1.
逃げるように部屋を飛び出した御影は、足早に廊下を進んだ。
振り返らずとも、久世の気配がすぐ背後に付きまとっているのがわかる。あのまま抱きしめられていたら、冷静ではいられなくなる――そんな喉の奥でざらついていた。今はそんなことを考えている場合ではない、と頭を振り、気持ちを無理やり切り替える。
家令に案内で応接室の扉が開くと、すでに領主は席についていた。御影が一礼して部屋に足を踏み入れると、少し遅れて久世が続く。そして、まるで当然のように桃原がついてきた。御影はその姿を見て眉をひそめ、あからさまに呆れた表情を浮かべる。
「……お前なあ」
「し、仕事です! 報告書を上げなければ叱られますから!」
帳面を胸に抱きかかえた桃原が、必死な声で抗弁する。その様子に、御影は一拍置き、やれやれとでも言いたげに深々とため息をついた。
「……黙ってろよ」
「はいっ!」
勢いよく頷く桃原を無視するようにして、御影は領主の正面へ静かに腰を下ろす。桃原は恐る恐る部屋の隅に近い椅子に着席し、膝に帳面を広げた。久世は御影の背後に控え、黙然と立ったまま待機している。応接室には、ほのかに香が焚かれており、その静謐な空気はどこか見えない緊張が漂っていた。
「昨日までに判明したことだが……」
御影がそう言い、扇を膝の上に横たえる、視線だけで久世を促すと、久世は一歩前に出て姿勢を正した。
「昨夜、村役場にて女性の亡者と遭遇しました」
その声音は終始落ち着いており、感情の起伏をほとんど感じさせなかった。久世は、亡霊から見せられた過去の記憶を、あくまで淡々と語っていく。
女性はかつての領主の妻に仕えていた乳母で、戦の最中、奥方を逃がし、自らは斬られて命を落としたこと。そして、成仏する直前、“泣く木”のある丘を指し示したこと。
領主の眉が、わずかに寄せられる。久世は語調を変えず、さらに続けた。
「丘では複数の兵士の霊も確認しました。彼らはいずれも戦場で命を落とし、血に塗れ、強い未練を抱いていました」
そして、兵士たちが示したのもまた、あの“泣く木”だった。
「木の傍らには、高貴な装いの女性の霊が現れました。乳母の記憶と照らし合わせても、彼女が当時の領主の奥方である可能性は高いと思われます。」
一泊おいてから、久世は静かに言葉を続けた。
「彼女は言いました――『全部、失くした』と」
応接室の空気が、ひやりと張り詰めるのを感じながら、久世は一礼して元の場所に一歩下がった。
ゆるやかに扇を閉じ、御影が口を開いた。
「全ての霊たちの共通項は“戦争”だ。ならば、真相は――その戦にあるはず。
百年前、この地で戦があったのは史実として知っている。その戦の最中、何が起き、誰が命を落としたのか……教えていただけますか、領主殿?」
領主は一瞬だけ視線を彷徨わせた。だが、すぐに表情を整え、手にしていた茶碗をそっと置いた。