5.やけくそシャンプー
畑のど真ん中にある広場には、一本のモミの木が聳えている。収穫祭など催し物のある時に使われる広場だ。モミの木の下に村人たちが集まって、わいわいと何か話し合っている。キャリーとサクはこっそりと村人たちの背後に接近した。
村人たちの隙間から、純白の衣に身を包んだ壮年の退魔師が見えた。退魔師の隣に、薄汚い服を着た中年男が地に膝をついていた。
ぼさぼさ髪を肩辺りまで伸ばしたその男は、ギョロ目を剥いていた。飛び出た眼球は真っ赤に充血し、目縁に目脂がごっそり溜まっていて汚い。
男は口を裂けんばかりに大きく開け、涎を滝のように垂らしながら「アァアァアアー」と不気味な呻き声を発している。
気が狂っているような彼の様子に、キャリーは肌に寒気が走るのを感じた。
(あの男、悪魔憑きか)
今から退魔師は中年男に取り憑いた悪魔を祓うのだろう。村人たちに自分の力を示すために。
退魔師が言った。
「この男は悪魔憑きです。帝国兵たちと同じく身体に悪魔の魂が宿っている状態です」
帝国兵たちもこの男と同じくギョロ目を剥いて不気味な呻き声を発していたのだろうか。だがポンコツはこの男と違い至って大人しい。こいつとポンコツの違いは何だろうとキャリーは首を傾げた。
「今から悪魔殺しを皆様にお見せいたしましょう。祓うのではなく、悪魔を直接殺すのです」
悪魔祓いではなく、悪魔殺し。つまり男に宿る悪魔を抹殺するということだろうか。
退魔師は皺の多い手に持つ金色の十字架を男の額にかざす。男が突然甲高い絶叫を上げ、地をのたうち回った。キャリーは驚いて肩を震わせる。男の異常な暴れっぷりに怯えたのだろう、村人たちがざわめき出した。
退魔師は衣にぶらさがった小袋に片手を突っ込み、その手を男の肩に近づけ、白い粉のようなものを振りかけた。男は悲鳴を上げて肩を押さえる。粉を嫌がっているらしい。退魔師は男に白い粉を振りかけ続けた。
退魔師は呪文を唱えながら男に十字架をかかげ続けた。陸に上がった魚のように飛び跳ね暴れていた中年男は段々と静かになり、急に見違えるほど穏やかな顔になって起き上がった。
本当に憑き物が落ちたように別人と化した彼は微笑んで、退魔師にお礼を言った。
「ありがとうございます、退魔師様!」
村人たちが拍手喝采を二人に送る中、キャリーは絶対に退魔師を家に近づけてはいけない、と改めて自分に言い聞かせ固唾を呑んだ。退魔師に見つかったら、ポンコツは確実に殺されてしまう。
拍手が静まったところでキャリーは退魔師に来るなと申し出ようと意を決し、前に進み出る。村人たちがキャリーを避けるように道を開けた。突然現れたキャリーに驚いたのだろう、退魔師は目を丸くして訊いた。
「おや、どうしましたか?」
「退魔師様、突然申し訳ございませぬ。あたしん家には来んでほしいんでごぜぇますだ」
「なぜです?」
「いや、その⋯⋯」
言い訳が思い付かず焦る。キャリーが言いあぐねていると、退魔師は険しい表情で言った。
「悪魔の呪いを祓わなければ、この村に生涯あらゆる不幸を招くのですよ? そうなってはあなたも困るでしょう?」
「別にかまわん。もうすぐあたし死ぬからよ」
「は?」
一人の村人が咎めるような口調で「キャリーやめんか」と言った。村人たちも口々に続ける。
「あんたが死んだら困るて何度も言う取るじゃないがい」
「あんたはこの村にしかいない外科医や。死なんでくれ」
死ぬな死ぬなの大合唱を浴びせられ、キャリーは吐き気を催し口に手を当てた。
その時、サクが村人たちを止めるように声色を強めて言った。
「おねえが死にてぇ言うなら、死なせてやれやっ!」
水を打ったように周りが静かになる。今まで誰一人として言ったことのない、死にたい気持ちを認めるような言葉にキャリーは面食らい、閉口する。
「あの⋯⋯皆さん⋯⋯」
皆の沈黙に戸惑ったような退魔師の呼びかけで我に返ったキャリーは、彼に頼んだ。
「と、とりあえず退魔師様、あたしん家には絶対に絶対に来んでくだっせえ。そん代わり、あたしにもできる悪魔の呪いを祓う方法を教えてくだせえ」
退魔師は呆れたように溜め息をついた。
「こちらも時間がないので、お教えしましょう。⋯⋯悪魔は灰が大嫌いです。先程男に振りかけた白い粉は灰です。火で清められた木炭には魔を祓う力が宿るので、悪魔には効果抜群です。呪いも灰で祓うことができます。手間はかかりますが、お部屋全体を毎日灰で磨き、清めれば悪魔の呪いは消えるでしょう。それともう一つ」
退魔師は十字架の柄の部分を回して上下を離した。柄の空洞の中には細かい木屑が詰め込まれている。木屑からは爽やかなとてもいい匂いがした。
「これは聖木と言います。悪魔の魂を消してしまうほどに強力な聖なる力を持つ木なのです。退魔の術を発動するには欠かせないものです。この木を家に入れるだけで、悪魔の呪いは完全に消えるでしょう」
「悪魔の魂を、消す?」
この木をポンコツに近づけたら、奴の魂は消えてしまうということか。全身に緊張が走ってキャリーは固唾を呑んだ。
退魔師は言った。
「手早く呪いを祓いたければ、聖木を見つけてきてください」
キャリーの隣りに立つサクが言った。
「聖木? おら、聖木生えとるとこ知っとるよ! キャリーおねえ、案内してあげるっぺ!」
殺してくれないと聖木を近づけるぞ、と脅したら大人しいポンコツもさすがに怯えて殺してくれるかもしれないが、万が一の失敗が不安だった。聖木の魔除けの力が及ぶ範囲がどれほどかわからない。ポンコツに下手に聖木を近づけて死なせたら元も子もない。
聖木を使うのは怖いので、まずは悪魔の大嫌いな灰でポンコツの身体を洗う嫌がらせをし、脅してみることにする。キャリーはサクの誘いを断った。
「まずは灰から試してみるっぺよ」
「⋯⋯残念さね」
サクが項垂れるのを見て、キャリーはなぜ落ち込むのかと首を傾げた。
退魔師が皆に聞こえるように張りのある声で言った。
「では、これから民家を一件ずつ回って呪いを祓います。⋯⋯一件を除いて」
へい、と村人たちが一斉に返事をし、解散していった。散らばっていく村人たちの中に一人、両腕の第二関節から下が無い中年の女が突っ立ってこちらを見ていた。
サクが沈んだ声で呟く。
「⋯⋯おっかぁ」
女――サクの母は彼を呼んだ。
「サク、帰るっぺよ」
サクの母は三年前に農作業中に両腕の関節を折った。関節が粉々に砕けていたため、キャリーの母は外科手術で両腕を切断した。腕が無くなってから、サクの母は農作業も家事も裁縫もできず普段は家にこもりっぱなしだという。今日はサクを追いかけて外に出たのだろう。
サクは顔をしかめて歩き出し、重い足取りで母のもとへ向かっていった。ゆっくりした歩き方から、母のところへ行きたくないと嫌がっているように見えた。
サク親子が並んで広場に隣接する畦道を歩いていくのを、キャリーはじっと見つめていた。サクの母の姿が自分の母と重なり、胸に刺すような痛みが走る。
「おっかぁ⋯⋯」
とキャリーは呟く。
家族と共にいる人を見ると胸が苦しくなる。二人の姿が見えなくなり、我に返ったキャリーは「早くポンコツを灰で磨く嫌がらせをしなきゃ」と家路を急いだ。
家に戻ると、外出前まで壁に突き刺されていた三人の赤ん坊の生首が無くなっているのに気づき、キャリーは眉をひそめた。道や畑にはまだ死体がいくつも転がっているので、赤ん坊の生首を村の誰かが回収したというわけでもなさそうだ。
(まさかポンコツが)
朝飯が足らず赤ん坊の生首を喰ったのだろうか。悪魔は雑食なのかもしれない。ポンコツが病床を赤ん坊の血で真っ赤に染め、ハエを誘き寄せていないかと不安になった。
玄関扉の板の隙間に指を入れて心張り棒を落とし、キャリーは居間に入った。ポンコツは仰向けで呆然と天井を見ている。病床の布は綺麗でポンコツの口も血に濡れておらず、赤ん坊の生首を喰らった痕跡はない。
台所のほうから風が吹いてきて、裏口の扉が開けっ放しになっているのにキャリーは気づいた。もしかしたら不在中にポンコツが生首を外に捨ててきて、その際に扉を閉め忘れたのかもしれない。
誰かに見つかったら即捕まるだろアホめと呆れながら台所に入ると、裏口の扉前に立てかけられた剣が目に入った。白銀の刃にこびりついた血と黄色い皮下脂肪がてらついている。剣の矛先には土が付着していた。もしかすると剣を掘り棒代わりにして土を掘り、赤ん坊を埋めたのかもしれない。
キャリーは裏口の扉を閉めて居間に戻ると、ポンコツに向かって愚痴を吐いた。
「勝手に外に出やがって。村人に気づかれたらどーするだよ」
ポンコツは怒られているのを理解していないのか、相変わらず無表情でキャリーを無視していた。身の危険を一切感じていないような奴の呑気さに、おしおき心をくすぐられる。
「よし、今からおしおきしたるわ」
悪魔の嫌いな灰で身体を磨いて悶絶させてやる。ポンコツが自分をいつまで経っても殺してくれない鬱憤も晴らしたくて仕方ない。先程の悪魔憑きのように暴れ狂うポンコツを想像すると、いたずら気分が昂ぶった。
キャリーは天井裏から桶を持ってきて台所の窯の灰を入れ、ポンコツに寄った。
「ほらよぉ。おめぇら悪魔の嫌いなお清めの灰だ」
にやにやしながらポンコツに灰を見せつけたが、奴は桶の中をじっと見下ろすだけで嫌がる素振りは見せなかった。
「おい、嫌がれよ」
身体に灰をかけたら嫌がるだろうか。キャリーは灰をポンコツの肩に振りかけてみた。ポンコツは肩に降り積もった灰を無表情で見つめ、手で払い除けた。予想外の落ち着きぶりに面食らい、キャリーは素っ頓狂な声で叫ぶ。
「はあぁぁぁーっ? 何でっ? 何で嫌がんねーのっ? 悪魔のくせにっ!」
叫び声がうるさいというように、ポンコツは両耳を手で押さえてキャリーを睨む。腸の煮えるような怒りが込み上げて腹の内がかっと熱くなる。
「このっ」
キャリーは灰を付けた布でポンコツの腕を怒り任せにごしごしと擦る。土と垢と血まみれの汚れた肌は、三、四回擦ると雪のような白さに変わった。現れた想像以上に白い肌に、キャリーは唖然とする。
「んだこれ? これがお前の素肌の色か?」
ポンコツは白くなった自分の腕を見下ろしていた。痒がりも痛がりもしないポンコツの強靭さに、怒りが油をかけられてごぉっと立つ火柱のように爆発する。
「この野郎っ!」
キャリーはポンコツの全身をやすりで擦るように力をこめて磨いていった。両腕、顔、胸、ズボンを脱がせて太腿から爪先までくまなく擦る。
清潔なものが大嫌いな悪魔のくせに、ポンコツは磨かれている途中、全く嫌がらなかった。白くなっていく自分の身体をただ眺めるだけだった。
「痩せ我慢してんか? おめぇ異常にずぶといもんなぁ」
愚痴を垂れるキャリーをよそに、ポンコツは磨かれた片腕を擦り、鼻に近づけて匂いを嗅いだ。もしかすると清めの力を持つ灰の匂いや感触が気に入らず尺に触っているのかもしれない。そう受け取ったキャリーは、今まで殺してくれと頼んでも無視したツケが回ってきたんだ、ざまぁみろと笑った。
「へへへ、やっぱり灰が気持ち悪いんだろう? なぁ?」
擦り続けて、土と血と垢で真っ黒だったポンコツの全身は見違えるほど輝く白に変わった。これがポンコツの地肌というのが信じられず、キャリーは驚く。
「ふ、ふぇ⋯⋯?」
ポンコツが顔を上げた。蝋燭の明かりに奴の横顔が照らし出される。光を受け、汚れで隠れていた顔の細部が露わになり、より目鼻立ち整って見えた。瞼を半開きした暗い目は憂いをたたえたような雰囲気を放ち、白い肌と相まって氷のような美しさがあった。
全く別の意味で悪魔的なポンコツの顔に、キャリーは先程までの怒りを忘れるほど魅入ってしまう。
突然ポンコツが顔をしかめて片手で髪を掻いた。また頭が痒いらしい。ポンコツが髪から手を離すと、奴の手に見たことのない糸状の小さな虫、ノミ、シラミがたくさんへばりついているのが見え、キャリーはヒッと悲鳴を上げた。
その糸状の蠢く虫は寄生虫のように見える。あまりにも気持ち悪くて、キャリーは鳥肌が背筋を駆け上るのを感じた。
「うわああっ、何でぇその虫っ!? 寄生虫かっ!?」
ポンコツの髪の毛の中にはたくさんの寄生虫がいるのだろう。もし寄生虫が自分に移ったら、皮膚、肉、内臓を食い千切られて肉塊になって死ぬかもしれない。
苦痛を伴う死はお断りのキャリーには、何が何でもそんな惨い死に方はごめんだった。寄生虫がこちらに移る前に駆除しなければならない。
キャリーは慌てて天井裏に向かい、虫殺しの薬草が残っているかどうか確かめた。虫殺しの薬草はシラミや頭皮に巣食う寄生虫によく効く。
虫殺しの薬草を適量手に取って台所で煮出し、風に当てて冷まし、嫌がらせに灰も混ぜてポンコツの頭にかけてやった。濡れた髪を布越しに揉むと、薬液がもこもこと白く泡立つ。
灰を頭に付けられて悲鳴を上げるかと思いきや、ポンコツはフゥ~と満足気な溜め息をついた。どうしたのかとキャリーは眉をひそめて奴の顔を覗き込む。奴は瞼を半開きにしてうっとりとした表情を浮かべていた。
奴の顔はどこか嬉しそうに見えた。
(? 喜んでやがる? 灰を混ぜているのに?)
手を止めると、ポンコツが肩越しからキャリーを見上げて、頭の上で手を揉むように動かした。早く髪を洗ってくれよと催促しているのは明らかだった。
「おい、おかしいだろこんなのっ!」
キャリーがなぜ怒っているのかわからないというように、ポンコツは眉をひそめた。
やけくそになって髪の毛を揉み洗いし、寄生虫やシラミが死んでいるのを確認した後、櫛で虫たちを取り除いてからポンコツの頭をすすいだ。水の溜まった桶に髪を浸して、泡を落としていく。そして布で髪の毛を拭いて、終了。
ポンコツは濡れた髪に指を通し、自分の手を顔前にかざして目を丸くする。悪魔のように不気味で濁った瞳が、少年のような丸い目に変わっていた。
嫌がらせをしたつもりなのに、返って喜ばせてしまったような気がする。
「なん、で⋯⋯」
キャリーの心の中で退魔師への疑いが頭をもたげた。あいつ、適当に嘘をついたのではないか。しかし退魔師は悪魔憑きに灰をふりかけ、悪魔憑きは灰を嫌がった。退魔師が嘘つきだとは思えない。
もしかするとポンコツは悪魔の中でも最強の上位種なのかもしれない。教会の話で出てきた、悪魔たちを率いるという魔王並みの凄く位の高い奴なのかもしれない。反面、最強のくせになぜ怪我をし貧血でふらふらなのかは大いに疑問だった。
何がともあれ、もう最終手段である聖木を使うしかないかもしれない。悪魔の魂を消すほど強烈な聖木ならば、ポンコツもさすがに恐怖することだろう。
一か八かやるしかない、とキャリーは緊張しながらも頷いた。
(こうなっだら、聖木を取っでくるっきゃないっぺ)




