2.
今からおよそ100年前、この国は真っ二つに割れた。
三浦湾に来航した黒船が開国を迫離、当時の帝は「異国からの知識を得るべきだ」として開国を推進した。だが、従来通り異国を排除すべきだという鎖国派との激しい対立が生まれ、それは瞬く間に全国へと広がっていった。
「ここの領主は国への忠誠を誓い、当然帝の意に従っておりました」
笹舟伯爵は静かに語った。
その後、全国で内乱が勃発し、貴族だけでなく平民までも巻き込む大混乱となった。
「ご存知の通り、帝都から遠く離れたこの地も例外ではありませんでした。私の祖先が治めていたこの地でも、大きな戦争があったと記録されております。
領主はその知恵と武力で戦を終結させ、勝利を収めましたが――その戦の爪痕はあまりにも深く、平民を巻き込んで領地一帯が焼け野原となったと言われています。そして、戦に出征した領主は、残党の手にかかり命を落とし、帰ることはなかったと伝えられています。これが史実に記された内容です」
「『伝えられています』ね。曖昧なのには理由が?」
御影が問いかける。
「領主のご遺体は見つかっていないのです。その後、戦を収めたものの、焼け野原となったこの地を立て直したのが、私の高祖父です。高祖父は当時の領主のいとこであり、乳兄弟でもあったと聞いています」
笹舟伯爵は語り終えると、少し沈黙が流れた。
ここまでが史実に記されていることだ。
御影ももちろん知っている。先の戦争については、貴族ならば誰もが学んでいることだし、劇や小説にもなっている。
だが、そこでふと疑問が浮かぶ。
奥方が追われていたのは、領主を討った残党の手によるものだ……だが、その割には、乳母のことをよく知っている様子だったし、何より奥方を探している風だった。乳母を斬り殺した男の顔が、目の前の伯爵にどこか似ているように感じるのは、考えすぎだろうか?
笹舟伯爵は少し顔をしかめてから、口を開いた。
「これ以上のことは、父からも祖父からも聞いておりません……ただ、少し言いにくいのですが、村の老人たちが噂しているのを耳にしたことはあります」
御影は静かに耳を傾ける。
「高祖父が……その……」
笹舟伯爵は言葉を選ぶように口を開いては閉じ、それを三度ほど繰り返してから、ようやく絞り出すように囁いた。
「当時の領主様を嵌めたのではないか、と」
一瞬の沈黙が流れる。御影は何も言わず、その言葉のもたらす重みを受け止めていた。
「領主館の書物を調べても、史実以上の記載は見当たりません。混乱の世であったため、記録そのものが少なくて……」
笹舟伯爵は言葉を濁し、目を伏せる。
「確かなことは、わからないのです」
桃原が筆を走らせる音だけが、静かな部屋に響く。御影は思考に沈んでいた。
百年前の記録は少ない。
伯爵の言う通りなのだろう。
村役場で口を濁していた老人たちの姿がよぎる。
今の領主が簒奪者の子孫だなどと、平民の彼らにはとても言えまい。
貴族――すなわち自分たちの支配者を非難するも同然なのだから。
そう考えれば、全て辻褄は合う。
あの奥方の悲しみ、そして恨み。
信じていた乳兄弟に夫を殺されたのだとすれば、その感情も理解できる。
――無念だったろう。
「分かった。念のため、領主館の記録も見させてもらう。構わないか?」
「はい、それはもちろん」
伯爵も、きっと確信している。
自分に流れる血が――誰かの命を踏みつけた“簒奪者”の末裔であることに。