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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第1章 黒い木の影、隠された想い
2/42

1.

「……ついてない……」


 桃原太郎は、独り言のようにため息をこぼした。

 最近ことごとくついていない。鳩のフンを頭に落とされるわ、数日かけて仕上げた書類にお茶をぶちまけるわ、じゃんけんで負けて花見の席取り係になるわ……。


 そして極めつけは“怪異調査”の命が下ったことだった。

 上司はニヤついた顔で言い放った。

「運がいいな。ちょうど人手が足りなくてな」

 嫌味か。それとも先月、僕が会議資料の矛盾点を指摘したことへの腹いせか。

 小声でぼやいても返事をくれる者はいない。今回の仕事は単独任務。帝都官庁の末席、記録課のさらに末端に所属する身としては、文句を飲み込むしかないのだった。

 出発する数日前、課長から渡されたのは、地方から届いた一連の“怪異”に関する一連の報告書だった。

 曰く、村はずれの黒い木が夜な夜な女のようにすすり泣き、木の近くを通った者が夢見が悪くなった、体調を崩した、わけもなく怪我をした……などなど。いずれも非科学的な噂ばかり。

(そんなの、役人が調べてどうすんだよ……)

 しかもその村は、帝都から遠く離れた山奥にあるという。桃原はまったく乗り気ではなかった。霊なんて信じていないし、怖い話も正直苦手だ。そもそも、心霊現象の調査なんて民生課の管轄でもなければ土木でもないのに、なぜか押しつけられたのだ。

「祟り? 怪奇現象? いやいや、僕、ただの下っ端記録官ですから……!」

 ぼやきながらも山道を進む。背中の公用カバンがじわりと重くのしかかる。春とはいえ午前中から日差しは強く、昼に近づくにつれて頭をじりじりと焼くようだった。

 森の奥へと進むうち、突然目の前の景色が開けた。重く生い茂っていた木々が途切れ、そこからなだらかな丘が姿を現した。斜面の中腹に足を踏み入れると、ぱっと空が広がり、風が頬を撫でていく。


 そして。


 その丘の中央に、それは立っていた。


 黒い木。


「……これか」


 まるで焼け焦げたように黒ずんだ大木が一本、ぽつんと立っている。幹はひび割れ、銀白の苔がへばりつき、うねるような太い根が地面を突き破って広がっていた。葉はまばらで、枝は骸骨の腕のように空へ向かって伸びている。

 なんとも不気味な木だ。

「……なんでこんな木が、一本だけ……」

 思わず声が漏れる。

「え……うわっ!」

 木に気を取られていたせいで、思わず足元が疎かになった。石に躓き、桃原は前へつんのめった。咄嗟に体勢を立て直そうと顔を上げた瞬間、視界に現れた人影に思わず息を飲む。


 ――――美しい……

 いや、“美しい”という言葉だけでは到底足りない。

 整いすぎた顔立ち。白磁のように透き通る肌に、夜を映したような深い紺の髪。光を吸い込むような大きな灰青の瞳に見つめられたなら、誰もが息を呑むに違いない。

 それにーーどこか、帝国の人間らしかぬ顔立ちだった。

 頬の輪郭は柔らかく、睫毛はしなやかに長い。その面差しは、まるで薄絹の上に描かれたように繊細で、現実味に乏しい。もしかすると、異国の血が混じっているのかもしれない。

 人というよりむしろ、人の皮を被った“何か”だとそう言われたほうがまだ納得できる。

 それほどに、この世の理から逸脱した存在感があった。


 その男は、まるで誰の目も気にしないように黒い大木へと歩いていく。風が吹いても、彼の衣擦れの音すら聞こえない。現実味がないほどの静けさだった。

「……誰だ、あれ……?」

 気づけば口に出していた。桃原はただ、見惚れていた。だが、その美しさの奥には張り詰めた氷のような冷たさがあった。決して手の届かない、触れてはならぬ存在――それが桃原の最初に抱いた印象だった。

「……おい、そこの君! 勝手に近づいては――」

 我に返った桃原は慌てて起き上がって声をかけた。だが次の瞬間、背後から風が走った。

「わっ――!?!?」

 視界がぐるりと回る。次の瞬間には地面に押し倒され、肩口を強く抑えられていた。

「御影様の邪魔はさせない」

 低く静かな声に容赦も情もなかった。肩口を抑えられながらも必死で振り向いた桃原の目に映ったのは、いつの間にか背後にいた、もう一人の男だった。

 意志の強さを物語る凛々しい眉に、すっと通った鼻筋。切れ長の目元は鋭く、全体に引き締まった顔立ちは精悍そのものだった。帝都の女たちなら、まず放ってはおかないだろう。だが、何より印象的なのはその眼差しだった。まるで獲物を逃さぬ猛禽のように、鋭く冷静に相手を見据えている。桃原の身体を難なく押さえつけるその腕は、鍛え抜かれていて一分の隙もない。貧弱な文官の身では、とても抗うことなどできなかった。

 

 地面に押し付けられたまま、桃原は呻きながらつぶやいた。

「……やっぱり……ついてない……」

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