2.
木の根元にしゃがみ込んでいた女の幽霊が、ふと顔を上げた。煙管から漂う煙に気づいたのだろう。淡い紫煙を見つめ、その視線の先に立つ御影へと、ゆっくりと目を向ける。
少し垂れ目がちな目元。長い睫毛が涙で濡れ、光を反射してきらりと光る。若い。二十代そこそこ……いや十代にも見えるほど、あどけなさの残る顔立ちだった。
御影は、そんな彼女を見下ろしながら、煙管から立ち上がる紫煙の細い糸をほどくように、世間話でもするかのような言葉を紡ぐ。
「……いい月夜だな」
その言葉に、女は目を見開いた。信じられないというように、御影を見つめる。
「あなた……わたしが見えるの?」
「あぁ。バッチリ、な」
御影は口元に微かな笑みを浮かべながら、淡々と名乗る。
「高円宮御影。帝お抱えの霊媒師をしている」
「霊媒師……?」
女の顔が強ばり、目つきが鋭くなる。先ほどまでの涙の気配はすっかり引き、代わりに警戒と敵意の色が浮かぶ。
「私を、消そうとしてるのね……?」
途端に、空気が一変した。木々がざわめき、風の音が耳に不快な軋みを生じさせる。先ほどまで穏やかだった空気が、まるで何かが暴れ出す前触れのように揺らぎはじめた。
だが、御影は顔色ひとつ変えず、肩をすくめてみせた。
「……いや? 当たらずとも遠からず、ってところだな」
「帰って!」
女が声を張り上げる。空気のざわめきがいっそう強くなり、根元の草が小さく身をすくめた。
「まあ待てよ。君がどうしてここにいるのか……なんで泣いていたのか、俺はその理由が知りたい」
「あなたには関係ないわ!」
「残念ながら、関係あるんだな。帝からの勅命で、“黒い木”の怪異について調べなきゃならなくてね」
御影の視線が、女の背後へと向けられる。
「黒い木……怪異? 何のこと……?」
女が振り返る。その目に映ったのは、闇の中にそびえる黒ずんだ大樹の姿。
「君の後ろにある木さ。幹も葉も、まるで炭でも塗りたくったように黒々としているが……本当の姿は違うんだろ?」
傍らに立つ久世が、息を呑むように御影を見る。その言葉に女の表情がみるみる崩れた。震えるように木へ駆け寄り、幹をすがるようにして抱きしめた。
「嘘……嘘よ……どうして……何でこんなことに……」
女は木の幹に手を触れ、取り乱すように何度も何度もその表皮を撫でる。指先が震え、肩が小刻みに揺れていた。その様子を見て、御影は煙管を軽く傾け、ふっと煙を吐き出した。煙は静かに女の肩へ流れ、まるでその動揺を包みこむようにたゆたう。
「落ち着け。君が取り乱すと、こちらにも影響が出る」
その声は、優しさと厳しさを同居させたものだった。御影は煙管を口から外し、視線を木の頂へと向ける。静かに、しげしげとその姿を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……お前、頑張りすぎたんだな」
そう言って、御影は木の幹に手を伸ばす。指先が、ざらりとした樹皮をゆっくりと撫でた。その仕草は、労わるように、慰めるように——まるで長い時を独りで耐えた存在をいたわるかのようだった。