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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第6章 百年の約束、結ばれた想い
31/42

3.

 木のある丘は息を呑むほどの霊気に包まれていた。静寂すら震えるその空間で、綾女は御影の背後にひっそりと寄り添い、桃原は両手を強く握りしめていた。久世は刀を構え、その姿には一縷の隙もない。

「雑魚はお前が掃除しろ。本体は俺が引き受ける」

 御影は淡々と久世に告げる。

 久世は一瞬だけ御影と目を合わせ、頷くと同時に刀を抜いた。鞘走る音とともに、呻き声を上げる霊の群れへと駆け出す。走りながら、右手に握った刀の背へ、左手の人差し指と中指を添える。そのまま刃をなぞるように指を滑らせ、低く、凛とした声で言霊を紡いだ。

「――不浄を断ち、土へ還れ」

 その瞬間、刀身に淡い霊光が灯る。刀に宿った霊力が空気をぴりつかせ、迫りくる霊たちの動きがわずかに鈍った。

「御影様の邪魔はさせない」

 久世は息を整え、迷いなく踏み込む。

 最初の霊の爪を紙一重で躱し、すれ違いざまに刀を一閃。淡く光る刃が霊体を斬り裂き、断末魔とともに、それは塵となって空へ消える。続けざまに、飢えた獣のように二体、三体と、亡者たちが襲いかかる。久世は眉ひとつ動かさず、連続する斬撃でそれらをいなし、次々に倒していく。

 片手で柄を握りなおし、滑るようにさらに前進する。背後から伸びた霊の腕を肩越しに薙ぎ払い、飛びかかってきた霊を足払いで崩し、体勢を崩した隙に頭上から斬り伏せた。だが、それでも群れは途切れない。次から次へと、霊たちはひしめき合いながら押し寄せてくる。

 その様子を見て、久世は不敵な笑みを浮かべたまま、重心を低くして再び地を蹴った。刀をふるい、霊の波へ身を投じる。


 御影は久世の戦いぶりを一瞥すると、すぐさま桃原の元へ向かった。呆然と久世を見ていた桃原の胸元に、護符を無理やり押し付ける。

「モモタロー、これを絶対に離すな」

 その強烈な眼差しに、桃原は声を失いながらも、小さく頷いた。御影は綾女を庇うように一歩踏み出し、鬼と対峙する。右手を胸元に、左手は静かに印を結んだ。唇が震え、低く、それでいて確かな力を秘めた声でお経を紡ぐ。紡がれた言霊は空気を震わせ、光の粒子が広がり、たがて金色に輝く光の鎖となって鬼の身体をが包み込み始めた。

「へえ?」

 鬼は嗤った。鎖が喰い込み、動きを封じていくのにも関わらず、その瞳は愉悦に満ちて細められている。

「なあ、暁に会いたいか?」

 その一言に、綾女がぴくりと反応した。

「……え?」

「そうだよなあ……ずっと、待ち続けてたんだもんなあ? 会いたいよなあ?」

 御影は声を強め、経文を唱え続けた。言霊は鬼の声をかき消すように、重く波打つ。

「綾女殿! 耳を貸してはなりません!」

 久世は鋭く叫んだ。

「……俺は知ってる。暁がどこにいるか」

 鬼は憐れむような声音で囁く。

「可哀想に、ずっと自分が殺された場所に立ち尽くしてたぞ。場所は俺しかもう知るものはいない・・・また何年も、何百年も、また待ち続けることになるぞ……さぞ、楽しいだろうなあ?」

 綾女の瞳に、苦悶の涙がじんわりと滲む。御影も久世も、そのかすかな霊体の揺れを感じ取った。

「……ほら。そこの若造を止めたらどうだ? このままだと俺は消え、あいつの居場所も――」

「待って!」

 綾女の叫びが、霊気を震わせた。

「夫は、どこにいるの!? お願い……止めて……!」

 その声に、御影の表情がほんの一瞬だけ揺らぐ。

 綾女の霊体が、ふわりと御影の腕にしがみついた。手は透けているはずなのに、冷たく、確かな執念が伝わってきた。

「御影さま……お願い、会わせて……暁に……」

 その哀願が、読経のリズムを微かに乱す。

 


 鎖が、緩んだ。

 


 御影の瞳が一瞬、綾女へと揺れる。その刹那、空気が破裂するような霊圧が弾けた。

 久世は振り返り、霊波の異変に気づいた。

 御影が危機にさらされている――その確信が、全身に火をつける。

「御影様……!」

 叫ぶと同時に、久世は刃を構え直し、周囲を囲んでいた残りの霊体を睨みつける。もう後ろを守っている場合ではない。

 左手で刃に指を這わせ、静かに言霊を重ねる。

「――不浄を断ち、土へ還れ」

 刀身に再び霊光が宿る。久世は息を吸い、そして跳んだ。切っ先が月を裂くように走る。正面の霊を薙ぎ、背後に回り込んだ亡者を振り返らず斬り伏せる。斜め上から飛びかかってきた霊の腕を切断し、最後の一体を踏みつけて沈めた。

 霊たちは断末魔の声をあげながら、塵となって消える。数秒の沈黙のあと、久世の前に敵の気配はなかった。すぐさま地を蹴り、御影のもとへ駆け出す。


 次の瞬間、鬼が爆発的に力を解放し、金色の鎖をたたき砕いた。飛びかかり、御影の喉元を掴む。

「お前も暁も喰らってやる――綾女は俺が連れて行く」

 金色の鎖は四散し、御影は地に押し倒される。首を締め上げられた御影は喉から空気を奪われながらも、鬼の腕を掴み、なんとか引き剥がそうとする。だが、その腕は鉄より重く、冷たく、びくともしない。声すら出せないまま、御影は鬼をただ睨みつけることしかできなかった。

「御影様――っ!!」

 鋭い声とともに、刀が鬼の背に振り下ろされる。久世だった。鬼は反射的に身体を捻って回避した。御影はその隙に身を捩り、咳をこみながら解放された。鬼は久世を見据え、口の端を吊り上げた。

「……ああ、ちょうどいいな」

 そして大きく跳躍し、久世に飛びかかる。

「くっ――!」

 咳き込みながらも、御影は必死にそれを阻もうとした。

 だが、鬼の霊体は久世の身体にすっと入り込んだように見えた。久世は顔を押さえ、ぐらりと膝をついた。地に伏せるように、前のめりに崩れ落ちる。

「……っ……あ、ぐ……っ……」

 喉の奥で呻きながら、顔を覆ったまま、ゆっくりと起き上がってくる。その指の隙間から、ぎらりと光る瞳が覗いた。それは、獣のように鋭く、ぞっとするほど冷たい光を宿していた。久世はゆっくりと顔を上げる。その表情に、御影も桃原も、思わず息を呑んだ。

 

 久世はいつもの穏やかな顔ではなかった。唇の端を吊り上げた、不気味で邪悪な笑みを浮かべている。そして御影と綾女を一瞥すると、何も言わず森の奥へと駆け出して行った。

「ちょ、ちょっと、久世さん!? どこ行くんですかっ!?」

 木にしがみついて様子を見ていた桃原が慌てて叫んだ。咳き込む御影に気づき、すぐに駆け寄ってそっと身体を起こし、背をさすった。

「御影様、大丈夫ですか……? 久世さん、いつもよりさらに……凶悪そうな顔してましたけど……」

 御影は苦しげに息を整えながら、咳をひとつ吐いた。

「……げほっ……あいつに、鬼が憑いた。……心の隙を見せやがったな」

「えええええーーっ!?」

 桃原が素っ頓狂な声を上げる隣で、綾女が申し訳なさそうに目を伏せた。

「……申し訳ございません……私のせいです。あの時、声を……」

「全くだ。読経を邪魔するなんて、何を考えているんだ。心を強く持てと何度も言っただろうが」

 御影は呆れたように吐き捨てたが、綾女は肩を震わせ、涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「……本当に……本当に申し訳ありません……」

 桃原はおろおろしながらも、御影の言葉に食い下がる。

「弟子ですよね!? 久世さんが憑かれちゃったって……!?」

「ん? ああ、あいつは生まれつき飛び抜けた霊媒体質だ。修行して大分マシになったが……何か余計なことでも考えたんだろうな。鬼に付け込まれた」

 御影は立ち上がり、乱れた衣を手早く整えながら、面倒くさそうに呟いた。

「モモタロー、追うぞ」

「……はい」

 桃原はうなずきながら立ち上がる。綾女はまだその場に座り込んでいた。

「綾女殿はここに残れ。……ま、どうせ木に縛られて動けないだろうが」

「はい……私は、ここで待っています。どうか、ご武運を……」

 御影はふっと口元を緩め、にやりと笑った。

「俺は必ず帰る。だから安心して待ってろ」

 奥方は少し寂しそうに微笑みを返し、御影は桃原とともに。濃く深く霊気に覆われた夜の森の中へと走り出した。

「でも……どうして久世さんなんかに取り憑いたんでしょうか?」

 桃原が息を切らしながら問いかける。

「……あの鬼も、木に封じられていた悪霊のひとつだ。木に近づくことさえも、遠ざかることもできなかったんだよ。そして久世の身体を借りてまでやりたいことがある――それは、おそらく暁の魂の完全滅殺だ」

「えっ……死んでもなお、殺されるんですか……?」

 桃原は目を見開き、背筋が凍る思いだった。

「霊同士でなければできないことだ。……暁の魂をも喰えば、綾女殿が振り向いてくれるとでも思ってるんだろう」

「でも話を聞いた感じだと、奥方様はかなり嫌がってましたよね……」

「歪んだ思考の持ち主だ。理屈なんざ通じるかよ。……さあ、さっさと取り返すぞ」


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