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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第6章 百年の約束、結ばれた想い
35/42

7.

 森の小道を、一行が夜気を裂くように進んでいく。濃い香の煙は揺らめく灯火のように、静かに周囲を包んでいた。

「はあ……この香りが、唯一の癒し……」

 満身創痍の桃原は、荷を背負わされた上に、お香の台を手に抱え、ふらふらと歩を進めていた。鼻をひくつかせながら、久世の背中に向かっておそるおそる声をかける。

「えっと、今……久世さんのそばに、領主様の霊が……?」

 視線は、久世のすぐ横――だが、そこにはただ、いつもと変わらぬ涼やかな面持ちの久世がいるだけだった。少しばかり泥と煤に汚れ、背中の着物には焦げ跡があったが、その端正な顔立ちには、戦いの疲れもさほど感じられない。

「うん……いつもの久世さんですね……」

 小声でぶつぶつと呟く桃原の頭上を、ふわりと香煙が通り抜けた。

 御影は一瞥もくれず、前を向いたまま静かに言い放つ。

「黙って歩け。線から外れるな。置いてくぞ」

「は、はいっ!」

 桃原は背筋をぴんと伸ばし、慌てて歩幅を速める。香の煙の輪郭が、闇にひそむ何かを押し退けるように濃くなってゆく――その先に、森の闇を割って浮かび上がる、丘の影が見えてきた。






 丘の上、黒い木の根元に、その人影はいた。青白い月明かりが届かぬ闇のなかで、ひとり膝を抱え、細くすすり泣く声が微かに響いている。それはまるで、百年という時の底に沈み込んだ、寂しさの音色だった。

 御影がそっと歩み寄り、静かに告げる。

「……約束通り、帰ったぞ」

 その声に、影ははっと顔を上げる。うっすらと涙に濡れた面差しには、長い時を超えても消えなかった想いが刻まれていた。

「お、お待ちしておりました……! このまま、お戻りいただけなければ……私はまた、一人ぼっち――」

 その焦りが言葉に滲むのを、御影は笑みで宥める。

「俺は必ず帰ると言っただろう。――約束は、守る主義なんでな」

 優しく告げながら、御影は視線を落とし、続ける。

「“あの者”はすでに地に還った。己の罪を償うまで、冥府の門に繋がれたままになる。――未来永劫、あなたを脅かすことはない」

 その言葉に、綾女は目を見開き、そして、静かに跪いた。

「暁さまの仇を……討っていただき、ありがとう……ございます……」

 震える声とともに、頭を深く垂れる。御影は小さく手を振った。

「礼を言うには、まだ早い」

 ふっと肩を揺らし、口元にわずかな笑みを浮かべる。

「……綾女殿に会いたいという客を連れてきた。感謝はその後でいい」

 言いながら、後ろに控える久世へと顎をしゃくる。奥方は顔をあげ不思議そうに久世を見つめる。久世は一歩静かに前に出ると、目を伏せ、祈るように口を動かした。


 その瞬間――揺らめく香煙の中から、淡い光に包まれ、一つの人影が彼の背に寄り添うように浮かび上がる。

「……あ、あ……暁さま……!」

 綾女の声が、細く、涙を含んでこぼれた。まるで夢を見ているかのように目を見開いた綾女は、次の瞬間、袖口で口元を押さえ、震えるように一歩、また一歩とにじり寄った。

 やがて足が自然と駆け出し、転びそうになりながらも、そのまま暁の胸元へと身を投げるように飛び込む。

「待たせて……すまなかった。辛い思いを、させた……」

 暁の低く震える声に、綾女は首を横に振りながら、胸元に顔をうずめる。

「いいえ……いいえ……お待ちしておりました……ずっと、この身が果てても……」

 暁はその細い身体を、二度と手放すまいと言わんばかりに、強く抱きしめた。

「約束が果たせず……すまなかった……」

 互いの頬を伝う涙が、衣に、肌に、静かに染みてゆく。


 

 ひとしきり抱き合ったのち、ふたりはゆっくりと顔を上げた。

 暁は、綾女の頬を伝った涙をそっと親指で拭う。綾女もまた、彼の顔にそっと手を添え、その温もりを確かめるように、静かに微笑んだ。


「ただいま、戻った」


 静かに告げられたその声に、綾女は涙を湛えた瞳のまま、柔らかな笑みを浮かべる。


「お帰りなさいませ――」




 


 空はまだ淡い藍に包まれ、東の地平がうっすらと白みはじめていた。

 長く重く垂れこめていた夜の帳が、静かに、静かにほどけていく。


 寄り添うふたりの霊魂に、朝の光がそっと降りそそぐ。

 それはまるで、永き時を越えて届いた祝福のように――


 

 

 叶わぬまま潰えた約束が、

 百年の時を越え、

 ようやく静かに終わりを告げた。






 

 

 

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