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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第6章 百年の約束、結ばれた想い
32/42

4.

 鬼の気配を辿りながら、御影と桃原は夜の森を駆け抜けていた。

 風は止み、木々はただ黙してそびえ立つ。けれども、その静けさこそが異様だった。まるで世界から音が奪われているようだった。

「遅い! もうすぐだ。もっと走れ!」

「荷物重いんですってば……!」

 息も絶え絶えに文句言いながら、桃原は懸命に食らいつく。

 やがて、森の奥がふっと開け、月光が射す小さな空間に辿り着く。そこには、ひとつの朽ちた切り株があり、まるで少年のようにぼんやりと腰掛けた青年の姿があった。


 ――暁。

 虚ろなその瞳は、何ひとつ映していない。


 彼の前に立っていたのは、久世……いや、久世の肉体をのっとった柊だった。白目は赤く血走り、黒目は墨のように滲み濁っている。

 御影に向けていた優しいまなざしは、そこにはなかった。焦点の合わぬ目が宙を彷徨い、唇に冷たい笑みを浮かべている。見慣れた顔だからこそ、背筋に寒気が走る。


「……もう二度と、会いたくなかったよ」

 久世の声で“柊”が呟く。静かな口調だったが、その声音には微塵の温もりもない。

 赤黒い濁りが目の奥で囁き、怒りとも悲しみともつかない、混濁した感情が宿っていた。


 暁は微動だにしない。

 まるで音のない水底に沈んだように、呼びかけも届かない。


「お前を喰って、今度こそ終いだ。綾女は……俺がもらう」


 妻の名に反応したのか、暁はようやく顔を上げ、ぽつりとつぶやいた。


「……柊なのか……?」

 

 その言葉に、柊の目が一瞬だけ揺れた。だが、すぐに顔を歪め、絞り出すように叫ぶ。

「もう……遅い。何もかも……俺は、ここまで堕ちてしまった。止まれないんだよ……!」

 声は怒りではなく、悲痛な諦めに満ちていた。

 鬼の手が伸びる。暁に触れようとした、そのとき――


  バチッ、と鋭い音が空気を裂いた。

 御影が放った護符が久世の背に貼り付き、瞬間、護符がまばゆく発光する。

 次の刹那――焼けるような霊力が弾け、赤い閃光とともに鬼の肌を焼いた。


 じゅっ…… と血が蒸発し、煙が立ちのぼる。

 鬼は「あああああ……っ!」と苦悶の声を上げ、動きを止めた。


「……間に合ったな」

 息を切らしながらも、御影は不敵に笑った。

 振り返った久世の眼差しが、ギラリと光る。

「……どこまでも、お前は邪魔をする」

 鬼の目は見開かれ、白目に広がる血が沸騰するかのようだった。御影に今にも相手の心臓を貫抜くような視線を突き刺した。怒りでも、憎悪でもない。狂気と破壊衝動だけがそこにあった。

 だが、御影は一歩も退かない。鬼の殺気を真っ向から受け止め、鋭く言い放った。

「いけ、モモタロー!」

「へっ!? え、えええええっ!?」

 桃原がひっくり変えるような声を上げる。

「護符も長くはもたない。俺は祓いの準備をする。お前は久世を抑えろ」

「ぼ、僕、文官なんですけどっ!? どう見ても久世さん+何か=化け物じゃないですか!!」

 それでも御影の命令には逆らえず、桃原は意を決して久世に飛びかかった――が。

「ぐえっ!」

 容赦なく腹を蹴り飛ばされ、地面を転がる。背中を強打して呻きながらも、桃原は泥まみれになって立ち上がる。

「こ、こんなの文官の仕事じゃ……!」

 叫びながら再び久世にしがみつくが、今度は拳の雨を降る。顔を、腹を、容赦なく殴られた。ふらつきながらもなお食らいつこうとするが、最後は肩を掴まれ、地面に思いきり叩きつけられる。

「っ……が、は……!」

 後頭部を強打し、視界がぐらつく。意識が遠のいていく中でも、かろうじて久世の足に腕を絡め、なんとか動きを止めようと必死にもがく。

 ――もうだめだ。

視界がぶれ、意識がかすむ。それでも桃原は、最後の力を振り絞って久世の足に腕を絡ませた。

(止まれ……止まってくれ……!)

必死に祈るような気持ちでしがみついていたそのとき、ひやりとした冷気が辺りを吹き抜けた。直後、暴れていた久世の体が、不自然にぴたりと動きを止めた。桃原は何が起きたかのか理解ができず、ただ呆然と見つめるだけだった。




「……モモタローじゃ足止めは無理か」

 御影は息を吐きながら立ち上がった。鬼を祓う準備をしたいが、桃原は一般人だ。仕方ない。

 桃原の元へ駆け寄ろうとしたとき、背後に凄まじい冷気を感じた。新たな霊かと構えて振り返ると、そこには古めかしい鎧をまとった何体もの兵士の霊が立っていた。兵士たちの中から、泣く木の丘で見かけた体格のいい兵士が前へ躍り出て御影を見下ろす。御影は目を伏せ、軽く頭を下げた。

「……協力、感謝する」

 大柄の兵士が頷くと、仲間を引き連れ、久世に取り憑く鬼へ向かっていった。



 ――慶永の戦で命を落とした、忠義の士たち。

 主君を守れなかった悔いと、今なお主君を思って泣き続ける奥方の魂を想い、彼らはあの丘に留まり続けていた。

 その手で主君の仇を討つため、彼らは今、再び立ち上がったのだ。

 


 大柄な兵士が先陣を切って久世へ突撃する。久世は殴りかかろうとしたが、兵士は身を挺して立ちはだかり、重厚な鎧の一撃で攻撃を受け止めた。

「お前たちぃぃぃ! 邪魔だ、どけぇえええ!」

 暴れようとする久世の動きを封じ込み、仲間たちが次から次へと連携して久世へと立ち向かう。

 それは、まるで生前の暁への忠誠心が今も力となっているかのようだった。


 兵士たちが久世にまとわりつくのを確認した御影はすばやく荷をほどく。御影は荷から瓶を取り出し、澄んだ日本酒を刃にゆっくりと注いだ。酒が刃を伝い、ぽたり、ぽたりと液体が垂れる音だけが響く。続いて、人差し指と中指を立て、刃の根元から峰へと滑らかに撫で上げる。


「清らけき火よ、

我が刃に宿りて、

穢れしものを焼き払え」


 低く、静かに。それでいて揺るがぬ言霊が空気を震わせる。御影の指先が刃に刻む印とともに、酒に込められた霊力が目に見えぬ力となって刀身を満たし、刃に淡く符の文様が浮かんでは、またすぐに消えた。

 御影は懐からマッチを取り出し、カチッと火を灯す。刃先に炎を近づけると、御影の印の力に反応し、ほんのりと揺らめく赤と青の霊炎へと姿を変え、刀身を絡め取るように燃え上がった。

 それは、魂の炎が刃に宿ったかのようだった。

 御影は片手で刀を構え、もう一方の手で空中に滑らかな軌跡で印を刻み始める。無駄のない動きで、霊力の線が宙に書かれていく。口元にはうすい笑みを浮かべ、静かに、しかし鋭く言い放った。

「……おい、久世。いつまで雑魚に好き勝手させるつもりだ? 俺を失望させるな。さっさと起きろ」

 御影の声が耳に届いた瞬間、久世の奥底に沈んでいた意識が、かすかに揺れた。数多の怒声と呪詛に絡め取られた深淵で、ただ御影の声だけが、まっすぐ迷いなく心を貫く。


 ――やめろ。


 ゆらり、と鬼の動きが止まった。

 その眼に宿っていた血のような赤が、ほんの一瞬だけ、消える。

  ゆらり、と鬼の動きが止まった。

 その眼に宿っていた血のような赤が、ほんの一瞬だけ、消える。


 その隙をつくように、久世の意識が深淵の奥底から這い上がり、鬼の存在を拒む強い意志が渦巻く。

 闇の中で押し込められていた自分自身の魂が、まるで剣を振るうかのように鬼を外へと弾き出した。


 鬼は苦しげにうめき声をあげ、久世の体から離れていく。

「クソぉぉおおおおお」


御影はその変化を見逃さなかった。


 御影はその変化を見逃さなかった。

 ふっと頬を緩め、刀に宿る霊炎が、再び唸るようにうねり上がる。赤と青が絡まり、まるで巨大な魂が覚醒

 そして刀に宿る霊炎が、さらに赤く、青く、うねるように燃え上がる。


「――地へ還れ!!」


 御影の一閃が闇を裂いた。

 霊炎のうねりとともに放たれた斬撃が、久世に巣食っていた鬼を斬り裂く。

 鬼の断末魔が、人るの命を模した残響のように森に響き渡り――そして消える。

 鬼が姿を消した瞬間、久世の体から力が抜け、膝から崩れ落ちた。その重みに森の地面が静かに揺れる。 御影は無言で駆け寄り、倒れた久世を仰向けにし、手首に指を当てる。鼓動は浅い。だが、確かに、生きている。

 ほっと息を吐くと、御影は刀を静かに収めた。

 その目元は、わずかにやわらいでいた。


 「……ったく、世話の焼ける」

 


 

 ただ静かに、月光の下で、倒れる久世の姿を見つめる。

 すべてが終わり、森は再び静けさを取り戻していた。

 ただ月だけが、変わらぬ光を地上に落としていた。




 

 

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