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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第5章 燃える誓い、還らぬ想い
27/42

4.

 暁様が出立されて、数日も経たぬうちのことでした。

 領地が襲撃されたのです。

 鎖国派の武装集団が突如として現れ、あちこちに火の手が上がり、悲鳴と混乱が広がりました。

 火の手が迫る夜、行き場を失った村民たちは命からがら村役場へ逃げ込みました。役場は女や子ども、老人やけが人たちでごった返していました。

 私は乳母と共に、傷の手当てをし、食事を配り、震える子どもたちをあやしました。

 ──主が、どうかご無事で戻ってこられますように。そう祈りながら。


 やがて、討伐軍が鎖国派を制圧したとの報が届くと、役場には安堵の空気が広がりました。これでようやく、領主様が戻られる──誰もが、そう信じて疑わなかったのです。


 

 けれど、その夜更けのことでした。

「領主館に血塗れの伝令が駆け込んだ」との知らせを受け、間もなく、家令が私のもとを訪れました。

「奥方様、至急お戻りください。……お伝えすべきことがございます」

 沈痛な面持ちに、胸の奥がざわつくのを覚えながら、私は乳母と共に急ぎ領主館へと向かいました。

 応接間には、血に染まった衣のまま伝令が伏しており、肩で荒く息をしながら、必死に言葉を紡ぎます。

「奥方様……領主様が……領主様があの乳兄弟に……斬られました……!」

 信じがたい言葉に、私の呼吸が止まりました。


 ──そんな、はずがない。


 つい先日、夫は彼と杯を交わしていたのです。

 三人で並び、領地の未来を語り合い、いつものように笑い合って……

「三人が力を合わせれば、どんな時代がこようとも、必ず領地を守れる」

 そう言って暁様が盃を掲げ、

「ええ。この命が尽きるまで、お二人を支えて参ります」

 彼もまた、深く頷いていたはずでした。

 火を灯した広間の中、杯を交わし、静かに笑っていた乳兄弟の横顔は――あまりにも穏やかで、誠実そのもので……それがすべて演技だったのだとしたら。

 

 いったい、いつから裏切ると決めていたの?

 あのときの言葉も、微笑みも、忠誠の誓いさえ――

 すべてが嘘だったのだと思うと、信じた自分が許せなくなりそうでした。


「帰還の途中、不意を突かれたようです……。背中から斬りつけられ、倒れられたとのこと……」


 ――不意を突かれ、背中から斬られた?

 ……そう。そうするしかなかった。

 剣の腕では、暁様に敵うはずがない。

 だから、正面からではなく……背を向けた、その一瞬を狙って――!


 卑怯者……!!


 あんな顔をして、あんな言葉で忠誠を誓っておきながら。

 あの晩、杯を交わしたその手で……

 ……その手で、あの人を斬ったの!?


 そんなの――そんなの、許せるわけがない……!


「周囲の兵も皆、乳兄弟殿に従っていたようで……おそらく、計画的な謀反です。討伐軍の混乱に乗じ、事を起こしたのでしょう……」


 伝令の言葉はそこでかすれ、がくりと膝をつきました。その身体には、あちこちに深い刀傷が見えていました。命を削って、私に伝えに来てくれたのです。


 私は呆然としながらも、伝令の前に膝をつき、小さく言葉をこぼしました。


「……ここまで、命を賭して。感謝いたします」


 その言葉に応えるように、伝令はほっとしたように目を閉じ、そのまま意識を失いました。


 私は動かない伝令に目を向けたまま、悲しみに沈みそうになる心を奮い立たせました。

 せめて、領主様が大切にしていた館の者、そして領民を守らねば──。


「──でも……どうすれば……」


 言葉を探す私のもとに、別の使用人が駆け込んできました。


「たいへんです! 館に……火の手が!」

「なんですって……!」


 立ち上がる間もなく、館の奥から炎と煙が立ち昇るのが見えました。私は震える足で立ち上がり、叫びました。


「皆を村役場へ避難させて! ここはもう、危険よ!」

「奥方様は……?」

「私は、残るわ」

「いけません、奥方様! ご一緒に避難を──!」

「暁様は必ず戻ると私に約束してくださいました……あの人が帰る場所を、私が捨てていけるはずがないでしょう」


 私の頬を、熱いものが伝いました。

 それが涙か、炎の熱気か──もはや、判別もつかないほどに。

 ──あのとき、私は確かに、誓ったのです。

 彼のために、皆を、領地を守ると。


 

 

 けれど──あの夜、私が失ったものは、夫だけではありませんでした。


「いけません……! ここも、すぐに包囲されます!」

「嫌よ……! あなたを置いて行くなんて……!」

 泣き縋る若い私に、乳母は毅然とした声で言い放ちました。

「領主様のためにも――あなたは、生き延びなければなりません。あなたに何かあっては、私は……領主様に顔向けできませんから」


 それでもなお、私は彼女の腕にすがり、泣き続けました。

 このまま残れば乳母は命を落とす。夫に引き続き、乳母まで失うなんて考えられない。


「泣き虫は卒業したはずですよ。あなたは、立派な領主様の奥方なのですから。きちんと立ちなさい! さあ、行って!」


 声を震わせながらも、乳母は部屋の奥にある隠し扉を開け放ち、私を押し込むように中へと逃がしました。


 


 ──その後、残された乳母がどんな目に遭ったのか。

 私は生涯、それを知ることはありませんでした。


 





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