5.
倒れ伏した久世の傍にいた御影はすっと立ち上がる。その背には、何の感情も映っていない。ただ、静かに久世を見下ろす――そして。
「この馬鹿犬が……!」
げしっ、と容赦のない蹴りを久世の脇腹に叩き込んだ。
その音に、地面を這っていた桃原は慌てて、片膝をつきながらも転がるように駆け寄ってくる。顔は土だらけ、頬には青アザ。鼻血もうっすら滲んでいる。
「ちょっ! 御影様!? 死んでたらどうするんですか!」
桃原が焦って止めに入ろうとしたが、その手を御影がひらりとかわす。
「おい。お前……わざと鬼を憑かせたな?」
鋭い声に、桃原は目を見開いた。倒れたままの久世が、かすかに身動ぎし、くしゃっと笑う。
「……バレましたか」
それは、まるでいたずらが露見した子供のような顔だった。
「久世さぁん!! 俺、殴られて蹴られて放り出されたんですけど!?ボロボロですけども!!」
「うん。……ごめんね?」
「ごめんねって軽っ!!」
桃原が全力でツッコミを入れる横で、御影は久世にまたがるように腰を落とし、その胸ぐらをつかんだ。
「……おい、ふざけるな。お前、死ぬかもしれなかったんだぞ」
その声音には怒りよりも、震えるような苛立ちと焦燥が滲んでいた。つかんだ手は、かすかに震えている。久世はその震えに気づくと、そっと自分の手で御影の手を包み込む。
「すみません。……でも、あのまま鬼を消滅させてしまえば、暁殿の居場所は分からないまま。鬼に尋問しても、吐くとは思えませんでした。だったら――この霊媒体質を利用するしかないと」
ばつの悪そうに視線を逸らしたあと、久世はそっと御影を見上げた。
「……私、役に立ったでしょう? 褒めてはくれないのですか」
にっこりと笑いながら、御影の手をしっかりと握る。悪びれる様子もなく、まるで甘えるように親指で手の甲をすりすりと撫でてくるその仕草は、無邪気にも見えた。御影は虚を突かれたように言葉を失った。心なしか顔が火照っているようにも見える。咄嗟に手を引こうとしたが、久世の手は意外なほど力強く、御影の手を離そうとはしなかった。
「おまっ……いい加減に――」
苛立ちと照れが滲んだ声を、久世が静かに遮る。
「それに、何があっても俺を守るって……言ってくれましたよね」
その言葉とともに、久世はそっとその手を引き寄せ、自分の額にそっと当てる。伏せられたまつ毛が震えていた。そこにはふざけた色は一切なかった。
「だから、俺はあなたに報いたいのです」
御影は息を吐いた。そして、ゆっくりとその手を握り返す。
「……お前なあ」
口調こそ呆れたようだったが、その眼差しは優しく、深い慈しみに満ちていた。
「自分を犠牲にするな。お前の体質は、特殊なものであって、決して忌むべきものじゃない」
その言葉には、御影自身が長い年月をかけて手にした信念があった。生まれつきの力や性質が、他人にどう思われようと――それが価値を失う理由にはならない。
「生まれ持った力に罪はない。……お前は俺の犬だ。その身を危険に晒すことは、俺が許さない」
静かに、けれど確かに言い切ったその声に、久世は言葉を失ったまま見上げる。
まるで、息をするのも忘れたかのように。
「はい」と花が綻ぶような笑顔で久世は頷いた。その穏やかな瞳の端に光るものが浮かんでいたのを見た気がしたが、御影は何も言わず、気づかないふりをした。