2.
朝の柔らかな光が、白いレースのカーテン越しにゆっくりと差し込んでいた。
領主館の一室――その奥の寝台には、御影が静かに身を横たえている。枕元には久世が控え、冷たい水の入った布を黙々と取り替えていた。
やがて、控えめなノック音とともに戸口から顔を覗かせたのは、桃原だった。
「御影様、お加減はいかがですか」
「……まあまあだ」
応じた御影の声にはまだ微かな熱の気配が残っているが、顔色は想像していたよりもずっと良さそうだった。それを見て、桃原は胸を撫で下ろす。
久世に案内され、桃原は椅子に腰を下ろす。久世は何事もなかったかのように、また御影の側へ戻った。
(久世さんも……相変わらずだな)
ほっとしたのも束の間、御影が唐突に口を開いた。
「浄化と鎮魂の儀式を行う」
「……えっ、なんですか?」
不意を突かれた桃原が、ぽかんとした表情になる。
なんかとんでもない話が始まったような気がする。
御影は露骨にめんどうくさそうな表情を浮かべ、目を伏せた。ひとつため息をつくと、まぶたを閉じ、ゆっくりと記憶を辿るように語り出した。
* * *
それは、熱が引き始め、ようやく自力で歩けるようになった日のことだった。
御影は久世に支えられながら、黒い木のもとを訪れていた。
そこには、かつてこの地を治めていた領主とその妻、ふたりの霊が穏やかな表情で立っている。
「変わりないか」
御影の問いに、暁は深く頭を下げた。綾女は、支えられている御影の様子を見て、静かに言う。
「私たちのせいでお身体を……?」
「いつものことだ。気にするな。」
御影は柔らかく笑みを浮かべ答える。
「それより、鎮魂と浄化の儀式を行おうと思う」
彷徨う兵士の亡霊たち、百年前の戦で血に濡れた土地、そしてこの木――
綾女をはじめ多くの者の無念や憎しみ、邪気を吸い続け、たった一人でこの地を守り続けてきた木の浄化を——
御影は黒い木の幹を撫でながら言った。
「この木は見返りを求めているわけではないが、誰からも感謝をされずに守り続けることの辛さは人も木も変わらない。労わるどころか、切られそうになれば怒るだろう」
身を穢しても守り続けたこの土地の守り神の献身に敬意を払い、感謝を伝える。
それが、儀式の目的だ。
御影は大木を見上げながら続けた。
「貴方たちが望むなら、浄化の儀に合わせて上へ送ることもできるが、どうする?」
二人は顔を見合わせた。
しばしの静寂。風が静かに丘を吹き抜ける。
暁は深く頭を下げてから言った。
「ようやく妻と再会できました。領地を最後まで守れなかったことに悔いがあります。もし許されるなら、妻とこの木とともに、領地を見守っていきたいと願います」
それにならい、綾女も深く頭を下げる。
「私の恨みによって怪我をされた方々もいると聞きます。その方々のためにも、夫と領地を守り続けたいと思います」
御影は微笑みながら答えた。
「そうか。二人がそう望むなら、それでいい。浄化の儀には必ず参加しろ。領主と奥方を守れず悔いが残る兵士たちも送る。見守ってやれ」
二人は泣きながら何度も御影に礼を言い、深く頭を下げ続けた。
* * *
話を終えた御影は、やや疲れたように息をついた。
桃原は言葉を失い、その顔をただ見つめている。
「……というわけで、これから儀式の準備をしなければならない。お前も手伝うよな?」
「じゅ、準備ですか?」
「そうだ。人手は多いに越したことはない」
「はい! ……あの二人が、少しでも浮かばれるなら」
「言ったな?」
「えっ」
にやりと口角を上げた御影に、桃原は思わず後ずさる。この笑い方をするときにろくなことが起きたためしがないのだ。
「あの……やっぱり僕……」
「男に二言はないよな?」
淡く差し込む光が病室の隅々まで優しく届く中、奥で元気を取り戻した霊媒師が不敵に笑った。