3.
女の幽霊は、御影の言葉に何かを思い出すようにそっと目を伏せた。だがすぐに、わずかに顎を上げて御影に視線を向ける。その瞳には、かすかな怒りとも悲しみともつかぬ、複雑な感情がわだかまっていた。
「……私が、ここにいるせい……なの?」
声は震え、かすかに自責の色を帯びている。だが、その奥には、否定してほしいという願いが滲んでいた。
御影は煙管を咥えたまま、細めた目で彼女を見つめた。煙管の煙が細かく揺れながら、夜の冷たい空気に溶けていく。
「――君がすべての原因ではないと思う」
そう静かに告げると。女との距離を詰めすぎない程度に、慎重に歩み寄った。怯えさせないように、一定の距離感を保ちながらも、確かな足取りで近づいていく。
「ただ……この木がこれほどまでに黒く歪んでしまったのは……お前の怒り、怨念、後悔の念……そういった負の感情を長いあいだ吸い上げて続けてきたからだと思う」
女の肩が、ぴくりと小さく震えた。
「生者であろうと、霊であろうと、負の感情は世界に影響を与える。この木は……他のものより、感受性が強すぎた」
御影はまた一歩進み、それを見上げた。黒ずんだ幹からにじむような重い気配が、ひたひたと足元を這い寄るようだった。再び女の方へと視線を戻す。
「その証拠に、お前は悪霊に堕ちていない。どんなに悲しみや怒りを抱えていても、自我を保っていられているのは、この木のおかげだ。だが邪気を溜め込むだけ溜め込み、浄化されていない。恐らくだが、もうこの木に浄化するだけの余力がなく、邪気を抑え込むだけでギリギリの状態だ。このままでは長くはもたないだろう」
女の目からは涙が止まることなくこぼれ落ち、悔いるように唇を噛みしめた。
「……どうして、そんなことがわかるの」
その問いに、御影は微かに肩をすくめ、おどけたような表情を浮かべた。
「職業柄、見慣れてるんでな」
いつものように淡々とした声音だったが、その奥には、何人もの“失われた魂”を見送ってきた者にしか持ち得ない、深い静けさがあった。
しばし、沈黙が降りた。夜風が木の枝を揺らし、葉擦れの音が闇の中を満たす。やがて女は押し殺していた感情が溢れだすかのように、言葉を吐き捨てた。
「……全部、失くしたの。大切な人も、家も、私の居場所も……」
その声音には、鋭さと脆さが入り混じっていた。強がろうとする意志と、崩れてしまいたい心の狭間で葛藤しているようだった。御影はただ黙って煙管を吸い直した。女が続きを語り出すのを、急かさず遮ることなく、ただただ待っていた。