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帝国直属霊媒師の心霊事件簿ー夜に泣く木のひみつー  作者: 水瀬カフカ
第3章 闇を抱く木、揺れる想い
18/42

6.

間違えて投稿してしまいました……すみません。

2話更新となってますので、ご確認の上ご覧いただけますと幸いです。

 久世が部屋の襖に手をかけ、「領主様がお待ちですので、そろそろ……」と声をかけたそのときだった。

「――ああ、その前に湯を沸かしておいてくれ」

 不意にかけられた言葉に、久世はぴたりと動きを止め、ぱっと振り返る。

「ご入浴を?」

 御影は胡座のまま、手元の湯呑を傾けて頷いた。その所作には気怠げな空気を纏いながらも、端正な品格が宿っていた。

「昨夜は汗と埃まみれで寝たからな。さすがに気分が悪い」

「すぐにご用意いたします!」

 背筋をぴんと伸ばした久世は、思わず口元を綻ばせると、勢いよく襖を開けて小走りに廊下を駆けていった。その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、御影はふっと微笑む。

「……何がそんなに嬉しいんだか」

 独りごちた声は、どこか柔らかく、微かに甘さを帯びていた。





 * * *


 脱衣所に入った御影は、黙って羽織を脱ぎかける。薄手の肌着の襟元から、銀のチェーンが覗いた。

「……ああ、忘れてた」

 ぽつりと呟いて、御影は首元からそれを外し、無造作に棚の上へぽいっと放った。まるでただの金属片のように。

「御影さま、それ……帝から頂いたものでは?」

 背後で支度をしていた久世が、眉を顰めて声をかける。御影は肩をすくめるように笑った。

「一応?」

「そんなぞんざいに扱ったら、帝が悲しみますよ……」

「はっ、あいつがそんな繊細なわけないだろ」

 久世は棚に歩み寄り、手を伸ばしてペンダントを拾い上げる。帝の印章を模した銀の細工。チェーンの先には小ぶりなプレートがついており、表には黄龍の意匠――帝家を象徴する神聖な獣。その胸元には、血のように赤いルビーが輝く。裏側には、高円宮の家紋である蒼龍が彫られ、帝国の東方の守護神としての誇りを示していた。その爪には、冷ややかな光を放つタンザナイトがはめ込まれている。

 帝からの美しい身分証。それは貴族たちが喉から手が出るほど欲しがる“帝直属”の証だった。

 けれど久世には、それが御影を縛る美しく冷たい鎖にしか見えなかった。

 (御影様の生命をかけてる代償がこんなものなんて……)

 憎しみに似た視線をペンダントに落としつつも、久世は乱暴にならぬよう、その銀の印を丁寧に衣の上へ整える。久世の胸の奥に、言葉にならない感情がよぎる。

「久世?どうした?」

 不思議そうにこちらを見る御影に慌てて笑顔を取り繕う。

「いえ、何もございません」




 湯殿に入ると、御影は当然のように腰掛け、背をこちらに向けた。 湯に浸かる前とはいえ、その身には腰に一枚の白いタオルが巻かれているだけで、湯気に濡れて布が肌に貼りつき、かえって艶めかしさを際立たせていた。

 久世は慣れた手つきで櫛を手に取り、御影の背後に膝をつく。濡れた髪はうなじにかかるほどの長く、湯気に湿ったそれが首筋にぴたりと貼りついている。久世はそっと櫛を滑らせながら、丁寧に髪を梳いていった。

「……くすぐったい」

「申し訳ありません。すぐ整いますので」

 そう言いながらも、久世の指先はまるで宝石を扱うかのように、優しく髪を撫でていた。御影はその丁寧すぎる手つきに呆れ、半眼で湯をぼんやり見つめている。

「適当でいいのに」

「いえ、そんなわけにはいきません。美しい御髪を整えるのも私の仕事ですので」

 そう言いながら、久世の指先はどこか名残惜しげに、そっと御影の髪を撫でた。

「では身体を洗いますね」

 静かな湯殿に、久世の落ち着いた声が響いた。その声の奥にはかすかな熱が潜み、冷静な佇まいとは裏腹に揺れる感情が垣間見れた。

 

 誰よりも冷静で、威厳に満ち、他人を寄せつけない御影。しかし、今こうして目の前にある背中は、驚くほど細く儚げで、男にしては折れそうなほど細い腰を、乱暴に掴み、押し倒したいという衝動を——久世は、息を吐くようにして抑え込んだ。

(あーあ、安心しきって……)

 無防備に背を預ける御影の姿が、久世にはたまらなく愛おしくて、同時に苛立ちを呼び起こす。

 久世は、しみひとつない真っ白な背中を、人差し指でつうっとなぞる。指の腹が肌の上を滑るたびに、御影の背筋がわずかに揺れた。

「っ……」

 御影がびくりと肩を揺らし、濡れた髪を払って振り返る。頬は湯気に火照り、肌に張りついた髪の隙間から、潤んだ瞳で久世を睨みつける。その色気に、久世の呼吸は一瞬止まった。

「すみません。……埃がついていたもので」

 笑みを崩さず、さらりと嘘をつけば、御影は睨みつけるだけで言葉も返さず、ふいっと顔を背けた。

 久世は柔らかな木綿のスポンジを手に取り、泡をたっぷりと立てる。白く濃密な泡を御影の背にそっと垂らすと、御影の体がぴくりと小さく跳ねた。骨ばった肩甲骨、すらりとした背筋、薄い肋の感触が、泡越しに指先へと伝わってくる。

「いつも楽しそうだな、お前」

「ええ。私の至福の時ですから」

 泡を纏った自分の指と御影の指先を絡めるようにして、優しく腕を持ち上げる。滑る肌と肌。肌のぬめりが御影の体温と混じり合い、熱が泡越しにじんわりと伝わり、久世の掌を熱くしていった。

 

 時間をかけるのがコツだ。奉仕の体を装いながら、指先でくすぐるように撫でる。肘の内側、二の腕の裏、肩のくぼみ——ほんの少し力を入れると、御影の肩がきゅっとすくみ、喉がかすかに震えた。

「……っ、ん……っ」

 ひそやかに漏れた声が、久世の下腹を刺激する。それでも、顔には出さない。

「いかがされました?」

「……別に」

 唇がわずかに震えていた。返事はそっけないのに、御影の肩にはわずかに力が入っている。

 久世の胸の内に、熱と疼きが湧き上がる。

 だが、越えてはいけない一線を、自分が誰よりもよく知っていた。


 あくまで奉仕。あくまで“弟子”。あくまで一方通行。

 それでも……

 御影の柔らかい肌に触れていられるだけで満たされてしまう自分が、悔しいほど愛しかった。


 未遂と未練の狭間に、泡の音だけが、静かに弾けていた。

 


 久世は泡立てたスポンジを持ち替え、そっと御影の肩に触れた。

「……前も、失礼します」

 そう言って、御影の正面に膝をつく。湯殿の椅子に腰かけた御影を、自然と見上げる形になる。視線を交わした瞬間、濡れた髪から一滴の水が御影の首筋を伝い落ちた。見上げる久世の視界は、蒸気に煙る御影で満たされている。頬は湯気に染まり、伏せた睫毛が濡れて影を落とす。肌は湯に温められた白磁のようにきめ細かく、微かに色づいていた。

 御影がふと顔を上げる。濡れた睫毛の下から伸びる視線が、湯気の帳を越えて久世の瞳と絡み合った。

 一瞬、時間が止まったように感じる。

 湿った空気のなかで、視線だけが熱を孕み、肌よりも深く触れ合う。青みがかった深い灰色の瞳は、静かに澄んでいながらも、その底は知れず、どこまでも深く引き込まれるようだった。

 ただ、互いの奥へとゆっくり沈んでいくように、視線が絡まり続ける。触れているのは目線だけなのに、それだけで湯殿の空気が濃密に変わっていった。吸い寄せられるように沈黙の奥を覗き込み、戻れなくなりそうな感覚に久世はわずかに身を引いた。張り詰めた静寂のなか、先に目を逸らしたのは久世だった。


 ――安心しきっている。

 なのに、自分の色香にはまるで無自覚。


 泡の乗った手が、御影の鎖骨をなぞる。細く、浮き上がった骨の硬さ。そしてそのすぐ下にある、滑らかな胸の起伏へと指が滑っていく。泡ごしに触れる肌はぬるりと温かく、触れるたびに久世の指先に熱が宿る。桜色の小さな突起に、ごく軽く指がかすめる。

「……っ、ふ……」

 御影の喉奥から、かすかな吐息が漏れた。ほんの微かな音だったのに、それだけで久世の胸の奥に熱が灯る。

 喉が、ごくりと鳴った。触れているのは自分の手のはずなのに、逆に心を乱されているのは、どうしようもなく自分の方だった。

 幸い、目の前の御影はその音に気づいておらず、長い睫毛を伏せ、静かに息を整えている。久世は唇を引き結び、こみ上げる衝動を押し込めた。その色香に無自覚なその在り方が、理性の軸をきしませる。かろうじて自我を保ちながら、御影の肌に手のひらを添え、腹部へと滑らせる。みぞおちから下腹部へと降りていく指先が、うっすらと浮いた筋のラインをなぞる。しなやかで、どこか儚い肉体。

「……何だよ」

 久世の視線に気づいたのか、御影が少し眉を寄せて睨んでくる。濡れた睫毛の奥、青灰の双眸に宿る光が、久世の中の“熱”を再び焚き付ける。久世は笑みを保ったまま、静かに口を開いた。

「いえ。……とても、綺麗です」

「……嘘つけ」

 御影は視線を逸らし、それきり何も言わなかった。久世もまた、それ以上は追わず、泡を足したスポンジを握り直す。

 再び膝をつき、御影の足首へと手を添えた。

「……失礼します」

 低く抑えた声は湯気に溶け、湿った空気のなかに消えていく。そっと足を持ち上げると、巻かれていたタオルがわずかにめくれ上がった。視界の端、白く滑らかな腿の付け根――その奥に、“それ”が在る。ほんの一瞬、布越しに揺れたように見えただけで、久世の下腹部に鈍い疼きが走った。

 露わにはならない。けれど、すぐに触れられる。どくりと疼く下腹を押さえ込むように、深く息を吐いた。わずかに微震える指先を誤魔化して、足先へ視線を落とした。

 足の指を一本ずつ、泡を纏わせて丁寧に撫でる。肌の熱が、指先にじわじわと自分に侵食してくる気がする。

 ふくらはぎから膝裏へ。しなやかな脚はしっとりと湯を含み、粘膜のようにやわらかい。久世は、迷いなく太ももへと進む。白く細い脚に沿って、泡を纏わせた手が滑っていく。太ももの内側。もっとも柔らかく、もっとも危うい場所。泡を馴染ませるふりをしながら、指先がゆっくりとに深く、奥へと入っていく。

 御影の足が、ぴくりと小さく跳ねた。

 湯気が濃くなる。手のひらが、肌の熱に濡れていく。もう、タオルの端に触れていた。その内側へ――あと、数ミリ。

 「……っ」

 小さな吐息が零れる。御影が息を呑んだその瞬間、久世の中の理性がぐらぐらと揺らぐ。それでも、手は止まらなかった。

 触れかけた先の熱が、ぬめるように甘くて――このまま堕ちてしまいそうになる。

 (……見たい。触れたい。知りたい)

 見えてはいないのに、そこに“触れかけている”というだけで、目の奥が焼けつくようだった。

 そのときだった。

 「……待て」

 低く震える声。次いで、手首をつかまれる。御影の指は濡れていて、それでいて思いのほか熱かった。

 「そこは……自分でやる」

 焦燥を帯びたその目に、久世は一瞬だけ、胸を満たす甘い喜びを感じてしまう。いつもは揺るがぬ彼の心を乱せるのは自分だけという事実が、この上なく甘美だった。

 久世は唇にうっすらと笑みを浮かべ、そっと手を引いた。

「……御意に」

 

 残るのは、泡の音と、互いの呼吸の熱だけだった。

 


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