽光が木々の葉を透かして差し込み、白い木は朝日にいっそうの輝きをまといながら、今日も丘を見守っている。

 

 まるで、これからの未来を――まなざすように、そっと朗らかに、祝福しているかのようだった。








 




 <完>

 

ここまでご愛読いただき、本当にありがとうございました。

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