1 サムライトリップ
槍持て、弓持て、刀持てと其処かしこから鬨の声がる此処は血風飛び交う合戦場。誇り高い武士たちが血を血で洗う戦場に一人の少年が甲冑も付けず、抜身の刀だけを一振り携え立っていた。少年の年の頃は十五である。戦場に出るには些か早い年齢ではあるが、死に場所を求め、幾百の敵を殺め、彷徨う少年には寧ろうってつけの場所であった。少年の目的は二つ、一つは浮世孤児であった少年を可愛がり、育ててくれた女性に会いに逝くこと。そしてもう一つは、侍として誇り高く戦場で死ぬこと。但し、その目的はもう二年近く経つが叶っていない。それもそのはず、少年が無名の剣豪であったからだ。
少年が初めて人を殺めたのは十二の頃であった。相手は二人、一人は小間使い、そしてもう一人は侍であった。殺めた理由は単純だ、復讐である。少年の育ての親であった遊女の『お菊』と呼ばれる女性を、侍が殺したからだ。
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元々浮世孤児をしていた少年は、物心が付く頃に気が付くと遊郭に引き取られていた。少年が童の頃に働いていた遊郭では、綺麗に着飾った遊女達が少年の母親代わりであった。『お菊』そう呼ばれていた遊女が、小汚かった少年を嫌な顔一つ見せずによく可愛がってくれていた。店には、商人やら何処ぞの豪農からお侍、果てには坊さんまでが、色を売る女目当てに大勢来ていた。少年が子供心に魅せられたのは『侍と刀』であった。客で来ていた、偉いお侍様や商人が語って聞かせてくれた、武士の生き様のなんと誉高い事か、人を斬る為だけに作られた刃のなんと美しい事か。少年はその日より、侍になる事を決めた。遊郭での仕事の傍ら、時間を見つけてはよく棒を振っていた。そんな折、『お菊』を日頃から大層好いていた豪農が身請けをすると、話が持ち上がった。楼主は千両で賄えると言った。この話が、良い事であるのは小さい少年にも分かった。『お菊』が幸せそうな顔で喜んでいたからだ。だが、話はそう上手くは行かない。豪農の事が気に入らないお侍様がケチを付けて来たのだ。だが、お侍様に金は無く、楼主はお侍様に丁寧に断りをいれた。その後、無事に身請けが叶い遊郭から出て行った『お菊』を思い、少年は人知れず涙を流した。事件が起こったのは1年後であった。件のお侍様が、少年の働く遊郭へと久方ぶりに姿を見せたのだ。そして、少年は見てしまった。『お菊』が身請けの際に豪農から送られた雅な簪を、お侍様が腰帯に刺しているのを。胸中に嫌な予感を覚えた少年は、お侍様へ『それはどうしたのですか?』と、勢いよく迫り詰問をした。すると、お侍様は声を張り上げ、まるで自慢をするように『不届き者を成敗致した』と声高に答えた。それを聞いた瞬間、身体中の血が灼熱のように沸騰した。少年は、無我夢中で棒を引っ掴み、お侍様が侍っていた小間使いを力一杯に叩き退かすと、目の前の悪鬼を殺そうと棒を一心不乱に振りかぶり、その場で殺し合いを始めた。そこから先を少年はあまり覚えていない。
少年が我に返ると、お侍様も小間使いも口から血を吹き死んでいた。辺りが騒然とする中、この話はすぐさま花街に広まるだろうと楼主様が仰い、少年に逃げる様に言ってくれた。コソ泥の仕業に仕立てる為だと言って、二人の所持品を持たされた少年は、その日の内に遊郭を出された。今思えば、楼主様は『お菊』がどうなったのか知っていたのかも知れないと少年は思った。だから、少年に情けをかけ逃がして下さったのだろうか。母と慕った女性を殺され、その怨敵を討った少年に残った物は、虚しさと憎き相手の刀それから幾ばくかの金銭のみ。一年程、魂が抜けたように彷徨った少年が正気を取り戻したのは、合戦が行われている河原に着いた時であった。その日の糧を得る為か、死に場所を探してか、辿り着いたるは、血風飛び交う合戦場。槍持て、弓持て、刀持てと其処かしこから鬨の声が上がり、敵陣目掛け飛び込んで行く武士の何と誉高い事か。その光景を見た瞬間、少年は忘れていた童心をようやく思い出す事が出来た。そうと決まれば向かうは何方か?やはり、負け戦こそが漢の花である!圧されておった東軍へと勝手に混ざり、一心不乱に刀を振った。此処で死ぬならば本望。ようやく誇りを取り戻した少年に、怖い物など無かった。『お菊』にもう一度会う為に、斬って斬って斬りまくって今や逝かん。
――――――気付いた時、少年は生きて戦場に立っていた。
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二年間、死に場所を探し求め戦場を練り歩いた少年は、此度の戦も生き抜いた。
(お釈迦様は、死ぬにはちと早いと仰せのようだ)
そう思った少年は刀を鞘に戻そうとし、止めた。少年の目の前に突如、見た事も無い、黒い穴が出現したからだ。穴を認識した瞬間、少年は躊躇わずそれを刀で切った。しかし、刀が穴に触れた瞬間、浮遊感が少年に襲い掛かった。
(面妖な、何ぞこれは?身体が浮いておる。それに景色が闇に包まれていく)
少年の胸中をよそに、事態はすぐさま収まった。だが、闇が晴れると少年の見ていた景色は一変した。先程まで立っていた戦場から、見た事も無い物が並ぶ、摩訶不思議な部屋へと変貌したのだ。すぐさま刀を構え直した少年が目にしたのは、倒れ伏す女性であった。警戒しながら女性を観察すると、どうも人間ではないように感じる。何故なら、女性のもげた右腕と右脇腹から骨ではない、別のものが見えているからだ。女性は右腕と右脇腹を損傷しており、生気が感じられない。
「絡繰り人形か?」
(いや、しかしこんなに精巧な人形は見たことがないぞ?)
少年が警戒を一段階下げ、女性に近づこうと足をあげた時であった。
『……マイクロ…収束を確認……座標……失敗を確……相転移……誤差修……不可、再度の検討に…不可、移行…』
突如、少年の頭の中に声が直接響いて聞こえた。少年はすぐさま警戒を緩めた自分を叱咤し、再度警戒の構えを取り、言った。
「女、…妖術使いの類か?それとも妖か?」
少年の問いかけに女性からの返答はない。それどころか、先程と同じような声が再度、頭の中に響き渡った。
『…年代を……実行…1500年~1700年代と…再度…想定を……特定に失敗』
「応えろ!」
少年が声を張り上げ言ったが、女性からの返答はない。
(斬るか?)
そう少年が決断しようとした瞬間であった。再度異変が起こる。別の人物が扉を突き破り部屋へと飛び込んで来た。少年にはそれが、小さい頃に聞いた物の怪の、のっぺらぼうにしか見えなかった。何故ならその人物には顔が無く、髪も無く、人の形をした妖怪にしか見えなかったからだ。少年には分からなかったが、これは前時代文明が作り出した。自動人形と呼ばれる機械の人形だ。
『…交渉を…是。……再度の機…と考え…是。…ナノマシーン残量…下を確認…モードの…クリア…再統合まで…3…2…1』
(ええい、まただ、また声が聞こえる。それにさっきから何を言うておるのかさっぱり分からんぞ)
『……助けて』
その言葉が頭の中に響いた瞬間、少年は倒れ伏した女性を助ける事に決めた。何故なら、それが漢であるからだ。女子が『助けてくれ』と言ったのだ。それならば、助けてやるのが情けというものだ。部屋へと飛び込んできた自動人形は、少年の胸中などよそに、少年を敵と定め殺しにかかった。扉からここまでの距離は30mといった所か。自動人形はその距離を目にも止まらぬ速さで詰め寄って来る。それを確認した少年は、標的を自動人形に切り替え刀を構えた。自動人形は右手を前に突き出しながら、物凄い速さで走り寄ってくる。少年は敵が右手で刀を受け止めるつもりなのかと考え、胴薙ぎで斬ろうと思い刀を振ろうとした。その直後、自動人形から突き出された右手首が突如折れ曲がり、中から骨ではない筒が出て来た。それを視認した瞬間、嫌な予感を覚えた少年はすぐさま手首の方を切り付けた。筒の先端が光ったと思った時には少年の刀が到達していた。飛び出した弾丸を何とか刀で切り落とした少年は、すぐさま追撃を入れる為、相手を袈裟に斬った。手応えは有った。深さ3cm程の傷が相手の左肩から右腰に向けて一直線に入った。だが、驚いた事に相手はすぐさま反撃を入れて来た。傷などお構いなしに、相手は切られた事で一時使用不可となった右手とは逆の左手で殴り掛かってきた。しゃがみ込み、これを避けた少年は相手とすれ違いざま、伸び切った左脇の下をすくい上げるように斬った。今度は先程の様に表面だけで無く、骨まで入った。だが、それでも相手は止まらない。ならば、振り返った少年は一息に首を斬り飛ばした。そこで、自動人形はようやく止まった。
「こやつが、坊さんの言っておった妖怪なのか?」
(確かに、噂に違わぬ見た目であったが、よもや本当に妖に会う事があろうとは、これならば、極楽浄土も本当にあるのであろうか?)
『助けていただきありがとう御座います』
少年が斬り飛ばした自動人形を見ていると、また声が頭の中に聞こえて来た。
「いや、気にするなと言いたい所ではあるが、女、…お主妖怪か?」
少年がそう言いながら女性の方を見ると、丁度女性が伏せていた体制から起き上がり、壁にもたれ掛かりながら此方を見つめていた。女性は顔を上げると言った。
『私は妖怪ではありません、私は……申し訳御座いません。情報開示に必要なレベルが不足しており、正確に答える事が出来ません。』
そう答えた女性の方を見て少年は思った。そう言えば、この女性の名前をまだ聞いていなかったと。それに、いつの間にか警戒心が薄れている。そう思い相手をしっかり見やると、やはり、どうも生気という物が感じられない。まるで無機質な岩と喋っているようだ。表情一つ変えず、口も動かさず、直接頭の中に話しかけてくる女性を見て、少年はそう思った。それによく見ると、この女性、黒髪黒目のどえらい別嬪さんだ。遊郭でも別格の美しさを誇っていた太夫や花魁も、肌や髪を綺麗に手入れしていたが、この女性の肌のきめ細かさや、光を反射する程に磨かれた御髪の綺麗さには敵うまい。改めて見ると尋常ではない雰囲気を纏っている。お広家様でもこんな綺麗な女子を見た事がないと少年は思った。遊郭で陰子をしていた少年の目をしても、そう言わしめる説得力がその顔にはあった。
(やはり、話に聞くように妖というのは美貌で男を誘うのであろうか?)
少年が繁々と顔を見ていると女性が言った。
『…助けて頂いたのに、正確に答える事が出来ず申し訳御座いません。……宜しければ、情報開示に必要なレベルを査定する為、貴方の血を一滴貰えないでしょうか?血を一滴頂ければ、必要最低限の事には答える事が出来ると思います』
そう言われた少年は少し迷った末、手に出来た豆を潰して血を出す事にした。理由は、話が進まなそうな事と、丁度気になっていた手の豆を潰すいい口実になったからだ。少年は躊躇わず手にできた豆を潰した。
「ほら、血を出したぞ。それで、どうすればよいのだ?」
『私の手に垂らして下さい』
そう言われた少年は、女性の差し出された左手に血を垂らした。すると、驚いた事に女性はその手を口元へ持って行き、血の付いた指を舐め採った。その瞬間、
『ゲノム解析を実行…続いてテロメアの解析へ移行…パターン照合を開始…特定…99%の確率で日本人と断定。』
何やら女性が高速で喋り出した。だが、少年には何を言っているのかさっぱり分からなかった。
『暫定レベルを5に…不可…暫定レベルを3に…完了…続いて対象者の保護レベルの認定へ移行…先程の戦闘データを開示…暫定レベルを2に…完了』
少年は少し不安な気持ちになったが、女性は気にせずに続けた。
『続いて対象者の意思確認を実行…』
女性がそう言った直後、虚空を見つめるようであった女性の視線が少年に向かい、語り掛けてきた。
『貴方は日本人ですか?…』
聞かれた少年には質問の意味がよく分からなかった。
「にほんじん?とはなんだ?」
『質問を変えます、貴方はひのもとのたみですか?』
日ノ本、そう言われれば少年にも質問の意味が分かった。
「ああ、そうだ」
『貴方は人を殺した事がありますか?』
少年は何でもない事のように答えた。
「ああ、ある」
『…貴方は今までに何人殺しましたか?』
少年は戦場で斬った相手の数が正確に分からなかった。
「うーむ、正確には分からぬが、100人は優に超えているな」
『…貴方は理由なく他者へ危害を加えた事がありますか?』
そう問われた少年は、少しムッとしながら答えた。
「…ないが?」
『貴方は他者の所有物をそれと知りながら盗んだ事がありますか?』
その質問には侮蔑が含まれている事を少年は感じた。
「俺はそんな卑怯な事はせん!」
『貴方は弱者をいたぶる強者ですか?』
その質問を侮辱と受け取った少年は警告の意思を込めて言った。
「おい、女いい加減にしろよ、俺は侍だ!そんな事は断じてせぬは!」
刀を抜かなかったのは相手が女性であったから。それに問われた通りの内容を今実行してしまっては、本末転倒であろうと思ったからだ。
『最後の質問です。何故貴方は私を助けてくれたのですか?』
この質問に少し面食らった少年は、先程までの勢いを落とし、落ち着いて考える事にした。少年が女性を助けたのは、それが漢だからという回答しか持ち合わせていなかった。だが、そういう事では無く、相手に分かりやすく言うにはどうすればいいかを考え言葉をまとめてから少年は言った。
「…俺の憧れた侍なら、弱気を助け強気を挫く、そう思ったからだ。…これでいいか?」
少年はもっと言うべき事があったかとも思ったが、語りすぎるは恥と言われ、戦場で生きて来た身の上だ。その為、己が考える質問への最適な言葉を短い言葉で伝えた。
『意思確認を完了。…当該アクセスレベルを3と判定、プロセスを一部保留…ありがとう御座いました。』
最後に礼を言われた少年は、途中の嫌な気持ちなどは一旦忘れ、素直に感謝の言葉を受け取る事にした。
「…どういたしまして」
『先程の貴方の質問にお答え致します。私は地球帝国宇宙軍日本直上防衛隊所属、統治人格型自動人形、イザナミです』
最初に言われた言葉は少年には全く分からなかった。だが、最後の言葉は分かった。何故なら少年が知っている神様の名前だったから。――――
(神様!?イザナミってあの、い・ざ・な・みだよな?……伊邪那美命!てっきり妖だとばかり思っていたが、まさか神様だったとは………俺、滅茶苦茶失礼な事言った気がする)
そう思い至った少年はすぐさま土下座の姿勢を取ると、ははーーと、女性の前にひれ伏した。
イザナミが動かしたオートマタの所属が長すぎてルビを振れなかった為気になった方用
チキュウテイコクウチュウグン二ホンチョクジョウボウエイタイショゾク、レインイディビジュアリティーモデルオートマタ、イザナミ