三十路共の戯れ
7/6 三十路共の戯れ2・3・1.5・4を短編に上げました。
「おお、聖女よ!どうか我が国をお救い下さい!」
大広間、魔道士達が2ヶ月かけて書き上げた魔方陣の上、二人の女が呆然とした顔で立ち竦んでいた。いや、正確には、立ち竦む少女と、酒瓶を抱え座り込んでいる女。
「っ、うぉぇえっ…!デカい声出さないで…っ、頭割れる…っ!」
土下座のように這い蹲る女は、大神官に苦言を零し、長い髪の隙間から双眸がギラギラと光っている。…手負いの獣のようだな。
「おい、何故聖女様が二人いらっしゃるのだ。」
「まさか、失敗か?」
「いえ、術式に問題は…!」
「もしや、巻き込まれたのでは?」
ざわざわと魔道士や神官達がざわめいて。もしもの為にと控える騎士団達も、警戒は怠らないが視線だけ彷徨わせている。
「おお、聖女よ!なんと美しい。」
混乱の人混みの中、若い男の声が響く。この国の王、ベイルート様だ。つい先月、先王が崩御なされ、18歳の若さで代替わりしたばかりである。そして、それによりこの国は崩壊の一途を辿っている。…聖女などと云う、眉唾な伝説に縋るほどに。
王は、ずい、と少女に歩み寄り、跪くと手の甲に口吻をおとす。確かに少女は金糸の髪に、宝石のような青い瞳。小さな身体に白い肌という、妖精のように愛らしい見目をしていた。今は口吻を落とされた手の甲を撫で、恥ずかしそうに頬を染め眼を伏せている。
「さあ、こちらへ。落ち着ける場所で、貴女と僕、二人の未来の話をしよう。」
腰を抱き寄せる王に、少女も満更でもない笑みを浮かべている。云いようのない不安が、胸をよぎる。
「王よ、もう一人の聖女様は、如何するおつもりですか。」
思わず、声を上げてしまった。そう、そうだ。何故、王は少女を聖女として認め、もう一人をまるで居ないものかのようにあつかっているのか。儀式で呼び出されたのならば、彼女も聖女であるはずだ。
「…ゼロックス。お前の目は節穴か?それとも、僕への当て付けに、馬鹿な進言をしているのか?」
苦虫を噛み潰した顔で、振り返り嘲笑う王は、ちら、と酒瓶を抱え頭痛に悶える女を一瞥する。
「これの何処が聖女なのか言ってみろ。」
「しかし…っ、」
「なあ、ゼロックス騎士団長。お前は今までよく働いてくれた。しかし父上亡き今、僕に必要なのはお前ではない。」
はぁ、と態とらしいため息と共に、仄暗い眼を俺に向け、嗤う。
「いつもいつも、お前は僕のやること全てにケチを付け、成す事全てに小言を添えるな。そんなにお前は偉いのか?王である僕よりも。」
「っ、そのようなことは決して…!」
「いいや、わかるさ。騎士団長、ゼロックス。お前に新しい仕事をやろう。騎士団長は本日付でクビ、これからはお前の言う、もう一人の聖女モドキを護って生きればいい。今日からお前は死ぬまで、その女の護衛だっ!」
早口で捲し立て、ポイ、と捨てる様に城外に放りだされた。ガシャン!と大きな音を立てながら閉められた門の内側から、王の笑い声が聞こえた気がした。いや、幻聴なんだが。
「…うっ、おええええええええ、」
ついに限界を迎えたらしい聖女(仮)は、放り捨てられた門前でげろげろと嘔吐していて…。ドン引きしている門兵達を横目に、とりあえずこの酔っぱらいを介抱して、話をしなければ。と、俺は気合を入れて自分の両頬を打った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おーまいが…。」
先週、私の尊い推しが死んだ。彼女の為に大量に稼ぎ、残業もいとわず、コラボゲーム全てに手を出し、大人の財力に物を言わせて愛した、愛しの愛しのマリカたん。小学生の頃から推し続けた彼女は、主人公♀の糧として、尊い犠牲になったのだ。コラボコスメもコラボカフェも、ヌイも集めに集めたエルドラドで、私は泣いた。恥も外聞もなく泣きわめいた。本誌掲載当日から会社の有休を一カ月ねじ込み、暴飲暴食の限りを尽くし、DVDBOXを一話から一気見。四徹目から飲めもしない酒が入り、六日目から記憶がない。
「い、イケメーン、きゃー…。」
棒読みで混乱する私の横で、半裸のお兄さんがベットに横たわっていた。やばい、本当に何事だ。誰ですかこの外国人のお兄さん。腹筋バッキバキのイケメンやぞ。私は私で、服を着てはいるものの、見たことのないワンピース。あ、下着は私のだな。うむ。
「…起きたんですか。」
「ぅお゛?!」
驚きすぎて猫鼠みたいな声が出た。振り返ると、気だるげに髪をかきあげるお兄さん。せ、セクスィー。すごい声低いな。補佐官かな。
「お、おはようございます?」
「はい、おはようございます。こんな格好ですみません、少々お待ちを…。」
返事はしっかりしているけれど、まだ眠いんだろうか。よたよたとどこかへ消えると、シャツを羽織りながら戻ってきた。さらば腹直筋。目の保養だったぜ大胸筋。心の中で敬礼しつつ、お兄さんを正座して待つ。
「ええと、とりあえず簡素なものですみませんが、朝食はこちらを。あ、身支度…なさいますか?」
「顔だけでも洗いたいです…できればお風呂…。」
お兄さんの申し出に、答えてみるが反応はいまいち。ううん。もしや海外か?誘拐とか拉致だろうか。お兄さん顔が完全に西洋人なのに、日本語お上手だしなぁ。
「顔を洗う程度なら…。井戸は使えますか?」
「い、井戸?!」
ちょっと驚きすぎて聞き返すと、お兄さんは、ああ…、と額に手を当てて。結局建物の裏手に連れていかれ、水を汲んでもらい。顔と身体をぬぐって、ついでにうがいもして、多少酒臭さがマシになった。
「いただきます。」
部屋に戻って朝食を頂きつつ、お兄さんの話に耳を傾ける。ほうほう。異世界転移に聖女とな。お兄さんの名前はゼロックスさん。なるほどなるほど。私はうんうん頷きながら話を聞き、す、と床に正座した。
「大変申し訳ありませんでした。多大なるご迷惑をお掛け致しましたこと、ここに心より謝罪いたします。」
流れる様な土下座である。自分でも惚れ惚れしちゃうよね。うん、ほんと、ごめんなさい。意識がなかったとはいえ、私をかばって追い出された上に酔っぱらいの介護、果ては服が吐瀉物まみれなんて、私だったら張り倒しているわ。…お兄さんに張り倒されたら、私はワンパンで沈む自信がある。
「ガチムチ三十路に殴られたら死ぬ。怒りを忘れ静まって頂きたい所存。」
「そもそも怒っていませんから、落ち着いてください。」
「ええ、心の広さカスピ海かよ。最高of最高。」
そんなことしません。と笑うゼロックスさんに、ありがとうございます、ともう一度土下座してから立ち上がり埃を払う。プライド?かぁさんの腹の中だよ。そんなもんじゃ腹は膨れないからね。
「聖女様のお名前をうかがっても?」
「ああ~…。新庄、です。」
「シンジョウさま?」
思わず名字を名乗れば、カタカナで呼ばれているような違和感。まぁ、そのうち慣れるか。それよりなぜ様付けなのか。
「呼び捨てで結構ですよ。ゼロックスさんの方が恐らく年上ですし。」
「それはそうでしょうけれど…。ちなみに35になります。」
おお、思いのほか年上だった。大して変わらないけども。
「30です。」
「えっ」
「え?」
教えてもらったから、と答えながらパンを引きちぎる。突然驚かれて、むしろ私が驚いた。なんだなんだ。
「もっと老けて見えました?」
それはそれでショック。目に手を当ててオーバーに振り仰ぐと、ゼロックスさんが慌てたように釈明してくる。
「すみません、25歳前かと。」
「言動が幼稚で申し訳ない。」
「いえいえ!本当にそういった意味では!!」
「…、ゼロックスさん、良い人だなぁ。」
良い人(生真面目)とかいい人(堅物)とか入りそう。私が笑いながらパンを咀嚼していると、揶揄っていることに気が付いたのかため息をつかれた。いい人(苦労人)も追加されそうだな。
「聖女様ではないので、シンジョウでお願いします。」
「…聖女様召喚の儀でお呼びいたしました。間違いなく、シンジョウ様は聖女様です。」
「いやいや、聖女って『未成年・美少女・純潔・清楚・淑やか』の塊みたいな人でしょう。一つも当てはまっていませんよ。」
「えっ。」
「…今驚くところありました?」
なんですかこの微妙な空気。いぶかし気にゼロックスさんを見ていると、視線を彷徨わせた後にごほごほとわざとらしい咳をしている。咳き込みすぎて、顔赤くなってますよ。そう指摘すれば、今度は私のことをたずねてきた。質疑応答タイムですね!
人生の推し、マリカたんの下りは涙ながらに一番時間を割いて説明しつつ、ここに至るまでの一週間ほどを話した。おめでとう!!情報共有が終わった!!と言いながら立ち上がり皿を片付ける。ごちそうさまでした。
「…だんだん、シンジョウがどういう人間かわかってきた。」
「やったぜ。」
五分以上お願いし続けて、様付けと敬語を止めて頂いた。背中むず痒くなるからね。フランク&フレンドリーで行こう。代わりにゼロックスさんはゼロさんに省略されました。
「今日は服などの生活用品を買って…あとは神殿で、聖女認定ないしは、能力検査をしよう。」
「能力検査?」
「10歳になると、皆教会で能力検査をする。それにより、就職先を決める。」
ほほう。なるほど。ゼロックスさんに説明を受けながら、街中へ繰り出す。意気揚々と踏み出した私の足は、挨拶にきた小石とぶつかりしたたかに転んだ。…うむ。気を取り直して協会に向かう…んですが、
「hey!s〇ri!もしかして私、呪われてる?!」
がばっと、地面から起き上がり叫ぶ。膝小僧がお釈迦になりそうだぜ!全く困った子猫ちゃんだ!
「注意力が散漫すぎるだろう…。」
困った子猫ちゃんは君だ。と言われ、助け起こされるというより、持ち上げられた。足が地面につかないぜ。
「おお、流石実用筋肉。重くてすみません。」
「…、他の部分も気にしてくれ。」
はぁ、と呆れたように溜息をつかれてしまった。申し訳ない。ちょっと真面目に謝罪して顔色をうかがうと、地面に降ろして貰えた。さっきぶりだね地面!まった?ううん。今来たところ!
「シンジョウの世界では知らないが、地面は王都など大きな街以外舗装されていない。この辺の、安い店の建ち並ぶ商店街では尚更だ。周りが気になるのはわかるが、足下が疎かになればまた転ぶぞ。」
石ころや地面の凹凸で一人遊びしている私の手を掴んで、ゼロさんが歩き出す。手を引かれるまま、私も金魚の糞のようについて回ることにした。
「おお、迷子防止と転倒防止を兼ねるとは。さては効率厨ですね。」
ゼロさんの足が長すぎて、隣に並ぼうとしても少し後ろについてしまう。こんの、モデル体型め…。目測180cm後半か?それで八頭身とかどうなってんだ。僻んでおもわず舌打ちしそうになるのを飲み込む。長い足が絡んでしまえ。そんなことを考えていると、くん、と繋いだ手を引かれる。
「効率厨がなにかはわからないが…、シンジョウは羞恥が無いのか?」
軽くこちらをみるゼロさんに、おや、可愛らしい返事をお求めですか?と笑うと、そこまででは無い。と斬り捨てられた。そもそも、吐いた吐瀉物を片付けられた仲なのに、それ以上の羞恥なんてあるんだろうか。
「…ゼロさんの手は大きくて硬いですね。」
男の人だぁ。と呟いて、きゅう、と繋いだ手を緩く握り締め、手のひらを軽く引っ掻く。ビク、とゼロさんの肩が揺れて、見れば、耳が赤くなって目が泳いでいた。
「んぐっふ、…ぶふっ!」
「…いっそおもいきり笑え。」
許可を頂いたので、しこたま笑う。笑いすぎて、歩けなくなって脇腹が痛い。涙を堪えて蹲る私の頭を、ゼロさんが軽く叩いた。
まだ少し照れているゼロさんが、余計に面白くて仕方ない。まさか魔法使いなんだろうか。
「んぐふ、当たり前の事を羅列しただけで、照れると思いませんでした。ひぃいっ、…はぁ、…ゼロさんは魔法使いの疑いがありますね。」
「俺は騎士だ。魔法使いではない。」
私の発言に、きょとん、と目を丸くしていて。その表情がとても若く見えるものだから、尚更笑ってしまった。
「はぁ、すみません落ち着きました。よろしくお願いします。」
す、と握手を求めるように手を差し出すと、仕方ない。と顔に書きながら、しっかり手を繋いでくれた。本当にゼロさんはいい人だなぁ。シェイクハンドは平和の証ですよ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それでは、職業能力検査を始めるぞい。」
神殿で聖女検査、教会で能力検査と言っていたからあちこち回るかと思いきや、単純に規模が大きい教会の名称が神殿だった。ほほん。
「よろしくお願いします。」
目の前のヒゲを蓄えたご老人は、『鑑定』の能力が高い神官様だそうで、なんと私を呼び出した内の一人だった。
「鑑定。」
ご老人の言うことには。鑑定するには今みたいに握手するなり、対象の一部に触れないといけない。本当は呼び出した後鑑定する予定だった。でも私はすぐ放り出されたので、調べられなくて。すぐに弟子を送ったけれど、泥酔グロッキーな私をみてこれは無理だと判断。回復させて、落ち着いたらまたきてね。に変更したそう。お手数お掛けします…。
「うむ、やはりか…。」
私の鑑定結果を認定カードとか言う物に、魔法で刻んでいるご老人の顔は険しい。嫌な予感しかしないんですが。
「大聖女様。認定カードをお渡しいたします。」
「受け取り拒否しても?」
「ほっほっほ。」
「アリガトウゴザイマスウレシイナァ。」
ご老人の圧がすごくて逆らえなかった。渡されたカードには『大聖女』の文字が輝いて。折れねぇかな。と一抹の望みをかけてカードの両端に力を入れるがびくともしなかった。超合金かよ。
「チッ。なにが『大聖女』だ。私は清貧・貞潔・服従なんて御免被る。」
「舌打ちする大聖女様など初めてみたわい。」
「したくてもできなかっただけでしょう。」
思わず悪態をつくけれど、大きくため息をついて頭を振る。これからを考えなければいけない。痛む頭にこめかみを押さえて、顔を上げたらゼロさんと目が合った。肩をすくめて笑ったら、あちらも苦笑いを返してくれて。まぁ、そうなるよね。嘔吐系聖女ってありなんですか神様。
「呼ばれたお嬢さんも大聖女でしょう?このまま国外に逃亡しようかな。」
「いや、あの少女は『修道女』じゃった。」
「おっとぉ、雲行きが怪しい。」
「ゆくゆくは階級が上がり、聖女になるであろうと言っておったがの。」
誰とは言わないが、王様のことでしょうね。ふんふん話を聞きつつ、カードを眺める。あれ、
「もしかしてこのカード、記録されて国に渡ります?」
「…そうじゃの。しかし聖職者は国に縛られる機関ではない。協会に属す事になるのぉ。」
「『大聖女』はどのあたりの立ち位置ですか?」
「神の愛娘じゃ。最上位じゃの。」
oh。ぽっと出の異世界人が職場の代表取締役社長になるとか、現場の人からすれば悪夢でしかないな。うん。逃げよう。にっこり笑顔の私がなにを考えているのか、短い付き合いでも想像できているのだろう。黙って成り行きを見守っているゼロさんが、ため息をついているのが見える。
「大聖女のありがたみがまるで感じられないんですが。役職とかって変えられないのですか?」
「可能性があれば三種程出る者もおる。伸びの良い物がそのものの職になることが多いの。後は職級が上がるのみよ。大聖女様はすでに最上級。変えることは不可能じゃ。」
ガッテム。なにが聖職者だ。自分のことで手一杯なのに人に奉仕などできるか。ただでさえ最愛の推しが亡くなって、メンタルお通夜なんだぞ。ムカムカと胸が焼けて、腹の底がぐらぐら煮え立ってくる。視界の端に、恐らく女神であろう純白の像。ステンドグラスが光を色付け、像に降り注ぐその神聖な様さえ気に入らなかった。なにが、愛娘だ。
「説明してほしい。なにをすればいい?私は、私の為に生きている。」
《『マリカたんを思って喪に服す』っていうから、大聖女にしたのよぉ?怒らないでぇ。》
私の呟きに、天から降り注ぐような声がした。高く澄んだ空気のような声に、俯いていた顔を上げる。目の前に、金の髪を靡かせ豊満な身体に薄布をまとった女が浮いていた。女神と呼ぶに相応しい、金の瞳に慈愛を浮かばせながら、にこりと、私を見て微笑んで。
「痴女?」
《やぁん。辛辣。アルたんって呼んでねぇ。》
バチコーン☆と長いまつ毛に縁どられたタレ目から、ウィンクが飛んできたので叩き落とす。アルたんと名乗った推定女神。視界の端でご老人とゼロさんが跪いているし、ご老人泣きながらアルヘイラ様って拝んでますよ。
《二人が渡るときに、お話ししたけど…。泥酔してたものねぇ。》
「覚えがないですね。すみません。」
《リンの素直なところ、好きよ。》
ふふ、と妖艶に笑って私の名前を呼ぶアルたん。ううん。逆らったら殺されそうな気がする。私の勘だけれど、本能的な物だろうなぁ。
アルたん曰く。私とお嬢さんは二人とも聖女として呼び出されていた。この世界にわたる際、聖女の力を付与するはずが、待ったをかけたのはお嬢さんで。転移じゃ困るとか、美少女にしてくれとか、愛されハーレムがどうのと難癖をつけたらしい。一方私は酒瓶抱えて譫言の様にマリカたんを思って泣いていた。それを面白がったアルたん。職級一つ下げるごとに、お願いを一つ叶えることにしたそう。
美少女になりたい。色彩を変えたい。権力者に愛されたい。痩せたい。その四つを叶えた結果、修道女に落ちたとか。なるほどなぁ。
《ちゃんと修行すれば、職級は上がるわぁ。》
そういって笑う女神に、お嬢さんには無理だろうな。と思った。なにせ自分の努力で出来ることまで、アルたんに願っているのだから。もし考えが変わっても、そもそも一からスタートしてるこの世界の人だって聖女まで上り詰めることは難しいのだから。すでに権力の味を覚えた彼女が、この世界の人以上に努力できるとは思えない。それより、もしかして私も何か頼めば、大聖女なんて面倒くさそうな役から降りられるのでは?
「私も、願えば叶えて下さるので?」
《ごめんねぇ。聖女は必ず一人いなくちゃいけないの。》
一瞬の期待も、見透かされたように叩き落とされて思わず膝から崩れ落ちる。くそう…。
《あの時、リンが喪に服すって大泣きしていたから、アイリちゃんの分の力を、リンに入れたのよぉ。》
アイリちゃんは、あのお嬢さんの名前だろう。まさかの自ら蒔いた種だった。しかし諦めきれない。なにか、なにかないか。あ、
「処女性とか、清廉潔白とかそんな感じの…聖女たれ!みたいなの?資格無いですよ私。」
これでどうだ、とアルたんに告げると、何故かゼロさんの肩が跳ねた。どうしました?
《あらぁ。いらないわよそんなの。だって私、元々女の為の神だもの。沢山恋して、結婚して、子供を作って…その過程の一部で失うものに、神聖的価値なんてないわ。》
「やっぱりエロ親父の願望詰め合わせセットなんですね。」
元の世界も教会は売春宿ってスラングになってたしな。ふーん。と納得していると、ご老人から補足が入った。アルヘイラ様は五穀豊穣・浄化・繁栄の女神様で、女性を守って下さるから美・愛・子孫繁栄とかもあるとか。ほうほう。しかしこの手もダメか。
《リンみたいに、一途な愛は大好物よ。私の力になるもの。》
マリカたんへの愛のことですね。二十年物ですからねへへへ。ドヤ顔で胸を張ると、ふふふ、と花を撫でる様な笑い声が降ってくる。
《ねぇ、リン。好きに生きて。大聖女の仕事はね、魔力を神聖力に浄化して世界に循環することなの。この世界に長く留まってくれるだけで、果たせるのよぉ。》
「そんなお手軽循環器なのに、随分仰々しいですね?」
呼吸してるだけでいいってことじゃないですか。なんで価値が着いたんだろう。首を傾げると、ご老人が一歩進み出て、失礼いたします、とアルたんと私に頭を下げた。
「大聖女様、魔力を神聖力に変える事自体、高位神官以上にしかできませんのじゃ。」
《そうそう。それに、高位神官がホースの放水で、リンはダムの放水位威力と勢いに差があるのぉ。》
「魔法を使えば魔力を空気中に霧散させることになります。それを浄化して神聖力に中和しないと、溜まった魔力から魔物が生まれます。しかし、魔物を倒すには魔法か神聖力がいる。」
三人から代わるがわる説明され、唸る。神聖力は高位神官にしか使えないから、必然的に魔法を使用して魔物を…のサイクルになるのか。なるほどなぁ。
「聖女や高位神官を沢山作ることはできないんですか?」
「魔力回路と神聖力回路、二つを持って生まれるのが100人に1人。さらに循環させられるのが1000人に1人。実用できる高位神官は10万人に1人ですの。」
なぜそんなに狭き門なの。ちら、とアルたんを見ると、困ったように笑われて。
《神聖力が溜まると聖物が生まれてしまうのよ。聖物は断罪履行生物。聖女の言う事全てに従う非有機生命体。そんなの世界に放てないでしょう?》
頭の中を、腐ってやがる早すぎた生物が焼き払っているシーンが駆け巡る。こっわ。聖女の独裁政権防止措置なのか。ん?それじゃあ、
「私は一つの場所に留まらない方がいい?」
《そうね。今も自動で浄化した神聖力を吐き出しているから、私がここにこれたの。あ、心配しないでねぇ。私の顕現に神聖力を消費してるから。》
危ない。アルたんが居なければ聖物が生まれるところだった。…あ、なるほど。
「王様が欲しいのは、聖物か。聖女が恋すれば、妻になれば城に留まるだけで好きに操れる最強軍隊が作れる。聖女は協会最高職だから、国に属さない教会も自分の下における。自国以外に、他国に教会を通じて軍隊を送り攻め込めるのか。」
私の言葉に、ゼロさんが険しい顔をしている。元から知ってたんだろうなぁ。ゼロさんは騎士団長だったって言っていたし。この国の攻防責任者が知らないわけがないよね。
《じゃあ、そろそろ行くわね。また神聖力が溜まったら、中和に来るわぁ。》
「呼び出したいなら一所に留まればいいんだね?」
《リンが意識すれば、循環量を調節できるわぁ。またねぇ。》
にっこり笑顔のアルたんは、私の額に口付けて空気に溶ける様に消えていった。おお、イリュージョン。調節できるなら、寝てるときとかは最弱にすればいいんだね。全裸で聖物ご対面とかシャレにならない。
「ほっほっほ。まさかこの目でアルヘイラ様と対面叶うばかりか、会話までして頂けるとは…。長生きはするものですな。」
ご満悦なご老人は、私に跪いて恭しく頭を下げた。
「大聖女様、ウォンカと申します。どうぞお好きにお呼びください。」
ううん。このタイプの人って、こっちが受け入れるまで諦めない古狸型だよなぁ。でも言う通りにするのもなんとなく違う気がする。ウォンカさんの私を見る目の奥がギラギラしてる。
「ウォンカさん…ウォンカ爺?あ、翁とかどうですか。」
大聖女って職業が判明した後も名乗って貰えなかったあたり、絶対アルたんに対する信心なんてない。本人ご登場で泣いていたのは、たぶん別の理由だろうし。だから、名前は呼ばない。
「ええ、構いません。ほっほっほ。」
立ち上がったウォンカさんは、何が楽しいのか上機嫌に笑っている。…テンプレ展開なら、この好々爺は協会の権力者の可能性がある。なんでこんなところにいるかは知らないけれどね。かもしれない運転でいこう。
「…シンジョウは、リン、というのか。」
「あ、はい。姓が新庄です。名前が凛。」
「そうか。」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せて腕を組んでいるゼロさんに、なんですか?と聞いても、なんでもない。としか返事が返ってこない。ええ、…何でもないなら態度に出さないでくれ。気になるじゃないか。…あ。
「ゼロさん、今までありがとうございました。」
ペコーと深くお辞儀する。しっかり四十五度。
「は?」
頭を上げると、鳩が豆鉄砲を食ったようなびっくり顔でこちらを見ていて。おや?違ったかな。
「いや、方向性が決まったので。一所に留まれないし、旅に出ようかと。」
「…身を護るすべは?この世界の常識も通貨も、わからないだろう。」
「ここに来る途中、冒険者ギルドがあったので雇おうかな?使えば金銭感覚はすぐ覚えられるし…。この国からは早めに出ないと、王様につかまりたくないので。」
洗った元の世界の服や下着を古着屋に売れば、そこそこ金になるだろう。なんせ機械の均一な縫い目にレースやこの世界にない新技術なんだ。身分証代わりになる認定カードを、エプロンドレスのポケットから出して翻す。これの所為で、王様にばれるってウォンカさん言ってたからね。私の言葉に、さらに眉間に皺を寄せたゼロさんが近づいてくる。
「騎士団長だったんだ。戦力として冒険者に劣らない。この国の地理も詳しい。雇う金も掛からないし、シンジョウに常識を教えるだけの教養もある。…同行する。いいな?」
「ア、ハイ。」
すごい勢いで売り込まれて、返事をしてしまった。いやいや、ゼロさんいい人だけれどそもそもこの国の人だし、王様側の人間だよね?ご迷惑をお掛けして、お世話になったけれど、王様に売り飛ばされるか気が気じゃないんだが?
冷や汗が出るけれど、真剣な顔で詰め寄られて、思わず降参ポーズをとってしまう。騎士団長の圧こっわ。ただでさえガチムチ長身男性だからなおさら。頭一つ分大きいとかほぼ巨人じゃないか。少し下がって頂きたい。
うん、撒けそうなら道中まいて逃げよう。得られる情報全部貰って。タイミングなんていくらでもあるだろう。なんせお互い成人なのだから。ゼロさんが歓楽街辺りで発散するときとかね!うんうん、我ながら完璧だと頷いていると、ゼロさんがジッとこちらを見ていたらしくバッチリ目があって。いたたまれずに目をそらす。な、何にも企んでないですよ~と口笛ぴょろり。
はぁ、と露骨にため息をつかれたが、きっと大丈夫だろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
元の世界の服、下着まで売るなんて正気か?確かに見たこともない製法で、高値で売れるだろうが…。無頓着にもほどがあるだろう。先ほどのアルヘイラ様との話もそうだ。俺と教皇様の前であることも気にせず、聖女やもう一人の少女について知ってしまった。協会が知れば大騒ぎになるような話をポンポンと。聞かれたのがウォンカ様でよかったが。ため息をついて、ガシガシと頭を掻く。
それより…俺を置いていこうなど、二度と考えられないようにしなければ。先代国王に誓った忠誠を、ベイルート様に誓うことはない。何より騎士職も解かれてしまったしな。ちょうどいいと言えば、丁度良かった。シンジョウは常に移動し続けなければならないし、今まで国の外に出るのは討伐や遠征、合同訓練か戦争時だ。いままで多忙で休暇もろくになかった。使う暇なく貯まった金で、ゆっくり旅をするのも悪くない。…シンジョウは、俺が手を引かねば何もないところで転んでしまうしな。
転んで砂まみれになっていたシンジョウを思い出して、笑いがこぼれる。それを訝しげな表情のシンジョウにみられ、咳をしてごまかす。…早めに警戒を解かせなければ。行動を共にすれば、信頼も築けるだろうか。
「さて、ゼロックス殿は騎士団長の職を解かれていたのぉ。鬼神の守護が無くなった小国に愚王の舵…女神にも見放され、沈む泥船に留まることも無かろう。」
す、と出されたウォンカ様の手を握る。剣に関する再就職を探すために、再鑑定してくださるのだろう。教皇様の鑑定など、本来騎士団長であっても受けられるものではないのだが。アルヘイラ様にお会いして機嫌がいいのだろう。いつもより口が滑っていらっしゃる。
「ふむ。どうやら…アルヘイラ様は、ゼロックス殿をお気に召したようじゃの。」
「これは、」
渡された認定カードには騎士団長の文字が消え、『大聖女の騎士』と彫られていた。大聖女様…シンジョウを護る為に存在しろ。という事か。カードを見て黙った俺とウォンカ様が気になったのか、覗き込んできたシンジョウは、カードの文字を見た後、苦虫を嚙み潰したような顔をして。
「ゲッ…。アルたんの過保護が重い…。ごめんねゼロさん。」
「いや、気にするな。」
謝罪してくるシンジョウには言わないが、元からそのつもりだったのだ。シンジョウの小さい頭を軽くかき混ぜると、絹のような黒髪がぐしゃぐしゃに乱れて。ぅおああと、まるで女らしくない悲鳴が聞こえて笑う。
「ほっほっほ。では、大聖女様。こちらをお持ちください。」
じゃら、と重量を感じる革袋をウォンカ様に手渡され、やはり重かったのか、シンジョウから素っ頓狂な声が上がる。小さな手が恐々紐を解けば、中から大金貨がじゃらじゃらと。引きつった顔でウォンカ様を見るシンジョウは、革袋を返そうと四苦八苦している。
「なんだこれ絶対大金だ!いらない!身の危険を感じる!」
「いえいえ、もともと聖女様に対する正当なお布施ですぞ。」
「冗談でしょう?!存在しない対象にお布施とか!」
「いやいや、受け取って頂かねば、横領罪で儂がアルヘイラ様に罰せられてしまいます。」
「じゃあはい、受け取りました。そしてパス!協会の運営資金にどうぞ!」
必死と言って過言じゃないシンジョウの様子に、ウォンカ様も笑ってしまっている。ふむ、と髭を撫でつけて、シンジョウの手にしっかり握らせて。
「これから入用なものがございましょう。持っていて損はないはずですぞ。身の危険は、ゼロックス殿が取り除いて下さるじゃろうて。」
「ぐぅう…。」
ちら、とシンジョウがこちらを窺いみてくるので、諦めろ。と首を振れば睨まれた。顔に思い切り裏切者…。と書かれていて面白い。大金を手にして喜ぶどころか迷惑がるなんて、シンジョウは今までどんな生き方をしてきたのだろうか。
「…わかりました。ありがたく受け取ります。」
威嚇する犬のような顔のまま、嫌々と言わんばかりに受け取ると、中から数枚取り出して自分のポケットに入れた。何をするんだろうとみていると、革袋を俺に放り投げてきて。落とすわけにもいかず受け止める。
「これからの護衛・案内・勉強等と迷惑料です。大聖女に来たお金なら、そこから運営費を出しても問題ないですよね。一人に対する業務量や前職の職級等鑑みて、お渡しします。お給料前払いという事で。」
「ほっほっほ!そう来なさるか。」
シンジョウの言葉に唖然としていると、ウォンカ様が大笑いしている。中を確認すれば全て大金貨。…いや、多すぎるだろう。これだけあれば向う10年は遊んで暮らせるぞ。
「多すぎる。」
「休み無しと夜間の手当として盛り込んでください。後は夏と冬のボーナス分込みとか?」
金を手放せて肩の荷が下りたのか、今までで一番の爽やかな笑顔にグッと言葉が詰まる。ウォンカ様に敵わないからと、俺に押し付ける気だな。はぁああ、と今日何度目かわからないため息をつく。
「入国税や馬車、宿や移動時の雑費等はここから出す。それでいいな?」
「ゼロさんの装備その他福利厚生にお給料分も必要分引いてください。」
「…わかった。」
随分と、どんぶり勘定というか。いや、そもそも全額押し付ける気でいたから、どれだけ持っていこうが関心が無いのか。…俺が金に目がない糞野郎だったらどうするつもりなんだ。危機管理能力が無いのか。言いたいことは山ほどあるが、ここでいう事でもないだろう。飲み込んで、革袋をしまう。
「話はまとまりましたかな?」
愉快そうに見ていたウォンカ様に、シンジョウがいい笑顔で返事をしている。
「では、ご縁があればお目にかかることでしょう。お会いできて光栄でした。大聖女様。」
「いろいろと、ありがとうございました。またいつか。」
お互いに頭を下げ握手をした後、シンジョウは早々に教会から出て行って。ちら、とウォンカ様に目をやれば、眦を下げて微笑む様は孫を見る眼だ。軽く頭を下げれば、頷き返され。今度は振り返らずにシンジョウの後追って教会を出た。