2.
「放してやれ、久世」
低く澄んだ声が、森の空気を切り裂いた。
「しかし御影さま……」
「いい。もう十分だ」
命じる者の声音は静かだが、抗いがたい威圧感を孕んでいた。桃原を押さえつけていた男――久世と呼ばれた青年は、ようやく手を離す。圧から解放された桃原は、情けない声を漏らしながら地面に倒れ込んだまま、しばらく動けずにいた。
(御影様……?)
御影様と呼ばれた男の冷ややかな目元が、どこか不機嫌そうに細められている。
「君は……村役人か?」
「え、いえ、私は中央から派遣されている記録官の桃原です」
慌てて名乗った桃原に、御影は一瞥だけくれて、また木のほうに視線を戻す。
「この木……異質だな。やはり、ただの自然物ではない」
御影はそう呟くと、黒ずんだ大木をじっと見上げた。その声音は低く静かで、まるで目の前の木と会話をしているかのようだった。風が枝を揺らし、ざわめく葉音がどこか不気味に響く。まるで、木が返事をしているようにさえ思える。
ようやく立ち上がった桃原は、足元のおぼつかないまま、ぽかんとその様子を見ていた。
「……ちょっと、待ってください。あの、“異質”って何です? ていうか、あなた方……誰なんですか?」
思わず声が上ずる。
現れた二人は、田舎の村ではまず見かけない洗練された佇まいだった。
御影が身に纏う羽織は光沢のある絹で仕立てられ、金糸で繊細に刺繍が施されている。動くたびに帯の鈴がかすかに鳴り、威厳を漂わせていた。その仕草は無駄がなく静かで、まるですべての事象を掌握しているかのような落ち着きを感じさせる。桃原の視線が彼の顔に止まると、そこには冷たくも揺るがぬ自信が浮かんでいた。
また、御影のそばに立つ久世は、御影より一回り体格が良く、長身で引き締まった身体つきは鍛錬を積んだことを物語っている。ふとした瞬間に見せる視線の鋭さは、御影に危険が及ぶかどうかを絶えず測っているようだった。
二人の佇まいからは、ただ者ではない空気が満ちていた。とくに御影には、命じる側の風格がはっきりと感じられる。貴族――それもかなり高位の。
とりあえず、この仕事が「平和な書類仕事」などではなかったことだけは、はっきりした。
問いかけは風にさらわれるように無視されるし、意味も状況もさっぱり分からない。怖いし、体も痛い。
桃原は肩を押さえながら、小さくため息をついた。
「……もう帰りたいんですけど……」